[2] 題名:単純明快 ! 理路整然 !!ー1. 名前:福島 雅彦 投稿日: 2022/03/30(水) 13:28
※『所謂「邪馬臺」問題は文献から解明できる』
*日本中の研究者は、永遠の謎との先入観に陥っている。
≪行程から≫
@ 楽浪郡徼帯方郡庁から「萬二千餘里」
A 同上から「拘邪韓國」=「七千餘里」
B 「萬二千餘里」−「七千餘里」=残り「五千餘里」
C 「五千餘里」−海峡横断「三千餘里」=残り「二千餘里」
D 「二千餘里」−「末盧國」〜「伊都國」五百里=残り「千五百里」
E 「伊都國」の南千五百里が終点。太平洋へは届かない!(福岡県内に収まる!!!)
F 郡使(魏使)は「伊都國」までしか来ていない。Kの理由で。
G 「伊都國」の南「水行二十日」で「投馬國」に至れる。
H 「投馬國」と「邪馬壹國」は東西に位置し等距離と文脈で述べている。
I 「邪馬壹國」以北の九ヶ国=「狗邪韓國」「對海(馬)國」「一大國」「末盧國」「伊都國」「奴國−1」「不彌國」「投馬國」「邪馬壹國」と北から順次南下して来て最後が「投馬國」。
J ∴「邪馬壹國」も「水行二十日」の範囲である。
K この「水行二十日」は陸行困難=衣冠束帯の貴人(郡使(魏使))は歩けない。
L 「参問倭地…周旋可五千余里」=郡使(魏使)が実地に踏査した倭地の総延長。
M 郡庁〜「拘邪韓國」=七千餘里−その内韓は四千里=残り三千餘里。
N 郡治の海岸水行千五百里+「拘邪韓國=倭地」領域千五百餘里 に仮に按分。これでLの成立が立証される。
O 「投馬國」と「邪馬壹國」へは「伊都國」から「水行二十日」が立証できる。
P ∴「邪馬壹國」の後ろに「水行十日陸行一月」とあるのは、郡庁から「伊都國」までの所要日数である。此れで萬二千餘里の所要日数が判るのである。「水行十日陸行一月」の水行十日は外海の事である。郡治の海岸六日+海峡横断四日(洛東江河口〜巨済島一日+「對馬國」へ一日+「一大國」へ一日+「末盧國」へ一日)。
Q 「水行二十日」は内陸河川航行=(陸行不能=末盧國〜伊都國の五百里=前人を見失うような藪道だし…、現・筑紫平野は、弥生時代は低湿地の荒野)。
R 「水行二十日」=「伊都國」の三雲遺跡〜瑞梅寺川〜今津湾〜博多湾〜御笠川〜「只越」〜宝満川〜筑後川〜有明海〜矢部川=八女福島(「投馬國」)。
S 「邪馬壹國」へは「筑後川」〜巨瀬川=うきは市「邪馬壹國」である。
※「投馬(つま)國」=八女郡=「上・下妻(つま)郡」=“??”(tu-mæ)國。
對馬と同義=双山国(上県・下県)。水縄山地と筑肥山地の間國の意。
∴「邪馬壹國」=「投馬國」と東西に位置する「奴國-2」と重なる。
「奴國-2」=水縄連山(耳納山地)北麓の「野(棚田)國」=北野・草野・竹野・大野原・星野。
※「邪馬壹國」戸数七万戸=「投馬國」五万戸+「奴國-2」二万戸、の誤通訳。
*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
≪「邪馬壹國」=「高天原」≫へ、つづく。
[1] 題名:神社と天体 名前:神奈備 MAIL URL 投稿日: 2022/03/30(水) 12:40
つきせぬ興味