[474] 白い恋人 |
- テツ - 2004年04月17日 (土) 16時04分
「車が来たらすぐに降りて脇に寄るのよ。いい? わかった?」 「わかってるよ!」 母親に向かって一声叫ぶと、俺はペダルを踏んだ。偉そうに言ったもののいざ漕ぎ出すと荷台はかなり重たく、よろけて思わず足を踏ん張った。そりやそうだ。五十丁近い豆腐と、厚揚げと、その他モロモロ商品が入ってんだから。片側にハンドルを取られまいと俺は必死に前を進んだ。 昨日親父が大豆の袋を担いだとたんギックリ腰になった。今朝の仕込みはなんとか間に合ったが、自転車での行商は無理そうで、俺が代わりを買って出た。日頃手伝いなどしたこともない俺の挙手に最初訝しんだ母親は、一日ぐらいお手伝いしても成績は変わんないのにね、と笑って送りだした。 ご名答。明日学校で、高校受験の志望校を選ぶ三者面談がある。親に答案を隠す年じゃないけど、やっぱり雷はできるだけ回避したい。根回しは必要だろう? 赤で道順を記された地図の通りに俺は進んだ。ホームドラマだとぱーぷーとかいって、豆腐屋の呼び込みはラッパ笛と相場が決まってんだけど。実家は後部にくくりつけた銅鈴が合図だ。チリンチリンと鳴る音を聞きつけ、小さな平屋から出て来たおばさんにさっそく呼び止められた。 「絹こし、二丁お願いね」 顔を合わせるのが何とも恥ずかしい。俺は帽子を深く被り直し、そさくさと蓋を開けた。水面に空の雲が映りその下で豆腐が静かに沈んでる。角を壊さぬよう細心の注意を払い、差し出すボールに滑らすように入れた。チャリ、釣り銭を渡す手が震える。 「あら息子さん? まあお手伝いなの、偉いわねーー」 「どうも」 俺は返事もそこそこに立ち去った。商売なんだから少しは愛想ぐらいと後悔する。 だけど二三人と続けて相手すると、「まいどありーー」は言えないが、引きつりながらもスマイルはできるようになった。 平坦な道でもかなりキツイ。坂道にさしかかり、さすがに降りて自転車を押す。 平日の夕方だけとはいっても、雨の日も休まず親父は豆腐を売りにかけめぐる。これだけでいくらになるんだろう。本当に薄利多売だ。小売店はスーパーに押され気味の昨今だけど、有り難いことに増田商店の豆腐は上手いと評判で、店売りだけで十分だと思うけど。 いつのまにか辺の家並みが変わっていた。高台のここらへんはちょっとしたお屋敷街だ。みな忍び返しがついた高い塀をめぐらし、鬱蒼とした植え込みに中がうかがえない。 御贔屓にしてくれる奇特な家があるらしく、入り用のときは目印にハンカチをぶら下げてるそうだ。 言ってるそばから赤いハンカチが目に入る。なかなか立派なお屋敷で、勝手口ですら店の間口ぐらいはありそうだ。しばらくチリンチリンと円を描いて待っていたが、どうやら出てきそうもない。行こうとすると背後で木戸が軋む音がして、中からボールを持った若い男が出て来た。 「あ……」 俺は脇目もふらずまっしぐらに逃げた。 「待って……お豆腐屋さーーん!」 俊足の野球部エースになど適うわけがない。数メートルも行かないうちに追いつかれ、大きな身体に行く手を遮られる。 「あれ、増田?」 驚く黒崎の日に灼けた精悍な顔が、うつむく俺をさらに下からのぞきこむ。向うは甲子園を目指して白球を追いかけ、こっちは主婦相手に豆腐を売り歩く。同じ白でも大違い。それにこんなお屋敷のお坊っちゃまだとは。ああ、やりなれない事するんじゃなかった。 「なんだ増田ん家だったのか。じゃいつも売りに来るおじさんは、お父さんだよね」 「ああ」 俺はぶっきらぼうに返事すると、さっさと注文しろよ、と蓋を開けた。 「この豆腐うまいよな。大豆の風味が生きて、崩れないんだよ。親父なんか、これでビール飲むのが最高なんだって。スーパーの豆腐なんて水くさくて食えないって言ってた」 「へぇ……」 思わず俺の口元が緩む。案外庶民的なんだ。服装だって俺と同じユニクロのTシャツに、下はジャージ。あわてて履いて出て来たんだ、ババくさいつっかけ。でも背が高いと何着てもカッコいい。 三年になって初めて同じクラスになった黒崎とはあまりしゃべったことない。でもそれ以前から廊下ですれ違うとき、黒豹のように悠々と去るしなやかな背中を、うらやましくっていつも目で追っていた。 「増田、手首擦りむけてるよ」 「あ、ほんとだ。さっき車避けて、電信柱に擦ったんだな」 すると黒崎は「ちょっと待ってて」と家から絆創膏を持って来た。 「ありがとう」 手首に黒崎の筋張った長い指先が触れる。俺より頭でかい彼とじゃ小学生と大人だ。でもかばわれて悪い気はしない。 「手伝ってやるよ」 「えっ?」 「ここまで来るのも疲れただろう。まだ回るところあんだろう? ほら、代わってやるよ」 と言って俺からハンドルを奪うと、いつのまにか履き替えたスニーカーで跨がった。 「いいのか?」 「いいさ、いいさ」 振り向いた顔から白い歯が見える。ホント言うとヘトヘトだったんだ。なぜか高鳴る胸を押さえながら、俺は後ろについて走り出した。
黒崎が親父のルート以外にも足を伸ばしてくれたお陰で、遊び半分だったわりには完売した。凱旋気分で彼の家近くに戻って来た俺達は、町を一望できる丘の斜面に腰を下ろした。 「これ、お礼」 「おっサンキュー」 母親が作った試作品の豆腐ケーキ。適当に配ってこいと言われて、後で二人で食べようと豆乳フルーツジュースと一緒に残しておいた。 ウマイよコレ、と黒崎は大口でパクつく。よく動く唇がなかなかセクシーだ。 「今日三者面談でさ、増田は?」 「俺は明日だよ」 「ふーーん」 悲しい事に成績順なのだ。中の下の人間は受験前からさっそく屈辱を味わう。 「黒崎は成績いいからいいよな。府立、私立よりどりみどりじゃん」 野球名門校にだって引きがあるだろうし、スポーツ推薦で付属の私立という手もある。私立は金がかかるし、府立の頭はない。公立しか道が無い俺とは大違いだ。 「好きなのに、フラれっぱなしなんだよね」 「えっ! 誰に?」 「野球」 と言うとグビッとボトルの豆乳をあおった。ああ、白い恋人のことね。瞬時にクラスの人気女子の某の顔を思い浮かべた俺はバカだ。 「部長から担任に連絡があったんだ。A学院から特別枠推薦が保留になったって。俺。それを切り札に親を説得しょうと思ってたんだ。なのに出鼻挫かれちゃってさ……」 まいったよ、と黒崎は膝を抱え込んだ。 「でもさ、あそこだったらお前の頭だと軽く合格じゃない」 「見込みがないと見切られたとしたら? せっかく入っても伸び悩むのがオチだし」 「そっか。レギュラーとれなきゃ意味がないもんね」 いま黒崎は野球部の頂点にいるけど、所詮は地区大会優勝の中程度の部だ。黒崎以上かもしれないヤツらが 、名門校にはわんさか集まってくるんだ。上には上がいる。 女子大生にナンパされたこともある大人びた風貌。周りからちやほやされ、いつも堂々としている黒崎が、小さく背を丸め、飼い主に叱られた犬みたいにしょげている。才能あるのも大変だな、俺はこっそり同情した。 「増田は将来、何を目指してるの?」 「エッ! 俺?」 まさか突っ込まれるとは思わなかった。 「俺は……いまは受験かな」 「学科はどこ?」 「とりあえずは普通科。でも俺の頭じゃ府立は無理っぽいし、私立は月謝高いし、公立かな」 「大学は? ひょっとしてお父さんのあとを継ぐつもりなの?」 目を輝かせて矢継ぎ早に聞いてくる。よほど余裕ないんだ、コイツ。 「まだわかんないよ」 俺もため息ついて同じように膝を抱えた。 私立の工業大学に通う上の兄貴は、家業を継ぐ気はさらさらないだろう。来年受験で医学部狙っている次男は、親がさせる気はないだろう。俺が一番自然なんだが、そんなオーラを感じたことはない。家は代々続いた老舗じゃないし、どだい脱サラからはじめた素人豆腐屋。一代で途絶えても惜しくはないだろう。 でも期待されてないっていうのも、何か悔しいよな。 「じゃ、よりどりみどりじゃん」 黒崎は俺の言葉尻をとらえて揶揄する。 「可能性はどっさりあるよね」 見つからない不安も大きいけど、黒崎のように壁にぶつかるのもまた辛いだろう。どっちの悩みの方が大きいか。秤にかけても、どちらにも軍配は上がらない。 「まっ、当分受験にかけるよ。失敗したんじゃ豆腐屋も継がせてもらえないし」 と言って肩を竦ませると、黒崎は笑って励ますように俺の背中を叩いた。 「増田に話聞いてもらって、少しは肩の荷が下りたよ。付き合ってもらってありがとう」 切れ長の目でジッと見つめられて、俺はおもはゆくなってうつむく。 「そうか、よかったな」 「そろそろ帰るか」 うながされて、名残惜しいが立ち上がる。なんか手首が熱い。傷が痛いんじゃない、絆創膏を貼った部分が、心に共鳴するみたいに疼くんだ。 明日の朝、絶対横にすりついて、ヨオッ! とか言ってさりげなく挨拶するんだ。以前からの親しい友達みたいに…… 黒崎の家の前までやってきて気がついた。 「あっ、豆腐まだ渡してないよね」 「本当だ」 「どうしょう、完売しちやった。後で家から持ってくるよ、いい?」 「いまから戻って、ここまで来るのしんどいだろう。明日でいいよ」 「でも……」 明日は俺は三者面談で、復活した親父が行商に出るだろう。豆腐が、俺達を引き合わせたよすがなのに、断ち切られたらもう…… 「いいよ明日で。そうだ、よかったら家においで。俺でよければ勉強教えてあげるよ」 「ホント!」 「うん!」 黒崎は「んじゃ明日の分」と俺の手をつかんで小銭を落とした。 俺は高らかに声を張り上げた。 「まいどありーー!」
(終)
二度目の投稿です。原稿用紙約12枚。 人様へ色々批評しているわりには、恋愛ってどう書くのだっけ、と行き詰まって、リハビリのつもりで仕上げました。どうでしょう、恋心がかいま見えるでしょうか? 結局友情だけで終わってしまった気がします(汗) サラリと読んでくだされば嬉しいです。ここが足りないとの、辛口批評も大歓迎です。 どうぞよろしくお願いいたします。

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