掲示板
どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね
ゼミ活動報告掲示板 大学院ゼミ掲示板 夜ゼミ掲示板 三戸ゼミ写真館
三戸ゼミHP ゼミ歌留多 朋の会 25周年掲示板 モバイル専用URL
1037540
《NOTICE!》
(1) この掲示板は横浜国立大学経営学部三戸ゼミナール関係者を対象としています。関係者以外の書き込みはご遠慮願います。
何かありましたら、こちら(管理人アドレス)までご連絡願います。
三戸ゼミナールに関係する書き込みでないと考えられる場合、管理人の判断により削除させてもらう場合もございます。
(2) この掲示板では削除キーを使用した編集方法がとられています。
同時刻に複数の編集が重なることで別の書き込みが消去されないよう、
投稿の際は文章の「貼り付け」等を利用して、「記事の編集」画面に留まる時間を短くするようにご協力をお願いします。
《TOPICS ( 10月27日 更新)》
【企業番組勉強会】 【No.5203】10月29日浩友会勉強会@予習編 【No.5194】第10回ビジネス企業番組勉強会@予習編 【No.5183】第10回日程調整・視聴番組公募 【No.5166】第九回報告 【No.5139】第八回報告 【No.5129】第七回報告! 【No.4982】★報告一覧
【ベ ッ テ ィ ン グ】 【No.5204】プロ野球・日本シリーズ2016 【No.5195】2016リオ・パラリンピックBETTING!! 【No. 5181】リオオリンピック第一弾 8月14日まで! 【No. 5182】リオオリンピック第二弾 8月14日まで!
【書店日記&今月の雑誌】 【No.5189】書店日記&今月の雑誌8月号 【No. 5177】7月 【No. 5172】6月 【No. 5160】5月 【No. 5150】4月 【No.5130】【書店企画・番外編】「新書大賞2016」を斬る!
【K-1 グランプリ】 【No.5175】6・7月のキリ番報告 【No.5161】3~5月のキリ番報告 【No.5134 】祝 カウンター700000突破! 【No.4873】2014年K-1GP 【No.3920】K-1グランプリ開催中! ⇒ 【No.4093】報告要項
Topics記録
このようなことがあり、このように考えた
No:5261
投稿者:三戸
投稿日:2017/07/19 Wed 20:21:04
[返信]
今日のゼミは後味が悪い終わり方となってしまった。
佐世保の地元で問題となっている石木ダム(※)を扱ったDVDを見せて、感想を聞いた。
(見せたのは、下の②で紹介されている、パタゴニア作成のもの)
(※)石木ダムに関する資料
①まとまっているもので、「反対派?」のもの
佐世保市民が353億円を負担するダムの建設計画が進んでいます。
②まとまっているもので、色々な観点からとりあげているのが、
「溝をさらにふかくしないために…」
③「長崎新聞」連載の“石木ダム計画を問う(1)~(6)をちょっと覗いてみてくれるかな?
(1)治水編 100年に1度の洪水対応
(2)利水編 「需要予測過大」と批判
(3)環境編 “涙の水”に揺らぐ古里
(4)治水代替え案編 流域全体で洪水調整を
(5)利水代替案編 具体的な検討なく結論
(6完)事業認定編 「少数を犠牲」重い命題
10人ちょっとのゼミ生たちの多くが、「反対派、住民の意見・情報だけでなく、賛成派、県・市の言い分も聞かなければ」と声をそろえたように…。
確かに、反対するパタゴニアが反対派住民を写したものだから「偏って」はいるだろう。
だが、反対派たちは所謂「ごね得」を狙っているとは思えない。
自分たちの故郷が亡くなる、奪われることに反対しているようにしか見えず、
それ以外の理由を考えることができない。
「利水」と「治水」の合理性、正当性もあるとは思えない。
八ッ場ダムなどの他で何度も見てきた公共事業の風景が、ここにもある。
ゼミ生たちから「同情、共感」の意見は一人からしか出なかった。
「両方の意見を聞いて」か「はじめて詳しく知った、知れてよかった」という意見・感想ばかりだった。
三戸ゼミOB諸君、私のその時の「寂しさ、虚しさ、茫然」がわかるだろうか?
そして、このような若者たちにした、学校や大人に怒りを覚え、
日本には「未来」はあるだろうか?と思った。
長崎のゼミ生たちは、皆いい子だ。私は好きだ。
優しさもしっかり持っていると思う。
彼(女)らだけではない、今の若者たちは総じて優しく、ボランティアに積極的に行ったりもしている。
だが、「ことの”是非”」を問われたとき、一挙に「無情」になるようだ。
イエスかノーを明確にすることを避ける・嫌うことに出会う。
おそらく、小学校の時から、「両方の意見をよく聞いて判断しなさい」と言われ続けてきているのだろう。
社会科学でも「実証科学」しか馴染めず、テーマも「是非、善悪」に関わるものは避けるであろう。
結論・是非から「逃げる」。その「正当性」が「両者の意見」だ。
果たして、両者の意見を聞けば、判断できるのか?いや、判断するのか?
ゼミ生たちに、この感想を言った。
わかるまいなぁ。
そして、わかっても、先生から「否定」されるのは悲しいであろうなぁ。
愚かなことであった。
すまない、と謝まらねばならぬ。
だが、彼らには「言い方、教え方」を考えるべきであったのであり、
このことは等閑視はできないのだ。
この構造・思考は、若者だけではない。
パタゴニアのDVDのエンディングは、
「もう一度、考えてみませんか?」
「ダムは要らない」という判断になるはずだ、と思っているから、「もう一度考えよう」だろう。
だが、行政・役人はいったん始めた事業を止めることを極度に嫌うことは、今更言うまでもあるまい。
公共事業が、地元経済を大いに潤わせることも同じだ。
「ダムが必要かどうか?」を「ダム自体、利水・治水」に限定したら、応えは明らかのはずだ。
だが、「作りたい、止めたくない」と思っている人に「何をもう一度考えさせるのか?」
賛成派・推進派が、住民が「生まれた所を失いたくはない」「嫌だ!」と言っているのを、
「無理やり押し付けてもいいのか?」
と「考え直す」のなら話は分かる。
だが、「もう一度考えましょう」というフレーズはそう意識されたものではあるまい。
「妥当かどうか?」をめぐる話し合いなら、考え直しなら、代わる可能性はあるだろう。
だが、「利害、面子、好き嫌い」による対立は「話し合い」では解決しない。
(石木ダムの場合は、裁判所による調停・判断に依るしかあるまい。)
DVDは「自然を守れ、残せ」と言う。
だが、その「自然」も住民たちの生活のために「改変」された自然であることを忘れているのではないか?
手つかずの自然には人は住めまい。
住民が自分たちの生活・暮らしのための自然を、もっと広域の多くの人々の暮らし・生活のために変える、
ということは「間違っているか!?」
私は石木ダム工事は中止すべきだと思っている。
その理由は「自然を守る」ではない。(もちろん、蛍の舞う自然を残したいが。)
そこに暮らす人々の生活を奪うには、それなりの十分な理由がなければならない、と思うからだ。
住民たちの先祖が、切り拓き、守ってきた土地、住民の子供の時からの思い出が詰まった土地を、
奪う権利は何人にもあるまい。
住民が、多くの人たち・社会のために仕方がない(又は、お金をくれるなら)、と思い、
「譲ってもいい、仕方がない」と思ってもらって、はじめて「ありがとうございます」と
深い感謝の念を込めて、ゆずってもらえるのではないか。
「利水、治水」が合理的理由として成り立たないのだから、彼らが立ち退く必要はない。
「自然を守れ」は「間違い」ではないのか?「嘘」ではないのか?「勘違い」でないのか?
「自然を守れ」なら、そこの住民たち以外にも「利害関係」が生まれ、多くの賛同を得るのが現代だ。
私は、そこに「勘違い」や「短絡性」「虚偽性」を感じてしまう。
「そこに暮らしている人の生活の場」を奪うべきではない。
蛍ではなく、カラスがゴミを漁り、緑ではなく、コンクリートに覆われていても、
「いやだ」という人を追い立てることはできない!
(自然を守れ、という人々は、都会の片隅で暮らしている人が追い立てられるとき、何と言って反対するのだろうか?)
念のために断っておきたい。
「自然を守れ」と言っている石木ダム反対派を誹謗するつもりはない。
「勘違い」「筋違い」の議論をしている、と言っているのだ。
(「自然を守れ」という一般的フレーズに対する批判である。)
もちろん、賛成派に加担し、ダム建設OKと言うつもりも全くない。
解決策は、
・ダムに代わる、経済政策を提示し、ダム建設ではない地元を潤わすことだ
・行政の長である首長が、「環境も変わり、もはや、ダムの必要性は薄れた。長崎県は他に先駆けて、住民のために公共投資の中止を行う」と宣言し、「新しい行政の姿勢」を示す先進県になろうとすることだ(住民は誇らしく思うはずだ)。
だれか、この案の駄目な点を指摘するなり、もっと素晴らしい代案があればぜひ聞きたい。
この問題は、沖縄でもどこでも起こっており、そしてこれからも起こるであろう。
住民と行政が協力し合って、「生活の場」と「自然を守る」ようになって欲しい。
もういい加減、「自治体と住民の対立」に終止符を打とうではないか!
〇竹田 21期 (7/23)
私は、仕事柄このようなテーマに対し、日々向き合っているのですが、
「地方自治体の施策」というのは、全国共通して、本当に大変複雑であります。
学生の思考・価値観については、言及を改めるとして、ダム問題に関する私見を述べます。
この議題を複雑にさせている原因は、まず、①ステークホルダーを定義する難しさに起因していると思います。
というのは、現実問題として、公共事業で利益を還元できる地域住民は限られており、
「公益」でありながら、受益者となる「地域住民」をさらに分類する必要があるからです。
このなかで「公益を受益しない地域住民」が存在することにより、対立が生まれています。
次に、地方交付金(国の制度・補助金ありき)という予算を組み込ませた地方の公共事業は、
第一に、地元業者へ還元させることを前提とし、事業範囲も地域内という限られた範囲しか手が出せません。
地方自治体というのは、「②自分自身で組織をマネージメント(環境適応)することが最も困難な組織」の一つだと思います。
そして、現代の個人消費を支える経済の仕組みは、(地域で生活するためには、地域内に仕事が必要です)
製造業の外注化・情報化・グローバル化に伴って、地域という範囲の限定が役割を喪失してしまいました。
住民の生活・行動できる範囲に対し、生計を立てる仕事が地域内に無くなると、
ヒト・資本は、都市部・中心市街に集まるのは必然です。
しかし、第4次産業革命と言われて久しく、情報資源がここまでフラットになった今、
地域内にいながら、地域に限定されない新たな経済活動が促進されていく可能性も同時に広がります。
三戸先生のご提示された案「ダムに代わる経済施策」について、補足しまして
これまでの「(数年後の事業計画が見通せる)予算」ではなく、
「(数年後の将来展望を達成するための)投資」をどこまでできるかに、
自治体の将来はかかっていると思います。
○笹井純也(7/31)
私も、結論・是非から逃げたがります。
「どこかに答えがある(だから自分は今答えなくていい)」と無意識に思っているのか、
自分の発言で摩擦が起きることを避けている(だから やり過ごそうとする)のか、
その辺りは分かりません。
しかし、いずれにしても、そこにあるのは保身です。
「(石木ダム関係者を見放した、今の自分にとっての)損得」であり、
善悪、美醜ではありません。
「保身」で生き続けた人は、この先その人生を振り返ったとき、何を思うのか。
納得できるか。誇りを持てるか。
そんな大人(たち)を、子ども達が目にしたら。
保身ばかりの社会に。未来は…。
…と、通勤電車ではそんなことを考えながら、
職場では「どちらのご意見もそうかもしれませんね、難しいですねー」と、
苦く笑って過ごしています。
(ちなみに職場では「笹井君はもっと思ったことをそのまま言いなさい」と指摘されたりするのですが…。)
さて、
三戸先生と竹田さんの分析は、どちらもその通りだと感じました。
そのうえで思ったことを書きますと、
三戸先生がご提示された案「首長の先進的な宣言に期待する」については、
「首長が宣言しやすくなる土壌をいかに作るか」がカギになると思いました。
竹田さんの補足「自治体の将来は、未来への投資にかかっている」については、
情報資源がフラット化されたとなると、
他地域との差異をどう作り出していくかが、難しい課題になると感じました。
○杉山@3期です 2017/8/25 12:30
・「ことの”是非”」を問われたときの「無情」
・結論・是非から「逃げる」。その「正当性」としての「両者の意見」。
この構造はどうやら企業の中にも蔓延しているようです。
正直、うんざりです。
当たり前ですよね。先生が嘆かれた学生たちの親・上の世代なのですから。
経営者や管理職の最も重要な役割の一つは「結論を出して、それに対する
責任から逃げない」ということです。
残念ながら、それをする人はごく少数です。
そして、その結論を出すために必要なことが、「資質」と「教養」なんだ
と思いました。
〇大内 稔 2期 2017/10/8
久しぶりの投稿です。三戸先生のおっしゃる「同情、共感」という視点と杉山さんの「結論を出してそれに対する責任から逃げない」という経営者、管理職の役割にドキッとしました。
ちょうど今自分が直面している課題が非常に近い部分を持っていることに思い至ったからです。
現在も某タクシー会社で管理職というにはほど遠いですが働いておりまして、都内の某グループ会社の勤務遅番移行に取り組んでおります。
元々タクシーの乗務は朝6時7時頃スタートし、約20時間後の翌朝2時3時終了というのが「普通」でそのバリエーションとして9時スタートの翌5時までとかさらに12時スタートの翌8時までという「特殊」な勤務を遠方からの出勤者が細々と担う形で数十年続いてきています。なので古株の乗務員は長年6時スタート翌2時までの勤務を続けてきたわけです。
ところがここ数年、無線の配車実績の数値データ化が進み分析を続けるうちに、
①朝の6時から9時の間の無線成約率が非常に低い(空車が少ない)
②各時間当たりの売り上げ期待値は10時~16時までは低い
など、薄々みんな考えていたことが数値化されました。
①については「6時、7時に営業所を出発しても都心のお客様が多くいるエリアに到着するのはすでに通勤ラッシュが終わったころで、多くの車両は都心にアタマを向けているので「下り」方面の車両はほぼない。つまり朝のラッシュ時の需要を現状の勤務ではこなせていない。
②については、昼間は需要が少なく、夕方から朝の9時までの需要が多い。
などということです。
そこで、同じ20時間走るのならば最も営収効率のいい時間にシフトを集中させたほうがいいという実験を本体営業所で行い、15時または16時スタート翌11時から12時までといういわゆる「遅番」を始めました。この勤務は非常に効率がよく17時の会社が引ける時間には都心の「いいところ」に車両がつき、その後飲みで人が移動する時間帯、終電、午前様、早朝と「いいとこどり」のシフトでした。「早番」勤務よりも断然売り上げも高く歩合制のタクシー乗務員にとってはうれしい悲鳴、本体は過半数が遅番で遅番がむしろ主流になりつつあります。本体では空気も「時代は遅番だよね」となっていてほぼ否定的な意見は聞かれなくなっています。
ところがこの某グループ会社、まったくといっていいほど遅番移行が進まないのです。「給料がめっちゃ上がりますよ」「出勤も退勤も電車で座れますよ」「会社の方針です」「朝の無線を他社任せにして自分たちだけ自分の都合のいい時間帯で働きますでは申し訳ないでしょう」「試しに1か月だけでもやってみませんか」などといろいろ投げかけるのですが
「昔からこれでやってる」「今更変えるつもりはない」「他をあたってくれ」とまあ動かないこと。この移行開始後に入社した新卒やそのほかの新人乗務員を遅番に据えて彼らが1年目、2年目では考えられない好成績を続けているのを尻目にひたすら「現在の勤務時間」に固執している。
この状況は先生が出された石木ダム建設の立ち退き問題と似ているな、と思った次第です。
古くからの習慣、しきたりを変えたくないと思う人たちと決定事項を推進しようとする自分を含めて会社側と。ただ、自分たちに彼らに対する共感がないかといえばそうでもない。かつて6時スタートを当たり前のようにこなしていた時代を過ごしてきてその遣り慣れたスタイルを崩したくないのはよくわかる。出庫したらあの信号でひっかかるとこの時間は先の路地からおばあちゃんが出てきて手を挙げる。行先はS駅だ、そこで降車させたら左にハンドルを切るとスーツのおじさんが乗ってくる、この二人を送ってからH公園で一服し、今日の行先を考える、秋には近くの高校生が授業でマラソンをしているし、春には・・・などというルーチンは実はとても譲れないものでその生活が終わるのはやりきれない。よくわかる。
だが、これは仕事で会社組織の中でやっているし、成績が給料に直接跳ね返ってくる。同じ実力ならばお客様のいる時間帯に多く走ったほうが売り上げが上がるのは疑いない事実だ。また、お客様が望んでいる時間場所に車を回せず悪く言えば働く側の都合で走るのはサービスとしていかがだろうか。
共感、同情の欠如ではなく、共感、同情と収益、顧客にとっての利便性との天秤なのだという思いはある。
それでも遅番移行は進まない。
別の原因がある、というのが石木ダムの話を読んでの直感です。
それは、立ち位置に対する嫌悪感とでもいったものだと思っています。
遅番に移行するのが「正しい」決断だということはわかっているのだと想像しています。給料は上がる、これはそもそも働き始めた動機と合致します。限られた時間の中で少しでも効率よく仕事を、と誰もが考えているしそれを否定する理由はない。また、朝の忙しい時間帯にまだ辺境でちまちま都心を目指しているのはそうはいっても実車だから売り上げにはなっているが「どんなタクシーでも代替できる仕事だ」から、自分の動きが会社に利いていないことも分かっている。また、極論「早番であること」が絶対に必要な家庭的事情などないし、ほかに早番に固執する理由もない。
だけど理屈ではないんだ。誇りの問題だ。後から来た奴にぺらぺらとデータだか知らないけどそれっぽいこと並べられて、「私はすべてわかっているんです」なんて顔されたらこっちだって長年業界を支えてきた意地ってもんがあらあ。俺はてこでも動かねえぞ。
年月を積み重ねた「誇り」が、「上からすべてわかってますよ」とやってくる侵略者に反発する、構図なのだと私は考えています。いかに彼らの誇りを理解し共感しそれに沿う形でいけるかがカギで(というのもやらなきゃならないという役割なもので)「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように懐の深さを持ち合わせていない私は大変困っています。
ふとしたきっかけで久しぶりに掲示板を開きこの投稿に出会い、「誇り」に気が付きました。「誇り」を守ることは3つの判断基準(善悪、利害(損得)、好嫌)でいうと善悪に属し、「正しいこと」なので本当に難題です。この「正しいこと」が社会的に決まるのであれば、某グループ会社の社風、文化といった風土を変えないとこの会社の「善悪」は変わらないはずで遅番移行はその先に実現するんだろうと今は考えています。「カネ、カネ」言う割には「カネ」では動かない。楽しい仕事だと思っています。
【isikiD】