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みずき掲示板

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[843] 商機最も敏感なる北濱街 投稿者:穂高 投稿日:2008年09月04日 (木) 01時50分
写真は、「商機最も敏感なる北濱街(大阪)」です。
先日、古書を整理していて、昭和初期の絵葉書を偶然見つけました。
その多くはかなり色あせていますが、往古を偲ぶには十分です。そんな絵葉書の中から、特に印象的な大阪の写真をお届けしました。昔を偲んでいただければ嬉しく思います。


■[846] セピアみずき(2008年09月09日 (火) 22時25分)
セピア色
そのままで、昔の姿になる色
昔にもどす色
いいなぁと、思う色

私も祖父の家で、戦前の街の写真をみました。東京の八王子ですが。
丸焼けで、ほとんど焼失したそうですが。


[840] 飛騨路のコスモス 投稿者:穂高 投稿日:2008年09月02日 (火) 00時09分
写真は、「飛騨路のコスモス」です。
ほおのき平スキー場では、今、コスモスが花の盛りを迎えています。
温暖化のせいか、開花時期も2週間ほど早いようです。
昨年は、紅葉の頃まで美しい姿を見せてくれましたが、今年は紅葉の頃には花が見られないのでは・・・と思っています。


■[842] おおみずき(2008年09月02日 (火) 21時43分)
もうコスモスの季節になったのですね。
こちらでは、昭和記念公園()昭和天皇の記念公園)に行けば
数万本咲いてきれいです。


[839] 飛騨路の夫婦岩 七夕岩 投稿者:穂高 投稿日:2008年08月29日 (金) 21時31分
千畳敷カールと伊吹山・・・素敵な写真をありがとうございました。
旅を満喫されたようですね。

私は、山へ行こうと思った日に限って、天候が崩れ、しかたなく断念。ストレスのたまる昨今です。

写真は、「七夕岩」です。

男岩と女岩の間に張られた大しめ縄
昔ながらの里山の緑
その二つが調和して醸し出す風景

この風景が大好きです
300年余の過去から変わらぬ風景のように思います
多くの人がこの風景に魅せられたことと思います

今年も多くの人の力によって
大しめ縄が作られ
伝統ある風景を演出することができました

遠き未来の時代にも
この風景を伝えてほしいと思う私です

さて、VTRギャラリーに「松之木七夕祭り 2008」をアップしました。
縄綯いから大しめ縄上げまでの様子を紹介しています。お時間が許すときに、是非、ご覧になってくださいね。

雑用に追われ、レスが遅くなっています。これに懲りず、気長にお付き合いくださいね。




■[841] 300年みずき(2008年09月02日 (火) 21時37分)
変わらぬ景色のところにいるなんていいですね。
私のところは、東京の田舎ですが、子供が生まれた時に比べると
田んぼにまじり近代化してしまいましたね。


[838] 祝い:オリンピック 投稿者:みずき 投稿日:2008年08月10日 (日) 16時26分
オリンピック開会式みました?
中国4000年の歴史絵巻。
今の中国の経済力を結集した感じですね。
思いがこもっています。

日本のお祭りのしめ縄もその土地の思いの結集。


[837] 大しめ縄に里人の願いを託して 投稿者:穂高 投稿日:2008年08月07日 (木) 02時41分
写真は、「里人の願いを託した大しめ縄」です。

夜空高く大しめ縄を上げ終わった瞬間、喜びがこみ上げました。
松之木七夕祭りでのことです。
毎年、この祭りに参加し、大しめ縄が上がる瞬間を見てきました。でも、今日のような喜びや感動はなかったように思います。

今年は祭りを企画運営する町内の役員の一員として、この日を迎えました。
幾度となく、土木事務所や市役所、警察署などへ足を運んだ私は、無事に大しめ縄が上がることだけを祈っていました。今にも雨が降りそうな空を何回見上げたことか・・・・

大しめ縄が無事に上がった瞬間、肩の力が抜けたように思いました。
大しめ縄を見上げながら飲む酒は、とても美味しく感じました。いつもでも祝宴が続きました。

五穀豊穣、家内安全、良縁、学業成就・・・・里人の願いを託した大しめ縄。その威風堂々とした姿は里人の誇りです。

(松之木七夕祭りは8月6日に行われました。)



[835] 「不二樹浩三郎居住の地」の碑 投稿者:穂高 投稿日:2008年08月04日 (月) 23時02分
夏のお祭り・・・素敵な写真を有難うございました。

>穂高さんは、夏休みかな?
しばらく冬眠、いや夏眠をしていました。(笑い)

写真は、除幕されたばかりの「不二樹浩三郎在住之地」の碑です。

先日、久しぶりに高原の地、山之村(飛騨市神岡町森茂)を訪ねました。
緑に溢れる景色を楽しみながら、車を走らせました。
集落の中心部近くの道路沿いに人だかりができていていました。
「不二樹浩三郎在住之地」と刻まれた碑の除幕が終わったところでした。
不二樹浩三郎は、中川与一が書いた「天の夕顔」の主人公のモデルとなっている人物です。
不二樹浩三郎は、山之村の地を訪ね、冬の寒さに耐え生活されたとそうです。その体験を中川与一に語り、中川与一によって、小説「天の夕顔」となったということです。不二樹浩三郎が山之村と訪ねたという事実、モデルになっているということから、「天の夕顔」は、不二樹浩三郎抜きでは考えられないと思います。
不二樹浩三郎が山之村の地を訪れたという事実を後世に伝えたいという願いから、「居住の地」の碑が建てられたのだと思います。中川与一を讃えた「天の夕顔」文学碑より、地元の人には価値のあるものであると思います。
親しげに声をかけてくださった上平隆憲さん、「居住の地」の碑を建てるために尽力された方でした。その笑顔がとても素敵でした。

帰宅してから、2冊の本をむさぼるように読みました。本棚の片隅から探し出した「天の夕顔」と、買ったばかりの「小説 天の夕顔 余聞」です。若いころ読んだときとは違った感動と発見がありました。「天の夕顔」の主人公のモデルとなった不二樹浩三郎も、飛騨の自然、人の心を愛された方であったと・・・・・・私は、そう信じています。

雑用に追われ、レスが遅くなっています。これに懲りず、気長にお付き合いくださいね。


■[836] 最近みずき(2008年08月05日 (火) 21時08分)
石碑になる人は、すごいひとであるとともに、偉い人ですよね。
凡人には無理(>_<)  と逃げの一手です。

話は別ですが、最近は山でなくとも鉄砲水で死ぬ人が増えていますね。
特に今年は多い。


[831] ヒメコウホネ一輪 投稿者:穂高 投稿日:2008年06月30日 (月) 23時14分
写真は、「ヒメコウホネ」です。
私の家から車で10分程度のところに、やや広い農業用のため池があります。
その形がひょうたんに似ていることから、地元ではひょうたん池と呼んでいます。
このひょうたん池には、多くの植物研究者が訪れています。私もその一人かなと思っていますが・・・・。
ヒメコウホネとヒツジクサという珍しい植物が群生しており、今、その花が咲き誇っています。
ヒメコウホネは、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧二類としている貴重な種です。絶滅の危機が増大している種にランクされています。岐阜県では絶滅危惧一類としています。県内においては絶滅の危機に瀕しているということで、深刻な状況にあります。ヒメコウホネはきれいな水を好む水生植物であることから、ひょうたん池を水辺環境として、今後も守り続けていかなければならないことは言うまでもありません。そのことをいちばんよくよく知っているのは地域の住民だと思います。年に数回、町内総出でひょうたん池周辺などの環境整備作業を行っています。
広い池の中で遠慮気味に咲くヒメコウホネを見ていると、そこに咲いていることがとても嬉しく感じられます。


■[832] ヒツジグサ穂高(2008年06月30日 (月) 23時14分)
写真は、「ひょうたん池に自生するヒツジグサ」です。
ヒツジグサは、漢字では「未草」と表記します。
このヒツジグサが咲くのは、正午前後です。未(ひつじ)の刻に咲くから、未草と名づけられたといわれています。
ひょうたん池に自生するヒツジグサは、研究者たちによって、昭和58年にエゾノヒツジグサと確認されました。北方系のエゾノヒツジクサであるとすると、国内の分布の南限になり、貴重な生育地ということになります。しかし、その後、エゾヒツジグサと分類する研究者とヒツジグサと分類する研究者が現われ、確実にエゾノヒツジグサと確認されるまで、ヒツジグサと表記することとなったそうです。遺伝子鑑定によって、科学的に分類される日がやがてくることと思います。
ヒツジクサの自生地は、高山市内にも数ヵ所あったと言われていますが、今ではひょうたん池だけになってしまいました。
池の周囲の景観ともに、ヒツジグサ、そして、ヒメコウホネの命を守っていくことが、自然を破壊してきた人間の責務であると思います。
今、松之木町の住民の力によって、その小さな命が守り続けられています。



■[833] みたことないみずき(2008年07月04日 (金) 21時25分)
すごい、見たことないです。
蓮の一種ですか?
善光寺で蓮をみましたけど。
■[834] すごいですみずき(2008年07月13日 (日) 20時50分)
絶滅危惧二類としている貴重な種が車で10分のところにあるんですか。
すごいです。
気品がありますね。
子孫を残すために頑張っているんですね。
すばらしい。


[829] 飛騨路のラベンダー 投稿者:穂高 投稿日:2008年06月28日 (土) 14時14分
あじさい祭り・・・素敵な写真をありがとうございました。
ご訪問を大変嬉しく思っています。
時々、遊びに来てくださいね。

写真は、「飛騨路のラベンダー」です。
高山市郊外の清見町(旧大野郡清見村)では、ラベンダーの花が咲き始めました。
さて、来月5日に、東海北陸自動車道の未開通部分(飛騨清見IC〜白川IC)が開通します。自宅から白川郷まで45分前後に淡色され、北陸方面もかなり時間的に近くなります。これからは金沢へ買い物に行くことが多くなりそうです。

(週末が慌しく、のんびりと写真を撮ることができませんでした。そのため、レスが遅くなってしまいました。これに懲りず、気長にお付き合いくださるようお願いいたします。)


■[830] 心配になってみずき(2008年06月29日 (日) 19時47分)
穂高さんが、しばらく見えなかったので病気かと心配しまいました。
HPにお邪魔したらお元気で安心しました。
たまに行きますね。


[827] 車田の田植え 投稿者:穂高 投稿日:2008年05月24日 (土) 22時12分
写真は、岐阜県指定文化財「車田」の田植えです。
高山城三代城主金森長近は、車田に立ち寄り、こんな歌を残しています。

見るもうし植えるも苦し車田のめぐりめぐりて早苗取るかな

江戸時代には、現在のような車田があったようです。神鳳鈔という鎌倉時代の書に、「飛騨国穴野御厨」という記述があります。「穴野」は「大野」の誤記であり、車田を指しているという説があります。穴野御厨を車田とするなら、車田の歴史は中世まで遡ることになります。
現在、車田保存協力会が有志によって組織されるなど、地域をあげて車田の保護、伝統の継承に取り組んでいます。また、春、秋には、地域の住民で草刈りや清掃を行い、景観の保持に努めています。


■[828] どこから見てもみずき(2008年06月03日 (火) 21時27分)
車田って、どこから見ても
どの時代から見ても
絵になりますね。


[825] 車田の田植え 投稿者:穂高 投稿日:2008年05月19日 (月) 22時59分
写真は、岐阜県指定文化財「車田」の田植えです。
5月19日、古老が唄う田植え唄が響き渡る中、古式に則って、昔ながらの田植えが行われました。
車田の起源は古く、律令時代まで遡るという説もあります。昔は各地にあったと思われますが、現在は佐渡と高山市松之木町(私の住んでいる町内)の2ヶ所にしか残っていません。
ビデオギャラリーに「車田の田植え 2008」をアップしましたので、お時間があれば、是非、ご覧になってください。飛騨路の歴史、伝統、文化を垣間見ていただけることと思います。


■[826] すばらしい時代みずき(2008年05月20日 (火) 22時13分)
車田の田植えの様子が動画でリアルにネットで見れる時代
になったんだなぁ と今さらに感激いたしました。
うん、うん。動画は良いです。







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