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[1622] 題名:今年も桜サンデーフェスティバルへ行きました。 名前:ロン毛のアキ MAIL URL 投稿日:2019年04月21日 (日) 04時18分
今年も4月14日(日)フィラデルフィア 桜サンデーフェスティバルに日舞パフォーマンサーとして参加してきました。去年は大雨で野外ステージはキャンセル、急遽開催地と隣り合わせの植物園施設内のコンクリートの上で、足袋ですることに成りその上に、私の十八番である黒田節は演舞中にCDがジャンプしては曲の出だしに戻ってしまうダブルハプニングで、続行を諦め途中で辞めました。この日はきっと仏滅だったのでしょうか、出だしのさっそうとした摺り足にて進み出る感触がコンクリートの上の割には良かっただけに完結出来なくて気分の悪い思いをしたのですが、今年はステージでのスケジュールタイムには雨予報でしたが運良く、花びらが風に舞い小雨の様に降ってくるだけで、天の邪鬼な曇り空はお仕事を忘れ、空で踊りを楽しんでいる様で良かったです。アメリカ人男性は花束を贈ることやパティーに持ってくるのは私達日本人男性よりも慣れていて、花には興味がないとは思えませんが、花そのものよりも果実の方が断然好きなのは見ていて分かります。でも、今回の様にステージで桜の花弁が舞い踊り娘さん達へ降り注ぐ自然な光景に、日本人的な花を想う心境に少しは近づいたのではと思っています。(ペコリ)
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メインステージでは目出度い8名による『寿』を先頭に、私は二番手で『黒田節』を踊り、『潮来出島』『千代の寿』ラストに全員による『松の緑』は最前列の右端で踊りました。体に染み込んでいる十八番以外は、感染症により両腕から両指先三本づつが爛れていたので、必ず綿の白手袋を着用していた情けない有様で、白手袋は日にちょくちょく変えるので48セット分あり、二日毎に洗濯していました。踊りの稽古でも公演前の1週間までは扇子も開けない最悪な状態で、練習不足で目立つ前列は嫌でしたが、お師匠さんの決定には逆らえません。日本ではないので観衆の人々は、踊りの間違いも不出来もそれほど判断できないと思い直し開きなおりで何とか頑張れました。(汗)
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出演側のステージ横からのビデオなのと、フォーカスすることを知らない撮り手ですから、肝心な私の映像がちょっと遠すぎます、観衆は立ち見で溢れ天候の割に大勢で千人以上でしたでしょう。
黒田節 https://youtu.be/gQNj_E1ektA
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玉川学園の生徒さんが今年もフェスティバルに参加、男女合わせ60名程の団体にて、わざわざ日本からやって来ているのには驚きと、日本文化を広めてくれて感謝でした。観衆の中から学園関係者が撮ったと思われる1時間以上の全パフォーマンスビデオを下に記載しました。
Sakura Sunday Philly 2019 - Tamagawa University Drum & Dance Troupe
https://www.youtube.com/watch?v=B2Bud3Sk92w
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華やかで可愛らしい女生徒さん達に喜んで写真を撮らせて貰いました。
ビデオをステージ裏側から私が撮りました、玉川学園女生徒たちのグループの素晴らしい踊りでした。
https://youtu.be/0NYbOcq4CDk
https://youtu.be/smq3hXbyib8
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その後第二ステージに移動して二回目の公演でした、ここは小さなステージですからグループ舞では落ちないようにと心掛けていました。舞台侵入ステップが右側しかなく、黒田節は逆にして始めないとならずやっかいでした。前夜に作ったお弁当を食べたのが帰りの長距離バスを待つ時間まで駅にて30分休憩中の6時半頃にやっと頂きました。このお弁当は10人前はあり肩に背負い衣装一式を引いて自然公園内を歩くのは、全指先に皮膚が戻っていたけれども薄いので重く感じかなり今回は疲れました。私としては今回は写真係だけで参加と思っていたのですが、たっての願いでちょっと無理してしました。公演四日後に原因の分からない突然の熱で18日は1日中寝込んでしまいました。
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かなり長引いて完治せずを繰り返している皮膚感染症は初めての経験で、原因はたぶん精神的に受けた不条理な虐待(パワハラ)からではと私は判断しています。塾頭(シニア三段)の私は号令だけでなく生徒さん側全員へ指導して頂ける向かいの諸先生方に対する日本的な礼儀を正しく後輩に導く役でもあると理解していたのですが、面付け号令で席を外し休憩を道場の隅で取り、30分後に稽古に参加するパターンの70歳道場主で高齢を誰もが認めています。気が逸る若い生徒さんは用意万端と勢い良く立ち上がり、相手の先生方を見下ろし用意はまだかと待っているのは失礼と、道場の為、後輩の為にと、左最前列にて用意万端で座っている私は右腕で相手が用意できるまで座り直す様にとのジェスチャーを繰り返すのですが、若い後輩たちは一向に私の意を汲んでくれず首を傾げるだけである。それでも何度も分からせようとトライしていると、席を外した筈の道場主が居並ぶ先生方の前を横切り私に近ずいて来ては『そんなことはない、立った者を座らせることはいらない、さっさと稽古を始めろー』とです。
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小2の時のマラソン大会で校門に一番手で戻り2年生のゴールが何処か分からずに5分くらい足踏みをしていました。2番手で他のクラスの子が校門に来ると、彼もゴールが分からず私同様に足踏みを始めました。グランドに描かれた白線がカーブした50m先から、大きな声で他のクラスの子へ⚪︎⚪︎ちゃん〜こっちよー早く早くと旗を振っている担任女性教師の姿を確認。彼は私を置き去りに猛ダッシュでゴールへ駆け出しましたが、私の得意な単距離走なので一瞬に彼に追いつき追い越しゴール前の先生が持つ1着の旗へ手を差し出すと、なっ何とゴールが私から逃げては、1着の旗を2番手の子に渡し大喜びしているのです。正義感が強く曲がった事が嫌いで下級生や女の子を虐めている悪な上級生へにも仲裁に止めに入ります。それで喧嘩になることも少なくなく相手が数人でも逃げず闘い倒されても泣くことのない私の目から、公共での指導者による非条理に涙が溢れ出し止めなく空を見つめ唖然としていました。
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子供時にはその場の涙にて不条理を流しましたが、居並ぶ剣士の前で年老いた非条理な道場主を間違いと正す訳にもならず、ぐっと口を閉め心に秘めてしまったのが正常な己の精神へ害を与えてしまった様です。反論も出来ない状況下での叱咤は虐待行為である事を露にも理解出来ていない者に、自分を曲げてまで指導されたくはないとの決意に至る。道場には今年の年会費を支払い席は一応置いていますが、今は気が晴れるまで、ルーフでの素振りを一年間は続けられたと思っています。
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ここの道場の若者は稽古には私ほど熱心ではなく力の限り叩きたい闘いたいだけのスポーツ感覚での発散、月謝を納めていとのアスレッチククラブと同様なお客さん気分でのアメリカ式考え方なのでしょうか。道場は素晴らしい日本の心を少しづつ学ぶ所でもあるので、礼儀を全く弁えない人は要らないと入門時にお断りすれば良いのですが、、。マンハッタンでの道場経営は大変を理由に、アメリカだからフランク(気軽に)にの指導法では、剣道とは全く違う単なる運動クラブになり下がるでしょう。
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私が入門した時の初心者クラスは多くて5人だけの生徒で閑古鳥が自由に飛んでいました、それはクラスでは道場主だけの指導だったので問題あり、ここの道場では初段になると誰もが初心者クラスは卒業とアドバンスクラスだけの傾向で、初心者クラスでは先輩達から指導されることのない不思議な道場でした。今のように日に寄り20〜40名にも膨れ、多くの子供達や若者で10人三列になると左右上下の隣同士で竹刀が触れそうで危険とも思える繁盛は、初老の私が7年半にて徐々に三段へと駆け上りながらも初心者クラスにも毎回出席し、子供さんや後輩達へ身をもって力一杯打たせて来たことで、30分も横にした竹刀相手に打つことを繰り返しも何も返って来ない答えよりも、防具を付けた私を遠慮せずに力の限り打ちながら助言や褒められると断然と楽しみとなり、相手との間合いも分かりやすくなり技量向上が著しくなってゆくのを本人が知るからです。以前は来る日も来る日も同じで、竹刀を持っても地味な基本稽古ばかりでは子供達には退屈でしかなく、若者は力が有り余って消化できない不満が蓄積されては辞めていってしまったのでしょう。
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40年以上も道場を経営されて来たのは大変なことだと思いますが、たぶん日本で指導者としての修行を全くされて来なかった人が、時代的に試合に強いからと海外に出て食べる為に若くして道場主になってしまったのではと思います。技量よりも精神的な強さを世界に広めることが剣道であるとの全日本剣道連盟が求めていると私は理解していますが、此処に住む日本人がアメリカ国籍となり日本文化を商業化してしまわれた様に思います。それに比べ、外国人なのに日舞の我が師匠であるヘレン先生は日本の心を真から御理解され、お金にならない日本文化への御活動には本当に頭が下がり感謝しています。
[1623] 題名: 名前:ロン毛のアキ MAIL URL 投稿日:2019年04月21日 (日) 04時21分
公演前のメインステージ
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