[634] ゆびきり |
- 喜多原 未遊 - 2004年07月18日 (日) 23時17分
ゆびきり
小学生のとき、ゆびきりをした。今思えばどうでもいいことだった。 けど、あのときのアイツは真剣で。何もなかった俺は悔しくて、その場で作った将来の夢。 おきまりの歌をアイツと一緒にゆびきりしながら、歌った。 アイツは、作曲家。俺は医者。
もう、何年も前のこと。学校で作文の宿題が出たとき。題名は〈将来のじぶん〉
ランドセルをしょって、“夕”(ゆう)との帰り道の時だった。 『雅希(まさき)は、決めてるか?将来の夢。俺はさ、作曲家なんだ。』 笑いながら、振り返る夕。 『ふ~ん。』 そっけなく答える俺。 『ふ~んって、それだけかよー。雅希は?』 ムキになって、突っかかってくる夕に俺は困惑した。 俺には、これといった夢はなかった。なのに、口に出た言葉は 『俺は‥医者かな‥』 医者だった。 『お前、それ無理じゃん。なれっこねぇもん。医者って、頭よくなきゃなれないだろ?』 呆れた感じで、苦笑する夕に少しカチンと、きて意地悪を言った。 『お前よりは、頭いいし、現実的。作曲家なんて、非現実的。』 『う‥』 言葉に詰まる夕に、自然に笑みがこぼれた。 『‥じゃさ、賭けしようぜ?俺は医者、夕は作曲家。絶対なるって』 『賭けはヤダ。ゆびきりがいい。』 拗ねたように、唇をとがらせる夕。 『ゆびきりって、ガキっぽいけど‥まぁいいか。ほれ。』 素っ気なく出した指を、夕は喜んで結ぶ。そして、歌った。綺麗なボーイソプラノが夕日に溶ける。 『ゆびきり、げんまん~って、おいっ歌えよ~。』 俺は、夕の歌声に聞き入ってしまった自分に驚いたが、少し怒った顔をした夕を見て、 夏の終わりの空気を吸って、歌う。夕と一緒に。 『『ゆびきり、げんまんウソついたら、針千本の~ます。ゆびきった!』』 『やくそくだぞ!』 夕日を浴びて、駆け出す夕。 『あぁ‥』 あのときの事は、まだ胸にある。 何気ない約束なのに。 小さい頃の夢というのは、たいてい叶えられるものではないのに。でも… 中学3年で、受験を控えた8月。塾帰りに立ち寄った、夕の家で、俺は夕の真剣な今も変 わらない夢を聞いた。
『なぁ、雅希。俺、留学する。』 『は?』 血迷ったかな?って思った。受験が嫌なのか、と。 『だから、留学!』 『…なんで?』 『音楽の勉強にさ。やっぱ、音楽の都ってとこ行って、勉強したいんだよね』 目をキラキラさせて、俺に話す夕は、あのころのままだった。 『‥こっちの高校はどうすんだよ?』 『…行かない。』 行かないと聞いた瞬間、俺の頭には『高校へは一人で行け』と言われたような気分だった。 『‥‥そか。』 俯いてしまった俺を、様子をうかがいながら話す夕。 『‥ほら、いつかのゆびきり覚えてるか?雅希は、医者。俺は作曲家。 次の日、作文に作曲家になるって書いたら、みんなにバカにされて‥』 その時の、場面が目に映る。 『‥バカにされて、教室で半泣きだろ?』 幼い夕の顔。今の夕が、幼い頃の夕と重なる。 『そうそう‥。でも、雅希は言ってくれたよな。‥真剣な夢は、バカにするなって。 俺、嬉しかった。…留学決めたときも、結構、親とかうるさかったんだ。 夢物語は、夢なんだって。生活していけるだけの金があるのかって‥けど、あきらめたくなかった。…雅希とやくそくしたし、何より……自分の夢だから‥』 夕の吹っ切った笑顔は俺だけに向けられる。 友達・親友・幼なじみ・腐れ縁‥それに…心にあるまだ確かな形となっていない、俺の想い。
何か言いたい。
けど。
言えなかった。 「行くな。」とは。 俺は、頷いて精一杯の笑顔を見せてやれることしか出来なかった。 そして、夕に対する形のない想いを封印した。
まだ春が遠い雪の日に、夕は旅立つことになった。 搭乗口での、最後のゆびきりをする。細い夕の指と俺のがっしりしてきた指。 「…雅希。ゆびきり。」 「またかよ?」 苦笑しながら、小指を絡める。 「俺は作曲家。」 「‥俺は医者。」 「…必ず、なるから‥お前もなれよ!医者。」 「…あぁ」 「それから‥‥」 言いにくいのか、次の言葉が続かない夕に苦笑して続ける。 「それから?」 「……帰るから。絶対、帰るから。また、会える約束」 「あぁ、また会える。」 眼を会わせ、微笑み小指を離す。 俺の想いを知らないまま、夕は、旅立った。
誰よりも好きだったと、大切で切ないほど夕を思っている。 ゆびきりをした日。あの夕日と笑顔。黒板の前で作文用紙を握りしめて泣いたあの顔。 何もかもが、初恋という名の思い出になるのかな? これからも、俺は夕を思っていくのかな…そして、夕は、遠い地で夢を追う。その目は俺を見てはくれない…きっと。 それでも、先のことはわからない。 今は、夕に胸を張って会える俺を造る。『医者になること』が、優先事項なんだ。
空港の屋上で、夕が乗った飛行機が高く舞い上がる様を見て、俺は伸びをした。

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