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和田絵画教室

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CRAZY SPECIARL展

1282:和田千秋 (2014年10月31日 (金) 20時05分)

以前広島の「鞆の津ミュージアム」で開催された、ヤンキー美術の紹介展のなかから、福岡の筑後のヤンキー?の方による改造バイクの作品(於ヴァルト・アート・スタジオ、11月1日迄)。

トラック野郎のデコラティブな装飾のように、バイクの車体に、これでもかと装飾を盛っている。これが何故美術作品か?

別に「美術」と言わなくてもいいのだが、これを美術とみなせるような「あいまいさ」が日本にはある(肯定的な意味で)。

日本には、レンブラントやルーベンスのような、いわゆる巨匠は育たなかった。そのかわりに、日本人の多くが、短歌、俳句、お謡い、踊り、お茶、お花などの芸事を愛好する。新聞の一面を「短歌・俳句」欄のような詩がスペースを占めるような国は少ないと思われる。

そんな日本の特性を、鶴見俊輔は「限界芸術」と読んだし、もっと「大地性」とのつながりや、仏教美学の創造まで視野に入れて、柳宗悦は「民衆的工藝」を創造した。また、家内制工業まで視野に入れると、北澤憲昭のように「工芸的なるもの」といった視点が出てくる。

彼らはそういった概念を創造することで、西洋美術にたいする異議申し立てをしたのだ。どうせ極東の島国で美術を選びとるなら、彼らのような、対抗文化の創造を目指したい。日本でもし、レンブラントやルーベンスに匹敵する人物を選ぶとすれば、それは画家の中にはなく、そういう対抗文化を作りえた(意識的でなくとも)、千利休や、世阿弥、芭蕉、浮世絵の出版元・蔦十、柳宗悦などといった人になるに違いない。

このヤンキー美術も、そうした「限界美術」につらなるものだし。単に絵を描いている作家よりも、欧米に対しては、対抗美術たりえているとも思うのだ(あとは強力なイデオローグが必要だが)。「クレイジースペシャル」というタイトルだが、狂っているのは、彼らか? はたまた我々か?

1283:和田千秋 (2014年10月31日 (金) 20時10分)

この作品は、釜山ビエンナーレにも出品されています。11月1日には、釜山ビエンナーレ・キュレーター花田伸一さんの、お話とピアノ演奏会?があります。タイトルは「美と暴力とピアノの夜」、面白そうですね。2時から4時まで。会費1,000円。

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赤瀬川原平さんの訃報

1281:和田千秋 (2014年10月31日 (金) 19時30分)

赤瀬川原平さんが亡くなられた。ご冥福を祈りたい。

ここで個人的な思い出を書かせていただければ、最初にお会いしたのが79年のこと。大分市にあった府内画廊というところで、ネオダダの里帰り展「塩商人の語本指」(塩商人というのはデュシャンのアナグラムで、語本指というのは五本指のこと。デュシャンの5人の弟子と言う意味か? 当時アナグラムに凝っていた風倉さんの命名で、その後風倉さんの蔵書を見せていただいた折、ラテン語までアナグラムのために勉強されていたことを知って驚いた)が開催されたときの、オープニングパーティーの席でした。

参加メンバーは、田中信太郎、赤瀬川原平、吉野辰海、吉村益信、風倉匠の5名(この内、もう3人が鬼籍に入られました)。画廊の前のガレージに車座になって、皆でお酒を飲んだのでした。その時の皆さんのお話が、「日本で我々はあまり知られていないが、国際展では我々が日本代表で出るんだ」というようなお話。当時大学1年生だった私は、初めて美術界の二重構造?を知ったとともに、現代美術に目を開かされたのでした。

その時に会場で売られていた、赤瀬川さんの「0円札」を二枚購入し、ご本人にそれぞれ漢字と、ローマ字でサインしてもらいました(その後、1枚はお世話になった方にプレゼントしましたが、もう1枚は今でも大切に持っています。確か、1枚500円という安さでした)。

そして翌日、福岡に帰るために大分駅に行ったところ、湯布院に観光に行く赤瀬川さんにばったり遭遇、挨拶をしてお別れしたのでした。その後は、東京のギャラリーで遠くからお見かけする程度、結局親しくお話する機会を逸してしまいました。

しかし私にとっては、79年のあの展覧会がなかったら、今とは違った作家になっていたかもしれません。美術を続けていなかったかも、、、。やはり、最初に反芸術の洗礼を受けたことが、今の私に繋がっているような気がします。

その後、他の大分の作家たちに話を伺ったところ、大分市美の菅章さんや、井上佐之助さんもその時の車座のなかにいらっしゃったとのこと。大きく影響を受けたとおっしゃっていました。また、風倉さんもこの展覧会がきっかけで、大分に戻られたとのことでした。大分の美術状況に、大きな影響を与えた展覧会と言っていいかもしれませんね。っと、赤瀬川さんの思い出が、別の方向に行ってしまいました。

赤瀬川さんは、デュシャンの系譜に属する、日本では珍しい「眼の創造」を行った美術家だと思います。造形的に作る作家は多いですが、鑑賞力で作品をつくる数少ない作家でした。400年前に同じように「眼の創造」をやった人に千利休がいますが(彼の場合は見立てと言いますが)、だから赤瀬川さんは映画「利休」の脚本を書いたのでしょう。(数百年に一人の?)稀有な作家でした。重ねてご冥福をお祈りします、合掌。

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「更紗の時代」展

1280:和田千秋 (2014年10月24日 (金) 19時42分)

インド亜大陸から始まったという、木綿を染めた「更紗」。大航海時代から世界に広まった。私も少しかじったお茶の世界でも、古い茶箱は更紗で包まれていることが多く、古更紗は憬れの的だった。

今回のこの展覧会を見ると、熱狂的に世界に受け入れられていったことが分かる。もちろん日本でも。

ヨーロッパに限ってみると、日本趣味のジャポニズムの前に、中国趣味のシノワズリがあったことは有名だが、それ以前に更紗を媒介とした、インド趣味があったといえるだろう。

思えば西洋は、十字軍遠征などを通じて、中近東を中心としたオリエンタリズムがまずあり、その後東進して、インド、中国、日本と、異国の文化を吸収していったのだろう(植民地化の歴史でもあるが、、、)。

いろいろなことを考えさせられた展覧会であった。カタログもすばらしく、お勧めの展覧会です(於:福岡市美術館、11月24日迄)。

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とっとっと?きおく×キロク展

1279:和田千秋 (2014年10月07日 (火) 23時45分)

福岡県美で始まったこの展覧会、ちょっと面白い(11月24日迄)。

事前の広報などからして、てっきり会館50年記念(文化会館時代もいれて)のアーカイブ展かと思っていたら、「記憶」や「記録」をテーマにした、現代美術展なのでした。

ちょうど横浜トリエンナーレも、「忘却の海」というテーマで「記憶」の問題を扱っています。18世紀には「歴史画」の評価が一番高かったように、美術の一番重要な機能として、歴史を「記憶」「記録」するということを、美術はこれまでやってきました。

80年代、特に90年代から、美術に意味・内容が復活したことと、また、ポストコロニアルな問題で近隣諸国ともめている時代状況もあって、「記憶」「記録」というテーマが、日本でも再浮上してきたようです。

さて最後に、この展覧会で特に良かったのは、坂崎隆一氏による会場構成です。ある意味、全体が坂崎くんの作品と言ってもいいでしょう(と、本当はこんなこと言っちゃあいけないのだけど、あえて言いたくなるぐらい、良かったということです)。お勧めの、お勧め!の展覧会です。

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秋山祐徳太子・吉野辰海展

1278:和田千秋 (2014年10月07日 (火) 23時13分)

ネオダダとその周辺にいた、お二人の展覧会(於:とわーる、12日迄)。

おなじみの、秋山さんのブリキ彫刻と、吉野さんの、犬のオブジェとドローイングが並んでいた。

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プサン・ビエンナーレ 2014

1277:和田千秋 (2014年09月26日 (金) 19時31分)

先日、プサン・ビエンナーレに参加するためにプサンに行ってきました。会場は、釜山市立美術館、釜山文化会館、キスワイヤー・ファクトリーの3会場です(11月22日迄)。

足早に会場を回った感想は、美術館の方は小奇麗で、いかにも現代美術と言った感じの作品が多いように見受けられました。塩田千春さんのインスタレーションが中でも圧巻で、塩田さんに伺ったところでは、フランスに次いで2度目のお披露目ということでした。

赤く太い糸に吊り下げられた大量の旅行鞄が、観客の動きに反応して蠢きます。歴史に消えていった、無数のディアスポラの人びとの魂が蠢いているような、深い哀しみを湛えたインスタレーションでした。その中の一つは、塩田さん自身なのかもしれません。

さて、文化会館の方は時間がなくて見れなかったのですが、私が参加したのは、キスワイヤー・ファクトリーの倉庫の方です。こちらはアジアン・キュレトリアルと題して、韓国、中国、シンガポール、日本のそれぞれのキュレイターが、自国の作家を推薦するというものです。美術館の作品とは違って、倉庫全体が混沌とした雰囲気でした。

私を含む3人でやっている、「障碍の茶室」という、車椅子でお茶会をするという作品も選ばれて、20日に早速お茶会をやってきました。会期中は、毎土曜日にお茶会をする予定なので、ご用時でプサンに行かれる方は、是非会場をのぞいてみてください。倉庫の方は、入場料もお茶代も無料となっています。

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山下耕平展

1276:和田千秋 (2014年09月26日 (金) 19時01分)

80年代に絵画が復活して以来の、主要なスタイルの一つである表現主義風の絵画展(於:とわーる、28日迄)。特徴は、顔の造形的面白さに焦点を当てて描いている点か?

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第5回福岡アジア美術トリエンナーレ

1275:和田千秋 (2014年09月12日 (金) 20時06分)

いよいよ始まりました、福岡アジア・トリエンナーレ。地元福岡でこのような国際展が開かれるのは嬉しいですね(於:福岡アジア美術館、11月30日迄)。

見た感想は、近年のエンターテイメントな作品や、スペクタクルな作品が減って、以前のような社会性、政治性のある作品が選ばれているように思いました。

しかし以前のような、一つの国家に内在する問題を突くといったものより、グローバル化した世界の問題、例えば国家間にまたがる移民の問題や、マルチカルチャリズム、ポストコロニアリズムを扱った作家が多いように思いました。

「横浜トリエンナーレ」とも連動している感じで、両方見ると、現在のアクチュアルな問題群を、網羅的に見ることができるかもしれませんね。お勧めの展覧会です。

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鈴木貴博展

1274:和田千秋 (2014年08月29日 (金) 20時09分)

毎日、「生きろ」の文字を書き続ける、美術家・鈴木貴博の展覧会(於:福岡市美術館、10月26日迄)。

会場で、作家が公開制作をされていたので、少しお話を伺った。もともと阪神淡路大震災の前から、自分に向けて、「生きろ」と書いていたとのこと。

それが悲しいことに、阪神での震災、アメリカの9.11、東北の大震災と、時代状況がこの言葉を欲して、普遍的なメッセージを帯びることになってしまった。94年以前なら受け入れられなかっただろうが、今ではこのストレートなメッセージが、われわれの心に沁む。

少し気になったのが、近作の「絵画」シリーズ。アングルやゴッホなどの絵をサンプリング、あるいはリミックスしている。一見シミュレーショニズムのようにも見えるので、主たる活動である「生きろ」に影響を与えないだろうか。つまり「生きろ」が、「殺すな」の岡本太郎や、相田みつおのシミュレートに見られたらマズイ、、、。

ただ本人と話していたら、そんな冷笑主義の感じはまったく受けず、まっすぐな青年だったので、好感を持ったのだった。

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元田典利展

1273:和田千秋 (2014年08月29日 (金) 19時42分)

近年は、自身のご両親の介護をテーマにインスタレーション作品を作られる、元田典利さんの個展です。今回は、期間中に何度も行われるパフォーマンスが中心のよう(於:福岡市美術館、8月31日迄)。

私がおじゃましたときは、山之口獏を読むパフォーマンスというもの。インスタレーション作品の中に置かれたTVモニターの前で(モニターには、お母さんの映像が映されておりました)、山之口獏の詩を、時にひざまずき、時に立ちあがって朗読されていました。

私が感じたのは、元田典利という作家は、実に美術の王道を行く作家だなということでした。過去、「工藤静香」「加藤あい」というアイドルシリーズを経て、「両親の介護」シリーズを始められましたが、一環しているのは、元田さんが強く思い入れを感じることどもを、記録・記憶するための装置としての作品だということです。アイドルのグラビア写真を飾ったり、完成度を求めない、作品のゆるさ等々に、騙されてはいけませんね(個人記憶遺産?)。

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