名前:うなぎ犬
2020年03月07日 (土) 06時05分
現代文明の底流に聳えている難問。それは啓示宗教の限界の姿を見事に露呈していると言えるのではないでしょうか。ドストエフスキーが作品群の中で未来への警鐘として鳴らしている虚無主義を模した作品人物。それが今まさに21世紀を生きるわれわれに突きつけられているように感じます。
そこで未来の虚無主義を大胆に想像してみました。 既存の神を殺し人が人間を超越し人間が神になる。 その顛倒によって存在そのものの意義を失ってしまう。 そこをさらに一歩踏み込んでみると。 それは、世界中の人間、生きとし生ける全ての命、非情も有情も、惑星も虫けらも、その個々の全てが、そのまま、ありのまま、もともと神なのだ。自覚しようとしまいと、思いだそうが思いださまいが。するとキリーロフの虚無主義の反転のようなおそろしい存在の意義の究極的喪失が襲ってくるのではないでしょうか。
啓示宗教の問題が「時間」と「言語」にあるとすれば、未来の人類の課題は「時間が存在しない」という確信と、「言語の虚構性」を確信した人間が、何のため、という根源的な生の意義を見出すことが究極的に不可能になってしまうというところにあると思いますが、Seigoさんはどう思いますか?
宗教的な悟りという体験は、虚無と表裏一体となっていると感じるのですが。
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