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[364] ああ 飛騨が見える 投稿者:穂高 投稿日:2004年11月02日 (火) 23時46分




 写真は、野麦峠から見た御嶽山、そして峠道です。
 標高1600mあまりの峠は、木々が落葉し、晩秋の雰囲気が漂っていました。
この野麦峠を越えて、明治・大正時代大勢の飛騨の若い女性が「糸引き稼ぎ」に長野県の製糸工場へ向かいました。
 当時の飛騨の農家は現金収入も少なく 家族の食べ物も十分でない時代でした。そにため、彼女たちの持ち帰るお金で年越しができると言われていました。幾多の工女が、冬の野麦峠を越え、出稼ぎに行きました。そんな工女たちの一人に「政井みね」がいます。岐阜県吉城郡河合村角川で生まれ育ち、14歳頃から毎年製糸工場へ出稼ぎに行き、模範工女 「百円工女」といわれるほどがんばった女性です。しかし、彼女たちの労働条件は大変厳しかったということです。そんな中、「政井みね」は20歳の時、信州・岡谷の工場で病気になり、兄がつれて帰る途中、野麦峠に辿り着いた時、「ああ飛騨が見える、飛騨が見える」とうれしそうに言って息を引き取ったそうです。
 そんな悲しいが残っている峠です。この話は、大竹しのぶさんの主演で映画化されました。それ以前にも、吉永小百合さんの主演で映画化の計画がありましたが実現しませんでした。峠の一画に、「政井みね」の碑があります。この碑を建てられたのは、「政井みね」の生き方に涙を流された吉永小百合さんです。
 現在、峠には工女たちの峠越えをテーマにした資料館があります。そこで出会ったあどけない表情の工女です。


■[365] みずき(2004年11月03日 (水) 10時01分)
これの景色が峠からみた飛騨の景色なのですね。
なるほど。
育ったところに自然の、永遠のシンボルがあるのは良いですね。

私は、新宿でしたので、大きな浄水場がありましたが、今は
消えてしまい、新宿副都心となり都庁高層ビルが立ち並んでいます。

野麦峠の映画は見た事あります。おしんに匹敵するくらいの日本の
時代の象徴ですね。それにしても可愛い子ですね。

今は、車内に座り込む女子高生を見ると、これも時代ですか。(笑)





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