No.3307 やはり野に置け 投稿者:木器 投稿日:2026年04月01日 (水) 07時14分 [ 返信] |
見事としか言いようのない掲示板の華やかな桜の爛漫や、公園の桜の満開ぶりを見てきて、ふと自宅のベランダの足元を見たら、これはこれは、また対照的にひっそりとスミレが咲いていました。
好きな花なので、この掲示板のバック模様にも使っているのですが、ふと頭をよぎったのは、「やはり野に置けすみれ草」という文言です。 すみれの花はきれいですが、採ってきて花瓶に飾るような花ではない、やはり野山の自然の中でひっそりと咲いているのがふさわしい、といった意味でしょうね。 でも、正確にははなんだったっけ、と調べなおして見たら、お恥ずかしい、正しくは、 「手に取るなやはり野に置け蓮華草」 でした。
改めて出所をたどると、江戸時代中期、播磨の俳人・滝野瓢水という人が作った俳句だといい、そのいきさつはこうだそうです。 「平生したしき人の、難波の遊女を根引せんと云へるをいさめて 手に取るなやはり野に置け蓮華草」
しかし、やはり小生と同じように勘違いしている人は多いらしくて、「やはり野に置けすみれ草」だけでなく、「やはり野に置け月見草」など、花の代役がいろいろと言われているようです。
ま、蓮華草にしてもスミレや月見草にしても、遊女に例えられてうなずけるかどうか。 事情があって苦界に身を沈める薄幸の女に、桜のような華やかな美ではなく、そのさだめゆえのはかない美しさを感じる人が多かったのでしょうね。
でもその遊女云々は抜きにしても、野に置いた方が美しいのは、おそらくほとんどの花たちに通じることなのではないかと思いました。 いろいろな作曲家が曲を付けたゲーテの詩「野ばら」も、花を摘もうとした少年の指を刺して、採られるのに抵抗しました。やはり、野に置けバラの花、だったんですよね。もともと「野ばら」と「野」が付いているわけですし……。
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