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[164] 『死の家の記録』に、挑戦です😃ドストエフスキー全集4 筑摩書小沼訳
名前:ほのか
2020年11月30日 (月) 11時00分
p5 転記

「シベリヤでは、寒気はきびしいが、役人のふところはきわめてあたたかいのである。住んでいる人間は純朴で、自由思想などに毒されていないし、古い秩序が数百年の歳月に浄められて、がっしりと根を張っている。(⇄読者感想文:安心致しますね😃シベリヤの僻地の地、・・・千か、せいぜい二千ぐらいしか住んでいない小さな町の話です。警察署長や地方議員、その他ありとあらゆる下級官吏が十分に配属されている。のですね。)

p5

「誰の目から見てもシベリヤ貴族の役割を演じていると思われる役人たちはーー生え抜きのシベリヤっ子であるこの土地の人間か、それでなければ、桁はずれに支給される俸給の額と倍額の旅費、そしてなかなか誘惑的な将来の希望に心を惹かれて、はるばるロシヤ本土、それも大部分は両首都(モスクワとペテルブルク)からやってきた人たちである。」(⇄読者感想文:情景・背景がよく分かりますね。)

p5

「そうした人たちの中で人生の謎を解くことのできる者は、ほとんど例外なくこのままシベリヤに踏みとどまって、喜んでこの土地に定着するようになる。そしてやがて彼らは
そのうちに豊かな甘い実を結ぶようになるのである。
ところがそれとちがって、・・・・・・
なんだってこんなところへ来たのだろうと自分の胸に問いかけては、ふさぎこむようになる。(⇄読者感想文:《なんだってこんなところへ来たのだろう》⇔⇔《何だって、この地球に、生まれてきたんだろう!!》

p5

「シベリヤをののしり、シベリヤを嘲笑いながらいそいそと故郷くにへ帰って行く。(⇄読者感想文:《シベリヤをののしり、シベリヤを嘲笑いながら》⇔⇔《人生をののしり、人生を嘲笑いながら》このよーに、読者私は変換してみました。要するに、人生をポズィチィブに思考して、人生の謎を解く哲学的な生き方を、日々すれば良いのですね😃)

p5

「・・・シベリヤでは生活を大いに楽しむことができるからである。・・・気候はすばらしいし、・・・若い娘たちはばらの花のように咲き誇っているし、しかもその品行のよさにいたってはまず類例を見ないほどである。野鳥は思いのままに路上を飛びかい、向こうのほうから猟師に突き当たってくる。シャンパンはそれこそ嘘のように飲み放題に飲める。筋子いくらときてはただただ驚嘆のほかはない。農作物の収穫は場所によっては播種量の十五倍にも達することがある・・・。大体において、まさに神に祝福された土地と言うべきであろう。(⇄読者感想文:日本も!?)要するにそれを利用する方法さえ心得ていればそれでいいのだ。そしてシベリヤの人たちはそれを利用する方法を心得ている。(⇄読者感想文:ふぅーーむ)



[165] p9 一 死の家 の章です
名前:ほのか
p7

「彼は町のいちばん外れの、ある町人の老婆の家に下宿していた。その老婆には肺をわずらっている女がいて、その娘には父親の知れない女の子がひとりいた。十歳ほどになるなかなか美しい、快活な少女だった。私がカレの部屋へ通されたとき、アレクサンドル:ペトローヴッチは、ちょうどその女の子と机に向かって、彼女に読み方を教えていた。私の顔を見ると、まるで犯罪の現場でも取り押さえられたように、彼はすっかりうろたえてしまった。」
(⇄読者感想文:
あ、貧しさと老母の家
い、肺を患う娘 病気と貧困
う、父親の知れない女の子 の登場で貧しさ

 つまり、あ い う で、ドストエフスキー氏の文学の常に問題点とする基軸が、三ページ目で、もー、表現されてますね。

そして、ようやく、小説の名前『死の家の記録』に、辿り着きました。

 10年間の徒刑生活の記録 「いままで知られることのなかったまったく新しい世界、ある種の奇怪な様相、破滅した人々についてのニ、三の特異な所見など、ニ、三章を選んでお目にかけることにしよう」(⇄ゴリャーンチコフの徒刑生活の記録『死の家の実況』が、これから始まります。)
(⇄読者感想文:(「まるで犯罪の現場でも取り押さえられたように》彼はすっかりうろたえてしまった」『ぼたん雪に寄せて』の、主人公が、使用人のアポロンと、喧嘩をし言い争い、主人公が喋ってるだけで、アポロンの反応はないのですが、その最中を、訪ねてきたリーザに見られたときに、《まるで犯罪の現場を取り押さえられたように》という同じ台詞があったと記憶してますが) 

2020年11月30日 (月) 12時12分

[167] 主よ、どうかわたしを見棄てないでください!主よ、どうぞわたしを強い人間にしてください!
名前:ほのか
@p39「いやす事の出来ない深い悲しみ」(⇄読者感想文:ふぅむ!)

Ap39「夜中の二時過ぎにふと目をさますと、押し殺したような静かな泣き声が耳に入った。見ると老人が
・・・自分の手写した聖書を読みながら祈ってるではないか。彼は泣いていた。そしてわたしは彼がときどき『主よ、どうかわたしを見棄てないでください!主よ、どうぞわたしを強い人間にしてください!可愛い子供、わたしの小さな可愛い子供たち、もう二度とお前たちと顔を合わせることもないだろう!』とつぶやいているのを耳にしたのである。」(⇄読者感想文:感動!!ですね!!)

B名の日の主人公はぐでんぐでんに酔っ払う。

Cp40「どこの土地へ行ってもロシアの民衆は、酔っ払いに対してある種の共感を覚えるのが普通である。」(⇄読者感想文:哲学的に、ロシア人は考えているのでしょうね。何か理由があって、お酒を飲んでいるから!!了解〜!!という事なのだと思います!!ちょっと読者として、嬉しい。囚人が名の日の祝いに
1、聖像に蝋燭ろうそくをあげ、
2、お祈りをする
3、大いにめかしこんで
4、特別な食事を注文する。牛肉や、魚ご買い込まれ、シベリヤ風のペリメニ(餃子に類する食物)がつくられる。
5、牝牛のようにそれをたらふく腹に詰め込む。
6、お相伴をさせることはめったにない。
7、そのあとで、いよいよ酒が現れる。
8、名の日の主人公はぐでんぐでんに酔っぱらう。
9、『浮かれている』のだということを、・・・みせびらかし、・・・それによってみんなの尊敬を集めようとして、必ず監房から監房へと歩きまわるという段取りになる。(⇄読者感想文:囚人にも、存在感と注目度は、生きていく上で、必要十分条件であるなぁーと、カラフルに生きるためにはそうでありますね。p43には、「退屈きわまりない監獄生活を送る囚人の、唯一の心の支えとなっていたものであった」と、書かれてますね)
2020年12月04日 (金) 17時02分

[168] お酒を薄めるのは、面白いです。余裕が出来たら、薄めないのというのも、面白いです。
名前:ほのか
@p41「背中で支払いをつけなければならなくなるかもしれないし」(⇄読者感想文:というか、どんな意味、?)

p41「酒が無事に持ち込まれることは言うまでもない。・・・そんなわけで、儲けをふやすために、彼はそれをもう一度移しかえて、その際さらにもう一度、ほとんど半分ほども水で割る。・・・」(⇄読者感想文:仲介人はほとんど例外なく、まず最初にウォッカの毒見をして、自分が飲んだ分だけーー無慈悲にも水を加えておく。水を割ろうが割るまいが、どうせ囚人に選り好みをするなどはできない相談なのだ。・・・牛の腸を持って
現れる。・・・中に水をみたしておく。・・・便利な容器になる。・・・」(⇄読者感想文:背中で支払い、つまり、ばれると、笞をくらうのですね。ある程度、勇気と決断力に恵まれている連中が、資本の形の笞という背中で支払いの資本であると書かれてますね)

2020年12月04日 (金) 17時06分

[169] 『ゆるせ、愛せ、はずかしめるな、敵を愛せ』山上の垂訓
名前:ほのか
@p53
「処刑の前に・・・犯罪人の小心態度について語ったからには・・・異常な大胆さで見る者を驚かせるような連中もいる・・・悪名高き強盗オルローフ・・・この人間は無限に自分をコントロールすることができ、あらゆる苦難や刑罰を鼻の先でせせら笑って、この世の何物をも恐れていないことが、はっきりと見て取られた。彼の中に見られるのは、ただ無限のエネルギーと、行動の渇望、復讐の渇望、心にこれと決めた目的達成の渇望だけである。(⇄読者感想文:善人なら、良かったのに!!)

Ap55
彼の奇妙な高慢さにわたしは強い衝撃を受けた。(⇄読者感想文: ネットで調べました。《高慢とは「自分が優れていると思いあがり、相手を見下すこと」を意味する言葉です。》)

Ap35
「おそらく権威だけで彼に作用を及ぼすことができるような人間は、この世にひとりも存在しないにちがいない、とわたしは思う。」(⇄読者感想文:《権威を恐れてない》とは、権威という言葉自体が、意味自体が、彼オルローフの身体の単語には、存在しないという事と、同値!?)(後で、オルローフの事、描かれているかな!?罪悪感の認識できる或る部分だけ、脳が形成されてなかった人なのだからなぁ〜。しょうがないと言えば、しょうがないなぁ〜!!)

Bp57
 監獄の人達の名称を『仲間』という名称で、記録は、進むことになりましたね。監房の住人の描写が始まります。

Bp58
〜監房の全員の顔ぶれ〜
あ、コーカサスの山地の住民の一団 略奪の罪
レギンズ人が二人 チェチェン人がひとり ゲゲスタンのタタール人が三人」
い、一団のポーランド人六人⇄彼らはひとりのユダヤ人だけである。
う、その他

Cp59
ゲゲスタンのタタール人は、兄弟で、その3番目のアレイについて、主人公は、最良の出会いの一つとして、五ページ渡って書いてありますね。「世の中には生まれつきあまりにも美しく、あまりにも神の恵みを豊かに受けているので、いつか悪い方へ変わるかもしれないなどとは、考えることすらも不可能に思われる人間がいるものである。」と、書いてますね。『カラマーゾフの兄弟』アリョーシャ如きでしょうか。

 主人公が新約聖書のロシア語訳〜これしか牢屋ではもつてはいけないからですが。この本一冊だけで、アレイは、数週間のうちに立派に字を読むことを身につけてしまい、三ヶ月後には彼は早くも完全に文章語がわかるようになったのですね。『山上の垂訓』を、主人公とアレイと二人で通読した際に、『イーサ(イエス)は神聖な預言者です。イーサは神の言葉を語ったのです。なんてすばらしいことでしょう、』といい、一番気に入ったところを主人公に尋ねられると『ゆるせ、愛せ、はずかしめるな、敵を愛せ、というところです。ああ、なんてすばらしいことばでしょう!』と、言ってますね。
2020年12月05日 (土) 14時07分

[172] さらりと付き合う
名前:ほのか
五 はじめの一ヶ月 p65

A、〜アートフ(アーリストフ)の話〜p72

@「わたしが入獄した最初の数日間に、〜わたしに強い衝撃を与えた男p73
「わたしはアーフというか男をよく見きわめたのである。これは人間の肉体的な一面が、いかなる基準、いかなる法則にも内部で抑制されなかった場合、果たしてどこまで行きつくことのできるものであるかという、ひとつの実例であった。」p74

A彼はわたしの監獄生活の最初の数日間を不快なものにし、それをさらに憂鬱なものにしたのである。」p73

⇄(読者感想文)ひょっとして、現在の人間が、密接に過ごしたら、このよーな事件が起きる!起きているのではと、起きる可能性もある!というよーな危惧を、感じましたね。つまり、人間関係は、さらりと、人間は付き合うのが良いのではという事かもですね。ほんの例外は10人くらい!?1人で。さらに、今の世の中も同じ事!!作家としては、人間観察が出来て良かったと、思いました。この世の中も、監獄の中では、人との付き合いを逃げることが出来ないので、観察が充分に出来たのですね。)
2020年12月16日 (水) 12時08分

[173] 痙攣⇄金と自由が無いから=世の中も牢獄も同じ!!
名前:ほのか
内容
@「ところで金はーーこのことはもう前にも言ったがーー監獄内ではおそろしく大きな意味と威力を持っていた。これははっきりと断言できるが、獄内でほんの僅かでも金を持っている囚人は、金をぜんぜん持っていない囚人よりも、十倍も苦しみが少なかった。〜
もしも囚人が自分の金を持つあらゆる可能性をまったく奪われてしまったならば、彼らは気違いになるか、あるいは蠅のように死んでしまうか(なにからなにまで保障されているにもかかわらずである)、それでなければ、ついにはーーある者は淋しさのあまり、またある者はーー一刻も早くなんとかして罰を受けてこの世から葬り去られるか、あるいはなんとか『運命を変えたい』(これは獄内の専門用語である)一心でーー前代未聞の悪虐行為に走るに相違ない。囚人がほとんど血の汗を流すようにして僅かばかりの金を手に入れ、あるいはそれを手に入れるために途方もない奸計をめぐらし、しばしば窃盗や詐欺を働くことすらもあえて辞さないくせに、同時にまた実に無分別に、まるで子供のように無考えにそれを浪費してしまうからと言って、一見したところ確かにそのように思われても、それは決して囚人が金を大事にしないということを証明するものまではない。金に対して囚人はからだに震えがくるほと、理性が麻痺してしまうほど貪欲である。事実また彼らが豪遊するときに、まるで木っ端のように金をばらまくにしても、それは金よりもさらに一段上であると認めているもののためにはらまくのだ。囚人にとって金より尊いものとは、それはなんであるか?自由、あるいは自由に対するはかない憧れのようなものである。囚人というものはたいへんな夢想家なのだ。」p77

(読者わたしの感想文)⇄今の世の中でも同じじゃない!!わたしも、自由を得たくて、自由を、感じたくて、道路で、歩きながらの、ソフトクリームの、食べ歩きを、ワザと、したくなりますね!!とっても自由を感じますね!!歩きながらアンパン食べたり、カレーパン食べたりですが。自由感の他に、たまに、甘いものも、癒すとか、カレーパンとアンパンで、食事を済ますと、痩せるかもという尾ひれがついてますが。なんかに、イライラの時は、抵抗を随時してますね。ソフトクリームを歩きながら食べること。しかも安い事!)






2020年12月16日 (水) 12時16分

[174] 【お金と自由】がないと、発狂など。
名前:ほのか
〜模範的な生活をしてきた囚人が、思いがけなく爆発を起こす原因は、〜p78

@「痙攣的な個性の発現、自分自身に対する本能的な憂悶、自分を、自分の卑しめられた個性を発揮したいという欲望が、突然外部に現れて、それが憎悪にまで。狂忿にまで、発作にまて、痙攣にまで達したことにほかならないのかもしれない。」p78
「それは、おそらく、生きながら墓の中に埋葬された人間が、墓の下でふと息を吹き返らし、もちろん、理性ではどんなにもがいたところで所詮は無駄であると知っているはずであるのに、夢中になって棺の蓋を叩き、一生懸命にそれを押しのけようともがいているようなものかもしれない。」p78

A「そんなわけであるから、そこまで行かせないようにあらゆる手をつくすのが一番である。そうすればみんなもずっと落ち着いていられるというものだ。確かにそのとおりである。だがそれにはいったいどうすればよいのか!?」p78

⇄(感想文:【痙攣】を、起こさないための、【お金と自由】が、人間には誰しも、必要十分条件なのですね!!監獄内で密接に関わらないとしょうがない作家ドストエフスキー氏が、経験した事ですが。普通一般人の好きな人だけと、付き合ったり、自分自身の行動を、【意味】を、考えてなかった参考になりますね。【歩きながらのアンパン食べたり、ソフトクリームを食べたりする私の行為は、痙攣をストレスを回避している行動だったのですね。自由を感じるから!作家ドストエフスキー氏には、勉強を、させられます😋


2020年12月16日 (水) 12時26分

[176] 私利私欲をはなれた、神聖な同情と思いやり
名前:ほのか
@「シベリアには、兄弟のような心で『不幸な人たち』の面倒を見ること、まったく私利私欲をはなれた、神聖な同情と思いやりを、まるで自分の血を分けた子供に対するように、彼らに注いでやることを、どうやら、自分の生涯の使命としていると思われる人が何人かいる。」p79(⇄読者感想文:ホッと致しますね。美しい言葉達は!!このよーな言葉達に出逢いたくて、ドストエフスキー文学を、始終読んでいたい読者の私がいるわけですね。)

A「ナスターシャ・イワーノヴナという未亡人:流刑囚に手を差しのべることを自分の生涯の使命として彼女は選んでいたようであったが、」p79(⇄読者感想文:ふぅむ!偉い人だ!!)

B「いずれにしても彼女は、わたしたちのためにできる限りのことをするのを、特別な幸福と考えていたようであった。」p79(⇄読者感想文:ふぅーーむ!!偉い人だ!!)

B「しかしながらわたしたちは、獄内にじっと座っていても、あの監獄の外にはこの上なく忠実なわたしたちの友がいるのだ、と感じていた。)p79(⇄読者感想文:すごい効果ですね!!ナスターシャ・イワーノヴナの私利私欲をはなれた神聖な同情と思いやり。嬉しいですね。必要でありますね!!)

C「ただ底知れぬ善良さ〜なにか役に立ちたい、負担を軽くしてやりたいとい抑えがたい願望だけであった。」p79(⇄読者感想文:嬉しいですね。優しい心が)
2020年12月17日 (木) 10時47分

[180] お金<自由<希望 ですね😃
名前:ほのか
@「だがそれでもなお彼は一刻も早く鎖につながれている期間が終わることを、一途に願ってやまないのだ。もしもこうした希望がなかったならば、死にもしなければ発狂することもなく、どうして五年も六年も、鎖につながれたままじっと坐っていることができるだろう?それでなくて誰がおとなしく坐っていられるものだろう?」p94(⇄読者感想文:お金と自由と希望が大事ですね。お金と自由の前に、まずはポジティブな希望が不可欠要素ですね。)

A「労働がわたしを救い、わたしの健康と肉体をきたえてくれるかもしれないと、わたしは感じていた。絶え間のない精神的不安、神経のいらだち、息の詰まりそうな監房の空気は、完全にわたしをめちゃめちゃにしてしまう恐れがあった。『なるべくたびたび外気に当たり、毎日からだを疲れさせ、重いものを運ぶ練習をするーーそうすればすくなくともわたしは、自分を救うことができるだろう』とわたしは考えた。」p94(⇄読者感想文:いつも、思考している作家ドストエフスキー氏ですね。)

B「〜少しも老いこまずにここを出ることにしよう』〜労働と運動はわたしにとって非常に有益であった。」p94(お金<自由<希望 ですね。)

C「〜気分がだんだん、軽くなる。頬が赤みをおび、血液の循環が早くなってくる。〜」p96(⇄読者感想文:労働と運動という、体を鍛える事は、健康な、元気に満ち溢れたたくましい体になり、少しも老いこまずに、監獄を出る事になりますね)
2020年12月24日 (木) 12時30分

[188] 『死の家の記録』の記述の終わり
名前:ほのか
(⇄読者感想文:ついつい、書き過ぎてしまいました。世の中と同じ世界がありますね)
2020年12月27日 (日) 03時44分

[191] やはり!(1)(2)(3)(4)
名前:ほのか
〜明るいお話〜 ドストエフスキー氏の牢獄で〜

⑴浴場
⑵バクルーシンの話
⑶イザイ・ファミッチの話
⑷ペトロフの話 ⇔ドストエフスキー様!ホッ!!

⑴p115〜
@p115
「凍りつくような寒い日だった。要塞の外に出て、町が見られるというので、囚人たちはもう大喜びであった。歩きながらも笑い声や、冗談が絶えなかった。」(⇄読者感想文:囚人たちも良かったね!!ホッ!!ですね!!)

Ap117〜118
「戸を開けて浴室に足を踏み入れたとたんに、わたしは地獄へ突き落とされたのではないかと思った。まず奥行が十二歩くらい、間口もそれと同じくらいの一室を想像していただきたい。そこへ、たぶん、百人に近い人間、すくなく見積っても、おそらく、八十人はいるだろうと思われる人間が、一時にぎっしり詰め込まれているのだ。なぜならば、囚人たちは二班に分けられているだけで、浴場へ連れてこられたのは全部で二百人に近い人数だったからてある。目の前が見えないほどもうもうと立ちこめた湯気、煤煙、汚らしい湯垢、足の踏み場もないほどの狭苦しさ。わたしは度肝を抜かれて、そのまま引き返そうとしたが、ペトロフがすぐにわたしを元気づけてくれた。背中をかがめてなんとかふたりを通してもらいたいといちいち頼みながら、床を一面に埋めつくしている男たちの頭をつぎつぎにまたぎ、さんざん苦労をしたあげく、やっとのことでベンチのところまでたどりついた。だがベンチの上の場所ももうすっかりふさがっていた。ペトロフは、場所を買わなければいけないと言って、すぐさま窓際に陣取っていたひとりの囚人と値段の掛け合いをはじめた。相手は一カペイカで自分の場所を譲ることにして、すぐにその場所でペトロフから金を受け取った。ペトロフはそういうこともあろうかと思って、手に握りしめて金を浴場の中へ持ち込んでいたのてある。そしてその男にわたしの場所の真下にあたるベンチの下に、たちまちするりと身をかくしてしまった。そこは暗い、実に汚いところで、一面にねばねばした湯垢がほとんど指が半分もぐるくらいたまっていた。しかしベンチの下の場所ももう全部ふさがっていた。そこにもやはり大勢の男がうようよしていた。床にはどこを探しても手のひらほどのあいた場所も、なかった。どちらを向いてもからだを折り曲げた囚人たちが座り込んで
それぞれの手桶の湯をはねかしている。座れない連中はそのあいだに棒立ちになって、手桶を抱えて、立ったままからだを洗っていた。垢だらけの湯がそのからだから、下に座っている男たちのつるつるに剃られた頭にまともに流れ落ちていた。棚の上にも、そこへのぼる段々の上にも、からだを縮め折り曲げるようにして洗っている連中が、鈴なりになっていた。(公衆浴場はいわゆる蒸気浴で、天井に近い棚がいちばん熱い)。しかし、からだを洗っている者はそんなにいなかった。普通一般の民衆は熱いお湯や石鹸でからだを洗うことはあまりしない。彼らはうだるほど湯気でむされてから、ざあっと冷たい水をかぶるだけで、ーーそれで入浴はおしまいなのである。棚の上で五十本ほどの蒸し風呂用のはたきが、いっせいに上下に動かされていた。頭がぼうっとなるまでみんながからだを叩いているのである。蒸気が絶えず吹き出していた。これはもう熱いなどというなまやさしいものではなかった。これはまさに焦熱地獄であった。どこもかしこも怒号と叫喚と嘲笑の渦、それにおまけとして床をひきずる百本の鎖の響きが伴奏としてつく・・・・・・。中には、通り抜けようとして他人の鎖に足をからませたり、自分の鎖を座っている者の頭にぶっつけたりして、足を取られてぶっ倒れ、悪態をついて、そのままぶつかった相手を引きずって行こうとかしている者もいた。汚い水が四八方から流れてくる。誰も彼もなんだか酔っぱらったような、妙に興奮した気分になっていた。金切り声とどなり声が絶え間なく響きわたる。お湯をわたしてくれる、脱衣場との境の小窓の前では、荒いことばの応酬が行なわれごった返して、押し合いへし合いの大騒ぎが演じられている。せっかく受け取ったお湯も、自分の場所へ運んで行くまでに、床に座っている連中の頭の上にほとんどこぼしてしまう始末である。その上たえず窓や半開きになった戸口から、銃を手にして、なにか不始末を仕出かさないかと見張っている兵隊が、そのひげづらをのぞかせる。囚人たちの剃り上げられた頭や、真っ赤にうだったからだが、ますます醜悪なものに見えてきた。背中が湯気にむされると、前に受けた笞や棒の傷痕がくっきりと浮き出してくるもので、いまこうして見ていると、どの傷もみんないま新しく傷をつけられたように見えるのだった。恐ろしい傷痕!それを見ているとわたしは思わずぞっとなって背筋が寒くなってきた。蒸気の勢いが強くなるーーすると湯気は濃霧のような、熱い雲となって浴室をすっぽり包みかくしてしまう。みんなてんでに大声を上げ、ぎゃあぎゃわめき立てる。その湯気の雲のあいだに傷だらけの背中や、剃り上げられた頭や、海老のように曲げた手や足がちらちら見える。その上さらにイサイ・フォミッチが、いちばん高い棚の上でありたけの声を張り上げてわめき立てる。彼は気が遠くなるほど湯気に蒸されているのだが、どんな熱も、どうやら、彼を満足させることはできないらしい。一カペイカの金を出して彼は三助さんすけを雇っているのだが、本職のほうが、そのうち、どうにも我慢ができなくなって、はたきをほうり出して、冷たい水をかぶりに逃げ出してしまう始末である。イサイ・フォミッチはそれでもあきらめずに、つぎつぎに新しい三助を雇う。彼はこうなったらもう出費のことなどは考えないことにして、四人でも五人でも三助を替えるのだ。『なかなかやるじゃねえか、大したもんだな、イサイ・フォミッチー』と下から囚人たちがはやし立てる。いまこそ自分は誰よりも張り上げて例のアリヤを、ラ・ラ・ラ・ラ・ラとうたい出す。みんなの声もこれには圧倒されて影が薄いものになる。もしもわたしたちがみんな揃っていつの日か焦燥地獄に突き落とされるようなことがあったならば、その光景はおそらくこれと非常に似ているに相違ないという考えが、ちらりとわたしの頭に浮かんだ。わたしはつい辛抱しきれなくなって、その考えをペトロフに話して聞かせた。だが彼はあたりを見まわしただけで、なにも言わなかった。」(⇄読者感想文:賑やかで。ホッ!!)

2020年12月27日 (日) 11時17分

[192] (2)
名前:ほのか
⑵バクルーシンの話 p120〜

@119
「バクルーシンほど愛すべき性格の男をわたしは知らない。」

Ap119
「彼は愛情と生命力にあふれていた。」

Bp120
「しかし、いったいどういうわけで?」わたしは彼にたずねた。
「どういうわけで?あんたはどうしてだと思いますかね、アレクサンドル・ペトローヴィチ?どういうわけかって言うと、それがつまり惚れたためなんで!」

Cp120〜風変わりなある殺人の話〜
「ところがそのうちのひとりのドイツ娘がすっかり好きになっちまった。ルイーザって娘でしたがね。・・・・・・おれはその娘と別れましたよ。・・・・・・」

p124「『わたしはあんたの友達にはなれませんね。だってあんたはただの兵隊じゃないですか』さあ、これを聞くとおれは思わずかっとなってしまった。』」

D〜ルイーザ〜
p125「『みんなあたしが悪いのよ、伯母さんの言うことをきいたのがいけなかったんだわ』・・・・・・毎日のようにルイーザと会いましてね。あれはもうすつかり、このおれに首つたけになってしまったんです!・・・・・・」

Ep125「『それぐらいのことならせいぜい十年か、一番重くても、まあ十二年ぐらいの刑期で、それも一般監房に入れられるのが当たり前じゃないか。ところが君のはいっているのは特別監房だ。そんなことってあるもんかね?』」

F「〜『別の事件を起こしだったもんでね』〜」

p125「『軍法会議に回されたんですが、・・・・・・大尉の野郎がひでぇ言葉で。さんざんおれに悪態をつくじゃないですか。おれは我慢ができなくなったもんだから、ついそいつに向かって『なんだって悪態をつきやがるんだ?手前てめえには正義感の前に座ってるのがわからねぇのか、この人でなしめ!』ってどなっちまったんですよ。さてそこで、風向きががらりと変わってしまった。』」

G「『四千キロも歩かされて、ここの、特別監房にぶち込まれたっていう次第でさぁ。・・・・・・大尉は官位を剥奪されて、兵卒としてコーカサスへやられることになりましたよ』」(⇄読者感想文:殺人を、しなければ、論理的な正義感のある人物なのですね。 ルイーザが、みんなわたしが悪いのよ!と、バクルーシンに、真実を話したから、良かったのですね。真実を話す娘しかバクルーシンは好きにならないいい人なのでしょうね。ドストエフスキー氏も《バクルーシンほど愛すべき性質の男をわたしは知らない。》と、小説で述べてますね。)
2020年12月27日 (日) 11時20分

[193] (3)
名前:ほのか
⑶イザイ・フォミッチのお話

p110〜世にも幸福そうな、忘れようとしても忘れられない顔である〜

@p111〜その顔には、何物にも揺るがされることのない自己満足と、この世の幸福をひとり占めしているとでも言えるような表情が、いつもたたえられている。〜

Ap111「土曜日ごとに護衛つきで町のユダヤ教の礼拝堂へかよったりして(これは法律で許されていたのである)、まったく気楽な暮らしをしていたが、それでも『女房をもらう』ために、その十二年の刑期を無事に勤め上げる日を、首を長くして待っていた。彼は無邪気さと愚かしさ、狡猾さとふてぶてしさ、素朴さと小心、驕慢と厚顔無恥の滑稽きわまる混合物のよつな男であった。」

Bp112「彼は実際みんなから愛されていると言ってもいいようであった。」

Cp113「『神様がいてお金がありゃ、どこへいったって天国さ』」

(⇄読者感想文:いろんな人が居るのだなぁ〜)
2020年12月27日 (日) 11時21分

[194] (4)
名前:ほのか
⑷ペトロフのお話し

@p116「公衆浴場で、ペトロフはわたしが服を脱ぐのまで手伝ってくれた。」

Ap116「〜わたしのからだを支えながら、彼はまるで爺やみたいな口をきくのだった。」

Bp117「〜ペトロフがすぐにわたしを元気づけてくれた。」

Cp117〜118
公衆浴場で、彼はずっと手伝ってくれましたね

(⇄読者感想文:ペトロフのような。心配りのある人が居て良かったですね!!ドストエフスキー様)

2020年12月27日 (日) 11時23分

[195] 降誕祭とは!?
名前:ほのか
〜ネット引用です〜

@ クリスマス(英: Christmas)は「キリストのミサ」という意味で、一部の教派が行うイエス・キリストの降誕祭。 あくまで誕生を祝う日であって、イエス・キリストの誕生日ではない。 毎年12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う。

A クリスマス。 12月 25日に行われるキリストの誕生を記念する祝日。教会暦では1月6日の公現祭の前日までを降誕節とする復活祭と並んで最も盛大に祝われるキリスト教の祝日。祝日が 12月 25日となったのは,4世紀中頃の西方において異教徒が冬至に定めた太陽崇拝
の祭日に,キリストの誕生を結びつけたからで,東方ではそれまで公現祭のほうが重要であった。一般的な行事としては,知友の間でクリスマス・カードを交換して平安を祈り家庭でもクリスマス・ツリーを飾り家族や親しいものの間で贈り物をする風習がある。アメリカでは清教徒の反対のため遅れ一般化したのは 19世紀中頃スコットランドの長老派もクリスマスを完全に禁止したことがある。

2020年12月27日 (日) 11時28分

[196] 質問文 知恵袋ではなく
名前:ほのか
===ネット引用===

以下の質問文がありました。

『なぜ日本民族は主イエス・キリストを神と崇めないのか?世界の3分の1はキリスト教、日本民族だけキリスト教徒が減少、毎年日本の国土に大災害がもたらされるこれは決して自然災害ではない、日本民族は気付いていない神に裁かれていることを今年の大災害が心配される、主イエス・キリストを崇めない民族は祝福されることはない、逆に神から呪われる、人間は神様から造られた、猿からの進化ではない、日本民族は先祖崇拝を好むルーツは猿、猿思考は未来がない、これは盲人に等しい、日本民族は落ちこぼれ民族なのか!だとしたらあまりにも悲しすぎる。』←ネット引用〜です。

===ネットの答えです。===

答え
あ、アナタがそう言うならそれで良いです。ただ、7割は認めていないのですね。頑張ってください。

い、ヒトは、現世には修業の為に訪れているのです。
修業なので、人生が辛いのは当然です。苦しい現世を生き抜き生を全うすることこそが、極楽浄土への唯一の道です。それが仏教の真髄です。
よって、現世で救いを求めてはいけません。現世には心安らかな場所などありません。
現世で救われようとする者、ラクをしようとする者、面白おかしく生きようとする者は、すべからく地獄に落ち、裁かれます。現世で自身の罪の許しを請うなど、もってのほかです。

う、高々2000年程度昔の、キリストとか言う「若造」が神?
笑わせる。
彼は、「主の息子」と言っていて、神ですら無い。
日本の八百万の神は、そのはるか昔から「神」だ。
こんな単細胞は、宗教にとって、利用しやすいだろう。
大体、2000年前のヘブライ語も解らないのに、その辺の
若造日本語牧師の言葉を、よく信じられるものだ。
聖書だって、誤訳の集まりかも知れないのに、良く「短絡的に」
盲信できるものだ。
笑ってしまう。
目を覚ましなさい、若人よ!!

え、もはや呆れるとしか言いようがない。
君が主張する「キリストを神と崇めないのか」と言う事を中東諸国で同じ質問をしてみな。
まあ言葉が解らないだろうから、日本に居る日本語の解るイスラム教徒へ向けてみな。
そんな勇気はないだろう。
彼らにとっての神は「アッラー」でありキリストではない。

お、宗教と言うのは時がたつにつれて宗派がわかれる。
もともとのキリストの教えから人から人へ考えが受け継がれていくなかで、
教えそのものが変化をしていく。
何が正しいのか?
今のキリスト教は本当にイエス・キリストがいった教えなのか?
キリスト教の中でも考えが分かれる。
あなたの信じているものは、本当に正しい教えなのか?
なぜ同じ宗教なのに、考えがかわってくるのか?
考えてみてほしい。
弟子から弟子へ受け継がれていくなかで、そのキリストの教えが弟子の捉え方で、かわるのは当たり前なのではないか?
本当に理解できる人などいない。
あなたが、キリスト教以外を侮辱するような発言は本当に愛なのか???
そのような事は本当にキリストを理解している人が言う言葉ではない。
神から呪われる?
この言葉もそうだ、キリストを理解していない証拠である。
神は呪いはしない。
すべてを許すのだ。呪いなど、低級の霊が起こすこと。
格の高いキリストがするわけがない。
勉強し直すがよい。

か、日本は、神道です☀又、仏教です。
布教片手に、先住民を徹底的に殺戮しない‼偽善的でないし、現在もゴタゴタしてない。日本は、一部の新興宗教以外は、世界に誇れる神道です☀仏教です‼

き、牧師を目指されているなら、(新約)聖書は熟読されていますよね。
マタイによる福音書 第10章 34節
"Do not suppose that I have come to bring peace to the earth.
I have not come to bring peace, but a sword.
同 35節
For I have come to bring division, a man against his father,
a daughter against her mother, a daughter-in-law
against her mother-in-law;
同 36節
and a man's enemies will be those who belong to his own household.'
「地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。
平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである」
「私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、
嫁をその姑と仲たがいさせるためである」
「そしてその家のものが、その人の敵になるであろう」
まさか、聖書を否定するはずはないと思いますが、
キリスト教はその教えを絶対視するために家族の犠牲を強要しています。
人と人のつながり、家族との絆を大事にする考えとは相いれません。
ちなみに、唯一神ヤハウェ(キリストではありません)は
人であるヤコブと争って負けています。(旧約聖書 創世記 32章)
信仰は自由ですが、人に負けてしまう神に呪われるより、
家族を大事にしたいからだと思います。

け、多分ですが、神を作ったのは人間ではないのかと…?
それと、もし生きる価値もないまま生まれた人間を作ったのが神だとしたら、やはり感謝は強要になると思いますよ(アナタが書いた返信によればですけど)。

こ、キリスト教の葬儀でなんだか排他的でしたね。

さ、信じないと地獄に落ちるという不寛容な神様を信じない人が多数派の日本人の方が理性的だとおもいます。
慈悲の神様なら信仰心がない子羊たちも天国に導くのが本当の神様だとおもいます。

し、牧師になった方が100万倍喜びがある。
それは自己満って言うんですよ?
周りを100万倍幸せにするのが使命じゃないの?
そんな牧師は要らないな〜。

す、補足を見たが解っていないのは君自身だよ。
キリストは神の啓示を受けた3人の内の一人。
その3人によってそれぞれ、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教へと繋がった。
それらの宗教の神は同一なんだよ。
だからキリストは神ではない。
しっかり勉強した方が良い。

せ、我が家では
山の神が、
唯一絶対ですッ!

そ、キリスト教という「大災害」よりは自然災害の方がマシだからですよ。
ドイツなんかキリスト教徒同士の宗教戦争、30年戦争で人口が1/3に成ったそうですよ。


た、世界の3分の1はキリスト教

その中で、日本よりも幸福で
優れた国はいくつあるでしょう。
これが答えです

ち、俺は仏教的価値観と科学的手法を信じる。

つ、日本人には馴染みにくい宗教、一神教とか争いのある宗教は好きじゃないからね。

て、神じゃないから。
神の啓示を伝えるだけの役目でしかないから神じゃないし。
だから神として崇めるなど神への冒涜でしかない。

と、こんなマヌケな釣りでも、私も含め8匹釣れた
やはりgooは平和だ
知恵袋なら完全無視なんだろうけど

な、主イエス・キリスト様は「神」であるなんて、一言も言われたことがないんですけど。
神の右の座に座っているとは言われました。
日本の自然災害は、地球上の地理的な位置が要因なんですけど。

に、その前に、なぜ神を崇めなくてはいけないのでしょう?
強制に聞こえますが。
祝福してほしくて崇めるのは、お金が欲しくて働くのと一緒と考えた場合、それこそ神への冒涜なのでは?

ぬ、イエス様より病院が先のようです。

ね、キリストは主ではないですが、どこの宗教の話でしょうか…?

の、もし全能なる神という存在が有るのだとしたら、不完全な物など存在しないはずです。
あなたが言っている不完全な物が存在すること自体が全能なる神など無いという証明なのです。
ほぼ無宗教の私が言っても説得力はありませんが、個人的には宗教とは神をあがめるものではなく、心のよりどころを求めるものだと思います。
神様という存在は、あまり考えずに従えばいいと思っている安易な考えを持つ人が考えた偶像だと思いますよ。

は、イエス・キリストを神と崇める宗教って、何教ですか?
キリスト教は、イエス・キリストを神と崇めていませんよ。

↑ネット引用です。
2020年12月27日 (日) 11時30分

[197] いよいよ降誕祭 おごそかな気持ちになるのは凄い!!
名前:ほのか
p126 キリスト降誕祭

@p126 とうとう、待ちかねた祭日がやってきた。

Ap126 ほとんどすべての連中が、一団となって、あるいはひとつずつ別々に、行ったと思うとすぐに監獄へ戻ってきてしまうのであった。そして午後になるともう誰ひとりそこから出て行く者はいなかった。

Bp126 囚人たちに買物を頼まれて市場へ出かけていた廃兵たちが、牛肉や仔豚から鵞鳥にいたるまで、食料品と名のつくありとあらゆるものを、山のように抱えて戻ってきた。囚人たちの多くの者は、まる一年のあいだ一カペイカ 二カペイカのはした金をちびちび貯めているような、いたってけちくさい倹約家しまりやでさえも、こうした祭日には大いに奮発して、盛大に精進あけを祝うのを義務のように心得ていたのである。明日は法律によって公然と認められている、たとえ囚人でもその権利を奪われることのない、本当の祭日なのだ。この日には囚人は作業に出されることは絶対にあり得ないし、このような日は一年にたった三日しかないのである。

Cp126 それにもうひとつ、このような日を迎えて、これらの世間から見棄てられた男たちの胸の中に、それこそ、どれほど多くの思い出がうごめきはじめることか!

Dp127 笑い声を立てることは禁じられているかのようであった。大体においてみんな妙に神経過敏な、いらだちやすい気短な気分になっていて、たとえその気でなくても、この全体の調子を破った者は、たちまち四方八方から怒声やら罵声やらを浴びせかけられ、まるで祭日そのものに対する態度が不謹慎だとでもいうように、みんなの怒りを買うことになるのであった。

Ep127 「〜囚人たちは無意識のうちに、こうした祭日をうやうやしく守ることによって自分も全世界となにか接触を保っているように思い、したがって、自分はまるっきり世間から見棄てられてしまったわけではない、亡び去った人間でもなければ、社会から切り離されてしまった人間でもない、監獄に入っていても世間の人たちと同じことなのだと感じていたのである。」

「⇄@〜E 12月24日と25日の心模様ですね😃牢獄も、世間と同じ環境や心で、形成されてますね。ほっと、致しますね!心も繊細でありますね。)

Fp127 《アキム・アキームイ》(⇄読者感想文:という人物について!⇄『カラマーゾフの兄弟』のお料理の上手な心の一途なスメルジャコフに。似てるなぁーと、思いました。)

「彼には家庭的な思い出というようなものはなかった。〜みなし児として他人の家で育てられ、〜自分に示された義務の枠からほんのちょっとでもはみ出すことがないように努めながら、その一生を規則正しく、一本調子に過ごしてきたからであった。〜それは、どうやら、つねに行いを正しくという信条が、彼のそのほかのすべての人間的な資質や特質、事の善悪を問わず、あらゆる情熱や欲望を、すっかりその中に吸収してしまったらしいからである。(⇄読者感想文:情熱や欲望の吸収は、とんでもなく!!まずい状況ですね!!)こうしたわけで彼は妙にあくせくしたり、むやみに気をもんだり、物悲しいだけでまったくなんの役にも立たない追憶に心を乱したりすることなく、義務と最終的にこうせよと定められた仕来たりをとどこおりなく行うためにちょうど必要なだけの落ち着き払った、一定の方程式にかなった礼儀正しい態度で、厳粛な祭日を迎える準備をしていた。〜一度、生涯にただ一度だけ彼は自分の知恵で生きようと試みたことがあったーーそして監獄にぶち込まれたのである。この教訓は彼にとっては無駄ではなかった。そしてたとえいつの日であっても、自分が果たして、どんな罪を犯したのかを理解できるような頭は、運命によって彼には授けられていなかったけれども、その代わり彼は自分のこの苦い経験からある有益なひとつの法則ーーどんな場合にも絶対に自分の頭で判断するなという法則を引き出したのであった。なぜならば囚人たちのあいだで言われていたことばを借りると、判断などということは『とてもこちとらの頭の及ぶことじゃねぇ』からである。」(⇄読者感想文:機械的人間に育てられてしまったのかな!?アキム・アキームイ)

●p128 祭日がくるまでは、彼はいつも例の古い上着を着て、古いズボンをはいて歩いていた。体裁よくつくろってはあるが、いずれにしてもそれはさんざん着古したものであった。〜すでに四ヶ月も前に支給されていた新しいひと揃いの服を、彼は自分の箱の中に後世大事にしまい込んで、祭日が来たら晴れがましい気分でそれに着替えようというほほえましい思いを胸に秘めて、それに手を触れずにいたのである。(⇄読者感想文:偉い人だぁーー!!)

●p128 「ただその良心の安らぎのために彼は剃ってもらったのである。つまり、こういう日のために、自分の義務はすっかり果たしたいという一心からであった」(⇄読者感想文:《一心》は、偉いですねぇーー!!)

Gp129 〜12/25〜
「その朝が、ついに、やって来た。早朝、まだ明るくならないうちに、朝を告げる太鼓が鳴りわたるが早いか、監房の戸がさっと開け放たれた。そして囚人たちの人員を数えに入ってきた衛兵下士官が、全員に祭日のお祝いのことばを述べた。」

●「監獄の門の外で『炊事番!』と呼ぶ衛兵上等兵の叫び声が早くも聞こえはじめた。〜町のあらゆる隅々から監獄にとどけられる贈り物を受けるために、そのたびに炊事場にいる炊事夫がよびだされるわけである。とどけられるものは、〜こうしたものはすべて贈り物の内容と贈ってくれた人が誰であるかをとわず、みな一緒に感謝の念をもって受け取られた。〜そして彼らの手でそれが監房ごとに、等分に分けられた。口喧嘩も起こらなければ、罵り声も聞こえなかった。」(⇄読者感想文:すごいですね。監獄に届けられるプレゼントの多さ)

Hp132 賑やかなにぎやかなクリスマスのお酒などなど、始まりますね。
2020年12月27日 (日) 11時34分

[203] 牢獄に私が、産まれて、ずっと、一生を終えたら、私は、牢獄とは思わないで、生きていたのかな!?
名前:ほのか
〜つづき〜

ロシアの『死の家の記録』ドストエフスキー氏の時代の、牢獄は、《民主主義》が、牢獄内にあって、私読者は、安心致しましたね😃

《民主主義》とは、個人が、心に【心の痛み】を、感じた時に、修正可能な生き方であるなぁ〜と、色々な言い方が出来ますが、そのよーに、今回、描いてみました。

 私が牢獄内というのを、その形式で、理解せずに、当然の生き方として、一生を、終えたとしても、【心の痛み】を、わかる環境ならば、疑問を持たずに、一生を終えたかも知れませんね。

 【心の痛み】のわかる日本。
  日本を、部分として、全体の地球。
  地球を、部分として、全体の宇宙。

【心の痛み】のわかる日本に住んでるので、幸せですが、変な話、?牢獄?っと、巨大な思考を、自分自身にぶつけてみたら、面白いなぁ-------っと、考えてしまいました😃

 ただいま、読書は、牢獄のクリスマス会の演劇で、小休止しております。牢獄の皆が、楽しそうに、演技などを、考えてるので、安心して、その場面で、読者が小休止、もう少し、してます。
2021年01月18日 (月) 10時04分

[204] プーシキン マンデリシュターム ゴーリキーの詩
名前:ほのか
〜勝手に 直感で 選出 詩集から〜
〜ロシアから〜

❶プーシキン

「三つの泉」
人の世の 悲しい 果てしない砂漠の中に
こんこんと 奇しくも湧き出た三つの泉
青春の泉は すばやい 荒れ狂う泉であり
きらめき せせらぎながら たぎり 走る
詩ごころの泉は 霊感の波をもって
人の世の砂漠の追放者をうるおしてくれる
最後の泉は 忘却のつめたい泉であり
何ものよりも甘く 心の熱を癒やしてくれる(稲田定雄訳)

❷マンデリシュターム
ただ子どもの本だけをよもう・・・・・・
ただ子どもの想いだけを大切にしよう
大されたことはみんな吹きとばして
ふかい哀しみのなかから起ちあがるために!
ぼくは人生に死ぬほど疲れてしまった
もう人生に大きな期待はかけていない
しかし この貧しい地球もきらいじゃない
ほかの世界をみたことがないから

ぼくは遠い庭園のなかで
木のブランコに揺れながら
霧のなかに迷いこんだ気持ちで
幼いころの樫の木を想いだしている
          (木村 浩訳)

❸ゴーゴリ
「海燕の歌」
 白く泡だつ海原の上には雨雲をあつめている。雨雲と海のあいだを、海燕が黒い稲妻のように、誇らかに飛んでいる。
 つばさで波にふれたと見るや、また矢のように雨雲たかく舞いあがりながら、海燕はさけぶ。そしてーーー雨雲はこの鳥の大胆なさけびのなかによろこびを聞きとる。
 このさけびのなかにはーーー嵐への渇望がある!雨雲はこのさけびのなかに、怒りの力、情熱の炎、そして勝利にたいする確信を聞きとっている。
 かもめたちは嵐を前にして鳴きうめきーーーうめきながら、海の上を不安そうに飛びくるっている。そして嵐にたいする自分の恐怖を海底(うなぞこ)にかくそうとしている。
 海鴨もまたうめいているーーー生活のたたかいのよろこびは、かれら、海鴨たちには縁がないーーー大きな打撃の音が彼らをおびやかす。
 おろかなペンギン鳥は肥えたからだを、おく病そうに岩間にかくしているーーーただ、誇らかな海燕だけが、白く泡だつ海原の上を大胆に、自由に飛びかけている!
 雨雲はますむす暗く、低く海の上に垂れこめ、そして波は歌いながら、雷(いかづち)を迎えに空高くとびあがる。
 雷鳴はとどろく。風と口論しながら、波は怒りの泡をとばしてうめきたてる。見よ、風は波の群れをしかと抱きしめて、そしてあらあらしい怒りをこめて、えいッと、力まかせに岩にぶっつける。と、エメラルド色の大きな波はしぶきとなってとび散る。 
 海燕はさけびながら、黒い稲妻のように飛びはためき、矢のように雨雲をつらぬいては、白い波の花をつばさでひき裂く。
 見よ、彼は悪魔のようにかけまわり、そして高らかに笑ったり、泣いたりしている・・・・・・それは雨雲をあざ笑い、またよろこびにむせび泣いているのだ!
 雷鳴の怒りのなかに、耳ざとい悪魔ーーー海燕は、もう前から疲労の吐息を聞きとっている。かれは雨雲が太陽のおおいかくすことのできないことを信じているーーーそうだ、おおいかくすことなんか、できはしない!
 風は咆え・・・・・・雷鳴はなりとどろく・・・・・・
雨雲の群れは底なしの海の上に青い炎となって燃えあがる。海は稲妻の矢をとらえては、その泡だった波で火をうち消す。これらの稲妻の反映は、まるで火の蛇のように、海のなかにのたうちながら消えてゆく。
 ーーー嵐だ!やがて嵐がとどろくだろう!
 この大胆な海燕は、怒りに咆えたける海の上を、稲妻をぬって誇らかに飛びかけている。そして勝利の預言者はさけんでいる。
 ーーー嵐よ、さらにはげしくなりわたれ!(山村房次訳)

(読者感想文)ゴーリキとか、プーシキンとか、マンデリシュターム(1891〜1942)『ペテルブルグ、ドイツ等で文学と哲学を専攻。十代の終わり頃、革命運動に参加。まもなく政治に関心を失い、ボードレール、ヴェルレーヌを崇拝』、木村浩訳であったし。馴染みな言葉が、選択した詩にあったのは、なんか嬉しかったです😋
2021年01月22日 (金) 09時29分

[206]
名前:ほのか
『永訣の朝』 宮沢賢治

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれふびちょびちょふってくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

青い蓴菜じゅんさいの模様のついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとろうとして
わたしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじゃ)

蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとしこ
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを
・・・・・・
ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二層系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた 
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをとらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
もうけおまへはわかれてしまふ
   (Ora Orade Shitori egumo)

ほんとうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびょうぶのかなのなかに
やさしくあおじろく燃えている

わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれてくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率の天の食に変って
やがてはおまへとみんなとに
聖きよい資糧かてをもたらすことを
わたしのすべてのさいはひをかけてねがふ

(読者感想文)母は元気で居ますが、母の事をおもい、ふと、この詩を写し書きたくなりました。
 さらに、『どうかこれが兜率の天の食に変って やがてはおまへとみんなとに
聖きよい資糧かてをもたらすことを
わたしのすべてのさいはひをかけてねがふ』は、『カラマーゾフの兄弟』冒頭の「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」やアンドレ・ジッドの作品に、共通している文章であるなぁと、気づきました。あってるかな⁉『ヨハネ伝』第十二章24節のキリストの言葉でもあるのですね。
2021年01月29日 (金) 22時15分

[207] 今の気持ち
名前:ほのか
❇ 頑是ない歌 ❇
     中原中也

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
悄然しょうぜんとして身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と

眼で追ひかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質さが
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟ひっきょう意志の問題だ
なんとかやるより仕方ない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ
  (在りし日の歌』

(感想文)一応、中原中也とは、1907年 明治40〜1937年 昭和12。詩人。山口県生まれ。1929年昭和4、河上徹太郎、大岡昇平らと同人雑誌『白痴群』を刊行。ついで第一詩集『山羊の歌』を出版して、その新鮮な象徴派的詩風が注目されたが、詩集『在りし日の歌』を残して早世した。
2021年01月30日 (土) 14時01分

[208] 今の気持ち2
名前:ほのか
❇ 群衆の中を求めて歩く ❇
       萩原朔太郎

私はいつも都会をもとめる
都会のにぎやかな群衆の中に居ることをもとめる
群衆はおほきな感情をもった浪のやうなものだ
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるぅぷだ
ああ ものがなしき春のたそがれどき
都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群衆の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいことか
みよこの群衆のながれてゆくありさまを
ひとつの浪はひとつの浪のうえにかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり
日影はゆるぎつつひろごりすすむ
人のひとりひとりにもつ憂いと悲しみと みなそこの日影に消えてあとかたもない
ああ なんといふやすらかな心で 私はこの道を歩いて行くことか
ああ おほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましくなるやうだ。
うらがなしい春の日のたそがれどき
このひとびとの群むれは 建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれ行かうとするのか
私のかなしい憂鬱を包んでゐる ひとつのおほきな地上の日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも
この群衆の浪の中をもまれて行きたい
浪の行方は地平にけむる
ひとつの ただひとつの「方角」ばかりさしてながれいこうよ。
     (『青猫』)

(読者感想文)萩原朔太郎とは、註釈です。
 1886年(明治19)〜1942年(昭和17年)。詩人。群馬県うまれ。室生犀星と詩誌『感情』を創刊。孤独と不安を感覚的にイメージ化する独自の詩風をもって口語自由詩を完成した。詩集に『月に吠える』『純情小曲集』『氷島』などがある。
2021年01月31日 (日) 12時44分





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