[487] クレーンゲーム |
- こはら - 2004年04月24日 (土) 13時24分
「あ、あの人また来てる」
俺、入江昌紀は、最近仕事帰りにゲームセンターに寄って、クレーンゲームをするのがストレス発散になっていた。 公務員、それも区役所に勤めているから余程の事が無い限りサービス残業など有り得ないし、ある一定の時間になれば帰宅できる。リストラなどもないから仕事的にも将来性の面で安定してはいるが、メリットもあれば当然デメリットもあった。 内緒の話だが、公務員というのは周期的に職場の配置換えがある。性質上退職したりさせたりというのが滅多に無いから、要注意人物のブラックリストなんぞが作られてあったりなんかして、それがこっそりと秘密裏に回ってくるのだ。今年、そのリストに載っている人物が俺の所属する部署の課長になってしまった。ちなみにその要注意人物には決してリストは回ってこないシステムになっているので、本当に極秘裏に該当部署に配られる。勤続2年目にして、そいつに当たったのは不運だったなと、別の部署の同期の奴に労りの言葉を掛けられたのは遥か遠い昔の記憶のような気がする。 確かにブラックリストに載るだけの事はあり、それはそれは大変な奴だった。仕事は出来ない上に威張り散らすは、人の仕事の邪魔はするは、女の子にはセクハラすれすれ紛いのことをするは、散々たるものだ。何事にもまじめな同僚は、ストレスで胃潰瘍になりかけたりしたくらいだった。 俺は、その同僚に比べれば肩の力を抜いて仕事をしてはいたが、それでも目に見えないストレスが異様に堪っているのだと先日自分の身体で気付かされた。虫歯も無いのに歯痛が始まって歯医者に見て貰いに行くと、ストレスが原因で無意識に歯を食いしばっているから痛むのだと言われ、愕然とした。 こんなにストレスを溜めたのなんて、24年の人生の中で初めてかもしれない。 同僚の女の子達に言わせると、俺は女顔で男臭くないらしい。確かにそんなに背も高くなく、四捨五入してやっと170cmの身長だ。男らしい身体つきでもない。最近の女の子は身長が高く、ちょっと高めのヒールでも履かれようものなら途端に少し上の目線から見下ろされることがしばしばあるし、日にも焼けないから肌の色が白い。それらは昔からのコンプレックスだった。自分でも自覚はしているが、八方美人の性格というのも災いして、仕事とは別の身体的な事や性格の事でねちねちとその課長から虐められることが度々あった。 それだけなならまだしも、このオヤジ、女の子と同じようにセクハラまでしやがるのだ。冗談じゃない。 そうそう、言い忘れていたけれど、俺はゲイだったりする。多分。曖昧なのは、まだ同性と本格的に付き合ったことがないからだ。女の子は可愛いな、とは思うがそこまでだった。付き合ってキスまではクリアできても、最終的にセックスすることができなかった。今まで自分から好きかも、と思う対象全てが男だったし、きっとそうなんだろうと思う。 とは言っても、やっと最近自覚しはじめたばかりなのだが、絶対にこの上司は恋愛の対象には入らないと断言してもいい。見た目は良いのだ、見た目は。年齢の割に太ってもいないし髪も薄くない。どちらかというと好みの内に入る。だが、性格が最悪だった。 セクハラされて嫌悪感を伴うのに、奴が好みのタイプだったりするから尚のこと始末に負えなくて、ストレスに拍車がかかってきた。胃痛を起こすのも時間の問題かもしれない。 ストレスの捌け口を探し彷徨った挙句、辿り着いたのがここだった。もう通い詰めて2・3ヶ月立つだろうか。 俺の通っている仕事場からアパートまでの周辺には3箇所大きなゲームセンターがある。毎日と言って良いほどその3箇所をローテーションし、クレーンゲームに熱中していた。 今日も仕事帰りに寄ってみる。 何が欲しい、というわけでもない。的確に狙いを定め頭と感と経験を頼りに、いかに少ない金額でモノをゲットできるか、が快感なのだ。 適当に食事を取ってからだから、時間にして8時前後には店に来て1・2時間は粘っている。 うろうろと店内を物色していると、ある男が目に留まった。 「あ、あの人また来てる」 仕事帰りなのだろう。同じようなスーツに身を包み、鞄を小脇に抱えて、ある場所に佇んでいた。 俺よりも10歳ほど年上だろうか。ここ1週間ほど、同じような場所でこの人物にばったりと出くわす。時間はまちまちだったが、俺が店でゲームに熱中しているといつの間にか視界に入っていた。ばりばりに仕事が出来る営業マンっぽい雰囲気があり、学生時代は絶対に何かのスポーツをやっていたに違いない。がっちりとした体格の上に身長も高く、ハンサムだった。側を通り過ぎるカップルの女性が目を奪われているのを何度か目撃したから、俺だけが思っているわけじゃないらしい。 非常に好みだった。 けれどもナンパなどする勇気などさらさらない。ただ少し遠くから眺めるだけだ。 品物を物色するふりをして、ちらちらと男を見る。 やっぱり格好いいなあ。 もう20代も中頃に差し掛かっている。今更この男のような体格になりたいと思っても無理な話で、だからこそ余計に羨ましいと思った。 そんな事を俺が思ってるなんて分っていない男は一生懸命何かを取ろうとしている。手元を見ると、大きなクマのぬいぐるみだった。
……あれは流石に俺でも無理だよ。
品物が置かれている、男が狙っているクマで例えれば、そのクマが寝ていたり座っていたりする位置を見れば、取れるかどうか一瞬で判断できた。 あれはどう考えても無理だ。 案の定結構な金を注ぎ込んでいるようで、何度も何度も小銭を機械の中に投入している。一体いくらになったのか。 場所も無理だが、不器用というのも輪を掛けているようで、狙った獲物は出口から反対方向へと移動していく。見ているこっちがはらはらし通しだった。 「あ……そういえば理香ちゃんがパンダ欲しいって言ってたっけか」 クマの隣にパンダの山がある。同僚の女の子が今はやりのなんとかパンダを取ってきてくれと言ってたのを思い出した。 頼まれたから仕方ないと、訳の分らない言い訳をしつつ男の側に寄っていく。ガラスの向こうをみると、運が良ければ1回で取れそうな場所にパンダがいた。 手を伸ばせば男がいる。ちょっとどきどきと胸を高鳴らせながら、そっと様子を伺った。 彼女か、それとももう結婚していて、小さな子供への贈り物にしたいのだろうか、真剣な表情をして目の前のクマとにらめっこしている。口がへの字になっているのがなんとなく可愛らしいと思ってしまった。 取り敢えず目的を遂行させるために、小銭を機械に投入する。 「いくぞ~。待ってろよ~」 つい、独り言を呟きつつ、ボタンに指を置く。 ゲームにも何種類かあり、俺が手にしたのは前後左右にしかアームが動かないものだった。隣の男がやっているのは同じボタンだが、回転できる仕組みになっている。 手の形をした、文字通りアームがパンダに向かって行く。出口付近に頭がのっかっていて、そこに前後左右にそのアームを動かし、パンダの首をがっちりと掴む。すると狙い通りに行き、がったんと音を立てて目的のモノが落ちてきた。 「やった!」 「うわっ……上手い」 自分とは別の男の声がして、そちらに顔を向ける。すると、隣の男とばっちりと目が合った。ふっと微笑まれる。 「君、上手いね。羨ましい」 「いや…上手いって程じゃ。コツ、分ってれば誰でも取れると思う」 「そうかな?さっきからずっとやってるんだけど、全然駄目だよ。俺、素質ないみたいだ」 男は困り果ててそう言ってくる。 まさか、間近で会話できるとは思っていなかった。 うるさいほどに心臓がバクバク言っているのが分る。顔が赤くなっていないのだけが救いだ。 ふと目線を写すと、最初に見たときよりクマが移動していて、取れやすくなっていた。思わず生意気にも口を出してしまう。 「これ…あと500円くらい出したら取れるかも」 「えっ!本当か?」 俺の言葉に、男の顔がぱっと輝く。 「俺が取りましょうかって言いたいとこだけど、それじゃあ意味ないですよね?誰かにプレゼントですか?」 「ん、そんなとこ。じゃあ、良ければ指導してくれるかな?なんだか図々しいお願いかもしれないが。お礼はするよ。どうしても…このクマじゃないと駄目なんだ」 お礼、と聞いてまたしてもどきっとしてしまう。 この後、飲みにでも誘われたらちょっとラッキーかもしれない。 クマじゃないと駄目な理由はこの際無視しよう。可愛いクマが欲しい相手が男なわけがない。きっと女性だろうから。 「じゃあ、500円だと3回できるから、まず1回目はこの位置までアームを移動させて…」 「うんうん。移動ね…」 男は俺の言う通り素直に従い、ボタンを操作していく。 一瞬、つい手を出しかけて男の手甲に触れてしまい狼狽してしまう。 「……ごめんなさい」 「?いや、いいよ。で?これはどうしたらいい?」 「えっと……」 男は気にも止めていない。 当たり前だ。 勝手に舞い上がって浮かれているのは自分だけなのだから。 触れた指先が熱くなるのが分って、思わずぎゅっと手を握りしめてしまう。ふっと溜息をついてその熱をやり過ごす。気を取り直して、男に指示をした。すると、俺の読み通り3回目で何とかクマをゲットできた。 「うわ、感動だな。クレーンゲームでぬいぐるみを取ったのはこれが初めてだ。ありがとう」 「いえ。無事取れて良かった。3回だなんて言って駄目だったらどうしようかって内心焦ってたんですよ」 「そんな風には見えなかったけどね」 店内にあるビニール状の袋に、ゲットしたクマを入れて差しだす。 「君、時間大丈夫?よかったらこれから飲みに行かないか?お礼、したいんだけど」 誘われたらラッキーだとさっきまでは思っていたのに、いざ本当にそう言われると戸惑ってしまった。 手に触れただけでも身体が反応したのだ。飲みに行ってもし万が一酔ってしまったら、あらぬ事を口走ってしまいそうで迷う。 「あ、こんなオヤジじゃ嫌か?まあ初対面で飲みに誘うのも馴れ馴れしいか。すまないな」 俺の躊躇を悪い方に取ったらしく、男は苦笑しながら謝ってくる。 「折角だから、これだけでも受け取ってくれ。また何か機会があるかもしれないし」 名刺を渡される。 思った通り営業職だった。課長の役職が付いている。名前は「桑原裕一」とある。俺も名刺を取り出そうとして、慌てて鞄の中を探っていると男は既に背を向け歩き始めてしまっていた。
……どうしよう。
このままではきっと一生逢えないかもしれない。名刺をくれたのだってきっとただの挨拶だ。このままでいいのかと自問自答した。 飲んで、例え変な事を口走ったとしても、酔ったはずみだと誤魔化せばいい。初めから出逢いのチャンスを捨ててしまっては、どうしようもないのだ。 ただの知り合いでもいいじゃないか。 そう決めたら、自然と脚が動いていた。 「……桑原さん!」 身長が高いだけあって、リーチも長い。あっという間に距離が空いてしまったのを、慌てて走って追いかける。呼び止めると、気付いて振り返ってくれた。 「これ……俺の……名刺です。今から飲みに…行きましょう。お礼、してくださるんでしょう?」 少し驚きつつも、俺が差し出す名刺を受け取ってくれる。 「ああ、そのつもりだった。嬉しいよ。ありがとう」 本当に心底嬉しそうにしてくれている桑原さんに、俺はなんだか異様に照れてしまう。それを誤魔化すように、慌てて辺りをキョロキョロと見回した。 「い…行きましょう!どっかお勧めありますか?」 「そうだな…。なんなら俺の家なんてどうだろう?実はここから歩いて5分位の場所なんだ。上手い日本酒がある」 にっこりとそう言われて更に狼狽する。 「え……?家に、ですか?でも奥さんとかいらっしゃるんじゃ……」 「いや、一人暮らしだ。1週間前に離婚したばかりで一人寂しく夜を過ごしているよ。ちなみにこれは姪っ子にねだられた。ゲーセンのじゃないと駄目だってね」 「あ…余計な事聞いてごめんなさい」 「いや、いい。気を遣わないでくれ。じゃあ、行こうか?」 「は…はいっ」 桑原さんの言ったように本当にそこから歩いて5分の所に住んでいるらしく、案内されたのは同じ一人暮らしでも俺の住んでいるボロっちいアパートとは比べものにならないくらい豪華なマンションだった。それに部屋の中も綺麗に整理整頓されていて非常に居心地が良い。少々、いやかなり乱雑な自分の部屋を頭に浮かべてしまい苦笑する。いいなあとぼそりと呟くと、一緒に住む?と桑原さんは笑う。 何言ってんですか~と答えたけれど、本当に住みたくなってくるから止めて欲しい。 美味しいと勧めてくれた日本酒は本当に言葉通りで、いつの間にかベロベロに俺は酔っぱらってしまっていた。きちんとリビングのソファに座っていたはずなのに、背もたれにぐったりと寄りかかってしまっている。だらしがない、と怒られるかと思ったが、桑原さんは笑って許してくれ、酔って苦しいなら横になれと優しい事を言ってくれる。 「入江君は、彼女いないの?結構もてるだろう?」 「全然もてないです。あ…昌紀って呼んで下さい。入江くん、だなんてなんだかくすぐったいし」 なんか、目が回る。そう思っていると、すっと桑原さんの手が伸びてきて、ネクタイを緩めてくれた。その時首筋に指先が触れる。ほてった体に、その指先は少し冷たくとても心地良くて、そっと襟元から忍び込んでくる手の平に気付いても何も言わなかった。それどころか、気持ちよくて声が上がってしまったくらいだ。 「………ん……。くわはら…さ……ん?」 「俺の事は裕一って呼んでくれ。昌紀」 「ゆう…いち?」 「そう…良い子だね」 耳元で囁かれて、ぞくりと身体が無意識に跳ね上がった。 酔っぱらい過ぎて、体中の器官がぐにゃぐにゃになっているような感じがする。ワイシャツのボタンを一つ一つ外され肌を露わにされても疑問一つ湧いてこず、桑原さんの手が気持ち良い、それだけが感覚として残る。 「あ……んっ……。はっ……」 「昌紀……」 「あ…あ…っ」 何かの痛みと、得も言われぬ快楽に翻弄され、俺はいつの間にか意識を手放していた。
「………?」 ふっと意識が目覚めた時、何か柔らかく暖かい物が手に当たった。そろそろとその手を這わすと、ぎゅっと握りしめられた。ぎょっと驚き瞼を開けるとぼんやりとした視界の先に、誰か、いた。 それも裸で。 「………っ!」 飛び起きた瞬間、下半身のある部分に鋭い痛みが走った。何故そんな所がと、訳も分からずパニックに陥るが、身体は思考についていかず、またしてもばったりと横になってしまう。二日酔いなのか頭もガンガンする。 痛む頭を抱えつつ、周りを見渡すと見慣れない部屋で、自分がベッドに寝ているのが分かった。 「おはよう」 「あ……桑原…さん?」 ニコニコと朝の挨拶をされ、呆然とした。桑原さんは裸だった。さっき触れたのは彼の胸の辺りらしい。そして、自分も素っ裸で更にパニックになる。 「え?え?えーーーっ!?」 「そんなに驚くってことは、昨日の事は全然覚えてないのかな?裕一って可愛く名前を呼んでくれていたんだけどね」 「………う……や……なんとなく……。最初に名前呼んだとこ…までは…。気持ちよかったり…したのも何となく覚えてる…かも」 「じゃあ、俺にカミングアウトした事は、記憶にないんだな?好きだって言ってくれたのに?」 桑原さんの言葉にぶんぶんと頭を横に振る。途端に頭痛が襲ってきて頭を抱えた。
……まじかよ。
ゲイだと自覚し始めていたし、桑原さんは好みのタイプだから結果的に、自分には何の問題もないのかもしれない。だが、この人はどうなんだろう。 「二日酔いの薬を持ってこよう」 桑原さんが、すっと上体を起こしベッドに腰掛ける。その背中は、均等の取れた逞しい体付きで、思わずしげしげと見入ってしまう。 「く…桑原さんって…ゲイ、だったの?えっと…結婚してたんですよね?あれって、嘘だった、とか?」 「嘘じゃない。だから離婚したんだ。正直に生きたいと思って。だから昌紀にも声をかけた」 「……え?」 背中を向けていた桑原さんが、振り向いて真剣な表情で俺を見た。 ああ、やっぱり格好良いし、好みだと思う。 「初めて昌紀を見たのは、そうだな。2・3ヶ月前になるか。たまたま会社の飲み会の帰りにゲームセンターの横を通りかかったんだ。そこに昌紀がいた。あの時からずっと頭から昌紀の事が離れなくて……一目惚れしたんだと気付いたのは随分後だったな。とうとう気持ちが誤魔化せなくなって…一週間前に離婚した。まあ、妻は薄々おかしいと気付いていたみたいだが」 「…ひとめ…惚れ?」 「そう。どうやってきっかけを掴むか随分悩んだんだぜ?何しろ相手はずっとゲームに夢中だったからな」 俺に近づくのは、あのクレーンゲームのようにとても難しかったと間近で微笑まれて、初めて自分が捕まったのだと悟った。 あの、可愛らしいクマのぬいぐるみのように。
END

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