[3233] 題名:
名前:明
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投稿日:
2023/02/27(月) 23:06
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公明党元国会議員・浜四津敏子の死はなぜ、2年もの間隠されたのか【佐高信「追悼譜」】
2/27(月) 9:06配信
【佐高信「追悼譜」】
浜四津敏子(2020年11月29日没 享年75)
旧姓高橋の浜四津と私は慶大法学部法律学科の同期生だった。
2年余り前に亡くなっていたのに遺族の意向で党側が発表を控えていたというのだが、
何か秘密めいたものが臭う。
そんな浜四津と、一度だけ、盗聴法反対の集会で会った。1998年11月17日、場所は星陵会館だった。創価学会婦人部にカリスマ的人気のある彼女は、そこでナチスドイツにおいて秘密警察が取り締まりの対象を広げ、反戦平和や環境保護運動にまでその手をのばしたことなどを引いて、いったん盗聴や秘密警察的情報収集を導入すれば「その本来の目的を逸脱し、歯止めが利かなくなるのは、古今東西の歴史の事実が証明している」と強調した。
間然するところのない見事な批判だったが、しかし、浜四津はそれからまもなく、態度を変えた。修正案で対象犯罪に限定がかかったなどと変節の理由を述べたが、それは自らの発言を裏切るものでしかなかった。「盗聴という手段には歯止めが利かない」というのは「修正」は利かないということだからである。反対集会に出て来なくなったのは、自民党と公明党が連立政権を組んだからだった。
1999年6月1日のテレビ朝日「ニュースステーション」では、
〽あなたはもう忘れたかしら
という「神田川」の歌い出しにかぶせて、浜四津のこの反対発言を放送した。そして私は、浜四津の発言には賞味期限があり、半年も経たずにそれは過ぎたのか、と皮肉ったのである。
あるいは彼女も公明党(創価学会)の無原則な方針転換に苦しかったのかもしれない。
浜四津が1997年に出した『やっぱりひまわり』(鳳書院)を引きながら、私は『世界』の2006年11月号に「公明党の原理的滑落」を書いた。滑落とは、登山などの際、自らの足場を踏みはずして滑り落ちることである。公明党はまさに原理的に滑落してその存在理由を失った。
前掲書から浜四津の訴えを引こう。
「私は国連軍にせよ何にせよ、『軍』すなわち『軍隊』という考え方に対する根本的な発想の転換が必要だと思っている。核兵器の全面的な廃止と同じように、まず『軍隊』でなければならないという考えを捨てるべきだと思う。もっと言えば、世界中の国々から、本来は『軍隊』をなくすべきなのだと考えている。これまでは『平和のために戦争の準備をせよ』との発想であった。しかしこれからは、『平和のために平和の準備をしよう』という方向に転換したい」
詳しくは拙著『自民党と創価学会』(集英社新書)を参照してほしいが、この浜四津の考えに私は全面的に賛成である。しかし、軍備拡大の岸田政権にブレーキをかけることもなく容認してしまった現在の公明党と彼女の考えがまったく違うことは明らかだろう。浜四津の死を隠したのは、改めてそのギャップに焦点が合わされることを恐れたからではないか。(文中敬称略)
(佐高信/評論家)
https://news.yahoo.co.jp/articles/4bcfaae9993760f002e02fad01a88373f8ebf401