[758] 「思いは きっと かなうから…」 |
- 美城久 - 2004年09月20日 (月) 15時13分
As we stroll along together Holding hands and walking all alone So in love are we two that we don't know what to do ・・・・・・・ (『So much in love』 song by all-4-one)
藤田秋久が住んでいる古くて狭い一人暮らしのワンルームマンションには、クーラーはついていない。(必要ならば自分でつけろということか) 大学やバイトでめったに家にいないとはいえ、猛暑で死人が出るような真夏日が続いた今年の夏は、日が暮れて帰宅しても、昼間の熱気が部屋にこもってたいへんだった。 窓や玄関を開け放しても、すぐには部屋の暑さは冷めず、仕方なく、今日も秋久はベランダにパイプ椅子をだして晩飯を食べているところだった。 (今日がハタチの誕生日なので、ちょっと奮発してデラックス弁当の晩飯である)
「なんか、年々暑くなってるような気がするなぁ。客商売だとクーラー代もケチられないってのに、どこで経費節減しろっていうんだ。」 バイト先のファミレスの店長がぼやいていた。
『いずれ、日本も亜熱帯地域の仲間入りだな』 同じようにクソ暑い3年前の夏休み、補習授業中にあの人が言っていた言葉を秋久は思い出した。
亜熱帯を飛び越えて、熱帯になってるよ、村井先生…。
---- 彼は、高校の化学の教師だった。
秋久がこれまで出会った教師は、学校と言う権威を後ろ盾にした支配的な人物か、さも生徒の味方のような素振りをみせながら、いざとなったら平気で生徒を裏切る偽善者、もしくは、義務的に生徒と接し、教師と言う職業をただこなすだけの人物ばかりだった。
だが、村井俊正は、そのパターンのどれにも当てはまらなかった。 かといって、生徒が引いてしまうような熱血な教師でもない。 自然体という言葉が、彼にはぴったりだった。 大人とみれば反抗したがる年頃の生徒達を頭ごなしに押さえつけもせず、彼らに媚びを売ることもない。 彼は、話が分かる都合のいい教師というわけじゃなく、まっとうな大人の男として生徒達に認められていたのだった。
秋久はと言うと、外見は男として甚だ頼りなげではあるが、まぁ、ごく一般的で真面目な生徒だった。 高校に入学して、彼は、文化祭で怪しげな物を作って喜んでいるクラブを見つけ入部した。 それが化学クラブで、もともと理科実験の大好きな秋久は、熱心な部員となった。
顧問は入部当初、別な先生だったが、結婚後10年目にしてようやくできた可愛い赤ん坊の世話で忙しいんじゃという理由で、途中で村井先生と交代した。 そのときまで、村井先生は大勢いる教師の一人に過ぎず、秋久も大勢いる生徒の一人に過ぎなかった。
交代初日、 「頼むから毒物だけは作らんで、俺の貧しい食生活の足しになるようなものを作ってくれよ」 「先生、ここ、料理とか作る家庭科クラブじゃないんだけど…」 呆れて突っ込む部長の言葉に、村井先生は、そうか、じゃそっち引き受ければよかったなと言って、苦笑いした。 そうやって笑うと、先生は、男らしい顔立ちを引き締めている濃い目の眉毛が少し下がって、きりっとした顔から愛嬌のある顔になった。 秋久は、こういう男の笑顔っていいよなと思って見ていた。
それは、偶然耳にした曲が、すっと自分の中に入って忘れられなくなるのに、どこか似ていた。
化学準備室の横、村井部屋と名のついた狭い物置のような部屋が、先生のお気に入りの場所だった。
ちょっとくたびれた白衣のポケットには、先生愛用の煙草。
秋久が用事でたまにそこを訪れると、村井先生は、よく一人のんびりと煙草を吸っていた。 「センセー、煙草の吸い過ぎって子種なくなるってよ」 「藤田、お前、保体で何習ってるんだ?煙草の吸い過ぎで子種なくなるなんて、初めて聞いたぞ」 どこでも、禁煙禁煙ってうるさいから、近ごろはたまにしか吸ってねぇよといいながら、着ている白衣には、すぐに分かるほど煙草の匂いが染み込んでいた。 それまで煙草とは縁のなかった秋久にとって、煙草は臭くて嫌なものでしかなかったのだが、村井先生の白衣に限って、別に嫌な匂いではなかった。 …まぁ、どんなものにも例外はある。
高2の終わり、秋久は化学クラブの部長になった。 特に優秀な部員だからというわけではなく、単にくじであたったからである。 でも、部長になると、個人的に顧問に会う用事が増えるのだ。 心ひそかにVサインとか思い浮かべる秋久だった。 もしかしたら、みんなの知らない村井先生とか見れるかもしれないなどと、いけないことを考えたりもした。
…そして、その機会は本当にあったりするのだ。
春休みのある日、新年度始まってすぐに行われる文化祭での企画書を見せに村井部屋に行くと、ボロいソファで村井先生が昼寝していた。 部員の誰かが持ち込んだCDラジカセから、耳に心地よいのんびりした曲がかかっていた。 南側の高い位置にある細い窓から、春の午後の柔らかい日差しが、のん気に寝ている先生に降り注いでいた。 先生は、ソファから長い足をはみださせ、幸せそうに眠っていた。
「村井先生、寝てるの?……?」
仰向けに寝転んだ先生の少し開いたシャツの隙間から、普通は見えない肩先が垣間見えた。 そこにひっそりとつけられた小さくうっ血したような跡に、秋久の目は釘付けになった。
----- これって……やっぱりそうだよな…。
しばらくの間、秋久は、先生の寝顔と、そのキスマーク(たぶん)をじっと、目に焼きつくくらい見つめていた。
それから、初めて見た艶かしい愛撫の跡にひかれるように、彼は思わず、先生の襟元に手を伸ばしていた。
流れる曲は何曲目かに移り、『So in love Are you and I』と繰り返し歌っていた。 まるで、高鳴る心臓の鼓動にシンクロしているように聞こえた。
So in love …ドクン ドクン Are you and I …ドクン ドクン So in love …ドクン ドクン Are you and I …ドクン ドクン ドクン
秋久の指先は、ゆっくりと下に降り、村井先生の首のくぼみに軽く触れ、その先に進もうかどうしようかと一瞬ためらい、宙に浮いた。
「んーーーん?」 そこで、村井先生は目を醒ましてしまった。 秋久は慌てて手を引っ込め、代わりに反対の手に持っていた企画書を差し出した。 「あ?ああ、来てたのか、藤田。悪い、悪い、寝ちまってたよ」 そう言って、あふーっとあくびをかみ殺しながら起き上がると、秋久から企画書を受取った。 「藤田、お前いつからいたんだ?」 先生は、まだ少し寝ぼけた声で聞いた。 「ちょ、ちょっと前です」 「なんだ、起こしてくれればよかったのに」 そう言われても、先生の寝顔と、キスマークが…、ああ、いかーん!と、混乱する秋久の頭に、さっきの曲の一部がエンドレスで流れ込んできた。 そうだ! 「な、なんか、いい曲がかかってたんで、ちょっと聞いてしまいました」 「なに?」 「えーと、確か、そー、そー、そう、ソーインラブって連呼してました」 「ああ、『So much in love』か。俺もあれ、好きなんだよな。すごいラブラブな曲なんだけど、嫌味なくて、名曲だ。そうか、藤田も気に入ってくれたのか。じゃ、CD貸そうか?」
持ってけよと言って先生から渡されたCDを、秋久はどうしようかと思ったが、とりあえずダビングして聞いてみた。
『So much in love』は、恋する二人が、手つないで散歩したり、寄り添いながら歩いたりと、いつでもどこでもいちゃいちゃしては、二人の世界に浸っているような歌詞だった。(秋久テキトウ意訳) でも、いい曲だった。 聞きなおすたび、こんなに臆面もなく恋をしていると言えて羨ましかった。
その後、何度も何度も、聞いた。 イントロクイズで出されたら、曲がかかった瞬間コンマ1秒以内に答えられるくらい、聞いた。
結局、 村井先生、好きだーっと告白する勇気があるわけも無く、藤田秋久は、何事もなく平凡な生徒として高校を卒業した。 卒業式でみんなに取り囲まれ、もみくちゃにされている村井先生を、秋久は涙と鼻水をこらえて遠くから見つめただけだった。 その前日、卒業する化学部員全員に一人一人、先生からカードが送られていた。 秋久のもらったカードには、丁寧な文字で、ハタチになったら連絡しろよと書いてあった。
卒業から1年と5ヶ月…秋久は、暑さの残る夜の町並みを見ながら、ベランダで一人、名ばかりのデラックス弁当を食い終わった。
彼は、今でも、まだ村井先生が忘れきれずにいた。 いまだに思い出したように、『So much in love』を聞いてみたりしている。
As we stroll along together Holding hands and walking all alone 秋久も出だしのところぐらいは、空で歌えるようになっていた。 strollが散歩って意味なのを、この歌で知ったんだっけ…。 鼻歌で歌いながら、ジーパンのポケットに入っている煙草を取り出した。
村井先生が吸っていた煙草。 これが、秋久の、自分へのハタチの誕生日プレゼントだった。 初めて吸う煙草を一本手にとり、バイト先でもらったマッチで火を点けた。 ぎこちなく、口に咥えて吸ってみた。とたんに、むせた。 美味いとかは、よく分からず、煙たいだけだった。 ただ、煙とともに、村井先生の白衣の匂いが見事によみがえった おれは、マッチ売りの少女か…と、秋久は一人で笑った。
あれ?と、思って、秋久は、斜め向こうのマンションのベランダを見直した。5階建ての新築マンションの3階のベランダで、揺れている白衣が目に入った。
懐かしいよな。そうだ、あんなかんじの白衣を着てたんだよな、村井先生。 会いたいけどなぁ。 今なら、先生が好きだって言えるかもしれない。 もう、別に先生と生徒じゃないし。 …でも、男じゃだめか。 どんなに思っててもダメなものってあるよな…。 一応、ハタチになったら連絡しろっていうから、もうすぐそうだって書いて、暑中見舞い出しといたんだけどなぁ。
そんなとり止めもない思いが、秋久の中を巡っていた。
急に、視線の先に人が現れた。 背のすらっと高そうな男だった。 逆光で顔はよく見えなかった。 だが、その風貌から、秋久の見覚えのある男に思えた。 彼が、ゆっくりと秋久のいる方を見た。 まさかと思ってベランダから身を乗り出すと、向こうは、こちらを向いて、手を振りはじめた。 間違いない! 白衣の揺れるベランダにいるのは、村井俊正だった。
---- いつから、住んでいたんだろう。 ---- なんで気付かなかったんだろう。
秋久は、思わず、自分を指差し、自分に向かって言っているのか確認した。 村井は、うんうんとうなづき、ためらいがちに来い来いと手招きした。 もう一度、秋久は、自分を呼んでいるのか、村井に指で聞きなおした。 村井は、はっきりと分かるように、大きくうなづき、指を使って、2と10を表して秋久の方を指差し、次に3、0、6という数字を指で示し、手招きした。
その瞬間、秋久は、吸わずに手に持っていた煙草を慌てて消して、外に飛び出して行った。 頭の中には、あの『So in love Are you and I』が繰り返し流れていた。
おわり

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