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[940] 車田の田植え 古式に則りて 投稿者:穂高 投稿日:2009年05月17日 (日) 17時24分
八王子城・・・興味ある写真をありがとうございました。
かなり大きな城址のようですね。
山城に石垣を用いていることから織豊系の城に属するようですね。
安土城をイメージして建てた城ではないかと思います。

写真は「車田の田植え 古式に則りて」です。
小雨が降る5月17日、町内にある車田の田植えが昔ながらの方法で行われました。
車田の紹介をさせていただきます。
<「穂高が綴る故郷の文化財」より>
 国道158号線と市道まこも1号線の分岐点付近に、円形をした水田がある。これが車田である。春の田植えや秋の稲刈りの時期には、そろいの法被を着た人々によって、昔ながらのやり方で作業が行われる。
  飛州志(注1)には、 『田の広さ方九間ばかり、稲苗一把を中央に置き、それより円く廻りて菅笠の縫目のように植える。里民は伊勢神宮の神供米を作っていたと云う。』と書かれている。現在は、この田で収穫した米で、大八賀神社に供える鏡餅が作られている。また、稲穂も供えている。
  文政8年(1825)の秋、 日下部道堅(注2)が碑を建てることを思い立ち、田中大秀(注3)に碑文の執筆を依頼した。碑文には、車田を神鳳鈔(注4)に書かれている飛騨国穴野御厨(注5)であると書かれている。また、大秀は、車のように植えたから、車田と名づけられたと述べる一方、古老の言を引用して、昔は環形の内に、一年にかたどり12枚の小田が車輪のように並んでいたので車田と名づけたとも記している。
 現在は、田の中心に杭を打ち、中心から7本の線を出し、一株の苗を3本ずつとし、一本の線に5株植え、後はその外側に同心円状に植えている。神聖な田であることから下肥は決して使わないということである。
  このような古い車田形式の植え方が、現在残っているのは、ここと佐渡だけと言われている。
  江戸時代に、高山城三代城主金森重頼が鷹狩の帰りに車田に立ち寄り、次のような一首を詠んでいる。   見るもうし植えるも苦し車田の めぐりめぐりて早苗取るかな    
 車田は、現在、平野正雄さんの所有であり、長年に渡って、平野さんの家族によって、その伝統が守り続けられてきた。平成7年、車田の保存協力会が組織され、多くの人々が平野さんに協力して、伝統を守っていくことになった。
  なお、車田は、昭和35年に高山市の文化財の指定を受け、平成14年に県の文化財に指定されている。
  また、観光客でにぎわう飛騨の里に、この車田を模した水田が作られている。
注1 第七代飛騨代官長谷川忠崇が編集した歴史書
注2 田中大秀の門下生  荏名神社の再興に尽す。
注3 国学者 本居宣長に学ぶ 荏名神社・飛騨総社を再興する。
注4 神鳳鈔 鎌倉時代の書 神宮徴古館所蔵
注5  「穴野」は、「大野」を書き間違えたものと言われている。

最近、PCに向かう時間が少なくなっています。そのため、レスも遅れがちになると思いますが、気長にお付き合いくださいね。


■[941] 古式みずき(2009年05月19日 (火) 19時53分)
なんでもかんでも、直ぐ作り直してしまう日本に
なってしまいました。

古いものを大切にする時代が一番 「エコ」 かと思いますね。




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