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和田絵画教室

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MONOCHROME SHOW

1315:和田千秋 (2016年03月05日 (土) 21時33分)

福岡市のヴァルト アート スタジオで、2日から始まったグループ展に参加しています(19日迄、日・月・火休廊)。

福岡近郊の、若手からベテランまでの幅広い作家を集めた展覧会で、絵画・写真などのモノクローム作品によって構成されています。

小品ばかりなのですが、博多区近くにお出かけの予定のある方は、是非足をお運びください。

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桜井孝身さんのこと

1314:和田千秋 (2016年02月19日 (金) 19時52分)

桜井孝身さんが、今月の15日に亡くなられた。88歳とのことであった。

言わずと知れた、九州派の大ボス。桜井さんがいらっしゃらなかったら、もちろん九州派は無かったし、九州の戦後美術の歴史はずいぶんと寂しいものになっただろう。日本の一地方において、中央に対抗できた数少ない美術運動の一つであった。

また、単に日本の前衛美術運動というより、世界的な反芸術の流れの中で見ると、当時の北部九州を象徴するコールタールを使った九州派の作品は、戦後の前衛を代表するアメリカのネオ・ダダよりも、日常や生活に芸術を近づけるという意味において、より深く反芸術的だったといえる。九州派は、もっと世界的に評価されていい。そしてその中心だった桜井孝身さんも。

福岡の後輩作家として、私もずいぶんとお世話になった。80年代の半ば頃、当時住まわれていたパリ郊外のお宅で、夕食をご馳走になったことがある。それ以来一飯の恩が出来たので、桜井さんが福岡で個展をされるときには、よくお酒を持っていった。そんな時、私に「貧乏人からもらうようで、なんか悪いなあ〜」といつもおっしゃられながらも、喜ばれていたと思う。

また私に、障碍のある長男が生まれたとき、「一つ失えば、一つ得ることもあるよ」と優しく励ましてくれた。私のその後の人生には、本当に何度もそんなこと(得ること)があったように思う。

今こうして我々後世の作家は、桜井さんたち先人が切り開いてくれた道の上を歩いている。一歩でも半歩でも前に進んで行きたいが、桜井さんたちの仕事の大きさには、いつも敬服せざるをえない。桜井さん、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

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モネ展

1313:和田千秋 (2016年01月15日 (金) 21時04分)

東京で70万人以上の観客動員があった展覧会(於:福岡市美、2月21日迄)。印象派で1番人気の画家だから当然か(あくまで日本で。後期印象派ではやはりゴッホだろう)。

人気だけでなく、印象派にとっても1番重要な画家と言える。なにしろ「印象、日の出」が、印象派の名前の由来と言われているし、オランジェリー美術館の「睡蓮の間」は、印象派のシスティナ礼拝堂と言われているのだから。

ところで、今回の所蔵元のマルモッタン美術館には、80年代中頃に行ったことがある。パリの郊外にある瀟洒な美術館で、こじんまりしたところが好感が持てた。

モネが、オランジェリーに納めることになる「大睡蓮」のために描いた習作などを、遺族から寄贈されて多数のモネ作品を所蔵している美術館だ。

そのため今回の出品作も、未完成とも思われる習作も多いが、モネの制作の秘密を探るのには良い展覧会だろう。

ベラスケス、マネ、モネと繋がる、近くから見たタッチの大胆さも見事だし、最晩年の作品には、フォービズムの固有色から自由になった傾向との同時代性を感じる(たとえ白内障のせいだとしても)。

しかし個人的には、今回の作品の中に、ロスコ(やニューマン?)に繋がるような、ある意味、崇高さを感じたのは以外だった。

ロスコの晩年の「シーグラム絵画」などは、暗い色の(例えば赤と黒の)わずかな明度差によって、画面自体が発光しているように見えることによって、宗教的と言ってもよいほどの崇高さを獲得している。

今回のモネの、例えば1903年の「睡蓮」なども、同じような効果が出ていた。物の質感を描き分けるのは明度差によるが、水の質感を描くために、微妙な明度差でもって描くモネの絵には、ロスコのような崇高さが宿る絵があるのである。

同時期に開催されている高島野十郎の絵は、月や太陽の光、または睡蓮の絵を描いているのだが、モネの絵画は、それ自体が発光する、絵画それ自体なのであった。

おそらく、グリンバーグが言っていた「絵画的抽象」というのも、それ自体自律的な、モネやロスコのような作品を指すのだろう。西洋美術の王道! お勧めの展覧会です。

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日韓近代美術のまなざしー「朝鮮」で描く

1312:和田千秋 (2015年12月18日 (金) 20時18分)

日本統治時代の「朝鮮」で作られた、日韓双方の美術品で構成された展覧会(於:アジ美、来年の2月2日迄)。

数年前にも似た企画があり、絵画中心であったため、日本側からのオリエンタリズムが炙り出されていた。自らの負のイメージを「朝鮮に」押しつけ、自らは文明を気取るというもの。それによって、彼らの蒙を啓らくといった、国策にも合っていた。

しかし今回は、工芸品も多く出品されていたため、「朝鮮」が日本に与えた影響にも目が配られていた。二つの国が交わる時、影響が片方だけであるはずがない。常に双方向であるはずだ。そういった目でみると、工芸だけでなく、日本画にも民画の影響が見られるように思えたがどうだろう。

個人的に嬉しかったのは、浅川伯教の作品が数点見れたこと。「朝鮮」を愛した浅川伯教・巧兄弟は、私の尊敬する人。もっともっと評価されていい人達だ。お勧めの展覧会です。

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高島野十郎展

1311:和田千秋 (2015年12月18日 (金) 19時58分)

野十郎を最初に発掘した福岡県美での、3回目になる大規模な回顧展(来年の1月31日迄)。

「野十郎は生人形である!」(半分冗談です)

高島野十郎のことは私も好きで、前から気になっているのだが、そして前にも書いたが、、、どう評価したらいいのだろう?

戦後、ポロックやロスコ、ネオダダや、ポップアートが流行したいた時代に、あんな絵を描いていた画家。西洋発祥の美術は常に文脈主義で、時代の先端を行く作家を評価してきた。しかし我々日本人から見ると確かに野十郎は良いのだ。(戦争画のことを考えるともっとややこしくなる。従軍画家はナポレオン戦争の時代からいたわけだし、ナチスに協力したレアリズム画家も大勢いた。彼らは美術の歴史から消え去ったのだが、日本では藤田などの戦争画を評価するむきもある。日本には別の美術史があり、初めて油彩で歴史画を描いたと評価することも可能だからだ)。

西欧においても、美術では80年代からポストモダンといわれ、70年代までのリニアな美術史の崩壊後、複線的に美術史を考えることが許容されるようになってきた。日本にも独自の美術史があると言ってよいわけだ(サワラギさんは、独自の美術史を持たない悪い場所・日本などと言っているが、、)。

そこで、野十郎の不思議な写実を考えてみると、これは「生人形」ではないかと思いついた(あくまで思いつきです、、)。造形を目指す西洋の彫刻とは違い、幕末から明治にはやった生人形は、生きている人間を目指した。人形は、人間に似れば似るほど奇妙な感じになると言われている。現在作られているアンドロイドもそうだし、ダリの普通の静物画もそんな感じがある。

野十郎の不思議な絵の魅力もそんなところにあるのではないだろうか。すべてにピントが合ったスーパーリアリズムだが、60年代にはやったアメリカのものとは何か違う。やっぱりこれは生人形である。生人形⇒岸田劉生⇒高島野十郎と日本の自前の美術史を作ったらどうだろう。今の、ホキミュージアム系に繋げても面白いかも、、、野十郎は怒るかな? きっと怒るだろうな、、やっぱり冗談としときます。

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村上勝さんのこと

1310:和田千秋 (2015年12月04日 (金) 20時18分)

去る11月30日、福岡の現代美術家・村上勝さんが亡くなられた。まだ70歳の若さだった。

村上さんは、70年代半ばから福岡で作家活動を始められた。それは福岡の地で、九州派、集団蜘蛛以後途絶えていた前衛美術の復活でもあった。そしてすぐにグループ活動を始められた。それは福岡にまだ美術インフラが整っていなくて、それをグループの力で補おうとしたのである。

以来、今年の春の個展まで、年に数度の個展・グループ展を開催された。特に80年代、90年代は、同時期に活動のピークにあったIAF(と、そこから発展したミュージアムシティ天神)とともに、福岡の現代美術を牽引したと言っていい。

IAFが、どちらかというと東京からUターンしてきた美術畑中心のグループだったのに対し、村上さん率いるミクストメッセージというグループは、美術畑出身ではない、九州派のような土着性を持っていた。

そのため美術館を出て、市内各所で野外展をやったのは、九州派の活動に通じるものがあった。グループとしてのピークは、92年に能古島でやった野外展だろう。福岡の現代美術史に燦然と輝くすばらしい展覧会だったと思う。

村上さんの名前は、福岡のある意味「黄金時代」だったといえる80年代、90年代を語る上で、絶対に欠かすことのできない名前である。九州派につながるという意味で、最も福岡らしい作家だったと言っていい。

さて、個人的に語れば、私が村上さんと知り合ったのは、80年前後のことである。当時私は学生で、いささか自信過剰であったらしく、そのころの私を村上さんは後々までからかった。お互いに子どもが生まれたときには、子供服のお古を譲りあったりもした。そしてそのことで何故か後々まで感謝された。

私の子どもが体が不自由で、「羽根が欲しい」と七夕の願いに書いたとき、それならと、村上さんお手製の羽根をプレゼントしてくれた。ユーモアのある優しい人だった。一見豪快に見えたが、実際は神経細やかな人だったと思う。

美術マーケットのない日本で、作家としてだけでやって行くのは本当に大変です。しかし村上さんは、最期まで作家としての人生を全うされた。改めて立派だったと思います。

私のような後続の作家は、村上さんのような先輩たちの人生を後追いしながら、なんとか作家を続けることが出来ています。最後に、「村上さん、今まで本当にありがとうございました」ご冥福をお祈りします。

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九州派展

1309:和田千秋 (2015年11月20日 (金) 20時01分)

88年以来の「九州派」の大回顧展です。これを見逃すと、次に見れるのは20年後かも? 必見です!(於:福岡市美術館、来年の1月17日迄)

九州派といえば、西洋美術の王道である、抽象表現主義・アンフォルメル・絵画的抽象を反芸術と誤解し(58年前ですし、情報が少なかったのでしかたがないですよね)、反中央と言いながら東京中心に活動したりと、地方で美術活動をやる弱点もさらけ出しているのですが、アスファルトピッチを使用した共通のスタイルは、当時の反芸術の世界的中心だったネオ・ダダよりも、より反芸術的でした。

それは、当時の形式中心であった美術を、もっと我々の生活や日常に近づけたいという、反芸術の本来のありかたとしてです。九州派はそのために、田川や大牟田の炭鉱、労働争議(彼らが日本のネオダダのように、美術学生エリートではなく、働く労働者だったことも重要ですね)、または高度成長期の道路整備のしるしとして、アスファルトを使ったのでした、たぶん、、。

88年以後、菊畑茂久馬さんや田部光子さんなどが、作家としてより高い評価を得たり(田部さんについては、「田部光子を九州派から解放しろ!」という方もいらっしゃいました)、山本作兵衛の「炭鉱記録画」が、世界記憶遺産に登録されたりといった新しい動きも起こっています。

九州派を単に美術運動として見るよりも、山本作兵衛や、上野英信のサークル村などと共に、北部九州が生んだ、豊かな炭鉱文化の一つとして見てはどうでしょうか。そうすれば、全体で世界遺産クラスのレベルだと思うのですが、如何? 「九州派を世界遺産へ!!」

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「紙、やどる形」展

1308:和田千秋 (2015年10月16日 (金) 19時49分)

福岡県立美術館で先週の土曜日から始まった、紙を素材とした作品による展覧会(11月23日迄)。

福岡では80年代初頭に、アメリカンセンター主宰で「紙による表現展(?、タイトルは不確かです。会場は確か、秀巧社ギャラリー)」という展覧会がありました。かくいう私も、当時は紙による平面作品を作っていました。

当時の作家たちは私を含めて、紙を単に、造形作品を作る素材の一つと考えていました。30年経って今回の展覧会を見ると、時代がはっきり変わったことが伺えます。

今の作家たちは紙と言う素材を、単なる審美的なもの以上の機能、例えば「工芸的なるもの」として捉えたり、メディアとしての本につながるような、文化史として捉えていたのです。

もちろん広がりを見せるために、造形にウエイトを置いた作品も多いのですが、それ以上に紙という素材の広がりや厚みを見せることにこの展覧会は成功していました。

私の個人的に好きな作品は、武内貴子さんのインスタレーションと、チョ・ヨンヒさんの「釜山を描く」です。特に武内さんのは傑作! 是非会場でご覧下さい。

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藤田美術館の至宝

1307:和田千秋 (2015年10月09日 (金) 19時34分)

今週から始まった、大阪の藤田美術館の名品展。ただただ素晴らしかったです(於:福岡市美術館、11月23日迄)。

世界に3点しかないといわれる曜変天目茶碗、大井戸茶碗、茶掛けで最も珍重される大燈国師墨蹟など、目の覚めるような名品ぞろいでした。福岡在住の方なら、見に行かないと絶対損です!

ところで、日本は中国の古い文物などが残されていて、東アジアの正倉院とも、吹き溜まりとも言われています(ちょっと言い過ぎました?)。曜変天目や青磁の名品の数々も、宋から元に変わる動乱の中で、日本に請来されたものでしょう。なかでも曜変天目は、3点とも日本で大切にされてきました。

日本文化の特質は、新しいものを生み出すことは苦手でも、雑多なものから優れたものを選択し、大切に伝えていくことは得意だといわれています。

この藤田美術館のコレクションは、そんな日本文化の特質を、まさに体現したものといっていいでしょう。。曜変天目もそうですが、藤田父子は、明治政府の愚かな廃仏稀釈から仏教美術を守り、廃藩置県によって庇護者を失った茶道や能の擁護者となり、当時は多くの人が顧みることのなかった日本近世文化の宝を後世に伝えてくれました。

仏教美術や、茶の湯文化、能を取ったら、いったい何ほどのものが日本に残ったでしょう、、、お勧めの展覧会です!!!

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浦のり子展

1306:和田千秋 (2015年09月04日 (金) 19時54分)

今週から始まった、浦のり子さんの個展(於:アートスペース獏、13日迄)に行ってきました。

浦さんは、東京大空襲を体験されて、近年は「戦争」や「ポストコロニアル」な問題をテーマに作品を制作・発表されてきました。今回の個展では、日韓の不幸な歴史や、そのことからの和解がテーマです。

会場には、チマチョゴリと和服が飾られて、韓国の詩人の詩が、チマチョゴリには日本語で、和服にはハングルで刺繍されています。そしてお互いの裾からは、お互いをつなぐ赤い糸が、、、。女性同士の結束を意味するようにも見えるし、お互いを隔てる血の海のようにも見えてきます。

先行する作品としては、嶋田美子さんの95年のインスタレーションがあるでしょう。婚礼用のチマチョゴリとウエディングドレス(西洋にかぶれた日本?)が向かい合わせになっているのですが、真ん中に大きな鏡があり、お互いの姿は見ることができません。

嶋田さんの作品は、他者には無関心で自分しか見ていないという日韓の隔たりがテーマになっているのに対し、浦さんの作品は、そこからの打開・和解がテーマとなっているようです。20年経ってもちっとも進展しない隣国との状況に、静かな怒りや、哀しみを湛えているようにも作品から感じられました。お勧めの展覧会です。

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