その通りです。 今の大人は、子供の莫大なエネルギーを 発想したり 考えたりする柔軟な事に使わせることを あえて無視し かばうという自分の罪悪感を補うエゴによって 奪ってしまっています。 つまり子供は泣くことも 笑うことも本当の意味で 自由にできないのですね。 みなさんにも覚えがあると思いますが 子供の頃の溢れるエネルギーが それを奪われることによって どこにいくと思いますか? しかも、昔の子はそれほど食事も大した物ではありませんでしたが 高カロリー、高蛋白な食事です。 その、エネルギーの行き場を失った子供は いわゆる欲求不満となり 精神的にストレスを感じてしまうのです。 そんな簡単なことが なぜ今の大人には分からないのか。 それは、自分達が得られなかった物を 若者に負けまいと あがいている大人の姿があるからです。 折角の苦しみも、積み上げた経験もすべて 若者と同じところまでリセットしてしまった 年老いた未経験者になりさがってしまった不憫な人間が 大勢いるからです。 その影に、自分たちより体も大きく いわゆる感情が野生な 子供達におそれを持ってしまってへつらっていること そして、社会でうまくいかない自分たちの恐れを そんな自分を癒したいけれど諦めていることから 自分の分身として子供をかばっているというなんとも 理不尽な押しつけという結果が生まれている事もあると思います。 夢中で築き上げてきた物が バブルと共に無駄になってしまった 無念の思いもあるでしょう。 しかし、僕のように いわゆる普通の人のうけている恩恵の 全くない人にとっては 大したことではないのです。 ボーナスがない、と嘆く。 僕はボーナスなんてもらったことありませんよ。 仕事に就けない。 面接の数だって、蹴られた数だって 職安にいった日数だって 半端じゃないですよ。 今でも、つとめることに罪悪感があります。 だから 僕にとっては当たり前で大したことじゃないんです。 だからこそ、本当に必要なこととか 考えないといけないことが 分かるんだと思います。 苦労はしないに越したことはありません。 しかし、苦労を覆い隠してしまって 代わりにかぶったり 全てを見せないようにすることが正しいとは思いません。 逆にかわいそうです。 生まれてきて、何の本質も分からないまま死んでいく。 こんな人生でいいですか? 幸せですか?何のために人間に生まれてきたんでしょうか。 子供も、体はちいさくても人間です。 それぞれの過程なんです。 その世界で学ぶことあります。 全て奪うと言うことは 自分の身代わり(分身)ということです。 昔の大人は、子供に夢を、希望を乗せて分身にしていたけれど 今の大人は自分の哀れみや、かわいそうを分身にしている。 本当に今の子はかわいそうです。 もっと、人間として話してやらんと。 存在する一人の立派な人間なんだから。 できないことは、誰にでもある。 それをただ 補い合っているだけ。それだけじゃないでしょうか?
[271] 2002年07月02日 (火) 10時55分
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