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[190]あったよ! - 投稿者:あおち〜
武蔵野市 中村裕一君の質問
鎌倉時代の農民はどういう暮らしをしていたのですか?図書館に行っても資料が見つからないので、教えて下さいお願いします.
ゲンボー先生
メールを有難う.一口に農民といっても地域によって,また身分によって生活の程度は大きく変わります.
荘園には自作農もいれば,小作人もいます.それぞれがそれぞれの立場で武士化しています.ですから君のはむずかしい質問ですね.
ごく平均的なというその平均が分からないから困るのですが,鎌倉時代の後期で自作農.それも近畿地方に限って説明しましょう.
自分で耕した土地を名田(みょうでん)といいますが,広さはまちまちです.人々は共同作業で川から水をひく水路を作りました.水車が使われるようになって水の確保が楽になりました.
しかし,こうした水はきびしく管理され,それぞれの地域で権利が決められています.田植えも稲刈りも共同の作業になりました.田楽(でんがく)などもこのころからはじまりました.
このように,それまで,結びつきが弱かった農村が,有力な農民を中心にまとまりを見せ始めたのが鎌倉時代後期です.
刈り入れ後はお祭りも行われたようです.お祭りといっても今のような大騒ぎではなく,神社にいってとれた作物を奉納したり,神楽という舞を神様にささげたりした質素なものです.
一般農民は掘っ立て式の家屋です.もちろんたたみはありません.土間にかまどがあって,板敷きの部屋が一つか二つです.
一軒づつに井戸があったわけではなく,水くみは女や子供の重要な仕事でした.また燃料は山へ行って拾い集めた薪(まき)です.山は村の共同管理でした.
一日2食の食事は質素で,お金で物を買うことは少なかったのです.したがって多くの農民は自給自足の生活を送っていましたが,進んだ地域である近畿地方の農民は,肥料をまき牛馬を使った農業を行い,二毛作をしていたことで,作物を町に売りに出て現金収入を得ていました.
そうした農民はお金で物を買うこともありました.服は糸を買ってきて自分で織るか,布を買って自分で裁縫するかでした.特に織りのうまい人はそれを商売にしていました.あとは古着屋で買うということもありました.一般の農民が新しい服を買って着るということはほとんど無かったのです.
こうした農民もひとたび戦が起こると,兵士として参加しました.この時代の戦は刈り入れが終わった秋の後半から田植えの始まる前までの,農作業の少ない時期に行っていました.なぜなら敵・味方互いに収穫が大切だったからです.
まとめると.衣食住ほとんどが自給自足.たまに現金収入があり必要なものを買う.それで戦があれば出ていって戦うのですから楽じゃなかったでしょうね.一遍聖絵のなかに農村風景がありますからそれを見るとよく分かります.
君も何かわかったら教えてください.
ゲンボー先生 ってYAHOOで調べたらありました!どうもありがとうございました!
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2003年01月08日 (水) 21時45分 )
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- RES -
[191]よかったね(v^ー゚) - 投稿者:ハムハム
見つかってよかったね。これで、宿題はOK!? でも、ネットで宿題済ますなんて、時代は変わったね(苦笑)
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2003年01月08日 (水) 21時50分 )
[192] - 投稿者:ミント
中学生に宿題Rともなると大変だね。小学生の宿題だってもう親が教えられないくらい難しいもんね・・・って私がアホなだけかしら?( ̄▽ ̄;)
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2003年01月11日 (土) 23時29分 )
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