40年以上も前のこと‥ 若き日のちあき哲也は、渋谷の街を波止場に見立てて「かもめの街」を書きました。友人でもあった杉本真人は、この当時としてはとんでもない破形であるこの詩に見事なメロディを乗せることが出来ました。後にちあき哲也さん自身、まだ素人のような時期の物が作った歌詞によく凄い曲を付けて頂き感謝してます‥とおっしゃってました。
しかしながら、この難曲を歌い切る歌い手が見当たりません。やむなく杉本の元で眠らせることに…。
チャンスはやってきました。『ちあきなおみ』の本格的復帰アルバムが出ることを聞きつけた杉本はいち早く名乗り出ます。 杉本が確信したように、ちあきなおみの歌唱はギターをもつ彼の手が感動で震え後が弾けなくなるほどの素晴らしさだったと言います。こうして「かもめの街」は"すべて上出来の作品"となったのです。
そして…ちあき哲也は亡くなりました。 杉本さんのブログによると、今回の「白木蓮」は、ちあき哲也氏が生前に島津亜矢と歌作りをしようと書いていたものらしい‥。 …それが私の元に来るなんて、運命を感じました。 この詩は遺言のように感じたので、一言一句しっかり丁寧に書こうと思った。 カップリングになったけれど、自分では満足に出来て喜んでいます。
しかし〜島津亜矢は見事に歌い切りました。 歌うことはできる人は沢山いるでしょう。 歌い切る人は中々いません。 ちあき哲也は、喜んでいると思います。 私はこの「白木蓮」をライブでも歌って行くつもりです。 杉本さんのブログ、以上。
先日、洗濯船の明日さんの投稿で、玄さんご指摘の「白木蓮」は「吾亦紅」と対をなすものであるとの考え、私も全く同感です。
演歌・歌謡曲不振の時代に50万枚以上を売り上げ大ヒットとなった「吾亦紅」は、母と息子を歌い、「白木蓮」は父と娘がテーマとなっており、どちらも親不孝な関係になっています。 歌のストーリーが進むにつれ、「吾亦紅」では母親から言われた「後で恥じない自分を生きろ」が初めて出来た喜び「オレ、死ぬ迄あんたの子供」なんだからと、エンテ"ィングへと向かいます。
かたや、「白木蓮」では、父も娘が苦手であり、娘は父を鬼と恐れていた。その父の葬儀に参列できて、"不肖の子で親不孝はしても、人として恥ずべきことはなんらしていない…"しかし、最後には鬼なら鬼のままでいい「次の世も父と娘で、出逢ってくれますか」と大逆転の結末が待っています。 …まさにちあき哲也さんの一対の作品であると思えます。
レコーディング終わりの、杉本さんが亜矢さんに「素晴らしい!オレ、泣いちゃった」「お前、上手すぎるんだよ。面白くない。もっと下手になってくれよ!」という二人だけにしかわからない会話が、気になってます。 「今日はなるべく島津亜矢が張り上げない歌を作ったつもりだが、やはり張り上げるようになってしまいました。」もです。
この作品、以前にも書きましたが、本当にカップリングとして、うもれていっていいんでしょうか? YouTubeで打ち出すとか、コンサートのセトリにするとか、間違っても「すぎもと まさと」の後付けになどにならないで欲しいものです。
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