>高西忠清様
新興宗教がなぜ生まれたのかと言えば、「情報の多様化」が第一のポイントと言えるでしょう。
かつて、「宗教」というものはとかく秘匿されていたものです。衆人の目からそのシステムを隠して、神秘の部分だけを晒していました。それが時を経るごとにその根幹が外部に露呈していき、今では誰もが書籍などで宗教の全容を理解することができるようになっています。
そんな世の中で、既存の古き宗教達を盲目的に信仰することができなくなっているのは事実です。
ひとつのものが行き詰まれば新しい流れを作ろうとするのは自然なことです。それは今や誰にでも出来ることになってしまっています。
第二に「人の生活が個人化している」ということが挙げられます。かつて、人は集団でしか生活ができませんでした。日々の糧を得るのにも隣人と手を取り合う必要があったわけです。隣人と仲良くするためには規範や観念を共有する必要もありますし、そういった中で宗教などの大きなものを拠所にするのは人間の知恵とも言えます。ムラ社会などがその例でしょうね。
が、現在にはそれがない。その必要がないとも言えます。今は個人の裁量で生きることができるようになりました。それに伴って、わざわざ隣人と共有する必要のあるものがなくなっています。他人に併せることのないマイペースな生活です。
信仰もそうです。出来ることなら自分にだけ都合のいい方がいいですから。だからこそ、新しい観念を個人で生み出すことが容易なのですね。
第三に「日本人の宗教観念の問題」が挙げられます。
諸外国と日本の「新興宗教」というものには大きな違いがあります。
それは「一貫性」です。
キリスト教圏の新興宗教にはキリスト教の派生・亜種、反キリスト教、キリスト教の神を宇宙人としたものなど、どれもが自分たちの持っている信仰から生まれたものです。
しかし、日本の場合、そうあるべき古来の信仰である神道が戦時戦後の折に国民から切り離されてしまっています。そのため、戦後生まれの人々はベースになるべき信仰がない状態になっています。
そこから作り出される新しい宗教は、もはや寄せ集め。オリジナルと呼ぶには少々無理があります。一神教の神を多神教の感覚で崇め、またその逆を平然と行う、基礎もへったくれもない信仰ですね。
まぁ、それでも機能するのが日本の奇妙なところなんでしょうが。
以上のことから、新興宗教が現代に適応しているのは間違いありません。が、これらを一様に「ヒズミ」と呼んでしまうのはいささか乱暴かと思います。