掲示板
どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね
ゼミ活動報告掲示板 大学院ゼミ掲示板 夜ゼミ掲示板 三戸ゼミ写真館
三戸ゼミHP ゼミ歌留多 朋の会 25周年掲示板 モバイル専用URL
1037525
《NOTICE!》
(1) この掲示板は横浜国立大学経営学部三戸ゼミナール関係者を対象としています。関係者以外の書き込みはご遠慮願います。
何かありましたら、こちら(管理人アドレス)までご連絡願います。
三戸ゼミナールに関係する書き込みでないと考えられる場合、管理人の判断により削除させてもらう場合もございます。
(2) この掲示板では削除キーを使用した編集方法がとられています。
同時刻に複数の編集が重なることで別の書き込みが消去されないよう、
投稿の際は文章の「貼り付け」等を利用して、「記事の編集」画面に留まる時間を短くするようにご協力をお願いします。
《TOPICS ( 10月27日 更新)》
【企業番組勉強会】 【No.5203】10月29日浩友会勉強会@予習編 【No.5194】第10回ビジネス企業番組勉強会@予習編 【No.5183】第10回日程調整・視聴番組公募 【No.5166】第九回報告 【No.5139】第八回報告 【No.5129】第七回報告! 【No.4982】★報告一覧
【ベ ッ テ ィ ン グ】 【No.5204】プロ野球・日本シリーズ2016 【No.5195】2016リオ・パラリンピックBETTING!! 【No. 5181】リオオリンピック第一弾 8月14日まで! 【No. 5182】リオオリンピック第二弾 8月14日まで!
【書店日記&今月の雑誌】 【No.5189】書店日記&今月の雑誌8月号 【No. 5177】7月 【No. 5172】6月 【No. 5160】5月 【No. 5150】4月 【No.5130】【書店企画・番外編】「新書大賞2016」を斬る!
【K-1 グランプリ】 【No.5175】6・7月のキリ番報告 【No.5161】3~5月のキリ番報告 【No.5134 】祝 カウンター700000突破! 【No.4873】2014年K-1GP 【No.3920】K-1グランプリ開催中! ⇒ 【No.4093】報告要項
Topics記録
平成27年度ラストスピーチ~自らがゼミを通して得たことは何か。~
No:5140
投稿者:渡邊諒太(26期)
投稿日:2016/03/24 Thu 11:11:36
[返信]
今年度ラストスピーチを行いませんでしたが、やらないということが心残りでした。
そこで先生より、ラストスピーチの原稿を書き、掲示板に上げることを提案していただきました。
折角頂いた機会なので、三戸ゼミナール掲示板にて、ラストスピーチをさせてください。
ーーーーーーーーーーー
「大学に、何しに来たのだろうか。」
高校まではそつなくこなしていた勉強。
正直いい点が取れれば人に自慢できるし、
そのことが勉強の楽しさだとすら思っていたと思う。
大学に入ってから点が取れなくなった。
とたんに勉強はつまらなくなった。サボれるだけサボった。
学んでみたくて入った経営学部なのに。
単位を何とか稼ぐことが授業の目的になりかけた。
何で勉強への熱意がほとんど薄れていた自分が三戸ゼミに入ったのか。
単位を取るためなら、時間が短いゼミに行けばいいのに。
たぶん単位をこなすだけの自分と、その無気力感に嫌気がさしていたのだと思う。
それと、卒業したときに自分が何もできない人間のままであることが怖かった。
これから、ゼミでの勉強と、役割について語りたい。
まず、つまらないと感じてしまっていた勉強について。
二年生。ゼミに入って、テキストにかじりついて勉強することになった。
使ったテキストは三戸公『ドラッカー』。
何とかついていこうとしたものの、その時の内心はとてもしんどかった。
十分ノれていない中、読んでもわからないテキスト。
試行錯誤しながら着実に理解を進める先輩方。
何か言おうとばかりに気をとられ、テキストの理解に立っていなかった自分。
合同ゼミを終えた時点でも、自分は「ドラッカーを学んだ」という意識に乏しかった。
時々、あの時の論文を読み返しそのとき理解できなかったことを考え直している。
特に、「地位」と「機能」の議論をはじめ、社会の純粋理論について。
何度も読み返して、補っていきたいと思う。
三年生。経済用語のオンパレード。頭はクエスチョン。
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』を扱った。
何度、Wikipediaにお世話になったか知れない。今まで生きてきて一番使ったのではないだろうか。
この年は資本主義とはどのようなものかを先生のお話を受けながら、学んでいった。
この時の自分はまだ、何か言おうとすることに囚われることのほうが多かった。
でも、今までよりも少し楽しくなっていた。
どうやれば理解できるのか、おぼろげながらが見えてくるようになったからだろうか。
記憶に残っているのは、資本主義のシステムとイデオロギーの議論。
先生が「資本主義は主義(-ism)である以上、イデオロギーである。」とおっしゃったことに
なるほどと思い、自分の担当する章に考察を加えていった。
惜しむらくは、私の役割が概要を作ることだった点だ。
自分の役割は何か、他の人とどのように合わせていくかを全然考えられていなかった。
今も決してできるようになったわけではないが、課題であることは認識するようになった。
四年生。扱ったテキストは広井良典『ポスト資本主義』。
自分たちで勉強しようという意欲が今までより強かった。
毎年行っていた夏合宿を今年度はやらなかったことが心残りだったのかもしれない。
ただ、テキストの理解が夏休み以降、全然進んでいかなかったことが悔やまれる。
まだ、自分たちが理解したテキストをどのように扱っていけばよいかがわかっていなかった。
ほかの文献にあたって議論の枠組みを整理、考察する時期はもう少し早くてよかった。
また、三井ゼミからのお誘いで最終年度も合同ゼミを行うことになった。
時間的に制約が大きかったことや、人数が少なさのため、論文の執筆は今まで以上にハードに感じた。
ただ、それだけではなくなっていた。
あるとき中村さんとの会話で、「論文の執筆は、楽しいかい?」と聞かれた。
今までだったら、「うーん、そこそこ…ですかね」といってお茶を濁していたような気がする。
「楽しい」と言えるようになっていた。
その分自分たちが書いている論文の内容がよく通って見えた。
相手の質問に対してどうこたえるのか。その答え方でよいのかを考えることができた。
合同ゼミで一番ショックだったこと、それは
三井先生からの「ポスト資本主義は来ると思いますか?」という質問、
自分たちの直接の問題意識に対して、実は答えを持ち合わせていなかったこと。
答えられなかったあの沈黙の時間を、忘れることはないだろう。
悔しかった。
今のままでは地球が持たないことは明白なのに、実際にどのようにしていけばよいのかが見えていない。
この時悔しさを感じたと同時に、社会人になっても折々で問い直していくべき課題となった。
このゼミで得たこととして、勉強の内容や考え方も大きい。
しかし何より「勉強、そのものが楽しいじゃないか」と思えるようになったことが
自分にとって、得られたものとしてはは一番大きいと感じている。
次に、ゼミでの役割はどうだっただろうか。
幹事としての役割について振り返ってみると、その役割は十分に果たせなかったと言わざるを得ない。
ゼミ生をまとめ、先生や中村さんとのコミュニケーションを円滑に図るという点では
そのように機能しなかったことが決して少なくない。
途中で急速に自信を失い、佐藤にしばらくゼミの運営を投げてしまったことすらあった。
円滑にゼミを運営するために、ゼミ生の意見をまとめることも十分にできなかった。
私が幹事を引き受けた二年間、ゼミが回っていったのは自身の行動によるものではなく、周りのヘルプがあってこそだった。
なぜ、そのようになってしまったのか、そしてそう感じるのか。
私は、責任を取ることが怖かった。残念ながら今も脱していないと思う。
自分が決めて、その責任を自分でとるということができていない。
最近になってやっと、自分自身の当事者意識が低いことを自覚し始めている。
再三先生からお叱りをいただいて、「他人事」になってしまっているということの意味を
つかみかけている気がする。表に出すことはなくとも、自分の大きな課題となっている。
スケジュールの時間設定や、進行などはなれの側面が大きかった。
三年の時はしどろもどろになることのほうが多かったが。四年の時はずいぶん減ったように思う。
ただ、次の動きを的確に指示して、ゼミの円滑な進行ができていたかというとそうではなかった。
次の動きを予測しながら、今をどうやって進めていこうかという発想を最後まで持てなかったのが心残りだ。
幹事として十分に果たせなかったこと、これは後々社会人としての課題にもつながるだろう。
改めて、自分が何ができて、何ができなかったかを問い直そうと思う。
「大学に、何しに来たのか」
それは学ぶためであり、その学びを楽しむためであり、
これから社会に出るにあたり、自分の課題は何かを考えることだろう。
この答えはおそらく、三戸ゼミに入って初めて分かるものだった。
この度ゼミを修了するにあたって、ずいぶんたくさんの、沢山の課題を残してきてしまった。
正直、思い起こせば「できなかった、やれなかった」というものがたくさんある。
やりっぱなしになってしまったものも少なくない。
「後悔を残すな、悔いを残せ。」この言葉の難しさを今になって痛感する。
後悔が、少なくない。
大切にし切れなかったことがふと思い起こされてしまう。
御宿合宿での修了式の後、いただいた修了証書を見て、
毎週夜中まで家に帰らず、ゼミ室で仲間たちと勉強していたことが
修了証書という形になったことを両親に見せようと思っていた。
だが、終わって帰りの電車でふと、
「まだ見せられない。まだ、この証書が”本物”になっていない」と感じた。
現役としてはいくつも後悔を抱えてしまった。そのこともあり自信があるわけではない。
それでも、これから少しでも自分と、他者を大切にできる人間となりたい。
頂いた証書が本物になるように、ちゃんと「修了」できるように。
これからの決意を込め、このスピーチを締めたいと思う。
三戸先生、OBの皆さま、そして一緒に学んだ皆さん。
これからも、どうかよろしくお願いします。
平成28年 3月24日
三戸ゼミナール26期生 渡邊諒太
----
渡邊さん
杉山@三期です。(2016/3/25)
最後のゼミ幹、本当に御苦労さまでした。
「終わりよければすべてよし」という言葉があるとおり、
「最後」は「最初」や「中興」と同じように語り継がれると思います。
最終合宿の帰り、東京駅まで私は最初のゼミ幹「古郡さん」と
最後の幹事「渡邊さん」とご一緒することができました。
(もう一人は僕の頼れる後輩、福富でした。
たまに落ちていましたが本当に楽しい時間でしたね。)
勉強会への参加姿勢、発言、行動に「学びたい」という意思と「責任感」
を感じていました。
今後は自他ともに認める「頼もしい」人物にぜひなってください。
>「資本主義は主義(-ism)である以上、イデオロギーである。」
上記については、今度また勉強会の場などの是非解説をお願いします。
楽しみにしております。
○渡邊諒太(26期, 2016/4/6, 11:33)
杉山さん、有難うございます。
新生活に向けバタバタとしてしまい、お返事が遅くなってすみません。
「最後」としては僕は不足だったように思ってしまっており、恐縮です。
ゼミ幹としてやってきたことを今後、学びとして活かし、
姿勢や意識を本物にしていきたいと思っています。
最終合宿の帰りではちょっとドギマギしてはいましたが、
僕も楽しい時間を過ごすことが出来ました。
ありがとうございます。
資本主義についての先生のお話は、分かった(と思われる)中で
またお話が出来ればと思います。
まだまだ「頼もしい」と思われるには程遠くありますが、
今後、ご期待に添えるように頑張ります!
【Last-Speech-wr】