実際 男とらしさというのが暴力的だとかぶっきらぼうだとかいうのは つまらないと思う。僕の周りには そういう人間は逆にすごく少ない。そして そういう男らしさという妄想で人に対して失礼な態度をとっている人がとても多いし単純で話しにならないこともざらにある。僕の周りの男連中はよく笑い 間抜けなこともざらにあり それを笑えるだけの器量もある。けれど 馬鹿なフリしているだけで決して馬鹿ではなく 本当にしっかりとした知識といざという判断力を持った人ばかりがいる。そういう人たちは、何かと力にもなってくれるし 冷静に相談したりもできる。僕自身がいざって時に役に立たないのが大嫌いで そういう人間も嫌いだから普段はおとなしかろうが馬鹿に見えようが甘えていようが 本当に必要な時にお互い何かを通じることができることが本当に大切なことと思っている。 僕自身がずっと固まって人と話出来なかった人間で けれど少しずつ実験しなから自分を出していったとき 結果的にそちらの方が人に好まれ良い結果がでてきたということがある。本当に必要な時にしっかりはなせて何かができる人間で自分があることが信頼につながる。どんな人格が自分であるのか まずそこから人間って始まると思うよ。 GO君は明るくて人好きのする雰囲気をもっているし 人の話もやわからかく聞くことができる。それはとてもいい才能の一つで僕にはない物であるから それをもっともっと延ばしていくといい。 無邪気であることは 人の最大の魅力で 無邪気に隠される真剣味と知能と判断力、そして 信頼があれば 逆にばかばかしいことをしたりするところは愛嬌となって人に愛される要因となる。 人を引きつける力というのは 人を明るく幸せな気持にさせるということが一番明らかに早くそして大きなことで それを 僕のように計算と知識で行うのではなく自然とできることは一種の才能であるのだから その才能を信じて 人に愛される人間になればいいと思う。 後は 自分が常に高い人間になることを忘れないこと。それには たまに汚れることも必要で その汚れに染まらない強さも必要で。 その苦しみは誰もしらない影のことで 分かってはもらえないけれど それは自分の深みになっていつか人に伝わることがあるのだろうと思う。 まだまだ深みにいくまでに経験は必要だけれど 自分なりのやり方で自分のなりたい人になること。 自分がなりたい人間になろうと思っていれば そうなるような道を無意識に自分で歩いていく。だから 自分がなりたい人間像はしっかりともって それに対するジレンマにも強い意志をもって生きていくこと。 それでいいと思うよ。
[339] 2003年04月30日 (水) 23時21分
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