[13761] 題名:諸法実相
名前:ジョーカー
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投稿日:
2025/09/02(火) 15:21
240f:79:8f6a:1:832:1548:ba50:ebb7(IPv6:kddi-jpnic-jp-20171026) (240f:79:8f6a:1:832:1548:ba50:ebb7)
法華経の智慧1巻 P,231より
「諸法即実相といっても、あくまで仏が見た究極の真理です。迷いの凡夫が見る現実とは隔たりがある。ゆえに『人』は『真理』の実現に向かって、絶えず近づかねばならない。それが『修行』です。諸法実相という『理想」に向かって、絶えず『現実』を超えていかねばならない。それが『変革』です。
この挑戦を忘れると、諸法実相という立派な法理を隠れミノにして、人は現実に埋没し、無気力になってしまいます。これは恐ろしいことです。
無気力は、権力者を野放しにする素地になるからです。権力者の側からすれば、こんなに支配しやすいことはないのです。どんな悲惨な現実があっても、その現実を民衆が肯定し、受け入れてくれるのだから。
本来は、その反対に、生命の道に背く権力者を諫めるのが諸法実相の智慧です。それは大聖人の実践に明らかです。」
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現在私は、「法華経の智慧」を再読している。なぜならば、この対談集の中にこそ、池田先生の魂魄が留められていると確信するからである。法華経の智慧の表題には、「21世紀の宗教を語る」と記されている。まさに21世紀の宗教の道標であり最先端。学会員にとっては、信心の迷妄を打ち破る書籍である。池田先生を師匠とする創価学会員は、法華経の智慧を根幹に据えて、物事を捉えていくことが重要と考える。その他の夾雑物を間に挟むと、とんでもない過ちを犯しかねない。それだけ深い書籍なのである。
諸法と実相はイコールの関係ではない。創価学会で考えると、学会は凡夫(諸法)の集まりであり、迷いもあれば、間違いも犯す。実相(南無妙法蓮華経 日蓮)に近づけるために、絶えず修正、変革をしていかなくてはならない。そのために、正しい指導者の指導が必要となる。それが創価三代である。会の方針が指導者の指導と違えば、おかしいではないかと声をあげるのは当然であり、それは実相に近づける行為となる。諸法と実相はイコールと捉えている人は、これがわからない。
諸法実相足らしめるためには、個人も組織も自省・内省は不可欠である。絶え間なく理想を追究するなかにしか仏意仏勅も存在しえない。「仏意仏勅の創価学会」も、無条件で成り立っているわけではなく、勘違いしてはならない。組織は凡夫(諸法)の集合体なので間違えることもあるということが前提にないと、諸法と実相をイコールとして考えていることになる。まずはここから脱却する必要がある。
諸法と実相をイコールにしてしまうと、組織に盲従することが正義となり、学会員は無気力化する。池田先生は、法華経の智慧でこのことを打ち破ろうされていると、私は読む。無気力となれば、正と邪は曖昧となり、誰も何も言わなくなる。この生き方は、日蓮仏法では断じてない。諸法実相を正しく体現した組織というものは、「おかしいことをおかしいと言えるのが当たり前」の状態であり、今、そうなっているかどうかです。
個人においては、「安易な肯定、受け入れをするな」と私は言いたい。言葉や方針に対し、祈り、吟味し、思索する。学会員ならば、御書や創価三代の指導と照らし合わせる。その作業の中にこそ、諸法実相は存在する。諸法実相の法理に照らせば、学会が、今どこで行き詰っているかが明瞭となる。正しい法理もまた、数十年前に著された「法華経の智慧」によって明らかである。