[545] 宗和好み
投稿者:穂高
投稿日:2006年08月03日 (木) 01時22分
|
写真は、「禅昌寺庭園」です。 この庭園は金森宗和によって造られたものです。 金森宗和は二代高山城主可重の長男でしたが、家督を弟の重頼に譲り、茶道を極め、茶道宗和流を開いています。茶道だけではなく、華道やの庭造りにも長けていたそうです。 高山の東山寺院群の庭園は、京都の有名な庭園に劣らない、静けさ、落ち着き、わびなど歴史の重みを感じられます。宗和が庭造りに関わり、いわゆる「宗和好み」の庭園にしたためです。 禅昌寺の庭園も、裏山を借景としてうまく取り入れた「宗和好み」の庭園の一つです。
 (写真をクリックして下さい。)
■[546] 飛騨の古刹穂高(2006年08月03日 (木) 23時27分)
写真は、「禅昌寺」です。 「禅昌寺」は天下十刹に数えられている飛騨を代表する古刹です。茶人金森宗和が築いた日本庭園は飛騨で最も美しい庭と言われています。 また、宋朝様式の建築物、雪舟の傑作「八方にらみ達磨」などの文化財が多く、見どころがたくさんあります。境内にある大杉は推定樹齢1200年余、国の天然記念物に指定されています。
 (写真をクリックして下さい。)
飛騨路の旅は如何でしたか。
|
■[547] 萬歳洞穂高(2006年08月05日 (土) 22時42分)
写真は、「禅昌寺庭園」です。 この庭園は「萬歳洞」と呼ばれ、宗和好みの庭の中で最も名前が知られています。 武士を捨てて出家した宗和は茶道を極める一方、当時の文化人とも広く交流していました。千道安、小堀遠州、片桐石州、近衛応山、一条昭良、金閣寺鳳林和尚などと特に親しく付き合っています。それらの人物から、多くのことを吸収して、「宗和好み」と言われる独自の文化を創りあげたようです。 「萬歳洞」を見ていると、「飛騨」にいることを忘れてしまいます。京都にいるような錯覚に陥ってしまいます。
 (写真をクリックして下さい。)
|
| |