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和田絵画教室

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「福岡の現代美術、九州派以後」

1348:和田千秋 (2019年09月25日 (水) 19時45分)

福岡市美術館の近現代美術室Bで、九州派以後の「集団蜘蛛」から、現在20代の若手までの作品を集めた企画展に、私の作品が2点展示されています。

尊敬する蜘蛛の森山安英さんや、小松豊さん、亡くなった長谷川清さんたち諸先輩の方々と、一緒の空間に展示されることは嬉しい限りです。

将来が期待される若手。浦川大志君の作品も展示されていて、新しみもあります。10月1日から始まる、「ギュスターヴ・モロー展」に行かれる方は、是非、併せてご覧ください(10月27日迄)。

1350:竹本葉子 (2019年10月08日 (火) 23時47分)

前略。浦川くんとは、6.7年前磨墨さんの13回忌展を見に来てくれて以来でいくつかの展示を見ましたよ。熊本も行きました。市美も、和田さんから九州派もみました。EUREKAは失礼。櫻井共和さんのは見ます。太宰府は行きたい。またよろしくお願いします。

1351:和田千秋 (2019年10月09日 (水) 23時18分)

竹本さま、お久しぶりです。浦川君は、福岡の期待の星ですよ。私も櫻井さんの個展には伺う予定です。大宰府も是非どうぞ!

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障碍の茶室Y 開かれた場所/開かれた茶室

1349:和田千秋 (2019年09月25日 (水) 20時14分)

今回で6回目となる、「障碍の茶室Y 開かれた場所/開かれた茶室」を開催します(於:大宰府天満宮、旧東屋特設会場&天満宮宝物殿企画展示室。旧東屋は、菖蒲池の隣です)。

いつもどうりの、私、茶人:中村海坂氏、美術家:坂崎隆一氏の、3人によるコラボレーションです。

期日は、10月5日から11月4日までの、土曜、日曜、祝日の計12日。

時間は、10時受付開始〜15時最終受付、参加費500円(薄茶、菓子、宝物殿拝観料含む)です。

なお、10月19、26日の両土曜日の夕方、「夜のかがり火茶会」と称して濃茶席を設けます。こちらは参加費1500円。要予約です。
kenkyusyo@dazaifutenmangu.or.jp宛に、氏名、電話番号、19日か26日、18時か19時を明記の上、お申込みください。定員に達し次第、受付終了です。

坂崎くんが、過去最大の茶室かも?と言っていますし、まだ一度も「障碍の茶室」を体験されたことがない方、是非、ご体験ください!

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HPのアドレスが変わりました

1347:和田千秋 (2019年04月19日 (金) 19時43分)

Yahoo!ジオシティーズのサービス終了により、「和田絵画教室」HPのアドレスが変わりました。新しいアドレスは、
http://wadakaiga.starfree.jp/
です。これから、もよろしくお願いいたします!

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「これがわたしたちのコレクション+インカ・ショニバレCBE:Flower Power」展

1346:和田千秋 (2019年04月05日 (金) 20時01分)

先月から始まった、福岡市美術館リニューアルオープン記念展(5月26日迄)。2年半のリニューアル期間を経て、多くの市民に待たれていた再開だ。

外側は、大濠公園側からのニューアプローチが設けられ、建物全体への見通しが良くなっていた。内部は、常設のスペースが広くなり、壁の色を、近代美術のコーナーはグレー、現代美術のコーナーは白にすることで、以前よりも作品が見栄えしていた。福岡市のコレクションも、結構自慢できるなと思わされた次第です。

九州派の紹介コーナーもあり、県外からのお客さんには良かったのではないでしょうか? 今後も、常設に一室「九州派」コーナーを設けてもらいたいなと希望します。

「インカ・ショニバレ展」は、90年代以降の重要な流れの一つ、ポストコロニアリズムを代表する作家、ショニバレを取り上げたもの。日本においてもここ数年、韓国との間にポストコロニアルな問題が噴出しているので、他人ごとではない。

ショニバレは、自身のことを「ポストコロニアル・ハイブリッド」と称している。コロニアリズムを単に批判するのではなく、自身をコロニアリズムから生まれたハイブリッドと認識し、その視点から過去の重い現実を列記する。彼のそんな態度から生まれる作品が、英国では評価されてきた。

我々に求められるのは、彼の一見きれいな作品の奥に潜む重い現実と対話することだろう。それは、彼の「ウィンド・スカルプチャー(アフリカンプリントされたスカーフが風を孕んで屹立している)」が、見えない風(奥に潜む重い現実)に、鑑賞者の視線を誘うことからも類推することができる。お勧めの展覧会です。

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「美術のみかた 自由自在」

1345:和田千秋 (2019年01月13日 (日) 22時12分)

福岡県美で開催中の、国立国際美術館のコレクション展(2月5日迄)。福岡ではなかなか観ることが出来ない、有名どころの作品が並んでいる。ピカソ、デュシャン、ジョセフ・コスース、ゲルハルト・リヒター、イリア・カバコフ等々。

展覧会タイトルにもあるように、美術の見方は自由だし、その人にとって意味があれば、「誤読」などはない。70年代までの、文脈主義だった美術の見方が(ある意味、正解があった)、ここ2、30年で変わってきたようだ。

ここ2、30年、デュシャンから現代美術が始まるという言い方もでてきて、美術の価値が、再帰的に決定されるということが、広く認知されるようになってきたのかもしれない。

「誰かがそれを美術といえば、それは美術である」と言ったのはデュシャンだが(コスースだったかもしれない)、まさにそんな状況。

良いてんは、そういう自由さが、世界に蔓延してきたポピュリズムという反多元主義に抵抗する、最後の砦になりそうなこと。

悪いてんは、何でもありの相対主義から、ニヒリズムに陥りやすいこと。陥らないためには、やはり美術館などを中心として、多くの人の対話によって、多産的な意味が生まれてくるようにしていくことだろう、、、というように、いろいろなことを考えさせられた展覧会でした。お勧めの展覧会です!!!

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「闇に刻む光」

1343:和田千秋 (2018年12月07日 (金) 20時45分)

アジ美で開催中の「アジアの木版画運動展」(来年の1月20日迄)。福岡でのここ数年で、一番重要な展覧会かもしれません。

本展企画者の黒田氏のオープニングトークも聞くことができました。まず、アジアの近代化を以下の三つの様態に分けていました。「技術としての近代」「様式としての近代」「抵抗としての近代」と。

「技術としての近代」というのは、美術でいえば、遠近法、陰影法や、油彩の技術を学ぶこと。「様式としての近代」というのは、例えば「フォービスム」や「キュビスム」などの様式を取り入れることです。

しかし、「抵抗としての近代」というのは、常に欧米から下に評価される存在として、客体でしかなかったアジアが、自ら主体を取り戻すための抵抗のことだそうです(漱石が、開化は外発的ではなく、内発的でなければならない、と言ったことと重なるように思いました)。

そしてアジアには、自ら主体性を取り戻す抵抗運動として、DIYとしての「木版画運動」があったというのがこの展覧会の主張です(黒田氏が参照したという竹内好によれば、日本には抵抗はなく、従って主体性もないとなるのですが、氏はそこまでは言っていませんでした)。

黒田氏のトークのタイトルが「アジア美術史を裏返す」というものですから、これまで、技術や様式としての近代画家中心の美術史だったのを、ひっくり返したいという野望?もあるのかもしれません。


この主張が受け入れられれば、欧米では戦後の60年代末から、シチュアシオニストらによって始まり、その後、フルクサスやアーティビスム、ソーシャリーエンゲージドアートと受け継がれていくDIY運動が、アジアでは抵抗運動として、1930年代から行われていたということになるかもしれません。

私としては、この「アジアの木版画運動」と、思想的にも重なるところのある、日本の「民藝運動」をセットにして、欧米に紹介したく思いました。

とにかく、様々な問題を考えさせられる展覧会でした。「技術」でも「様式」でもなく、内発的に表現したいことがあるかないかが一番大切だと叫んでいるようでもありました。若い作家に是非見てもらいたい展覧会です。

1344:和田千秋 (2018年12月08日 (土) 20時18分)

日本の近代化はイコール西洋化でしたが、別の近代化もありえたのではないか?と、維新150年の今年、考えさせられる展覧会でもありました。

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にわか茶人大募集!(障がいのある人も、ない人も)

1342:和田千秋 (2018年10月03日 (水) 19時45分)

来年予定されている、大宰府天満宮での「障碍の茶室W」のお茶会で、亭主(お茶を点てる人)や、客として参加してくださる方を募集します。障がいのある方には、お点前のためのできる限りのサポートと、障がいにあわせた道具を用意したいと考えています(参加は無料です)。また、障がいのない方にも、簡単なお点前をお教えします。お茶会でのお手伝いや、障がいのある方々をサポートしてみたいという方も大歓迎です!
そこで今回、来年のお茶会に向けて、「障碍の茶室」のこれまでの歩みをたどるレクチャーと、お茶会や、お点前にかんするワークショップを開催することになりました。来年参加されるかどうかは別にして、お茶に興味があっても、何か敷居が高いと思われている方々! お気軽な参加をお待ちしています!!

「にわか茶人養成講座」
10月14日(日)13:00−16:00
10月28日(日)13:00−16:00
11月4日(日)13:00−16:00
会場:大宰府天満宮宝物殿地下一階講座室

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「障碍の美術]Vー晩春篇」

1341:和田千秋 (2018年10月03日 (水) 19時28分)

「障碍の美術」が始まって、26年が経とうとしています。人間でいえば、甘い青春期が終り、現実の厳しさに直面する頃です。そこで「障碍の美術」も、これまでの甘い「青春篇」とでもいうべき時期を終えて、次の「晩春篇」へと移ることにしました。
そこでは、介護を中心とした生活にまつわる、痛みや苦しみが顔をだしてくるでしょう。作品のスタイルは、現実の厳しさを反映した、よりリアルな表現となってきます。でもきっと、「晩春」というからには、どこか甘さも残り続けることでしょう。ではこれから、甘くて苦い「晩春篇」のスタートです。

ということで、来週から私の個展がスタートします。お近くの方は是非どうぞ!

和田千秋「障碍の美術]Vー晩春篇」
10月9日(火)−28日(日)、12:00−19:00、月曜休み
10月14日17:00−和田千秋×川浪千鶴トーク、19:00−パーティー

EUREKA(エウレカ) 福岡市中央区大手門2−9−30−201
(浜の町公園に面した、大手門郵便局の2Fです)

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森山安英展

1338:和田千秋 (2018年06月15日 (金) 20時00分)

福岡の美術界では知らぬ人のない、「集団蜘蛛」の森山安英さんの展覧会(於:北九州市立美術館本館、7月1日迄)。

先日の日曜日、森山さんのインタビュー映画の上映と、アフタートークがあったので、久しぶりに北九美術館に行ってきました(「福北展」以来かも?)。東京や福岡からも美術関係者が詰めかけ、定員100名のところ、200名近くの聴講者があったようです。森山さんの美術史における重要さがわかりますね。

展覧会は、「沈黙」以降の作品が中心で、前半のアルミ塗料を使った平面と、後半の、森山さんが「普通の絵」と呼ぶ絵画作品に分かれていました。銀色のアルミ平面は、80年代から90年代にかけて、福岡でリアルタイムで見ていましたが、後半の絵画作品は、ほとんど北九州で発表されてきたので、初めて見るものばかりでした。

一般には、前半のアルミ平面の方が評価が高そうですが、今回初見の「光の遠近法による連作」は、私にとって特にすばらしかったです。本気で絵を描いているなと思いました(私が森山さんの作品を批評するなど、百年早いと言われそうですが)。

一流の作家には、絵を描くのに必然性が必要です(普通の人は、なにげなく絵を描きますが)。明治には漱石が、西洋文化を取り入れるには、内発性が必要だと言いました。でないと病気になる、とも、、、。森山さんは若いころ、作品を作る必然性が感じられなかったのかもしれません。それで自分に係ってくるすべてのことを、破壊して、破壊して、破壊しつくした、そしてその後の15年間の沈黙。

それからの「再生」に至る道筋は、トークの中で森山さんが紹介していた、美学校の今泉省彦さんの言葉、「ここまでやったのだから、もう森山は自分が絵を描くことの免罪符を手にした」という説明に尽きるでしょう。

そうして、そこまでして描いた絵画が、人を感動させずに置かないのは当然でしょう。知り合いは、展覧会場の終わりの方で、泣きたくなったと言っていました。私にも、どこか「悲しみを湛えた絵」のように見えました。

しかしそこは森山さんです。「普通の絵」を描いた後、これはいけないと思ったのか、その後の「窓」の連作で、恐らくデュシャンの「窓=閉じた絵画」を引用して、自分の絵画を相対化し、自分に落とし前をつけました(従って、窓連作に描かれている、ダヴィンチ、ルウィット?、石内都さんらの引用には、深い意味はないと思われます)。

最後に、実は私は、森山さんの弟分であった、新開一愛さんから深い影響を受けました。どんな影響を受けたのかは、ここで簡単に書くことは出来ませんが、今では師匠のような存在だったと思っています。生前の新開さんから、森山さんのことはよくお聞きしていましたから、私のなかでは森山さんと新開さんが重なって見えてきます。

森山さんがいなかったら、新開さんはいなかったでしょうし、新開さんがいなかったら今の私はいませんでした。その意味で、森山さんには本当に感謝しています(と、今日はお酒の勢いを借りて書いてしまいました。まとまらなくてすみません)。絶対お勧めの展覧会です!!!

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プラド美術館展

1337:和田千秋 (2018年03月23日 (金) 21時07分)

先日、全国美術館会議の学芸員研修会に呼ばれて、お話をさせていただきました。六本木の国立美術館を会場に、全国から120名余りの学芸員が集まって、6つの部会に分かれて研修を行うといったものです。その内の一つの部会が「美術を通した共生」というもので、長年「障碍」をテーマに発表してきた私に、白羽の矢が当たったようです。

二日間の討議に参加した感想は、今、美術館が大きく変わろうとしているということでした。テンプルとしてのミュージアムから、フォーラムとしてのミュージアムへということでしたが、マイノリティとの共生や、社会正義に向けて、もっと積極的に社会と係わろうとしているように見受けられました。そしてそのためには、美術館における教育普及のちからが重要になってきているようでした。

ということなのですが、せっかく東京に行ったのですから、3つの展覧会を回ってきました。国立西洋美術館でやっていた「プラド美術館展」と、東京都美術館でやっていた「ブリューゲル展」。それに、研修会の会場である国立新美術館でやっていた「至上の印象派展」です。

3つの展覧会の感想を書くとさすがに疲れますので、個人的に一番良かったと思った「プラド美術館展」の感想を書きます。といっても、ほとんどベラスケスについてですが、、、。

なんと今回の展覧会には、ベラスケスのそれも大作が7点も来ています。私は大学生のころから、すべての画家の中でベラスケスが一番好きで、2年生の時には無謀にも、「ラス・メニーナス」を100号に模写したこともあります。

何が好きだったかというと、彼の圧倒的な描写力です。近くで見るとまるで抽象画のようにラフなタッチなのに、ちょっと離れるとまるで写真のように見えるその神技的な描写や、画面の中心部にある顔をわざとぼかして、見る人の視線を釘付けにするやり方。また、顔は薄塗なのに洋服は絵の具を盛り上げて、絵画のイリュージョンと、それに相反する絵の具の物質性を両立させる離れ業等々です。

しかし、私の子供が生まれた後となっては、彼が障碍者の肖像画シリーズを描いていたことにも感動させられました。今回来ていたブリューゲルも、障碍者を描いた数点の作品がしられていますが、ブリューゲルが障碍を寓意として描いたのに対し、ベラスケスは障碍を持つ人々を、尊厳を持った一人の人間として描いています。

それは彼が、障碍を持つ人々を上から見下ろして描くのではなく、ローアングルから描いていることでも分かります。そう描けば、彼らの小ささが目立ちませんから。まなざしがやさしいですね。今回の展覧会にも、そんな障碍を持つ少年を描いた一枚の絵が来ていました。私はその絵の前から、しばらく立ち去りがたかったです。東京に行かれる方は是非! 5月27日迄です。

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