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親との関係 |
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しお
(1841)投稿日:2006年12月05日 (火) 19時37分
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子どもの食の問題は親の影響が大きいと考えているので、親と共に学ぶことが重要であると思っています。先生方は、バナナの授業以外も親との関わりを大切にしていると思ったのですが、先生たちの問題意識というか、学びに親を関わらせるのはなぜでしょうか?
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□鋭い問いにドキッ!/ヤマユリ
(1842)投稿日 : 2006年12月05日 (火) 22時02分
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う〜〜ん!「親との共同」って当たり前だって思っていたのですが、なぜ?と問われると困ってしまいます。 いろんな意義があると思いますが、今の社会が親も子どもも教師も生きづらくなっていることが大きいと思います。社会の矛盾って弱いところに一番しわ寄せがきますよね。子どもって弱いですよね。日本の子どもが競争で追いつめられ危険な状態にあることは何年も前に国連の子どもの権利委員会が警告をだしてます。 今大きく取り上げられているいじめや自殺だって異常な競争社会の影響だと思います。親は子育てに悩み、教師はいじめを出してはいけないと追い込まれ、管理ができないといけないと思わされ日々悩んで生きづらくなっています。これから教師になろうという人にはきついかもしれません。 水俣病の学習で食物連鎖を学んで「強い者が弱くて、弱い者が強い。」と書いた子がいました。これには感動しました。弱い者は大勢いる。その弱い者がみんなで力を合わせたらどれだけ強くなれるかを教えられた気がしました。 だから子どもを中心にして親と教師も共同の関係で学んでいくことが大事だと思います。健康教育は命にかかわることを学ぶので「子どもの命を守りたい。健やかに育ってほしい。」という思いは競争社会に取り込まれている親とでも共有できます。 教師が親に啓蒙しようというのではなく、子どもたちの為にいっしょに学ぶという意識で実践をしています。 そうすると教えているつもりの自分がいつの間にか教えられ育ててもらっていると感じました。だから親との共同(子どもを間にはさんではかかせませんが)は当たり前になっているのかなと思いました。冬大会までにもう少し考えておきますのでぜひ犬山で語り合いたいと思います。 他の人の意見もぜひ書いてください。 |
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□ムズッ!!/momo
(1843)投稿日 : 2006年12月05日 (火) 23時39分
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私は対象が短大の学生で、しかも保育士を養成するという立場なので、学びに親を関わらせるというより、親と共同で保育をするということの重要性を伝えたいと思っています。 「親との共同」ということで言えば、先日のエイズ学習の講義で「もし、HIV感染の子どもがあなたの勤める保育園に入所したいと希望があった場合、あなたはその子どもを受け入れますか?」という問いを投げかけました(エイズ学習の経過報告は後日書き込みたいと思っています)。討論をしてもらいたかったので、ディベートという学習形態で行いました。入所させる派と入所させない派に分かれ、その理由を主張し合うのです。 その時、入所させない派の学生の一人が「そんな子どもをうけいれることによって、他の子どもの保護者が不安を感じて保育園をやめてしまうかもしれないじゃないか」という発言をしました。それに対して、入所させる派の学生は次のような発言をしていました。「子どもはみんな保育される権利をもっている。HIVに感染していようが障害をもっていようが保育される権利がある。HIVに対する理解が無いから拒否するのではないか。HIVの学習をすることで、HIVに感染している子どもの保育を保障できるのではないか。他の子どもの保護者も安心して子どもを預けられるためにも、保護者と共同で学習することが必要なのではないか。」 食育とは外れますが、親との共同というのは、入所させる派の学生の発言からその重要性をみることができるように思います。 子ども理解もHIVの理解も、親との共同抜きには成り立たないような気がします。 子どもを真ん中に置く教育・保育というのは、食育であろうが性教育であろうが、その子どもの周辺にいる大人の力を結集することなくしてありえないと思います。
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