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《TOPICS ( 10月27日 更新)》
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Topics記録
2014年浩友会記念講義レジメ
No:4829
投稿者:三戸 浩
投稿日:2014/10/26 Sun 23:22:47
[返信]
中村君から、欠席者のためにレジメを載せてほしい、と依頼があった。
来年度以降の参考のためにも、載せておくことにした。「日本的経営と資本主義 ~「進歩」か「進化」か?~」
於.浩友会勉強会、2014.10.25
はじめに
○“将来”を予測し、“未来”を創造する。
○グローバル(普遍)の時代にこそ、伝統・文化(特殊)が決定的。
○市場・株式会社、大企業、は昨年、資源・エネルギー・環境問題からその限界を考察した。
その根本は、「近代の終焉」だった。「近代の価値」の根幹・基礎は「進歩と人権(人間中心)」であろう。
人間(生き物)も社会も変化してきた。だが、それを「進歩」ととらえるか?「進化」ととらえるか?
○Managementとは「組織の環境適応」すなわち「進化」である。
Ⅰ.日本的経営を考える
1.日本的経営とは何か?問題は何か?
日本的経営は「変わった」のか?
→否定された。
「変わった」か否かは、何を「日本的経営の“本質”、“問題”」と考えるか?による。
2.何を「日本的経営の“本質的問題”」と考えるか?
「家社会」ではなくなり、
「会社=家」でなくなったにもかかわらず、
「家の論理=組織の維持発展」だけが取り出され、「元“家族”」を「“社蓄”=組織の奴隷」としている
3.「日本的経営」の特徴・特質
○「関係性」重視(個人間・組織間・個人―組織間)
○職務の無限定とそこから生じる勤務時間の無制限(ブラック企業を産む)
ホワイトカラー・エグゼンプション(サービス残業合法化)の意味
○なぜ「家の論理」は残ったのか? 「前近代的=古いもの」か?
その「機能性」「環境適応能力」
←組織論・人間関係論以降のアメリカ管理論はどれも日本企業はあてはまっていたのではないか?
80年代の”Japan as No.1”は「セオリ-Z」だったからではないか?
Ⅱ.資本主義を考える
1.「グローバル資本主義」という理解
グローバル・スタンダードは和製英語
なぜ、何のため、誰のために「海外市場への進出」?←日本のためでも日本人のためでもあるまい
「国内市場の縮小」とは「国内市場の飽和」と同じであり、20世紀「帝国主義」とどこが違う?
2.情報化社会の危さ
情報とは「伝聞」ではないのか?
「伝聞」の危さは「“伝え手”の信頼」でカバーされていたが、現代では、インターネット、無名・匿名の個人を「信頼」するに至っている。
3.金融資本主義の不毛
金融資本主義は「ゼロ・サム・ゲーム」であり、かつまた「雇用」を生まない!
水野和夫は「利子率2%」を切った現在を「資本主義の危機」という。
雇用も生まぬ、投資機会もない。「リスクの商品化」はまさにギャンブルではないか!
4.バーチャル資本主義
情報資本主義会も金融資本主義も記号・数字=バーチャルの社会。
→「大脳」社会、「顧客の創造」は何のため?「企業・組織存続」のためで、「客」のためじゃない
「企業・組織存続のため」は「個人に地位・収入・機能」を与えるためであり、
「個人を社会に統合するため」ではなかったか?
Ⅲ.日本の“強さ” は何か ~日本の歴史を振り返る~
1.お上に対する信頼感の形成
①鎌倉幕府;人民(武士=開墾地主)の人民による人民のための政治
②戦国大名;正当性=領民のための統治
③江戸大名;信長以降の「兵農分離」、「支配者=地主」ではない!
2.社会に対する信頼感の形成
相手の立場・利益・感情を配慮できるものと長期的関係を形成
3.“モノづくり力”の形成
平安期辺りより、職人の名前が残っている → 職人の”誇り”
客・消費者の要求の高さ・煩さ
→両者相俟って”モノづくり力”が形成
Ⅳ.結びにかえて ~「進歩」から「進化」へ~
1.産業社会(大企業中心社会)・資本主義・近代(人間・進化中心)の終焉
○モノづくりの限界
○「共同体」は不要か? ⇒ドラッカー的企業観の限界
○「人間」とは何だ? ⇒「大脳・理性」が主、「身体・悟性」が従。
「自然」軽視、人間も「生物」、「生態系」と「共同体」で生きる。
2.市場経済=交換経済中心から贈与・互換経済との混合
欠乏を補うのが交換、「豊か」故に他者に贈与・他者と互換
3.“和魂”の消滅
“日本的精神”=「周辺」が産んだ
常に「価値あるもの」は自国にはない →自国中心主義・自己肯定心を持たない、中心から学ぶ姿勢
和魂漢才 → 和魂洋才(欧州 → 米国) → 90年代以降、米魂米才
4.「文化」の時代
ヨーロッパの戦略…文化(特殊)とルール制定の独占(普遍)
5.「自由=選択」vs「道=決定・必然」
○「道」とは「とるべき、あるべき形・姿」≠自分で選ぶものではない。
○「神」に従うのか?「自然」に従うのか?
○自分の意思(欲求と感情ではないのか?)に従って環境を選び、変え、作っていくのか?
環境(自然=生態系と共同体=伝統・文化)に「適わせて」生きていくのか?
《参考文献》
「贈与経済」論(再録)(http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1404.php)
経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて(http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1110.php)
贈与経済が創り出すソーシャルデザイン(http://demosbc300812.blog61.fc2.com/blog-entry-98.html)
モース『贈与論』を超コンパクトに要約する(http://www.philosophyguides.org/compact/mauss-don-super-compact-summary/)
互酬性(http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/120918reciprosity.html)
互酬の経済分析
(http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/assist1/Sh-H0126.pdf#search=’%E4%BA%92%E9%85%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88’)
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浩友会当日になって書いたver.2は整理が不十分であったことに気づいた。
とりあえず、Ver.2.2として「概要」を付け加えたい。《概要》
(1)日本的経営と資本主義
①日本的経営は、日本社会の3つの「適応能力」による高いパフォーマンス=「進化」
だが、「バブル経済」崩壊後、グローバル・情報・金融資本主義に「不適応」と判断され、否定
(※ なぜ、「不適応」と判断されたのか、本当に「適応能力」がないのか、は別の機会に)
②その資本主義は、「環境問題、資源・エネルギー問題」+「投資機会の消滅」による限界
それは、「近代化」=「進歩」の限界
(2) 2つの「社会」「未来」
③(A)「将来」なき資本主義に適応していく
(B)「市場経済=交換経済」に「贈与経済、互換経済」を加える
④「個人の自由と平等」を価値とし続けるなら …(A)
「“共同体”と“生態系”という“環境”」の中で「進化=環境適応」していく「道」に従う …(B)
⑤アメリカは、「資本主義の限界」を「グローバル・情報・金融資本主義」で延命させようとしている …(A)
⑥ヨーロッパは「モノ・金」から「文化」にシフトしている …(B)
(3)「人間観」「生き方」
“自分の欲求・感情”を満たすこと」⇒「自由」は、多くの「富」の創造・獲得が必要
アラブ・アフリカを見たとき、近代化=民主化は経済成長が必要
(神に似せられて作られた)人間が勝手に自分たちだけに与えた「人権(自由と平等)」を価値とし続けるか?
(4)水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社新書(など資本主義論)の「理解」は、
「経済システム」だけでなく、「社会システム」そしてその基礎となる「人間観・世界観」が必要であり、
ポランニー「資本主義批判」、モース「贈与論」だけでなく、
養老「唯脳論」、内田「辺境論」などがその観点から理解が必要であろう。
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【コメント】
○中村貴治(20期,10/27, 18:35)
三戸先生、勉強会レジュメの転載を有難うございます!
Ver.2.2を踏まえまして、改めて学んだことを書きたいと思います。
他の方が仰るように、私としても充分に消化できておらず、経験知との対話が足りない感想レベルで恥ずかしく思いますが…。
(1) 進歩というイデオロギー
三戸先生のご講演は「進歩」と「進化」という観点から日本的経営、社会を見、この先を展望したものでした。
何故「進歩」に問題があるのか、それは進歩がイデオロギーの問題であり、実体を伴わないからであると理解しています。
その「進歩」を価値とする近代にだからこそ、核廃棄物が累積するという現実(実体)を見ずに原発を稼働させ、
少子化という現実(実体)を見ずに大学の新設が奨励された。大脳によって描かれた社会においては、
身体(実体)は「従」の存在となり、身体の存在する場所である「生態系」と「共同体」は、そのためにないがしろにされてきたのでしょう。
実体がないがしろにされる限り、適切な環境適応(進化)ができるものではなく、
(大)企業の環境適応の不完全さ、その弊害が資源・エネルギー・環境問題というかたちで表れてきているのだと理解しました。
(2)「関係性」を重視した経営
また、日本的経営は「関係性」重視であったというお話も、関心をもちました。
以前、先生は「日本→リアリズム、アメリカ→プラグマティズム」という図式を示されたことがありますが、
日本的経営もリアリズムに立ち、その時々の関係性において意思決定をし、経営されていたのだと思いました。
また、そうであるとするならば、近年注目される「ステークホルダー経営」とは、どこが新しかったのかと改めて疑問に思います。
「関係性の経営」とは、日本企業にとっては目新しいことではなかったのではないかと。
日本企業は独自の関係性の中で優先順位をもって経営をしていたのであり、それを欧米的「権利」の観点で再構築させたのが、
ステークホルダー経営といえるのかもしれません。ステークホルダーを「権利保持者」と理解することの意義、そして、
もっといえば世間(三方よし)とインタレストグループとステークホルダーの違いを区別することの意義・重要性についても認識が深まったように思います。
(3) 公先生のご講演を聞いて
三戸公先生のご講演を聞いて、気にかかったのが情報革命が「革命」といえる所以です。
現代社会を「コントロール」と「コミュニケーション」の2つの要因によって描き出し、
それらが「機械化」によって極端に高度化された社会であると捉えるとするのであれば、
管理革命において人々が管理によって体系づけられる組織において地位・機能・収入を得て生きるに至ったように、
それと同レベルのインパクトが社会に起こっていなければなりません。
公先生の議論の全体を理解するには至っていませんが、浩先生の「情報とは『伝聞』ではないのか」というお言葉と併せると、
人々が情報という実体のないものに依存して生きるのが、現代社会=情報化社会の在り方ということなのかもしれません。
人々は「ネット社会(SNS,アバター等)」を創り出し、企業は「電子・金融空間(ファンド、機関投資家等)」を創り出し、
「情報資本(株取引、NISA等)」に依存して利潤を得るようになる。
公先生のお話と併せれば、質料と形相のうち、形相だけが専らの問題とされるに至ったのが現代社会かと理解しています。
(4) 二十五周年記念合宿勉強企画と関連して
2009年度三戸ゼミ討論会用論文「日本的経営の変容」では、従業員の殆どが戦後民主教育を受けた人員に占められたことをもって、
日本的経営の変容の要因としていました。それに従うならば、原理にまで影響を及ぼすのは第一に教育といえるでしょう。
内田樹は『最終講義』において、市場原理の教育分野への浸透に対する警鐘を鳴らしていましたが、
そのような教育を受けた国民が、果たして市場経済の限界を認識して贈与・互換経済との混合を志向するすることができるのか、
改めて、その主張の重要性を感じ、日本は岐路に立たされているように思いました。
○今村(20期、10/28,02:30)
三戸先生、勉強会のレジュメ及び概要を掲載いただき有難うございます。
私も勉強会から学んだことを別に書き込みます。
○日々野15期(2:37 2014/10/29)
先生、レジュメの掲載とさらに概要の追加有難うございます。
私も学んだこと(感想レベルになってしまいますが・・)を書き込みます。
ひとまず場所を予約して、自分のノートと考えを整理します。
○佐々木(11/3,21:45)
三戸先生、レジュメと概要を追記いただき、どうもありがとうございます。
追加いただいた概要を読んでくっきりと感じたことが、「フロンティア・限界」に対する認識の違いが経済観につながっているという点です。
資本主義は、「永遠のフロンティア」を前提としていると考えます。
イノベーションとはフロンティアの創造であり、未だマーケット化されていない領域をマーケット化していくことだと思います(家事、教育、環境問題etc…)。
それに対して、贈与経済の世界観は、経済圏・社会の有限性、限界の認知(もしくは無意識的にせざるを得ない社会)だからこそでしょう。
昨年の三戸先生のレジュメを読み返し、改めて資本主義の恐ろしさを再認識しました。
資本主義は、限界を指摘されながらも、21世紀の今日までその様態を変えながらも生きながらえてきました。
これからも、マーケット化されていない領域(人々がそうはならない、してはならないと思っている領域)をもマーケット化しながら、
マーケット化していくことが正義という思想を振りまきながら更に成長していくのではないかと感じています。
今年の講義では、三戸先生から違う生き方をするヒントをいただきました。
資本主義の世界で生きている自分には、できることできないことがあると思ってしまいますが、それだけを思ったのでは何も変わりません。
まずは、自らが会社(=資本主義の世界)以外の大切したい世界との関わりを大切にし、そこで生きる仲間たちの思いに応える生き方を
しなければ、第一歩にすらならないと思います。
この思いを「本物」にできるかどうかは、来年の浩友会の「掲示板書き込み大賞」で示したいです。
【resume2014】