「結婚、おめでとう!」
打ち鳴らされるクラッカー。
金銀色とりどりの紙吹雪を浴びるのは、晴れの日を迎えた二人。ビックリしたようなその顔が、私達に気付いてたちまち笑顔になる。
嬉しそうだった。心の底から……幸せそうな、笑顔。
「あ……ありがとう!わざわざ来てくれて……みんな……」
彼に寄り添って涙ぐむ彼女。でも、その顔から嬉しさが消えることはない。そんな彼女に、連れ添った彼が囁く。グレイのタキシードを着た彼の、よかったね、という優しそうな声が聞こえた。それを聞いて、彼女がさらに瞳を潤ませる。
「うわー、もう二人とも。アっついんだから!」
「若旦那さん。昔からこんな泣き虫な子だけど、どうかよろしくお願いしますね!」
「そうそう。ここだけの話ですけど、昔っからこの子、嘘泣きが得意だったの。気を付けないと、甘やかし過ぎて家の財政が傾くかもしれませんよ?」
まわりを囲んで、どっと笑うクラスメイト達。
「も、もう……ひっどーい!そんなことないよ!だって、嬉しかったんだもん……」
頬を膨らませて抗議する彼女と、大げさに驚いてみせる彼。はしゃぎたてるみんなをよそに、こんな子だったかな、と私は高校時代を回想した。でも、やっぱりというか、記憶が定かじゃなかった。
「ねぇねぇ水月。水月も、何か言ってあげなよ!」
「そうそう。ほらクミ、我がクラスのアイドルにして、全校女生徒の憧れだった速瀬だよ!覚えてる?」
不意に私は腕を引っ張られ、彼女……新婦の前に突き出された。私と彼女をニヤニヤと見守るかつてのクラスメイト達に非難の視線を送りつつ、一応、かしこまって彼女を見る。
「は、速瀬さん……本当に……来てくれるなんて……」
感極まったように目頭を押さえる彼女。招待状を出しておいて、とは少し思ったけど、さすがに突っ込む気にはなれなかった。や、と片手を上げて、笑ってみせる。
「クミ、久しぶり。呼んでくれて嬉しかったよ。でもさ、ホント奇麗だね……とっても。」
笑って素直な感想を口にすると、彼女は何か嗚咽のような声を上げて両手で顔を覆ってしまった。何だか泣かせてしまったみたいで、思わず焦って周囲を見る。他のクラスメイト達は傍観しているだけだったけど、彼が……彼女の伴侶となる男性が助け船を出してくれた。
「ほら、泣かないで……彼女の高校時代の友達ですね。お話はかねがね……クラスのリーダーとして誰からも頼りにされて、彼女も学校行事などで、本当にお世話になったそうで。」
緊張でガチガチの彼女に比べて実に落ち着いた感じの旦那さんは、彼女をいたわりつつ私にうなずいた。
「あ、いえいえ。そんなこと、ないですよ。お世話なんて。あっはは……」
笑う。少しだけ空笑いになってしまったのは、実は私が、彼女のことをほとんど覚えていなかったからだ。もちろん、クラスメイトの一人として記憶してはいた。でも、他のクラスを含めて私は友達がかなり多かったし、自慢するつもりじゃなくて、あらゆる意味で校内ではちょっと浮いた存在だった。だから、彼女のことを強く意識したことなどなかったのだ。
「あの、私、速瀬さんに……水泳してる速瀬さん、ずっと素敵だなって思ってたから……でも、あの、来てくれるなんて思わなくて。だけど、みんなが、大丈夫、連れてくるからって……だから、ごめんなさい……」
何だかろれつが回らない感じで、彼女が言う。ようするに私が結婚式に来たことを喜んでくれてるんだろうけど、ここまで感激されるとさすがに当惑してしまう。もちろん嬉しくないわけじゃなかったけど、それが水泳に関する事柄だったから、私は微妙な笑いを浮かべて首を振った。
「やだなぁ、そんなに感激しないでよ。それより彼、カッコイイ人じゃない。でもあなただって、白いウェディングドレスがすっごーく奇麗だよ?うん、まさにお似合いね!」
悪戯っぽく片目を閉じて見せると、彼女がかあっと赤くなって彼を見た。彼は神妙な顔でそれにうなずき返して、彼女が嬉しそうにまたうなずく。その物言わぬ会話に、私は思わず吹き出してしまった。
「あっはは、愛する二人は以心伝心って感じ?もう、幸せいっぱいで、憎いわね!」
「そ、そんなこと……速瀬さん、ありがとう。速瀬さんも……その……」
「ん?何?」
「あの、その……髪、切ったんですよね。ショートになって、私とってもビックリしたけど……似合ってます。大人っぽくて……」
照れるように彼女が言う。私はといえば、思わず口ごもってしまった。
「あ、う、うん……そう?ふふ、ありがと。涼しくていいよ、襟元とか……あと、手入れも楽だし。あはは!」
首筋のチョーカー……小さなロザリオに触れて、笑う。
白陵柊学園時代、良くも悪くも私のトレードマークだった長い髪。
切った当時は、もう知り合いに会うたびに何か言われていたけど、今日のはずいぶん久しぶりだったので、ちょっとだけ焦ってしまった。
そんな私達の所に、横から親戚らしい招待客が現れた。注意が外れた隙に、私はその場から歩み去る。後ろ髪を引かれる、という言い回しはふさわしいのかふさわしくないのかわからないけど、何か逃げるような気がしてしまった。でも、それよりもこの場に居続けてせっかくの雰囲気を壊したくなかった。
クラスメイトの晴れの日。披露宴が始まるまでもうすぐだ。結婚式を終えた親族と、私達のように披露宴から加わる招待客とで、ホールはごったがえしていた。百人はいるだろうか。かなり大がかりな式だった。
「水月ぃ、どうだった?」
「あの子、変わったよねぇ。」
「でもさでもさ、高校出て二年……専門学校出てすぐ結婚なんてさ。うーん、理想的なルートだよねー!」
私と同じように他の客に場を譲ったのか、かつてのクラスメイト達が追いついてきた。てんでにデジカメや何やらを持って喋くりあっている。私はその真ん中で肩をすくめた。
と、そこに身だしなみのいいウェイターが現れた。彼の手にはトレーがあり、その上にはシャンパンやその他のお酒が乗っている。会話は自然と中断し、私達は彼が薦めるそれらのドリンクを吟味して、それぞれ手にした。
「まぁ、ね。変わったっていうか……幸せそうだよね。私も……」
私が選んだのは薄桃色のカクテルだった。その透き通った液体を少し眺めて、私は何気なくさっきの質問に答えようとした。
「ねぇねぇ、今のウェイターさん!見た?」
「見た見た!カッコイイよね……ね、いくつくらいかな?大学生くらい?」
「二十五、六じゃないの?カノジョ……いるんだろうなぁ。いいなぁ。あーあ、あんなカレシが欲しいよぉ!」
私の発言など誰も聞いていない。今のウェイターの容姿や何やらについて喧々諤々と話しはじめる彼女達。私は息をついて、手にしたカクテルを一口含んだ。
学生時代から思っていたけど、どうしてみんな、こういう話が大好きなんだろう。三度の食事より……って言い方はどうかと思うけど、私にはどうにも理解できない。だけど同い年の女の子のほとんどが、こういう習癖を持っていたっけ。私はそれがちょっと不思議で……うらやましかったことも、あったかもしれない。
でも、考えてみれば、それはこういう異性についての話題に限ったことじゃなかった。クラスでみんなと話していても、どうも趣向というか、発言のスタンスが違うと思うことは多かった。まぁ、あの頃の私はライフスタイルがイコール水泳だったから、それ以外のことなんてかまけている時間なんてないのが実情だったし。
それでも、決して友達は少なかったわけじゃない。それは、今日久しぶりに再会したクラスメイト達の私への態度で再認識していた。それが嬉しくもあり、同時に……どこかで、かすかに引っ掛かりのような感覚を生んでいた。小さいけど、重苦しい……陰りのような、何か。
友達、か……
「ねぇ、水月はどう?彼、何点くらい?」
いきなり二の腕をつつかれる。私は手にしたカクテルグラスを落としそうになって、バランスを取りながら話し掛けてきたクラスメイトに向き直った。
「え?何点って……何が?」
「点数よ、点数!彼、さ……うーん……八十点はカタイわよねぇ?」
「んにゃ、水月は採点辛そうだからなぁ……三十点、とか真顔で言いそう。」
どうやらさっきのウェイターについての話が盛り上がっていたらしい。私は呆れる。
「あのさ、あんた達……今日は同窓生の晴れの結婚式でしょ?そこでオトコの品定めしてどうすんの?まったく、飢えた獣じゃないんだから……」
呆れ顔のままカクテルを傾けると、彼女達は一斉に非難の叫びをあげた。
「なによ、ひっどーい!」
「こら、甘いわよ水月!そんなことじゃ、いつまでたってもいい男、捕まえられないわよ!」
「そうそう。友達の結婚式ってのはね、彼氏の同級生とか親戚の人とか会社の同僚とか……まだ見ぬ殿方と知り合いになる、絶好の機会なんだから!」
「そう!こっちも大枚はたいてるんだから、それくらい役得よ役得!」
「あ、あのねぇ……あんた達……」
肩をすくめて首を振ると、私は身を翻して大きな窓の外に見えるビル街を眺めた。地元から電車で二時間、大きな街だった。
「あー、一人だけ余裕ぶっこいちゃって!コラ、水月!」
「ふん。まぁ、そうでしょうね。速瀬はとっくにオトコ、いるもんね。」
「え!なにそれ?知らないわよ私!」
「ホント!?なになに、ユカ、それホントなの?」
聞き捨てならなかった。驚いて彼女を……かつてのクラスメイトの一人を見る。彼女は眼鏡を少し正して、フフンという顔でほくそ笑んだ。
「実は私、見ちゃったのよねぇ。水月が街でオトコと二人、手を組んで歩いてたの。しかもそれがさ、もう二人でラブラブオーラ全開状態で。私、声かけようと思ったんだけど、あまりのラブラブっぷりに近付けなかったくらいなんだ。」
「えー!」
「ウ、ウソっ!?水月、ホントなの?」
「キーッ!この裏切り者ー!」
「ねぇねぇねぇ、相手は誰?どんな男なの?会社の同僚?」
私に詰め寄るみんな。あちゃー……私は内心で頭を抱えた。見られた……いつのデートだろう、と記憶をピックアップする。でも、その数の多さに唖然としてしまった。
「そ、そんなことないよ……ラブラブだなんて。ねぇ、ユカ、でまかせ言ってるでしょ?」
カマをかけてみたのが、ヤブヘビだった。彼女は、それを待っていたかのようにニヤリと笑ったのだ。
「ふふーん。あ、そう。まぁ、いいけど。実は私、相手が誰か……名前も知ってるんだけど、な……?」
「え、ええーっ!」
「本当?だれ?誰なの?ユカ、教えて?」
「ネタは上がってるんだ!水月、自分から白状しちゃえ!」
「うわー、あの水月がオトコとベッタリですか……意外。マジで意外。」
あれよあれよというまに、目の前で告白コールが始まる。何か暑い。空調を調節すべきじゃないの、とどこかで思う。
「ねえ、どうしたの……?」
と、そこへやってきたのは、よりにもよって新郎新婦だった。
最悪だ。私は逃げ道を探す。だが、周囲はクラスメイトでびっしりと固められている。
「あ、聞いてよクミ!あなたの愛しの水月に、もう意中の男性がいるって!」
「そうそう!しっかもラブリーオーラ全開で、もう通い妻で半同棲状態なんだって!」
「ど、同棲までしてるの?うっわー!」
「くっそー、水月!裏切りものぉー!オトコ作る時は全員一緒だって、修学旅行の夜に誓ったじゃないかー!」
あることないことでっちあげて、まさに私を置き去りにしたまま盛り上がっていく彼女達。うわっ、彼女だけじゃなくて、旦那さんも困惑してる。
「ど、同棲とか!メチャクチャ言わないでったら!そんなこと、あるわけないじゃない!」
まったく、女ってのはどうしてこう……と、自分も女であることを棚に上げつつ、私は必死にみんなを抑えようと試みた。
「あー、それじゃオトコがいるのはマジなんだ!もう、どこの誰か、さっさと白状しなさいよ!」
「だよぉ!私達に教えてくれないなんて……ううっ、オトコができたらクラスメイトなんてどうでもいいのね?ひどいわ!」
「ち、違うってば……」
まさに何を言っても揚げ足を取られる。冷静さを保つためにカクテルを傾けようとしたけど、もうなくなっていた。私は思わずおかわり……いや、グラスを返す先を探した。が、見つからない。さっき採点の的になっていたウェイターはといえば、遠目から私達を興味深げな顔で見ていた。職務怠慢だ。0点。
「はいはい、それじゃ私が速瀬の代わりに報告しましょう。実は、なんと……水月のカレは、私達の元クラスメイトなのです!」
「えー!」
「ウッソー!」
それを聞いた時のみんなの騒ぎようは、私の想像を越えていた。騒然、みたいな詞が一番ピッタリじゃないかって思う。
「ち、ちょっと!なに勝手なこと……」
私は内心で頭を抱えた。今までは結婚式というこの場を気にする部分があったけど、今はもうそんな配慮もなくなっていた。というより、余裕なんてあるはずない。
自分のこと……彼のことで、精一杯で。
ど、どうしよう……
「あ、この期に及んで言い逃れ?」
「見苦しいぞ、水月ぃ!」
「ち、違うって!だからその……」
グラスを持ってない片手を振って、懸命にみんなをなだめようとする。
でも、それがさらにいけなかった。
「あ、ああーっ!発見!大発見っ!みんな、見て!水月の手!」
「え?なに?」
「左手!左手の薬指!」
ハッと気付き、それを隠す。でも、もう既に遅かった。ううん、そんな私のリアクションが、決定的なそれになってしまった。
「えー!それって指輪?婚約してるの!キャア!」
「なんと、もうおめでたなんだ?わはは、よかったね水月ー!」
「するとすると、夏には結婚?うわー、また御祝儀とか着るものとかタイヘンだなぁ……」
「クミの結婚に、水月の婚約発表か……今日はすごいね!」
「ね、クラスメイトって誰?白状しなさいよ!言わないと、気になって披露宴が始められないよぉ?」
「うわっ、クミに先越されて、次は誰って思ってたのに……よりによって、水月なの?」
よりによってとは何よ、とか普段の私なら言い返したと思うけど、とてもそんなことをしていられる状態じゃない。
「だ、だからぁ……指輪は、その……」
高校時代だってつけてたじゃない!と怒鳴りたかったけど……それを覚えてる人は少なそうだったし、今の状態でそんなことを口にしたら、火に油を注ぐだけな気がする。
「観念しなさいよ、速瀬。あのね、みんな。水月のカレはね、実はクラスメイトだった……」
私の視線も受けたことでか、勝ち誇って周囲を見回す彼女。途端にシーン、と静まりかえる会場の一角。遠目に、新郎新婦の親戚その他……ホールの招待客の視線の大部分まで集まっていた。
私は天を仰いだ。もう、赤面なんてものじゃなかった。
ごめん、タカ……
「……覚えてるかな?あの、平慎二君なのでしたー!」
どよどよどよと盛り上がる周囲。
その中で、私一人が……呆然となる。
……え?という顔を間違いなくしていたはずの私には、どうしてか誰も気付かない。
「ウッソー、あの平くん?」
「うわぁ、うわぁうわぁ!カレなんだー!」
「なるほど!納得!」
「ねぇねぇ、平クンって誰だっけ……?」
「覚えてない?ほら、あのオールバック気味の……」
「ああ!思い出した!そういや、いっつも水月と盛り上がってたもんね!」
私自身も、ようやく何が起こったかを理解する。
そうか。きっと……間違えてるんだ。慎二君と……孝之のことを。
無理もないか。私は急に嬉しくなってそう思った。言い方が悪いかもしれないけど、孝之と慎二君は当時から二人セットで一組みたいな感じがあったし、卒業して二年……彼女の記憶の中で、二人の名前がごっちゃになっててもおかしくない。
よかった……私は、ほっと胸を撫で下ろした。でも、どうしてだろう。本当は怒らなければならない気もするけど、やっぱりこの場で真相が明かされなかったことに一安心する。
あはは、ごめんね孝之。あと、慎二君もごめん。今度三人一緒の時に、謝って……何かおごるからね。