花のような、というたとえは好きじゃない。
なぜって、花には呆れるほどたくさんの種類がある。例えば薔薇はそれだけで何千種類もの彩があり、それらは千年の歳月を経て生み出されてきたものだ。その一つ一つに作り手の思いと、育てた者の思いと、見た者の抱く思いがある。だから花全体、なんていう言い回しは貧困なイメージしかいだかせないし、そしてそれは、男が作ったものだ。女らしく、はかなき、たよわし……彼らが女に対して求めるもの、概念とでもいうべき欲求が、それに集約されていると私は思う。
一輪の、あるいは咲き乱れる花々。それは確かに美しく、観た者の心を潤すのかもしれない。甘美な芳香は、百の言葉より雄弁な誘惑の導き手となるだろう。だが彼女たちはものを言わない。自ら動くこともない。ただ美しく育てられ、必要に応じて手折られ、そして用が済めば枯れ果てるだけの存在だ。目の前の花に飽きたらどうする?男たちの誰もが答えるだろう。別の花を探すだけだ、と。
妙に力が入ってしまった。私は別に男性という存在そのものが嫌いなのではない。男尊女卑という熟語について論じたいとも思わないし、私の学院にいる自尊心だけが過剰に発達した女生徒たちのように、彼らの存在を汚らわしいものとして弾劾する気もなかった。今の世界は男社会として築かれたのだし、それは男が女より強かった結果だ、ということを理解できないほど愚かではない。もちろんその強弱は人が作り出した、社会的な定義とでも言うべき、さらにはその中の表面上の法則としての……いわば、ただの不文律にすぎない。種として男子が女子より強い、という事実などどこにもない。世界の半分は女でできており、それは有史以前から変わらない事実だ。女とは男によって作られたのではないし、彼らに奉仕するために生きる者ではない。そして同じように、男も女から作られたのではなく、繁殖のために私たちを陵辱する者ではない。私は何かを冒涜しているだろうか。そうかもしれない。
話がそれてしまった。どうしてだろう。けれど、それでもいいかもしれないと思う。私は昔から文章を綴るのが苦手なのだ。物を記す、という作業は自分の感情を冷静に分析する、という行為に似ている。そして私にとって、それは絶対に的を射た結果を生み出さない。つまり、そこには真実など書かれていないのだ。
でも、こうも思う。たとえ目の前に刻まれるのが嘘ばかりの中身としても、書かれた文字の軌跡には真偽などない。読む者一人一人にとって受け取り方は違うのだろうし、だからこそ、そこには本当の言葉だけがあると思う。記した本人以外には決して理解できないことでも、書き込まれた文字そのものが変わることはないのだから。だからそれは、口にする言葉より遥かに読み手に近しいものとして映りこんでくる。語る者の表情も、声も、姿も何も見えないからこそ、私たちはそれを個々で思索し、気付こうとするのかもしれない。誰もが一人であることに不安なのだろうか。そうかもしれない。
前置きが長くなってしまった。これではいけない。たった一人の少女のために、何ページを費やしてしまうのだろう。私は自伝などを書いているつもりはない。私の祖先の中にはそのような作業に及んだ者が何人かいた。だが彼彼女らの多くは、歳月を経て年老いた後にそれを成している。まだ二十歳にもならない私が、余生を振り返るが如き行為にうつつを抜かしていいはずがない。たとえ今の私はかつての先祖の多くと同じ立場であり、ある面で彼ら以上の地位と権力を有しているとしても、である。何より、私にはその意志がない。そんな気持ちは皆無と言ってもいいだろう。自分がそんな時間を求めていると思いたくもないし、そんな安息は私には与えられないだろうとも思う。
とにかく私は、そんな日々の中で少女に出会った。そう、花のようなというたとえが嫌いだという述懐と矛盾するかもしれないが、私がその少女を見た瞬間に思ったことが、それだった。花のような、一人の少女。今考えてもわからないが、どんな花だったのだろう。私の心に浮かんだはずのそれは。庭の花壇に咲くマーガレットだろうか。琥珀が育てている、名も知らぬ異国の色とりどりの花だろうか。わからない。
場所は会館のホール。私とその少女を引き合わせたのは、その会館を稽古場にしている、日本舞踊の師範だった。今年で齢六十八となるはずの人だけれど、まったく彩を失わない彼女。師範は私が尊敬する数少ない女人の一人でもある。その舞いは現役を半ば退かれている今も流麗で、人柄は優しいだけでなく、時に烈火の如く厳しく鋭い。私はこの稽古場に十年以上通っているが、初めて出会った時から彼女は変わっていないように見える。無論、実際にはそんなことはない。不老の人間などこの世にはいない。そう、いてはならない。
筆が少し止まった。とにかくその日、師範が私を呼んだのは、年明けの初舞で私が舞台に立つことになったという通達だった。無論人前で踊るのは初めてではないし、嫌なことでもなかったので私はそれを承知した。正直、今まで踏んだ舞台に比べても屈指の場に選ばれたことが、ほんの少しだけ嬉しかった。でも、そこで師範は付け加えた。今回は二人一組での舞台で、もう一人共に舞ってもらう相手がいると。演目も確かにそうであり、だが弟子の中でも年少組の少女がそれに選ばれたのだと私は聞いて、少し驚いた。これを踊れる子供がいるのかというのがその疑念だった。そしてその直後に、少女に出会った。そう、花のような少女と。
まとめた長い髪に白い肌。えび色の着物に淡紅の帯。ほんの少しだけおしろいを塗った頬が赤く染まっている。まだ十代に足を踏み入れたばかりなのだろう、私がうらやましく思えるほど肌はみずみずしかった。大きな、ほんの少しだけ藍を滴らしたような色の瞳が、私をじっと見つめていた。こちらが一瞬、ドキッとするような眼差しだった。そして、少女が屈む。よく整った動きだった。百人はいる年少の娘たちから初舞の舞子として選ばれたのだから当然かもしれなかったが、よほどの鍛練と教育を受けてきたのだろう。きっとそれは私同様に厳しく、辛い日々だったに違いない。この子はどうやってそれを乗り越えたのだろうか。私はこの名前も知らぬ少女の前で、ふとそんなことを考えた。
だが、そこで師範が私をたしなめた。我に返り、師範と少女に詫びる。なんということだろう。礼儀を重んずる場で、挨拶も忘れてただ立ち尽くしていたのだ。羞恥が私の中に満ち、そうしながらも体が動く。何百何千と繰り返して身に付けた行儀。きっとそれは、この少女も同じだろうと思う。
私が挨拶をすると、少女は少し驚いた顔になっていた。私の今の失敗をまだとがめているのだろうか。そう思った私の前で、彼女がまた少し頬を染めて一礼を重ねる。
春歌。
少女はそう名乗り、笑った。花のような笑顔だった。
拝啓、兄君さま。
その日の私ほど、幸福の絶頂にいた娘もいなかったと思います。
欣喜雀躍。日ノ本には福徳を運ぶ尊き七柱の神がいると申しますが、まるでその方々がお揃いでお宮参りをして下さったかのような……そう、伝え聞く傘地蔵様のお話のように、私のお屋敷の門に舞い降りて下さった幸せの女神様……神様でなく女神様なのは、やっぱりというべきでしょうか、その方がここではふさわしかったからで、決して私が男神さまをこばかにしているからではありませんわ。そうです、私の兄君さまの守護神の如く、誇り高く勇ましい白馬に乗った大神のように、平時においては寛容を旨とし民人を義と仁の下に治め、いくさ場においては武と勇において並び立つ者とてない偉大なる御方……あぁ、私もいつか兄君さまの出陣を見送り拍子木を打ち鳴らし、ねじり鉢巻きで炊き出しをするようなかいがいしい大和の女将になりたいものです。そのためにも、日々精進を忘れずにいるのですわっ。
ああ、いけない。また私としたら思いのたけのままに。筆の取るまま赴くまま、そんなことが許されるのは万人にその才を認められた歌人の皆様だけだというのに、またこのような文で白い項をいくつも無駄にして。これを遠き西欧のお祖母さまが見たら何とおっしゃるかしら。お祖母さま、春歌はお祖母さまの教えを忘れず、ヤマトナデシコとしての練活の日々を送っております。いつか訪れる兄君さまとの運命の刻……永劫のさだめによって背の君として身も心も捧げるその日のために、お祖母さまのような立派な日本女性の一員になるべく、こうして筆を走らせているのですわっ。
それにしてもあの方……そうです、あの方のことを記そうと思って今日の筆を取ったのですから、それをないがしろにするわけにはいきませんわ。ですけれど、あの方に出会った時の驚きは、とても満足に表現できるようなものではございませんでした。そう……そうです、畏れ多いことなれど、兄君さまをかの源氏の君とすれば、あの方こそ君が叶わぬ想いを寄せる藤壷の宮……薄幸なれど気高くお美しいその御身の如きに凛々しいあの方のお姿を目前にし、私はしばし言葉を失ってしまったほどでした。華美、という誉め言葉はよく使われますけれど、本当にそれにふさわしいのはお祖母さまや師範さまなどの立派な先達の皆様を除いては、あの方しかいないと思いますの。とにかくそれはもう美しく、桜のように白いお顔と紅の着物があまりに見事で、春歌は御挨拶もそこそこ、まぶしさに目を逸らしてしまったのですわ。
ですが兄君さま、そこであの方が……そう、御自分の名前を教えて下さったのです。その名を聞き及んで、私は本当、涙が零れてしまうかもしれないと思いましたの。だって……紅葉の錦、神のまにまにという歌そのままの御方だったのですから。でも、それで私、また失敗してしまって……お言葉をかけようとしても、何一つ非の打ち所のないこの方に捧げられる歌などあるはずもなく、それを察したその方は、まさに錦秋の候の言葉のまま、銀杏の葉を散らせる秋風のようにうなじにかかる艶やかな髪をばぁっとかきあげると、私の前から歩み去ってしまいましたの。
ですが私、自分が大失敗をしたことにも気付かず……ああ、どうか私をお笑いにならないで下さいね、兄君さま。ただ、その方の立ち振る舞いの見事さと、背にたなびく長い長い黒髪の美しさに、ただその場でお見送りするしかなかったのですわ…………ぽっ。
春歌はとても変わった少女だった。
誤解のないように書き加えれば、それは決して変、という意味ではない。ただ、ありきたりではない、どこにでもいるようなタイプではない、という意味だ。どうしてこんなことで念を押すのだろうかとも思うけれど、きっとそれは、どうしてもそれだけは誤解されたくないからだ。私以外が目にするはずもないこの記録の中にそんな必要はないはずで、それでもわざわざこんな書き方をしてしまうのは、私自身が自分に言い聞かせたいのかもしれない。春歌は変わった娘で、だがそれは、そういった意味ではないのだと。なんだか、こう書いてみると余計にわからなくなってしまう。つまり、私は……彼女は違うと言いたいのだろうか。違う?誰とだろう。この私とだろうか。それとも、まったく逆の意味なのだろうか。どうにもわからない。
とにかく師範に紹介されたあの日から、私は他の弟子たちと離れ、春歌と二人で稽古を始めた。彼女は驚くほど舞に練達しており、さらには師範が教えるままに上達していった。必死にならなければ私が置いていかれるほどで、年上としてそれは許されなかったが、それでも時として私の目を奪う春歌の舞いは、悔しいけれども、決して不快ではなかった。またこういう書き方をしてしまうが、彼女には確かに花がある。一挙一動、その涼やかに響く声にも一本芯が通っていた。目を引き、耳を傾けずにはいられなくなるような、秘められた何か。共に演目を学んでいくうちに、私はそんな春歌の魅力を理解していた。そしてそれは、稽古場を離れた今も消えない。目を閉じれば、すぐにでも彼女の姿が浮かんでくる。
笑う。これではまるで、私が恋をしているようだ。規則も忘れて下駄箱の中に入れられる文や、真っ赤になって寄宿舎裏で渡される封書のような、そんな文面。なんということだろう。でもそれもどうしてか、気分の悪いものではない。確かに今、私は筆を走らせながら笑っていた。こんなことは、ずっとなかったのだから。
春歌は帰国子女だった。後日その正式な家名を聞いて驚いたのだが、春歌は私の想像を越えて由緒正しい家柄の娘だった。もちろん、稽古場に通う女性のほとんどがそうであるのだが、それでも私は彼女がそんな、と驚きを隠せなかった。でもそれは、同時に感銘ももたらしてくれた。この少女もまた、私と同じさだめを背負っている。それでいて、春歌はそのさだめを重責として……いや、自ら背負う荷としてすら思っていないようだった。知らないのか、知っていてなおそうできるのか、それは今もわからない。子供だから、と言ってしまうつもりもなかった。なぜなら、彼女の意識は自らの律する部分にはなく、その挙動はほとんど全てがある一つの方向性を有していたからだ。私がそれを完全に知り得るまでにはかなりの時間がかかったのだが、そうなる前に……私は自分が春歌に抱く何かの思いの、あらゆるきっかけともなる根源を悟った。
彼女には、想い人がいたのだ。
春歌は恋をしていた。それも、並大抵の恋ごころではない。恋する想いに大小や上下差はないかもしれないが、それでも春歌の想いは尋常ではないと言い切ることができた。稽古場で、あるいは稽古前後の彼女との会話の中で、幾度か繰り返されるその素振りに疑念を持ち、師範に聞くに至り、私はようやくそれを知った。
春歌には家族とも言うべき、将来を約束された慕うべき相手がいる。師範が少し難しい顔で伝えたそれだけで、私には十分すぎるほどの確証になった。おそらく、いや間違いなく、親同士の決めた許嫁なのだろう。そして春歌はずっと昔、それこそ物心ついた時分からその相手に恋し、遠い西欧の地で想いを暖めてきたのだ。
最終的に彼女自身の口からそれを聞くに至り、私はたとえようのない……あえてたとえるとすれば、親近感、だろうか。そんな思いに包まれた。幼き日の想い。それを大切にして、だけれど、ずっと逢えないままで……それでもこの少女は、今なおその相手への想いを持ち続けている。そしてそれは、決して揺らぐことのない強固な意志だ。彼女、春歌の中でその許嫁とは、絶対の存在なのだ。私には痛いほどそれがわかった。わからないはずがなかった。
もう一つ、私にとってとても愉快なことがある。それは、彼女がその許嫁を呼ぶ敬称だ。彼女の育ちにふさわしく、とても古風な呼び名なのだが……目上の殿方を敬って呼ぶ名としてのそれが、私にはとても印象深かった。最初にそれが春歌の唇から発せられた時など、思わず耳を疑って聞き返してしまったほどだ。そして、私の問いに頬を真紅に染めて恥じらう少女の様子が、私にはどんな説明よりも雄弁にその秘めた想いを伝えてくれた。だからだろうか、屋敷に戻ったその日、一人の部屋でそれを口にしてしまった。自分の声で、それを。小さく、囁くように夕陽の庭に流れた一言。
何を書いているのだろう。もうよそう。春歌は可愛らしい娘で、そして来週はもう本番だ。彼女の踊りは完璧だが、私はまだ自信がない。そして、失敗するわけにはいかない。なにしろ、その席には彼女の想い人である許嫁、その人が来るらしいのだ。そんな席で、春歌に恥をかかせることなどあってはならない。琥珀に明日の予定を確認して、もう眠ることにしよう。
背景、兄君さま。
御機嫌はうるわしくいらっしゃいますでしょうか。
いよいよ初舞の舞台は明日です!春歌はもう、今朝から胸がどきどきしてしまって……お食事もあまり進まず、お女中の方に悪いことをしてしまいました。ですけれど、いよいよ明日が……あぁ、私如きの舞いを兄君さまや皆さまの前で見せなければならないのだと思うと、恥ずかしくっていてもたってもいられないのです。師範さまは、自信をお持ちなさい、たとえ失敗をしてもそれを乗り越える心を持ってすれば、舞いに魂はこもるのです、それに、春歌さんに限ってそのようなことがあるはずはありません、とおっしゃってくださるのですけれど……あぁ、やはり日ノ本にその人ありと謡われた師範さま、私のような未熟者をはげますためにお言葉をかけてくれたのだとは存じますが、やはり……ううん、すみません兄君さま。春歌がこのようなことばかり書いては、兄君さまに心配をおかけするだけ、とわかっているのですけど……どうしても春歌は、春歌は……晴れの日に兄君さまの前に立つのかと思うと、落ち着くことができないのです。
でも、そうしていたら……そうです、兄君さま。本当に何度も何度も繰り返すようですけれど、あの御方……秋葉さまが、私にすっと手を差し伸べて下さって。春歌は私よりずっと筋もいいのだし、貴方の大事な人のために、心をこめて精一杯舞えばそれでいい、想いは伝わるわ、って……ああっ、やはり師範さまが一目を置かれ、いずれはその名取りを得る方にふさわしく、私を元気づけてくださって。私よりずっと演舞が厳しく、御自分の練習が大変であらせられるのに、私などの指導にさらなる時間を費やして下さって……もう春歌は嬉しいのとすまないのとで言葉もなく……ですけれど、これほどまでにして下さった師範さまや秋葉さまのためにも、必ず明日の舞台では恥ずかしいところを見せないようにしなければ、と決意を新たにいたしました……ぽっ。
ああ、でも思えば秋葉さまは……兄君さま、これほど麗らかな佳人はいらっしゃいません。由緒正しい家柄にして品行方正、聡明にして沈着、まさに金声玉振を絵に描いたような、私の理想そのままのヤマトナデシコ……ああっ、決して他意のあることではありませんけれど、この世にもしも……もしも、私以外に……その、兄君さまにふさわしい姫君がいらっしゃるとすれば、それはきっと……間違いなく秋葉さまのような御方であると思いますの。目上の方にも間違いがあれば臆することなくしっかと問い返し、私のような若輩にも分け隔てなく接して下さる秋葉さま。ああ、春歌はいつの日か、あのように素晴らしい女将になれるのでしょうか。何だか失敗ばかりで、明日の舞台一つにおろおろして、食事も喉を通らないなんて……兄君さま、こんな不肖の私ですけれど、どうか見捨てないで下さいませ。きっといつか、私も秋葉さまのような……兄君さまにふさわしい立派なヤマトナデシコとなってみせますから……ぽぽっ。
ああ、もう床入りしなければならないようですわ。行灯の光から面を上げて障子をずらして見れば、遥かに見渡せる日ノ本の大地……つねづね思うことなれど、春歌はこうして兄君さまのいらっしゃる故国に帰って来たのですもの。遥かな独逸の空から私を見守って下さっているお祖母さまのためにも、私はくじけたりいたしませんわ。明日の一世一代のひのき舞台、兄君さまに恥ずかしくない舞台をお約束致しますわっ!
おやすみなさい、兄君さま。