[13807] 題名:三島由紀夫と英霊の聲 ②
名前:霞ヶ関リークス
◇F0RzX/K5nI
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投稿日:
2025/09/11(木) 17:42
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世のそしり、人の侮りを受けつつ、ただ陛下御一人、神として御身を保たせた
まひ。そを架空、そをいつわりとはゆめ宣はず。祭服に玉体を包み、夜昼おぼ
ろげに、宮中賢所のなほ奥深く、皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、神の
おんために死したる者らの霊を祭りてただ斎き、ただ祈りてましまさば何ほど
か尊かりしならん。
などてすめろぎは人となりたまひし。などてすめろぎは人となりたまひし。な
どてすめろぎは人となりたまひし。」
『英霊の聲』の中で、三島が川崎青年に語らせている人としての義務において、
神であらせられるべきだったとか、あるいは人であらせられる、その深度の極
みにおいて、まさに神であらせられるべきだった、といった、こういった逆説
的な表現に注意してほしいです。
天皇がいわゆる生物学的な意味における神ではない、ハリーポッターやキリス
ト教的な意味における神ではない、このことを三島は百も承知の上で、あえて
人として神であるべきと言っているのです。
これこそがまさに蒼生の統合としての天皇の存在であり、日本の皇室のあり方
です。
祭祀を司り、皇祖皇宗の御霊の前でぬかずき、国民のために祈る神、すなわち
天皇の存在です。このような神としての天皇を否定し、人間宣言がなされたこ
とによって、いかなる事態が生じたか。
数百年、数千年の年月をかけて培われ、日本の社会を根源の部分で支え成り立
たせていたもろもろの権威が、静かにゆっくりと、しかも着実にほころび始め
たのです。
権力と違って権威は、一朝一夕に作り出せるものではありません。中国やイン
ド、あるいはヨーロッパの小王朝は、殺戮と簒奪によって王朝の交代を繰り返
してきました。中国などでは革命によって王朝が代わる時、滅亡した王朝を一
族郎党皆殺しにして絶滅させるのが常識でした。
これは中国だけではなく、古今東西世界中のあらゆる帝国において、みられた
現象でした。このような王室というものは、武力と財力を持たなければ家柄を
維持できませんので、いかにして国民から富を収奪し、武力で抑えつけて反乱
を防ぐかということがもっとも重要な課題となってまいります。
つまり、帝国の内部において、王室と国民の利益が違いにぶつかり対立してい
るために、この両者は拮抗しながら鋭い緊張感の下に、かろうじてそのバラン
スを維持していくことになります。
かつて、ヨーロッパの王国が家産国家と呼ばれたのは、そのためでした。王室
から見れば国家は家や土地や家畜と同じように、国王の私有財産で売買の対象
となるものでした。さすがに近代国民国家の成立以降は、ナショナリズムによ
る国家統合の必要に迫られて、王室と国民の一体感が多少はみられるようにな
りましたが、こういった家産国家としての性格は、基本的に変わることなく持
続しました。その顕著な例を、次に幾つか見てみましょう。
ルイ14世の時代に頂点に達したブルボン王朝の栄華は、その後フランス革命
によって凋落しました。フランス革命の時の国王ルイ16世は、王座失脚によ
る国民の報復を恐れて、家族とともに国外への逃亡を図りましたが、国境近く
で捕らえられて連れ戻されてしまいました。これによって、フランス国王の権
威と国民の信頼感は完全に失墜し、その2年後に処刑されてしまいます。
ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は、第1次世界大戦にドイツが敗れた直後、祖
国を捨ててオランダに亡命してしまいました。ドイツの敗戦の責任が我が身に
降りかかってくるのを恐れたんですね。この時、ヴィルヘルム2世は莫大な王
室財産を携えて逃げ出したために、ホーエンツォレルン家は現在でもヨーロッ
パ有数の大富豪です。
以上の例を見ても分かるように、ヨーロッパの王国では革命や敗戦といった
国家の非常事態が起きた時に、国王が外国へ亡命するのが常識なのです。権
力の座を追われた国王を待っているのは、国民による処刑と迫害の恐怖です。
これは国王と国民の間に、基本的に支配する者と支配される者の利害対立と、
不信と、憎悪が潜んでいることを物語っています。