あなたはどっちかというと その人が好きだから好いてくれる 「男」になりたいのでは? 僕はねぇ、不思議なんです。 ここに来る人のなかで 「なりたい」という人がたくさんいる。 それってなんなんでしょうね・・・。 僕は、自分が普通でいられないことや 社会に置いて自分が特殊であって 人に危害を与えないようにしようと思ったことや 自分の事を男と言った場合に 他人から見た体の女という目に見える 正論に対し それを自分でも重々承知している状態で それでいても自分は真実 男だと言ってしまってもよいものかどうか という判断で とても悩んだことはあります。 しかし、それは 自分自身の存在が揺らいでいない状態での悩みなんですね。 だから この「なりたい」が僕にはどうしてもどうしてもわからない・・・。 その証拠に、僕は今まで憧れた人もいなければ 他人に成り代わりたいと 思ったことすらない。 全くない。 なぜなら自分自身の存在と認識についてずっと考えて生きてきたから。 それは僕にしかできないことで 僕がここにいるからできることで そのことを自分自身にどう確定するかということに必死で その道を極めようとしてきた自分を存在の善悪、好き嫌いは別として とても大切なものだと思うし有意義であったと思うから どんなにしんどくても辛くても死ぬぎりぎり手前までいって 全ての物が優しく綺麗に見えたときでも 何か他の物になりたいと 思ったことは全くなかった。 弱いという言葉は いいわけにもならない。 本当に弱い人間だからこそ 苦しみ戦い 本当の答え、自分にとっての真実が 見いだせないからこそ罪悪感と痛さと自分以外の物に対する誠実さの為に 考えることから逃げられないのだから。 それから簡単に逃げられる人は 全く弱くはない。 逃げると言うことを自分で選択できる強さがあるではないか。 弱いからこそ 自分ともし同じくらい弱い人がいたとき どんなにその人が傷つくかが分かるからこそ その本当にいるかいないか 分からないその人に痛みを与えないために自分が戦い続けなければならない。 この痛みが分からない人のどこが弱いのか。 このエンドレスの痛みから逃げ出せる人のどこが弱いのか。 よく考えて欲しい。 悩みから逃れるために 自分の為だけに死を選べる物の強さ。 それがどんなに身勝手で我欲の強いことか! 弱いんじゃない。それは自分がかわいいだけで 自分をかわいがる強さが 君にはある。 そして、現実の自分から目をそらすことができる強さがある! それのどこが弱いのか! よく 考えなさい。 そして、考えた上で 自分の性自認がどうのとかを考えることをやめなさい。 あなたの年は 体が変化する。気持が追いつかない。 どんなに考えても答えがでる時期でないことは明らかなんです。 だから 目の前にある自分のしたいことを思うようにしなさい。 他人に関与することでなくあなたがしなければならないことはある。 もちろん したいこともある。 それを 自分でまた目をそらせてしまうのなら そういう人間を好きだと言う人がどこにいるのかな? 人に好かれたいのなら 好かれるだけの人間になる努力をしなさい。 どんなに努力しても好かれたとしても 本当の自分に人を寄せてはいけなかった人間の悩みを少しは知りなさい。 まず、あなたの年では恋愛という事が甘美かもしれないけれど それは知らないから甘美なのであって その時その時自分が努力することが なければ それは永遠に夢のもので そうでなくなったときに初めて 甘美ではない 本当の相手に対する気持や思いやりがわかるでしょう。 思い続けてどうこうなろうがなかろうが 好きなもんは好きなんだよ! 何十年たっても好きな人は好き!それが例え恋愛でなくなっても、 相手がどんなになろうとも。 けれど、自分と違う世界にその人がいったことがはっきり分かったときには 僕はその気持は終わらせるようにしているけれど。 そうでないと、それをよろこんでやれないから。 人を守ると言うことは 自分が戦い抜くということ。 そして、相手にも守られているということ。 例え想いがとどいていなくても 相手が自分を守ってくれていて その自分をさらにたくさんの人が守ってくれているということ。 それがわかるから 守る方法がわかるんであって 今のあなたには 守ると言うことすら分からないでしょう。 とても、厳しい事を書いていると思います。 理解できないかもしれない。 けれど、今のあなたの気持は 空想の産物と同じです。 それに、気がつくならその時初めて物事は進むでしょうね。 それから、その気持ちは男性のものではないと思いますよ?
[326] 2002年12月16日 (月) 00時50分
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