ドストエフスキーの「情報・意見」交換ボード
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〔最新の投稿記事〕

[44]コロナウィルス
名前:ほのかほのか
2020年04月22日 (水) 12時46分
《勝手な夢の話》

コロナウィルスの寿命は2週間プラス2週間の4週間と仮定する!

 飛沫が体内に入る時は赤ちゃん飛沫。2週間で青年に。2週間で成熟老人になる!

 体内に入ってしまった赤ちゃんウィルスは、飛沫として、他者に飛んでは行く!

 飛ばす本人は、赤ちゃん飛沫なので、症状は現れてない。

 体内に入ってしまった赤ちゃん飛沫の2週間の期間も、その発症の前の3日前から他者に、飛沫で接触で感染させ得る事になる!

ウィルスが1個体内に入るのか1000個体内に入るのかで、1個という事はないから、100個入るのか2000個入るのかで、人間のダメージが異なるであろう。個人個人の免疫力の強さで、ウィルスの退治力も違うであろう。

 コロナウィルスという異物が体内に入って来たから、免疫力で闘っている体内!

 老人がこのウィルスに弱いのは、免疫力の弱さを持ち得ている可能性が多いからかもしれない。

 新しくコロナウィルスが、体内に入って来ない環境ならば、4週間で、ウィルスは、死滅してくれるであろう。

 最終的の1人の感染者になってから、4週間で、コロナウィルスは、いない事になる。

 隠れ感染者は、いるかもしれない。

 最後の1人の次の日あたりに、それほど症状がなく感染して自然治癒してるかもしれない不特定多数の人がいるかもしれない。

 その人達は、4週間の期間、他者に飛沫を撒き散らしてる事になるかもしれない。

 そうすると、ワクチンが出来るまで、三密を避ける事やマスク手洗いも、今まで通りに必要なのかな!?

 免疫力のない人は、隠れ感染者になれないので、発症するであろう!治療が出来たらコロナウィルス怖くなくなるけど〜。

 これからも、このよーなウィルスに見舞われるならば、人間には免疫力が財産より必要になるらしい!それよりも140歳の長生きは無理そうだ。

 これら気分の悪さを解消する脱却策を考えないといけない。

@ワクチンを無限種類、無限個大量生産しておく事!
A無駄な効きそうもないワクチンでも、無限種類、無限個大量生産しておく事
Bウィルスとは、遺伝子🧬だけをもったものらしい。仮住まいでしか生きられないらしい。ワクチンでなく、薬💊で退治とは、ウィルスの遺伝子🧬を壊すの!?人間の免疫力を強めるのは、酸素投入と新しいウィルスを体内に入れない事!?
Cこのウィルスは、せっかくの人間の寿命を、1割減らしたいらしい。
 
 対策として模倣したウィルスを造り、やっつける新ワクチンを作り、ウィルスに勝つ。

 コロナウィルスの遺伝子数は確か少なかったから、可能性全ての組み合わせの種類のワクチンを造る。

〜夢の話〜知識もないし〜

@@ワクチンが出来るまで、自己を隔離したかったら、合理的合意的思考に基づく自主隔離の実行

@@医者のよーな防御服を身につけて、しかも三密に気を付ける社会生活

@@家に酸素装置を置いておく@@

[51] 潜伏期間の訂正と世界を知りたい
名前:ほのかほのか
2020年04月29日 (水) 03時55分
訂正⇄スウェーデンとアメリカとドイツの報道により、「潜伏期間」は、やはりなくて、人それぞれで、発症の仕方が違うらしい。

 そうすると、上記の文章は、相当《勝手な文》になってますね。

 書かずにいられない現場気分しのぎ法ですね。

 今日は、世界の人口を多さから列挙しました。

中国14億2700万
インド13億5200万
インドネシア2億6700万
パキスタン2億1200万
ブラジル2億1100万
ナイジェリア 1億9500万
バングラデッシュ1億6100万

2019年 77億1500万
〜30年後 世界の人口は100億人
    (1%台の増加でも)

@@コロナ関連で、人口の多さも気になったため@@

[63]神なき人間の行く末
名前:佐藤
2020年05月15日 (金) 21時59分
Seigoさん 
 お久しぶりです。お元気にされておられますか?
コロナウィルスの災いが未だ世界を覆いつくしていますが、カミュノ『ペスト』を振り返ったり、またカミュがドストエフスキーの『悪霊』を戯曲にしている作品を振り返ったりしているうちに、今、森有正の『ドストエーフスキー覚書』を読み直しています。
 そこでこのような記述に今更ながら心新たにして、自らの心のあり方、身の振る舞いを見直さねばと思い書き込みました。
 
<スタヴロ−ギンの精神像>からです。
「しかし、ドストエフスキーは神を失って、自ら自己の主たろうとする近代人の運命をその極限において探求したものではないだろうか。」 中略
「永遠の憂悶を植え付けられ、自己の力を浪費した末路がここに描かれている。その教えるところは人間そのものには救いがないということである。かれは自己に破滅しながら、しかもそこに実在的なものに邂逅しながら、ついに他に向かって手を差しのべることをしなかったのである。」

 人はどのような生き方をしなければならないか、改めて深く考えさせられます。考えるだけでなく、言動そのものを見直すよい時期かと思っています。

[64] >[63]神なき人間の行く末
名前:Seigo
2020年05月17日 (日) 23時08分
ほのかさん、うなぎ犬さん、
佐藤さん、
をはじめ、皆さん、来訪、どうも。

生活と仕事においてその迷惑を被っているものの、新型肺炎コロナには侵されず、お互い、元気そうで、なによりです。
コロナ騒動ついては、もちろん今後油断は禁物でしょうが、予想した通り、日本では、各方面での我慢と実行により、どうやら、今後、終息に向かうようですね。

自分は知ったのですが、東日本大震災ののちは、ありがたくも、ある高度な勢力が日本を中心に出現して地球においてひそかに高次元の活動と働きかけを展開していて、台風・大雨と水害・地震・ウイルス感染などの近年の自然災害災厄の見舞われを阻止・緩和していくことで日本国を守ってくれている模様です。


佐藤さんが今回触れている、
『悪霊』のスタヴローギンという登場人物にはどこに問題があるのか、
ということについては、自分も、今も、私自身が少なからず抱えているテーマ・問題として他人事とは思えず、その問題意識は尽きず、折に触れて、スタヴローギンのことをいろいろと思い、考えているところです。

佐藤さんが紹介している森有正氏のスタヴローギン論については、その他のドストエフスキー研究諸氏の見解とともに、興味は尽きません。

ヘルダーリン(ドイツの詩人)が、いみじくも、
「ただ一人でいること、神々なしにいること、それこそが死である。」
と述べていますが、
スタヴローギンにおける「神の不在(神無しに自らの判断と力で行なおうとしていくこと)」と「(神の不在のままの)彼の行く末」という点は、スタヴローギンという人物及び彼の問題点を考えていく上で、重要な観点でしょう。
ほかに、ドストエフスキーがアンチテーゼとして、他の謙譲な登場人物に語らせた言葉、たとえば、
「神のない生活は――苦しみでしかないのだよ。」
(『未成年』のマカール老人の言葉)
なども、大きなヒント・アドバイスになるでしょう。
上で「神々なしにいること」「神のない生活」という表現が出てきましたが、ドストエフスキー自身が時に用いた「神の無い〜」「神無しの〜」「神無しに〜」という表現は、このテーマを深めていく上でのキーワードだと自分は思っています。

佐藤さんのさらなる見解をはじめ、研究者の皆さんの見解を参考にしていくことを通して、ドストエフスキーが提起した、スタヴローギンという人物の憂愁(虚無感・倦怠)・悩みの原因(背景)・事情とその解明・解決・救いの糸口や人のあり方のことを、さらに、深めて、理解していけたらと思っています。


☆古今のドストエフスキー研究者のスタヴローギン論
〔ページ内のぶん〕

『悪霊』でドストエフスキーがスタヴローギンという人物を描いた意図(1〜21)
〔過去に掲示板で行なった意見交換のぶん。12年前のぶんですが、佐藤さんも参加してくれていますね。〕

[50]雑感
名前:Seigo
2020年04月27日 (月) 20時10分
ほのかさん、
一連の投稿、どうも。

ほのかさんの投稿に対してレスしようと思いながら、一ヶ月ぶりの投稿となりました。
世間ではコロナ禍の騒動で大変ですが、こちらは特に変わりはありません。

作品を広く読みながら、生きていく上での前向きな貴重な教訓や糧を見つけていく、ほのかさんの姿勢には、いつも、頭が下がります。
新型コロナウイルスをめぐっての、ほのかさんの独自のアプローチや思いにも、興味が尽きません。

コロナ禍の行く末のことに関連させて、
最近、HPの冒頭に、

神がわれわれに悪を送るとともに、悪を征服する武器をも送る。
(カロル(イギリスの聖職者)の言葉。)
どれほどひどい状況の中にあろうと、いつでも必ず、希望の歌声は聞こえてくるものだ。
(エマーソン(米の思想家)の言葉。)
辛抱、辛抱……神の御意(みこころ)の行われんことを。
(ギッシング(イギリスの作家)の最期の言葉。)
すべては神の御手に委(ゆだ)ねられていることなので、私はお前にただ、神のお導きに期待をかけながらも、 自分でもせいぜい気をつけるようにする、とだけ答えておく。
(ドストエフスキーの書簡集より。)

などの言葉を掲げてみました。

海外の各国もコロナ禍で大変ですが、日本も、各方面の英知と忍耐と努力と細心の注意で、コロナ禍の事態が終息へと向かうことを強く願うばかりです。


  ★   ★   ★

コロナウイルスとの関連で、伝染病禍と人々の対応を扱った小説として、
・カミュ『ペスト』
・デフォー『ペストの記憶』

が話題になっていますね。

スペイン風邪やペストなど、100年周期で世界的に伝染病やウイルスの感染・蔓延によるパンデミックが生じて各国で多くの犠牲者を出しているということを、今回、関連して知りましたが、それらの過去の体験や対応からも学んで、それを生かしていくことが大切なのでしょう。


[52] 怖さを凌いでます
名前:ほのかほのか
2020年04月29日 (水) 04時00分
空想ごとで、怖さを凌いでます。

だんだんと怖さも、理解できてきました。

[53] 理知的頭では
名前:ほのかほのか
2020年05月04日 (月) 00時49分
@老人ホームは、65歳以上しか入れないんだから、院内感染で、多くdead
A入院中の患者は、やはり、年齢に比例して、若者より、年寄りの方が多い。しかも、日本の人口は、高齢者が多いとなると、自ずと、deadは、高齢者が多くなるし、目が見えなくなるほどの重度な糖尿病患者とか、血液ドロドロの高血圧者は、あらゆる面で、どんな感染にもリスクが高いと思う。

[60] ドキドキの感染者数自分でやらねばならぬ事はある!
名前:ほのかほのか
2020年05月10日 (日) 10時46分
『[ハワイのバカンス]

 3日おきとか!?05/05子供の日の昨日の晴天に、徒歩で買い物に行きました。セブンイレブンやスーパー。普段買うことのない甘いスウィーツや柏餅。甘いものを沢山食べて、その分太るのを解消するために、部屋の大掃除です。
 《コロナ》となれば、捨てる選択肢は簡単です。
 《生きるか死ぬかのコロナ》であれば、不用品の捨てるかどうかの選択肢は簡単です。
 《死》というものは、自分の好きなものを、明確にさせてくれて、《勿体ない》という物事の概念が消去されます。《元気付けてくれるもの》だけが、自分の身の回りにあれば良いから、ザックザックと、捨てる事の出来る心身になったようです。
 家の中も《コロナ》に勝つために、清潔に!と。方向転換です。スーパーの帰りには、かならず、薬局に寄って、生活用品を買い漁り、清潔さの勉強です。

 05/05 『子供の日』家を出ると、青空。しかも、静か。歩いてる人達は、マスクを付けてるから、静かだし。大体が、1人で歩いてるし。2メートルの距離あけだから、なんか、のんびりするし。道路で立ち止まって喋ってる人がいないから、こちらにストレスもなく、2人連れも、子供と歩いてる人もなんか、のんびりと歩いてるし。ハワイに、バカンスに来て、ハワイかなぁ〜という《錯覚》も、私の心に、ちらほら。

 スーパーに行くと、外に人が待ってたりして、スーパーの中の買い物は、なるべく少人数でとの、結果かな!?

 スーパーの中も、1.5メーター間隔なのか、皆人間が行儀良くみえる。慌てて、買ってる人や、沢山買い占めてる慌てふためいた顔も無いし。ある場所に立ち止まるのがいけないのか、立ち止まってる人もいないし。サッサっと、買い物を切り上げる感じで、スーパーで、時間潰しの人もいないし。皆の買い物かごは、案外少なめの量。

 以上の結果から、東京バカンス風。ハワイに、バカンスに来てる今時間かしら〜という思いが頭をよぎる体験をしました。

 それと、子供たちが、勉強とか塾とかから、解放されて、のんびりしてるんだろーな。とか、親子で、密な時間を過ごして楽しいだろうなとか。学校休みって、勉強し過ぎ、仕事し過ぎの日本人には良いのではと、《押し付け勉強嫌い》の私は、思ったのでした。そういうわけで、私の気持ちは、ますます、のんびぃ〜りと、なごむ空間時間にベクトルは向きと、力を向けてます。

 これからも、1年に2ヶ月くらいの、何もしてはいけない期間。電車や飛行機✈を、乗ってはいけない期間。人が作った機械的な装備の遊園地で遊んでは🎡🎢いけなくて、徒歩圏の砂場とか単なる散歩とか🚶だけが良いという2ヶ月!を、設けたら。暢気で良いからです。日本国中、世界中が、暢気な時間の共有。

 労働時間も厳しく制御し短く。夏休みも春休みも冬休みも何もかも長くして、《ちょっと立ち止まって、人生を、本当に謳歌する時間、あるいは、退屈を愉しむ時間に強制的にする》は、いいなぁと、ポジィディブ思考です。

 家の中の清潔さも、意味のある事だったし、コロナで。外で立ち止まって、わぁわぁお喋りもいけない事だったし。電車の中の大声で喋るのもいけない事だったし。
 スーパーで、我先にと、走るおぞましさもいけない事だったし。

 案外、人間は、2メーターおきに歩いたり、マスクをして必要ないお喋りをやめたり、レジで1メートル間隔で、ちゃーんとレジ待ちをしていたり、つまり、上品な生き物なんだなぁーと、感じ入りました。感激しました。

 ずっと、ハワイっぽい感覚でいられますように。🙏 
2020年05月06日 (水) 11時29分』

* * * * * *

『[一喜一喜⇄東京]

2020/05/05につづいて、今日も、ハワイ🌺🍹のヨーナのんびりとした、バカンス風〜空間な居空間です。

昨日の東京感染者数の半分減少風があり、気持ちは、穏やかになります。
2020年05月08日 (金) 11時50分』

* * * * * *

『[縄文時代の人間とドストエフスキー]

 コロナ関連のBSとかNHKプレミアムの再放送テレビとか。コロナ関係は、必死に見てました。怖いから。

 サーズの4年くらい前の放送も見ました。既にその時に、パンデミックの警笛を鳴らしてました。不勉強の私に、驚愕です。

 そして、たまたま『縄文時代の日本人の事』の再放送があって、その放送の一部分だけが、私の記憶に残ってます。何かというと〜。
🌲
〜放送の一部と、勝手な類推〜

《縄文時代のお墓の外傷のないミイラ。傷がない骨ということは、日本人の祖先は、人を傷つける事が出来なかった。とっても、優しい遺伝子を持っていて、外傷の無いということは人を傷つけることの出来ない人間の造り、DNAであること》

《日本人!がんばぁーれ!》と、私は、言ってしまった。

《優しさにおいては、特段の優しさを持ちえている日本人が、地球🌏を平和にする道標に、なり得そうだぁ!》乾杯🥂〜

 私は、あらためて、人間の造りの、同意を得たなぁという嬉しさを得ました。

 ドストエフスキー氏も、優しい人間。つまり、人間を優しく見つめて、人を傷つけない。
2020年05月08日 (金) 14時21分』

[34]〜朦朧〜
名前:ほのか
2020年04月13日 (月) 15時42分
『陰影礼讃』 谷崎潤一郎

==読み始めの引用==

「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ずおもやおもやから離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻うなりさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しとしとと降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたたり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつつ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おりおりの物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう。されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。これを西洋人が頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方が遙かに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。強いて欠点を云うならば、母屋から離れているために、夜中に通うには便利が悪く、冬は殊に風邪を引く憂いがあることだけれども、「風流は寒きものなり」と云う斎藤緑雨の言の如く、ああ云う場所は外気と同じ冷たさの方が気持がよい。ホテルの西洋便所で、スチームの温気がして来るなどは、まことにイヤなものである。ところで、数寄屋普請を好む人は、誰しもこう云う日本流の厠を理想とするであろうが、寺院のように家の広い割りに人数が少く、しかも掃除の手が揃っている所はいいが、普通の住宅で、ああ云う風に常に清潔を保つことは容易でない。取り分け床を板張りや畳にすると、礼儀作法をやかましく云い、雑巾がけを励行しても、つい汚れが目立つのである。で、これも結局はタイルを張り詰め、水洗式のタンクや便器を取り附けて、浄化装置にするのが、衛生的でもあれば、手数も省けると云うことになるが、その代り「風雅」や「花鳥風月」とは全く縁が切れてしまう。彼処がそんな風にぱっと明るくて、おまけに四方が真っ白な壁だらけでは、漱石先生のいわゆる生理的快感を、心ゆく限り享楽する気分になりにくい。なるほど、隅から隅まで純白に見え渡るのだから確かに清潔には違いないが、自分の体から出る物の落ち着き先について、そうまで念を押さずとものことである。いくら美人の玉の肌でも、お臀や足を人前へ出しては失礼であると同じように、ああムキ出しに明るくするのはあまりと云えば無躾千万、見える部分が清潔であるだけ見えない部分の連想を挑発させるようにもなる。やはりああ云う場所は、もやもやとした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧もうろうとぼかして置いた方がよい。まあそんな訳で、私も自分の家を建てる時、浄化装置にはしたものの、タイルだけは一切使わぬようにして、床には楠の板を張り詰め、日本風の感じを出すようにしてみたが、さて困ったのは便器であった。と云うのは、御承知の如く、水洗式のものは皆真っ白な磁器で出来ていて、ピカピカ光る金属製の把手などが附いている。ぜんたい私の注文を云えば、あの器は、男子用のも、女子用のも、木製の奴が一番いゝ。蝋塗りにしたのは最も結構だが、木地のままでも、年月を経るうちには適当に黒ずんで来て、木目が魅力を持つようになり、不思議に神経を落ち着かせる。分けてもあの、木製の朝顔に青々とした杉の葉を詰めたのは、眼に快いばかりでなく些の音響をも立てない点で理想的と云うべきである。私はああ云う贅沢な真似は出来ないまでも、せめて自分の好みに叶った器を造り、それへ水洗式を応用するようにしてみたいと思ったのだが、そう云うものを特別に誂えると、よほどの手間と費用が懸るのであきらめるより外はなかった。そしてその時に感じたのは、照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、と云う一事であった。

 ==読み始めの引用文の終わり==

[35] あ〜 のんびりする
名前:ほのか
2020年04月17日 (金) 19時29分
『陰影礼讃』 谷崎潤一郎

〜引用開始〜
「だから私は、自分の家で四方の雨戸を開け放って、真っ暗な中に蚊帳を吊ってころがっているのが涼を納いれる最上の法だと心得ている。」

〜引用文の終わり〜

(感想文)
 作家谷崎潤一郎先生は、普通の自然派のこんな風な先生だったのか!っと、他の著書も読みたくなりました。《しーーんとした夜の風景の中での細い音量の虫の音を落ち着くと好み、どぎつい明かりを嫌う姿勢、《灯り》は好きな自然派感覚嗜好の谷崎潤一郎は、私も同意です》


[36] 『罪と罰』のスヴィドリガイロフ
名前:ほのか
2020年04月17日 (金) 21時22分
『恐怖』 谷崎潤一郎
 
〜引用文〜

『罪と罰』の中の Svidrigailoff のように、「私は大阪へ行くんだから。」と


〜引用文の終わり〜

(感想)
 小説『恐怖』は、ほとんど、わからなかったけれど、『罪と罰』のスヴィドリガイロフが、出てきました。

[17]『罪と罰』結論風【自分の信仰なり神を見つける事】
名前:ほのか
2020年03月18日 (水) 14時17分
『罪と罰』

ラスコーリニコフとポルフィーリーの会話

米川正夫 訳

《わたしはあなたをこうみています。あなたはただ信仰とか神とかを見つけさえすれば〜,だから、早くそれを見つけなさい、そうすれば生きていかれますよ。》

小沼文彦 訳
《私はあなたをこんな人間だと思っていますよ、〜ーーーただし自分の信仰なり神なりを見出しさえすればですね、たから、それを見出すことですよ、そうすればずっと生きて行けるでしょうよ。》


[21] 『創意の欠如』⇄『自分の頭で考える』
名前:ほのか
2020年03月25日 (水) 13時00分
【自分自身の頭で考える】

@『白痴』の第三編の始まりの方から転記

《じつは単に実務的な人物について話したかったのてある。たしかに、臆病と創意の欠如とが、今日までつねにわが国において、実務的な人物の、重要にして最善の特質と考えられてきたし、現に今日でもそう考えられていることは、もはや疑いのない事実である。しかし、こうした意見を単に非難の意味にとるならば、わが国ばかりを責める理由はないはずである。創意の欠如ということは、世界各国において、大昔から今日に至るまでつねに敏腕な事務能力のある実務的な人物の第一の資格であり、最上級の褒め言葉とされてきたからである。いや、少なくとも九十九パーセントまでの人は(しかも、これはいちばん少なく見つもっての話であるが)、つねにこうした思想の持ち主であり、ただ残りの百分の一が、つねに別の見解をいだいてきたし、現にいだいてもいるのである。
 発明家とか天才とか言われる人びとは、世に出はじめのころは、ほとんど例外なく(またその大多数は晩年に至るまでも)、世間からはばかとしか見られなかったものである。》

[23] 【創意の欠如】⇄【自分自身の頭で考える】
名前:ほのか
2020年03月25日 (水) 13時14分
【自分自身の頭で考える】

@『白痴』の第三編の始まりの方から転記

《じつは単に実務的な人物について話したかったのである。たしかに、臆病と創意の欠如とが、今日までつねにわが国において、実務的な人物の、重要にして最善の特質と考えられてきたし、現に今日でもそう考えられていることは、もはや疑いのない事実である。しかし、こうした意見を単に非難の意味にとるならば、わが国ばかりを責める理由はないはずである。創意の欠如ということは、世界各国において、大昔から今日に至るまでつねに敏腕な事務能力のある実務的な人物の第一の資格であり、最上級の褒め言葉とされてきたからである。いや、少なくとも九十九パーセントまでの人は(しかも、これはいちばん少なく見つもっての話であるが)、つねにこうした思想の持ち主であり、ただ残りの百分の一が、つねに別の見解をいだいてきたし、現にいだいてもいるのである。
 発明家とか天才とか言われる人びとは、世に出はじめのころは、ほとんど例外なく(またその大多数は晩年に至るまでも)、世間からはばかとしか見られなかったものである。》

[25] 『白痴』アグラーヤのムイシュキンへの言葉
名前:ほのか
2020年03月25日 (水) 13時37分
【アグラーヤの言葉】

【「ここにはそんな言葉を聞く値打ちのある人なんか、ひとりだっておりませんよ!」アグラーヤは、むきになって言った。「ここにいる人はみんなみんな、あなたの小指ほどの値打ちもないのです、あなたの英知にも、あなたの感情にも!あなたは誰よりも潔白で、誰よりも高潔で、誰よりも善良で、誰よりも賢いかたなんです!‥‥‥ここにいるのは、あなたがいま落したハンカチをかがんで拾いあげる値打ちすらない人たちなんです‥‥‥なんのためにあなたはご自分を侮辱して、誰よりも低いところに自分をお置きになるのです?なんだってご自分の持っていらっしゃるものを、すっかり歪めておしまいになったのです、なぜあなたには誇りというものがないのです?」》 木村浩 訳



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