[13649] 題名:佐藤御書
名前:FT
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投稿日:
2025/08/07(木) 20:32
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「鉄(くろがね)は炎(きた)い打てば剣(つるぎ)となる。賢聖(けんしょう)は罵詈(めり)して試みるなるべし。我、今度の御勘気(ごかんき)は、世間の失(とが)一分(いちぶん)もなし。ひとえに、先業(せんごう)の重罪を今生(こんじょう)に消して、後生(ごしょう)の三悪を脱(のが)れんずるなるべし」と仰せです。
〈通解〉鉄は鍛え打てば剣となる。賢人・聖人は罵(ののし)られて試されるものである。私がこのたび受けた処罰には世間上の罪はまったくない。もっぱら過去世の業の重罪を今世で消し、来世の三悪道の苦しみを免れるためのものなのである。
池田 「鉄は炎(きた)い打てば剣となる」
これが日蓮仏法の宿命転換の主題です。
鉄が鍛えられて剣となる。同様に、生命を鍛えるための信仰であり、宗教なのです。
マイナスの罪障をゼロに戻す。そうしたことのために宿業を凝視しているのではありません。
マイナスの罪障を大いなるプラスに転ずるのです。それが日蓮仏法の宿業転換です。それを可能にするのが、万人の生命に内在する仏性です。「宿業の凝視」は、「仏性への徹底した信」に裏づけられているのです。
そして、生命鍛錬の場が、大難です。最も苦しんでいる時が、最も深まる時です。
「詮ずるところは、天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん」と、大聖人は最大の難である佐渡流罪の結論として叫ばれた。
何もかも奪われ、天が見捨てても、われはわが信ずる道を堂々と進む。決然と立ち上がった生命は、何ものも侵すことはできない。その強い生命を築くのが信仰です。
その眼から見れば、大難は罪障消滅のための契機です。そして、罪障消滅の先には、成仏という偉大なる境涯の確立がある。