【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く

討論掲示板

討論専門掲示版です。利用規約を守って御利用下さい。





TOPへ戻る

名前
メール
件名
投稿内容
ホームページ

アイコン /
アイコンのURL

/
削除キー COOKIE
文字色
背景色



No.404 初めまして
NAME:名無し

突然ですいません、中国人と日本人のハーフです。
少し私の思った事を書かせて頂こうと思います。
間違っている事だらけだと思いますが、ガキのたわごとだと思って読み流していただけると幸いです。

私が思うに、日本国籍をもっている外国人と、
(生まれも育ちも他の国だけど国籍は日本という方、という意味です)
外国国籍だけど日本で生まれ育った人、というのは全く違う立場にあると思うんです。

最近よく耳にする在日という言葉ですが、
決して国籍をとらずに長期滞在しているのが悪い、という事では無く、問題は国民性と生活習慣の違いではないかと私は考えています。
(滞在間の態度も大きな問題のひとつだとは思いますが)

現に、私は中国人の父と日本人の母を持つ混血ですが、私は生まれも育ちも日本だし、日本文化の中で暮らしてきたので、身だしなみや行儀などには結構気をつけている方だと思っています。
もちろん名前も日本語名、国籍も日本なので周りに中国人という扱いをされた事はありません。

しかし今年から少し私的な理由で父方の叔父
(純粋な中国人、中国で生まれ育ち中国語しか話せません)の所へ預けられる事になりました。

そこでやはり一番悩んだのが、生活習慣と思考、国民性の違いです。
すごく行儀が悪かったり、服装や髪形などを全く気にかけなかったり、お風呂には1週間に2度しか入れさせてもらえません。
ちゃんと勉強していても、遊びすぎだと怒鳴られ(中国の学生は、殆ど食事と寝る時以外は勉強に時間を費やすそうなので)

そこで私は、いくら身内だと言っても流石に驚きました。隣の国でも、こんなに違うものかと改めて体感したんです。

そして、もしこんなにも生活習慣の違う人たちが、自分達の国に土足で踏み入る様に上がりこみ、自身の生活習慣(中国人なら、中国の生活習慣)で勝手に暮らされると、もちろん踏み入られた方はいい思いはしないと思います。それはどう考えても、明らかに踏み込んだ側に落ち度がある、と思います。

しかしその間に生まれた子供に果たして罪はあるでしょうか。国籍が違い、名前が外国名でも、生まれた時から日本で育ち、日本の文化に慣れ、その中で暮らしてきた子供を、果たして外国人と呼べるでしょうか。

そんな人たちまで、在日系と呼ばれ、一部で非難または軽蔑されるのはどうも納得がいきません。こんな私の考えは、やはり子供でしょうか。

2010年02月04日 (木) 15時16分


No.406 初めまして
NAME:名無し2

結論から言えば、「子供に罪はない」です。

私は父も母も日本人ですが、「在日」という言葉にとても不快感を感じます。
それは、中国の方が日本に対して抱いている反日の感情と同じものを、「在日」という言葉からも感じるからです。

当人であるあなたは、より不快に感じていることでしょう。

ですがどうかお願いします。
「在日」と馬鹿にしてくるものがいれば、聞こえないふりをして許してあげてください。
彼らは反日に対して反中を唱え、悪循環を生み出している人たちです。
その悪循環の輪に、あなたのような方々が混ざることはないのです。

重要なのは、あなたがハーフであることではなく、あなた自身がどういう人であるかであって、それを生まれで判断するものではない、これをちゃんとわかっている人も必ずいます。
あなたの周りの人は、友人は、全員「在日」と言って侮辱してきますか?
そうでないのなら、私の言葉も理解していただけたのではと思います。

これから先ただ侮辱するだけでなくあなたの道を塞ごうとしてくる輩もいるかもしれません。
そんな時は冷静になって状況を判断し、足を掬い取られないようにしてください。

どうかあなたが批判に挫けないように

2010年11月12日 (金) 00時35分


No.411 はじめまして
NAME:名無し3

あなたのおっしゃることは「在日」に関する感覚的なものでしょう。
現代日本では、「在日」=外国人という扱いであるようになってしまって、あなたの立場では中国とのハーフであるから、「在日」であるという感覚でしょうか?
私の場合、帰化すれば良いし、日本の環境で生まれ育ち、日本を愛して、日本という国を故郷として帰住国が日本であるならば、それは日本人だと思います。
仮に父や母が他国籍でも、生まれ育ちが日本であり、日本の感覚を共有することが出来る人間は日本人ではないかと思います。

もちろん、法律では国籍の問題は大きく、また、日本国籍を取得することは難しい問題です。

その為にも中国の女性や韓国の女性は日本人と結婚したがっているのです(国家政策としての側面があるとも言えますが)。

あなたは中国人の学生は日本人と違って勉強をする以外無いという事を肌身で教えられましたよね?

それはあの国は歴然とした学歴差別社会であり、中国共産党に入ったとしても、その共産党の認めてる大学以外はカス扱いで、生涯賃金に格差があるからです。

軍国一党独裁国家の政策として、「国民民草は国家の財産であり、国家のためにより良く役に立つ人材である事」ということが文書明記されているような軍事独裁国家であり、自由民主主義陣営の中にいる中で、国民国家主義を唾棄する教育のなされてる(それも義務教育に左翼勢力が多数を占めるので)日本社会の感覚としてはあり得ない人権侵害の国家です。

さて、それでは、あなたのアイデンティティに関する問題でもある国籍と在日問題ですが、国籍が日本で無かろうと、日本に帰化し、日本を愛して、日本人になり、日本語で、日本のマナーや常識を守れる人、それでいて日本に子供を作り、代々受け継いでいく人は日本人だと思います。

その心や感覚こそが日本社会に必要な日本人であり、国籍はそれからだと思います。

日本人の中にもマナーやルールや常識を守れない人はたくさんいます。その人達は単に国籍日本人なだけの外国人ではないかと思ってしまいますよ(笑)

2019年09月02日 (月) 20時40分

No.410
NAME:明日の夢

国民の国民による政治にしませんか?
あら?書き込むキーが無い

2017年05月02日 (火) 11時18分

No.409 討論スレ
NAME:司会者

何でもいいんで何か議題出して討論しませんか?
討論というか話し合い的な議題は何でもいいです自分の意見を発表するときは分かりやすくかいてください。
第一回目は僕が決めます「いじめとは」
最近流行ってますよねいじめとはそもそも何なのか反対か賛成かの討論です第一回目スタート!!

2015年11月08日 (日) 12時23分

No.408 テスト
NAME:睦月

よろしく。

2012年09月25日 (火) 22時17分

No.407 早大生、目指してる人必見!!
NAME:早稲田

はじめまして、こんにちは。

早稲田大学の“生”の情報を日々配信している、
“ラウンジノート”です。
リンク:http://www.loungenote.com/

約50,000人が在籍するマンモス大学、早稲田。
テニス、スキー、音楽、イベント、広告研究会などサークルの数も、
3000を超えるとも言われています。
在校生も実態を掴めていない学校のリアルな学生の活動を配信しているサイトです。


そんなラウンジノートが、新たなUSTREAM討論番組を始めます!
その名も、「早大討論ラウンジ ガクチュー!」です。
現役早大生達が普段話せないテーマを真面目に討論をしてみます、という番組です。
http://www.loungenote.com/gakuchu/


政治、経済、エネルギー問題など固い話題から、
これからの音楽シーン、就職活動など身近なテーマまで、
様々な活動をしている多彩な学生達が真面目に討論します。

よくよく考えてみると、大学に入ってたかだか数年で社会に出ます。
でも、その貴重な期間に、大学時代に会って話ができる人は何人いるんでしょうか?

会えなかった人には、将来のオリンピック選手、政治家、社長、フリーター、芸人など
様々な才能や個性がいるのは間違いありません。
社会に出てからでは出会えない人たちに、今ならちょっぴり頑張れば出会えるのです。
だから、始めます。

高校生の皆さんも未来の大学生活を充実させるヒントに出会えると思います!
是非ご覧ください!

第一回テーマは、自己紹介もかねて「今、早稲田を考える」です。
USTREAM番組なので、Twitterで皆さんも討論に参加できます!
素朴な質問も可能な限り答えていきます!

Twitter公式ハッシュタグ:#ガクチュー
Twitterアカウント:http://twitter.com/gakuchu_info

2012年07月12日 (木) 15時44分

No.402 引き続き
NAME:やん

>>良く朝鮮日報などを読んでいると小泉総理や石原都知事の批判が相次いでいますが、韓国人はしっかりと「koizumi」「ishihara」と読んでいるのかな?読んでいないだろうな、普通は自国語で読むもの。ここで日本人が「人格権の侵害だ!」と裁判を起こしたらニュースにはなるだろうけど馬鹿者扱いされてマスコミも日本語読みにする等とはしないと思いますよ。まあ、日本読みをしていたとしてもコリアンの読み方と結べる物ではありませんが。韓国人は己の意思で日本読みをしているのであってその意思を日本人に押し付けるのは無理がありますね。まあ、これは飽くまで韓国人が日本人を日本読みしていたらの話ですが。

えーと、おそらく韓国語に対する知識が不足しているのでしょう。韓国語では日本人の名前は一部の歴史上の人物の名前を除き原音(に近い音)で呼んでいます。鳩山なら「ハトヤマ」、小泉なら「コイジュミ」です。
韓国語にはZの発音がないのでZがJになります。普通は自国語で読む、とおっしゃいますが、それは不可能です。現在韓国人の漢字に対する知識は想像以上に乏しいです。日本人の名前の漢字をどう読むか、そんなことをいちいち考えて呼ぶことなどしません。ただ、例外は先ほど述べた一部の歴史上の人物です。豊臣秀吉などは「プンシンブギル」などと呼ぶこともあるそうですが、基本的には「トヨトミヒデヨシ」です。

思い込みで何かを決め付けるのは大変危険なことです。是非ご自身で確認してみる姿勢を大事にしてみてください。

2009年10月31日 (土) 09時35分


No.403
NAME:元在日韓国人

あなたのおかげで5年越しの恨みをようやく果たせたよ。ほんとにあなたはすばらしい方だ。
ここの管理人は言いたいことだけいって逃げていきやがった。あなたのこの全うな意見に正面からぶつかっていく勇気もないだろう。是非あなたのその知識を多くのことに役立ててください。さようなら。

2009年11月27日 (金) 19時00分

No.382 連絡
NAME:越中中納言

ご無沙汰しております。「越中戦国の里」の越中中納言です。
このたび我がサイトの更新を停止いたしました。実質閉鎖ですのでリンクについては管理人様のご判断にお任せいたします。
それでは、よろしくお願いします。

陸奥様へ>総合掲示板が使えないので、こちらに書かせていただきました。このサイトさんは個人的に参考にしておりますので、今後ともよろしくお願いします。

2006年12月26日 (火) 13時56分


No.384
NAME:陸奥武晴

返信、遅れてしまいました。
閉鎖は残念ですが仕方ありませんね。学業に専念してください。

リンクに関しましては、実質閉鎖でもリンクを外しがたいサイトですのでこのままとさせていただきたいと思います。

今後ともよろしくお願い致します(^^

2007年01月01日 (月) 01時56分

No.372 「参拝と政教分離」について
NAME:やままる

こんにちは、やままるです。
さて、今回は「参拝と政教分離」について書かせていただきます。

はじめに私のスタンスを明らかにしますが、私は自分で言うのもなんですが、「筋金入りの政教分離主義者」です。一貫して公人の靖国参拝には反対の立場をとり、インターネット討論(fj.life.religion, fj.soc.politicsなど)でもそのように発言してきました。fjではしばしば「サヨク」と言われました。

>他神社は合憲で靖国神社が違憲なのはどのような理由があるのでしょうか?

とのことですが、余人は知らず、私は他の神社なら合憲だとはいいません。私的参拝であることが疑う余地無く明らかである場合を除き、すべて違憲だと考えます。私的参拝の条件とは、1975年、三木首相当時に政府が定めた4条件をいいます。
原告側敗訴にはなりましたが津地鎮祭訴訟、そして原告側勝訴の愛媛玉串料訴訟をご存知でしょう?靖国批判派は、靖国参拝だけをとりあげているわけではありません。ただ、靖国が最大のターゲットであるのは確かですが、それについては今後おいおい触れていくことになるでしょう。

>内閣総理大臣の職に就いた瞬間に信条の自由を奪われ無宗教にならなくてはならないのは無理な話です。

公人には私人と違って制約があるのは当然です。たとえば、彼らはテレビに映ります。この時、肖像権がどうとかは問題になりません。無宗教になれというのではなく、公人として宗教活動をするな、というのが憲法の規定です。

>慰霊行為が宗教活動でない

これは、宗教の定義がまずなされねばなりません。今後の討論を意味あるものにするためお尋ねしますが、陸奥さんは宗教の定義をどうなさっていますか?異教徒の参拝があったから慰霊行為は宗教活動でないというのは論理的ではありません。世界的なレベルで今日では諸宗教は相互に宥和的になりつつあり、所属の宗教と別の宗教施設に参拝することはままあります。カトリックの神父が禅寺で坐禅をする、などということもあります。それを宗教活動ではない、とはいえないはずです。

私自身は、宗教の定義については、今日の宗教学で妥当とされているところの、ルドルフ・オットーの立場をとります(『聖なるもの』(岩波文庫)参照)。すなわち、神聖観念の有無(客観的には礼拝の有無)がかぎです。散歩の途中に神社に立ち寄ったとかいうのは参拝ではなく宗教活動ではありませんが、畏敬の念をもって神社を訪ねれば、それは参拝であり宗教活動です。

ところで、参拝と慰霊とは別のことがらであることに注意して下さい。慰霊のために参拝するとは限りません。神道においては魂鎮め、魂振り、招魂というものがありますが、これは慰霊とは明らかに別です。そもそも、本来は神道には慰霊の観念や儀式はありません。それに、靖国神社において祭祀の対象は英霊(神)であって、単なる人霊ではありません。人霊ならば慰霊ということもありうるでしょうが。たとえば、伊勢神宮に参拝して天照大神や豊受大神を慰霊するとはおかしいでしょう?

2006年10月17日 (火) 20時13分


No.373
NAME:陸奥武晴

返信が遅れてしまいまして申し訳ありません。
こちらもできるだけ自分の意見を主張したい所ですが、残念ながら現在多忙の為に反論・意見文を考え書くだけの余裕がありません。
やままるさんには申し訳御座いませんが、ご理解いただきたく思います。

今日の所は簡単にはなりますが返信をさせていただきます。

>fjではしばしば「サヨク」と言われました。

あまり討論で右翼や左翼と言っても話が進まないだけですので私は言いません。そこはご心配なく。

>靖国批判派は、靖国参拝だけをとりあげているわけではありません。

そのような靖国批判派は極少数でしょう。
政府もしくは自治体が特定の宗教施設・団体に対して金銭に関する支出をした場合、それを中止させる裁判は起きることがありますが伊勢神宮に参拝して「伊勢神宮参拝訴訟」や厳島神社に参拝して「厳島神社参拝訴訟」など起きたりはしません。

しかも靖国神社参拝に反対する人の多くは歴史的な問題を主流に挙げており、これのみが理由と言ってもおかしくはありません(だから伊勢や明治はターゲットにならないのでしょう)。
憲法問題などは参拝反対論に説得力を増す為に後付されたものだと思います。

>公人には私人と違って制約があるのは当然です。

それならば国や自治体が神道の神社や仏教の寺・大仏などを国宝や重要文化財に指定するのも憲法違反ですね。

政治家が選挙の時に勝利祈願をするのも憲法違反ですね。

憲法違反論者は参拝だけに強く拘っているように感じられます。
一般的に多くの国は宗教と関連した行動を取っています。例えば米国では大統領就任の際に聖書に手を置き、誓いの言葉(だったかな?)を述べています。

政教分離の考えは分かります。
が、これは死文化と言って良いと思います。これを違反と言っていたら何も出来ません。
当然、総理大臣が戦没者へ追悼の念を表する事も出来ません。総理大臣・大統領の戦没者への追悼(参拝、墓地参りなど)は国際的に多く認められており田中真紀子氏も外相時代に米国を訪問した際に国立戦没者墓地に赴いたり、アナン国連事務総長、ブッシュ大統領も日本を訪問の際に靖国神社参拝を希望しました(外務省により阻止されましたが)。

当然、欧米をはじめ多くの国々では憲法に「政教分離」が明記されています。
しかし、問題なのはやままるさんの言うような「公人が宗教施設で宗教行為をしてはいけない」という事ではなく「特定の宗教を国教としてはいけない」と言う事だと私は思っています。

実際問題、政教分離を行ない神社に参拝できなくなったからと言って何か意味でも有るのでしょうか。
むしろ、戦没者に対して追悼の意も唱えられない国になってしうだけだと思います。

>慰霊行為が宗教活動でない

こと事に関してはこの場で「慰霊行為は宗教活動」と訂正させていただきます。
やままるさんも疑問に思ったように私もこれを書いた後、指摘を受けまして認識を改めました。

本当は本文に追記で訂正のお詫びをしたい所なのですが、多忙である事と記事が多くて手が回らない為にそれが出来ない状況にあります。
前回のスレでもありましたが、私のミスによりご迷惑をお掛けして申し訳御座いません。

さて、他にもいろいろ意見を載せたいところですが今日はここまでにします。
11月以降は時間に余裕が出来ますのでその時は充実した討論が出来るかと思います。ですので返信も出来たり出来なかったりすると思いますが、ご理解の方をお願い致します。

2006年10月20日 (金) 21時58分


No.374
NAME:やままる

>残念ながら現在多忙の為に反論・意見文を考え書くだけの余裕がありません。

それでは、私の方も、いろいろ述べておきたいことはありますが、ここでは、今回の陸奥さんの疑問に対して簡略にのみお答えしておきます。

なぜ他の神社への参拝は問題にならないのか?伊勢神宮への参拝は私は問題だと思っています。少なくとも、参拝することをマスコミにリークするならば、それは私人としての宗教活動ではなく、公人としての宗教活動とみなされます。

>靖国神社参拝に反対する人の多くは歴史的な問題を主流に挙げており、これのみが理由と言ってもおかしくはありません

歴史的な問題とは具体的にどういうことを意味しているのか分かりませんので、次回に詳しく説明して下さい。

とりあえず言っておきたいことは、いわゆる「靖国問題」とは、靖国神社国家護持法案への反対運動から出発しているということです。すなわち、1967年のことです。その原点は、信教の自由ということだったのです。そして、反対運動を重ね、「なぜ政府自民党は執拗に靖国神社にこだわるのか」を問う中で、靖国神社の特殊な性格がみえてきたわけです。反対運動というものは、靖国に限りませんが、一方に政府自民党の推進しようとする何らかの動きへの反対というかたちで展開されます。他の神社を国家護持するなどという動きはないわけですから、反対運動のターゲットが靖国神社になるのは当然でしょう。

反対運動は、1970年代中ごろから、政教分離原則違反とともに、靖国神社の特殊な性格に焦点をあてることになりました。

ですから、政教分離=信教の自由という論拠は厳然としてあるのです。後付けの理由というのはむしろ逆で、それが出発点なのです。念のために言っておきますと、中国や韓国と仲良くするためには参拝すべきでない、という考え方を私はとりません。また、A級戦犯の分祀も国が干渉することではないと思っています。まともな靖国参拝批判派はみなそうです。

>政教分離の考えは分かります。 が、これは死文化と言って良いと思います。これを違反と言っていたら何も出来ません。

実際問題として、宗教は習俗や文化へと展開され、その境界線は明確にはなりにくい、そして、政治が習俗や文化を切り捨てることはできない。そこで、最高裁判所および憲法学の主流の見解としては、目的効果基準を導入することになりました。いわゆるレモンテストです。文化財保護や私立学校への補助金は目的効果基準をクリアしているのは確実ですし、それについて異論がでるはずもありません。どう考えても「宗教活動」ではありませんしね。

それにしても「死文化」とは... そんなことで靖国参拝が擁護できるんでしょうか。現実は死文化などしていません。だからこそ違憲訴訟があるわけです。死文化してほしいという願望を述べているんでしょうか。

次に、欧米と日本とでは、政教分離を定めた動機も歴史的背景も異ります。欧米ではこうだ、というのは私たちの問題を考える上では、規範にはなりません。日本は日本、欧米は欧米です。

>「公人が宗教施設で宗教行為をしてはいけない」という事ではなく「特定の宗教を国教としてはいけない」と言う事だと私は思っています。

現在の日本国憲法によれば「公人が宗教施設で宗教行為をしてはいけない」のです。もし、現行憲法が気に入らないというならば憲法改正してからのはなしです。気に入らなくとも、法治国家であるいじょう、法は守らねばなりません。

参考のために陸奥さんにお尋ねします。靖国神社を国家護持することにはどうお考えですか。

>戦没者に対して追悼の意も唱えられない国になって

ここは大切な論点です。では、靖国神社は戦没者を追悼するための施設なのか?私見によれば、ここに誤解の根源があります。靖国神社は追悼の場でもなければ慰霊の場でもありません。

また、靖国神社にかわるべき「国立追悼施設」構想についても、私は反対の立場です。追悼は国が行うことではありません。人間が追悼するのです。100人いれば100とおりの追悼のしかたがあります。それぞれの感情はみな微妙に異ります。国(政治)がなすべきことは、いかにすれば追悼される人々を少なくできるか、を考えて実践することであり、それ以上ではありません。

2006年10月21日 (土) 21時19分


No.375
NAME:陸奥武晴

休日ですのでちょっと投稿したいと思います。

>歴史的な問題とは具体的にどういうことを意味しているのか分かりませんので、次回に詳しく説明して下さい。

これはやままるさんも述べられたA級戦犯の話です。「靖国神社は軍事的背景がある云々」と言う人もいますので、これも含まれます。

今回、やままるさんの投稿を読む限り、焦点は「政教分離」でありますのでそこだけに論点を絞りたいと思います。

>反対運動のターゲットが靖国神社になるのは当然でしょう。
ですから私は何故、他の神社への参拝の時に参拝反対派がこぞって「政教分離に反する!」と批判しないかと言っているんです。
靖国神社が一番最初に「政教分離問題」とされた所以が「靖国神社国家護持法」と言う事は分かりましたが、現実問題として靖国神社のみに(やままるさんは違うようですが)「政教分離に反する!」と批判している現状からして「何故靖国だけなんだ」と言われても仕方ないと思います。やままるさんの仰る事は当時の(最近も麻生太郎氏が総裁選で言ってましたが)靖国神社国家護持法案提出の時には「そうですね」と言えますが法案が廃案になり、政教分離論の対象が法案から参拝になった以上は他の神社への参拝も同様に批判しなくてはいけません。本当に政教分離を考えているのであれば他の神社の参拝のときにも「政教分離に反する!」というべきです。

しかし実際の所、靖国神社参拝の時は数多くある批判の中で必ず「政教分離」が出て来ますが他の神社に参拝したときは殆ど批判はありません。たとえば朝日新聞は靖国神社に首相が参拝したときは社説を組んでまで批判しますが、伊勢神宮や厳島神社に参拝したときは参拝した事実のみを報道するだけで批判など全くしません。
だから私は参拝批判の本質はA級戦犯合祀や「軍事的背景云々」であり、政教分離などは批判派にとって大して重要ではないと思うのです。まともに政教分離が主流だったのはやままるさんが示されました靖国神社国家護持法案提出のときではないでしょうか。

>まともな靖国参拝批判派はみなそうです。
「まともな」とは政教分離のみに焦点を当ててA級戦犯分祀の国介入、中韓批判の為の参拝反対に賛成しない人のことを指しているのですね?
新聞の世論調査を見る限り、そのような人が多いとは感じられません(新聞の世論調査が統計学的に信憑性があるかは疑問ですが)。一体やままるさんの仰る「まともな批判派」は参拝批判派の中でどれだけ占めているのでしょうか。

>死文化してほしいという願望を述べているんでしょうか。
別にそんな詰らないことを言ってるわけじゃありません。

>現在の日本国憲法によれば「公人が宗教施設で宗教行為をしてはいけない」のです。

「1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とも書かれています。
参拝批判派であればこのような意見はいくらか有ったかと思いますが、個人の価値観の違いにも思えてきます。
裁判官にしたって「違憲」と言う人や「合憲」と言う人でまちまちです。

やままるさんが言われた津地鎮祭訴訟においても裁判官は主文で「憲法の原則は、国が宗教的に中立であることを要求するが、国が宗教と関わる事を全く許さないとするものではない。
宗教に関する行為の目的及び効果を鑑み、係わり合いが吾国の社会・文化的諸条件に照らし信教の自由の保障という制度との関係で限度を超えると認められる場合は、違憲である。
憲法20条にいう宗教的活動とは、国の活動で宗教と関係する全ての行為を指す訳ではなく、行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう」としています。
この主文からすれば参拝も「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」とは言えないので違憲性はない=合憲と言えます。


日本人であれば参拝は慣例的な行為で極自然な事です。この自然な慣例まで「違憲」とすること自体に私は疑問に感じます。
日本は日本、と言うのであれば慣例的な行為まで禁止するのはどうかと思います。

また、裁判でよく「違憲判決が出た」とマスコミが騒ぎ立てますがこの殆どは裁判官の「傍論」であって「判決」ではありません。悪く言えば独り言に過ぎません。

>靖国神社は追悼の場でもなければ慰霊の場でもありません。

あの時代の人たちは「靖国に行こう」「靖国で会おう」と言って戦死した人ばかりです(当然、嫌で戦争に行って戦死した人も多くいますが)。と言う事は「魂」たるものが存在するとすればその戦死者の魂は靖国神社にある事になります。追悼の場、慰霊の場としては適していると思いますが。

また、靖国神社も靖国神社を「日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である」(公式サイトより)とし総理大臣の参拝にも肯定的です。このようなことからして「追悼の場ではない」と言っても意味がないと思うのですが。

>靖国神社を国家護持することにはどうお考えですか。

まあ、私としては出来るならやってもらいたいところですが、実際問題無理じゃないですか?
現状で問題があるとはいえないんですから、現状のままで良いと思います。
また、「非宗教化」することにたいしても靖国神社はかたくなに拒否しているのでそうした面からも無理だと思います。

さて、次に私が投稿できるのは恐らく11月になると思います。

では。

2006年10月23日 (月) 04時01分


No.376
NAME:やままる

書き落としていた点があることに気づきましたので、掲示板機能を使って編集(加筆)します。御了承下さい。

はじめに私が書き込みをした動機といいますか、陸奥さんの記事に反論したかったことのポイントは三つです。

1. 靖国神社参拝は批判するのに他の神社については何もいわないのは、なぜか。この点について、陸奥さんは、政教分離という憲法論が理由ではないから、と断じているわけですが、私はこれに対して、
>政教分離=信教の自由という論拠は厳然としてあるのです。後付けの理由というのはむしろ逆で、それが出発点なのです。
と述べました。それについては了解いただいたと思います。そして、他の神社の参拝について違憲訴訟が起きないのはなぜかについては、
(a)他の神社については、少なくとも公式参拝が問題になったことはないから。
(b)反対運動の歴史的背景からして、靖国神社に運動のエネルギーを集中するのが効率的だから
といったところだと思います。(私はじっさいには訴訟の経験がありませんので、評論家的な物言いになってしまいますが)
伊勢神宮への念頭参拝については、共産党は批判していますね。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-04/2006010402_04_1.html
もちろん、私を含め個人のレベルで批判しているケースは少なくないのですが、マスコミがとりあげないのは事実です。

なお以上に関連して、私の
>まともな靖国参拝批判派はみなそうです。
について補足説明させていただきます。賛成派も反対派も、その理由はさまざまであることは承知しています。同じ「反対派」といっても、中国や韓国の反対があるからとか、A級戦犯の合祀があるから、という理由を挙げる人も、当然のことながらいるわけです。しかし、そういう「反対派」 は真の反対派ではない、というのが私の意図です。というのは、中国や韓国が反対しなかったら賛成である、A級戦犯の合祀さえなければ賛成である、となりかねないからです。ただ、「まともな」という語は良くなかった、と思います。

2. 公人による宗教活動は違憲ではないのか。
陸奥さんは
>内閣総理大臣の職に就いた瞬間に信条の自由を奪われ無宗教にならなくてはならないのは無理な話です。 (a)
>「公人が宗教施設で宗教行為をしてはいけない」という事ではなく「特定の宗教を国教としてはいけない」と言う事 (b)
>日本人であれば参拝は慣例的な行為で極自然な事です (c)
とおっしゃいます。(a)については既に反論しましたが、憲法はなにも、首相が無宗教になることを要求しているのではないということです。この点はよろしいでしょうか?
また(b)に関しては、憲法第20条第3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあるように、「公人が宗教施設で宗教行為をしてはいけない」のです。陸奥さんは、御自分の主張(b)と憲法の規定との間に矛盾がないことを証明なさるべきです。
さらに(c)に関しては、主語を日本人一般ではなく、公人としてみれば、慣例とはいえないか、慣例であるとしても悪しき慣例なので改められねばならない、ということです。極自然であるともいえません。私にしてみれば、非常に不自然です。

3. 慰霊は宗教活動云々
この点に関しては、すでに認識を改められたとのことですので、論点からはずします。

--------------------------------------
そして、No.373,375から新しい論点が生じていると思われますので、それを挙げます。

4. 「死文化」云々
これは陸奥さんが言い出されたことですが、私にはその真意がわかりません。どういうことなのか説明して下さい。

5. 目的効果基準に照らして、公人の参拝は宗教活動にあたるのか
陸奥さんがおっしゃるように、裁判官によってその線引きはまちまちです。今後、議論を煮詰めましょう。またここで「宗教活動」とは、No.375で引用されたような「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう」という定義が妥当なのかどうかも論点になりえます(この定義に異論を唱える裁判官や憲法学者もいます)。

6. 靖国神社は追悼・慰霊の場なのか
これも、政教分離の問題とともに、私が問題にしたいポイントです。
まず、陸奥さんに確認の意味での質問をさせていただきます。靖国神社で祭祀の対象になっているのは人霊ではなく英霊(神)である、言い換えれば、靖国神社は戦死者を神とみなして崇敬する宗教施設であり、したがって全戦没者の慰霊を目的にしているわけではない、このことは御存知なのですね?

少しだけ、ここで私見を述べます。
>「魂」たるものが存在するとすればその戦死者の魂は靖国神社にある事になります。
に関して言わせていただければ、これ自体が宗教的な観念に他ならず、それに異論を持つ人が遺族の中にいるのもまた事実です。例えば、「亡くなった主人はクリスチャンだったから天国で永眠している」「亡くなった兄は真宗門徒だったから浄土に往生している」「魂は存在しない」...このように色々な考えがあるのですから、仮に百歩譲って靖国が追悼の施設であったとしても、靖国「だけ」が戦死者追悼の施設であるとはいえません。(小泉さんも、私人として靖国神社ばっかりでなく、たまには本願寺の「全戦没者追弔法会」に出席したらどうでしょう)

勝手に論点を整理させてもらいました。別の整理のしかたもあるでしょうし、今後新たな論点が生じることもありえるでしょうが、とりあえずこんなところでいかがでしょう?

2006年10月23日 (月) 22時54分


No.383
NAME:陸奥武晴

11月に返信すると言いながら結局、返信することが出来ませんでした。申し訳御座いません。

今更、これの返信をしても卑怯な感じもしますし、また返信できなくなる可能性もありますので見合わせたいと思います。

ただ、やままるさんがメッセージを残してくだされば(やままるさんがいらっしゃらないのに反論するのに罪悪感を感じるから)反論文は載せたいと思います。、、、、が、それが討論として続くかは分かりません。

管理人とし大変失礼致しました。心よりお詫び申しあげます。

2007年01月01日 (月) 01時54分

No.357 「韓国名称の韓国読み」について
NAME:やままる

たまたま検索で貴サイトにたどり着きました。
「韓国名称の韓国読み」についてですが、これは著者の方は誤解なさっているようです。少なくとも私には、説得力を持ちませんでした。
私自身、かつて、同じ疑問を持ったことがあり、調べていました。結論は、「相互主義」かつ「原則現地音尊重主義」が、外来語を取り入れる際の日本語の原則であることが判明しました。この原則からすると、中国名のみは日本語読みしているのが原則からはずれるわけですが、それには理由があります。とは言え、この理由は暗黙の了解のようなものですが、漢字を日常に使用している日本と中国の間の問題ですから、例外中の例外といえましょう。
御存知のように、中国は漢字表記が一般的であり、表音文字(ピンイン)は教育目的を除けば、一般的ではありません。ですから「鈴木」を「すずき」と中国人が読むことは極めて難しい。日本は、表音文字を持つため、「魯」を「ルー」と表記するのに問題はないはずですが、「相互主義」が優先して「ろ」になってしまう、というわけです。

2006年09月29日 (金) 23時44分


No.358
NAME:陸奥武晴

どうも初めまして。管理人の陸奥と申します。

え〜、記事が数年前のもので私も一切追記をしてなかったのですがネット検索しているうちに「相互主義」や「現地音尊重主義」などと言うものは知っていました。
テレビで拉致被害者が帰国してくる時の朝鮮中央テレビの様子をニュースで見ても確かに日本人の名前は日本語読みで言っていました。

しかし、私の主張は変りません。
「盧武紘」も「ノムヒョン」とは読みません(漢字間違えてたらすみません)。
「金大中」も「キムデジュン」とは読みません。

漢字で表記されている以上、日本人には「発音権」があると思います。もし、コリアンが日本人に「キム」とか「ボク」と言ってもらいたいのであればそれは漢字表記ではなくカタカナで表記すべきであると思います。そうすれば私も現地音で読むことに賛成できますし、在日コリアンたちも自分達が外国人である自覚が出てくると思います。
また、コリアンたちは今でもこの発音問題に関して「日本語読みされると自尊心が傷つく」と真っ先に主張しており「相互主義」を真っ先に言うコリアンはあまりいません。
「韓国名称の韓国語読み」でも書きましたが崔昌華氏の裁判が原因で「相互主義」たるものが生まれましたが、あてつけのようにしか感じられません。
やままるさんも仰っておりますが相互主義は条約があるわけでもなく「暗黙の了解」程度の話であってどう発音するかは最終的には個人の自由だと思います。

支那との相互主義にしたって1000年以上昔からお互いに独自の発音で呼び合っており「相互主義」と言うのは後からきた後付だと思います。

2006年10月04日 (水) 00時32分


No.359
NAME:やままる

>漢字で表記されている以上、日本人には「発音権」があると思います。

「発音権」とは初めて聞く言葉ですが、それはどういう権利で、どこで用いられていますか?例の「本名裁判」でも、判決文も被告のNHKもそういう「権利」?については一言もいっていないので、詳しい説明が必要かと思います。

陸奥さん自身が固有名をどういう読み方をするのか、そのこと自体はおそらく陸奥さんの「権利」なのでしょう。しかし、言葉をどのように用いるかという問題は、権利ではなく相互理解の問題です。たとえば、「私は"ホーチミン"というのはいやだから"こしめい"と言わせてもらう」と宣言するのは勝手でしょうが、それで意思の疎通がはかれるでしょうか。裁判当時であれば、まだ多くの日本人は日本語ふうに読んでいましたが、今や情勢は逆であるという現実を頭に入れねばなりません。

>もし、コリアンが日本人に「キム」とか「ボク」と言ってもらいたいのであればそれは漢字表記ではなくカタカナで表記すべきであると思います。

これは一理あると思います。そこでお聞きしたいのですが、陸奥さんは、在日コリアンから名刺を渡されて、そこには漢字名(カタカナ名)が印刷されていたら、カタカナで書かれた原音(近似音)で読みますか?

実際に、新聞では、盧武鉉(ノムヒョン)などと書かれていますが、その場合でもわざわざ「ろぶげん」と読むのでしょうか?

>「韓国名称の韓国語読み」でも書きましたが崔昌華氏の裁判が原因で「相互主義」たるものが生まれましたが、あてつけのようにしか感じられません。

「相互主義」は、先の投稿において「暗黙の了解」であり「例外中の例外」と書いた通り、これは日本-中国のあいだのことであって、コリアンが原音で読むから日本人も原音で、ということではありません。かつ、これはコリアンが言い出したことではなく、NHKが裁判の後で自らの基準としたことですので、「あてつけ」とかいうのは筋違いでしょう。

2006年10月04日 (水) 14時11分


No.360
NAME:やままる

>支那との相互主義にしたって1000年以上昔からお互いに独自の発音で呼び合っており「相互主義」と言うのは後からきた後付だと思います。

この部分に関しての補足意見です。

1000年以上昔、というのならば、漢字が日本に輸入されたというか、日本が漢字を使用し始めた当時というのは、原音主義だったのです。御存知のとおり、音読みには唐音・漢音・呉音の別があり、さらに明音まで取り入れていたという事実は、日本の伝統においては本来原音尊重があったことを示しています。「お互いに独自の発音で呼び合って」いた事実を私は見出すことができません。もちろん、国風文化時代および鎖国時代においては交流がとだえたために、現地音の変化についていけなかった、ということはありますが、それは墨守とは違います。音読みはむしろ、古代中国語の発音を比較的よく保存しているということが言われていますね。

2006年10月04日 (水) 22時30分


No.361
NAME:陸奥武晴

発音権>
言い方を変えるとすれば国語権ですかね。
少なくても漢字で表記されている以上は日本語における発音(この場合、音読み)を使用する権利と言う意味で私は使用しました。
なのでこの権利を外国人に「うちの発音に合わせろ」と言われたくない、と言いたいわけです。
NHKとしても「発音権」や「国語権」などという単語はやままるさんの仰るとおり、触れてこそいないですが、崔昌華氏の主張を無視してまで「さいしょうか」と発音し、抗議にも謝罪しなかったのは当時のNHKが「漢字表記されていれば日本語読み」との認識があった(要は国語権・発音権)からではないですか?

>「私は"ホーチミン"というのはいやだから"こしめい"と言わせてもらう」と宣言するのは勝手でしょう

私は漢字表記についてのみネットで議題にしたのでホーチミンは例になりません。
まあ、ホーチミンが「胡志明(漢字間違ってたらすみません)」と表記されていれば分かりませんが、少なくても胡志明はカタカナ表記で「ホーチミン」となっています。

これと同じでコリアンも自分の名前を向こうの原音で呼んでもらいたいのであればカタカナ表記にすべきと言う事です。

>在日コリアンから名刺を渡されて、そこには漢字名(カタカナ名)が印刷されていたら、カタカナで書かれた原音(近似音)で読みますか?

状況によると思います。
恐らくは最初は音読みで読んで向こうからの指摘があれば原音で読むかと思います。
ただ、最近じゃ日本語読みで呼んだだけで人権侵害と言われ訴えられるケースもありますので自己保身の為に(さすがに本音があっても身の危険性を考えると仕方ありません)原音で呼ぶかもしれませんね。

ただ、新聞や雑誌などの場合は仰るとおり日本語の音読みで読みます。
実際に帰国された拉致被害者の方も長い間、北朝鮮にいましたが原音で発音せずに音読みで発音する人もいます。
例えば確か曽我さんは「万景峰号」の事を「マンギョンボン号」ではなく「ばんけいほう号」と言っていましたが、これにしたって発音権が絡んでくると思います。
しかし、拉致被害者の方がコリアンとの相互理解が出来ていないとなると答えはNOでしょう。

>「あてつけ」とかいうのは筋違いでしょう

「あてつけ」は確かに言葉が間違えていたかと思いますので訂正します。
ただ、この時NHKを初めとするメディアがコリアンの漢字表記をカタカナ表記にしなかったのは完全なミスだと思います。

最近、ようやく「ぺ・ヨンジュン」とか「ウォンビン」などとカタカナ表記になってきましたが漢字表記だと原音が分からない、わざわざ相手に合わせなくてはいけない、わかりずらい等のデメリットもあります。

>「お互いに独自の発音で呼び合って」いた事実を私は見出すことができません。

この手の歴史はやままるさんの方が詳しそうなのでお尋ねしますが、具体的に日本人が人名の「王」を「おう」、「白」を「はく」、江を「こう」などと日本語読みし始めたのはいつからなのでしょうか?
唐の時代は唐音が入ってきて唐音で発音したり明の時代は明音が入ってきて明音で発音したりしていたのでしょうか?(漢字が入ってきた時からずっと漢音で発音しているのかと思っていました。)

2006年10月06日 (金) 00時44分


No.363
NAME:やままる

発音権にしろ国語権にしろ、あまりよく分からないんです。言語権という概念は近年確立しつつあるといえますが、これとは違うようです。
「漢字で表記された固有名を、日本語ふう音読みで発音する権利」であるとして、それは人格権の一種と考えられるのか、それとも単なる「自由」の言い換えであるのか?私にはどうも後者としか思えないのですが。

>当時のNHKが「漢字表記されていれば日本語読み」との認識があった(要は国語権・発音権)からではないですか?

本名裁判の時に、NHKが主張したのは大まかにいって二つあります。一つは技術上の問題というか、二言語間における音韻体系に関わる問題ですが、これは容易に論破できるので、ここでは取り上げません。もう一つは、慣用もしくは慣習という問題です。こちらの方が本質的です。そこで裁判所の判断もこれを中心としてなされています。

このように、漢字表記された固有名をどのように読むのか、は専ら慣習によるのであって、「権利」とはなじまないと考えます。「〜と読まれる権利」は人格権の一部といえますが、「〜と読む権利」はとても奇妙に聞こえます。少なくとも被告のNHKも裁判所も、権利がどうとか、自由がどうとかは言いませんでした。原告が人格権を武器にして訴訟を起しているわけですから、それに対抗するには概念として確立していない「国語権」では明らかに弱いのです。裁判所の判断でも、「人は他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有する」ことは認めながら、「慣用の問題からただちに違法とはいえない」としていますね。ただ同時に、「(慣用は)原音主義とできるだけ妥協する方向で変容することがのぞましい」ともしているのは、裁判官の苦悩の現われだ、と言語学者の田中克彦氏は言っています。

さて、先に「ホーチミン」の例を出しましたが、これは「慣用」および「意思疎通」ということを考えていただくための材料のつもりでした。今、別の例を出しましょう。他ならぬ「陸奥」さんのお名前です(ハンドルネームかも知れませんが、仮に貴方の本名とします)。
誰かに「りくおく」と呼ばれたら、「いいえ、むつです」と注意を促すのではありませんか。それに対して相手が「陸は"りく"で奥は"おく"だから、"りくおく"と呼ばせてもらう」と言い張ったらおかしいですね。日本人でも、どういう読み方をするのか分からない場合があって(例:二村「にむら」「ふたむら」)、そういう時には、間違って呼ばないように気を使います。それはひとえに、「相手を人間として尊重する」という発想からきているのです。これが私の言いたいことの最大のポイントです。

>恐らくは最初は音読みで読んで向こうからの指摘があれば原音で読むかと思います。
>新聞や雑誌などの場合は仰るとおり日本語の音読みで読みます。

かなで読み方が記されていても、それは無視してあくまでも日本語ふうに読む、と。私には、それは失礼ながら非常に頑なな態度に思われます。日本語の中で漢字が使われていれば日本語ふうに読むべきである、という固い信念からなのか、あるいは何かイデオロギー的なもの(ナショナリズム)があるのか...

>ただ、最近じゃ日本語読みで呼んだだけで人権侵害と言われ訴えられるケースもあります

寡聞にして知らないのですが、具体的なことを教えて下さい。

まあ、私は、陸奥さんの主張に賛同できる部分もありまして、それは「漢字をすてて音をとれ」ということです。これは、先の田中克彦氏(本名裁判で、原告側証人に立った)の主張でもあります。時代の流れとしても、コリアンは漢字を徐々に捨て始めていますね。

以下は、本論とは関係ない枝葉です。

>この手の歴史はやままるさんの方が詳しそうなのでお尋ねしますが、

いえ、全然詳しくありません。学校で習った程度の知識ですから。

>具体的に日本人が人名の「王」を「おう」、「白」を「はく」、江を「こう」などと日本語読みし始めたのはいつからなのでしょうか?

平安時代くらいまでは、王は「ワウ」、江は「カウ」であったはず。いつから「オウ」「コウ」になったのか、はよく分かりません。「はく」は漢字伝来当初からだったと思います。

>唐の時代は唐音が入ってきて唐音で発音したり明の時代は明音が入ってきて明音で発音したりしていたのでしょうか?(漢字が入ってきた時からずっと漢音で発音しているのかと思っていました。)

「明音」は私の間違いでした。ただしくは「黄檗唐音」または「明代南京官話音」です。これは黄檗宗で用いられるくらいで一般への普及はほとんどありません。漢音は最も普及した読み方ですが、唐音や呉音がそれにとって替わったのではなく、並行していくつかの読み方があり使い分けがなされた、というのは御存知だと思いますが。
人名はほとんど漢音ですが、僧侶名は呉音。

音読みのことを書いたのは、日本では原音尊重が伝統としてあることを言いたいがためです。だからこそ、「ゲーテ」の書き方に20通り以上もあるわけです。

誤解が生じているかも知れませんので、念のために申し上げますが、「日本独自の発音」とは訓読みのことであると理解しています。音読みは中国原音(古代中国語の発音)ですから、「日本独自の発音」というのは抵抗があります?

2006年10月06日 (金) 19時58分


No.364
NAME:やままる

↑最後の行の
「抵抗があります?」は「抵抗があります。」としてください。テキストをコピー&ペーストしても、直接編集しても、どういうわけか、「?」になってしまいます。

2006年10月06日 (金) 20時09分


No.365
NAME:陸奥武晴

久しぶりに人とこのような有意義な討論が出来て嬉しいです(^^

だんだんと議論の幅が広くなりすぎて来たので最大の焦点にポイントを合わせたいと思います。

>誰かに「りくおく」と呼ばれたら・・・これが私の言いたいことの最大のポイントです。

日本人に対してこの対応は間違っているでしょう。
実際に例に挙げた「二村」のように私の本名も初対面の人には絶対に間違えられそのたびに注意を促します(めんどくさくなってしない時もありますが)。

ようは漢字を用いる外国人の名前を「音読み」で読むのはこちらの権利であると主張しているわけで「漢字表記ならばこっちは好きな呼び方をしても良い」と言っているわけではありません。

例えばここに「金日成」たる名の人がいるとしましょう。
この場合、向こうは自分の名前を「キム・イルソン」と名乗り、通常ならばこちらは「キム・イルソン」か音読みの「きん・にっせい」と読むべきです。
が、ここで私が間違えて「かね・ひなり」と訓読みで呼んでしまったらそこは謝罪すべきだと思っています。
そこで「キム・イルソン」です。と言われたら「キム・イルソンさん」で通します。

相手を人間として尊重するというのは分かります。
しかし、その為には相手も漢字表記などせずに相手の為にカタカナ表記する必要性があると思います。

どうも私にはこの努力をしてこないで(最近、カタカナ表記が多くなってきましたが)「原音で読め!」と言う事に対しても抵抗感があるんですよね。
本来、日本では「金」を「キム」と読んだり「朴」を「パク」とは読まないんです。それならば相手への配慮としてカナを振るよりも漢字表記からカタカナ表記にすべきです。
「金」に「キム」と読みが振ってあっても日本語としてはそれを「キム」とは読まないんです。
また、実際問題としてはカタカナで表記しても向こうの原音を正確に表す事は出来ません。新聞や本でも「崔」は「チェ」と書かれていますが、チョェだのチュェだとの同じ崔さんでも言い方はまばらですし崔昌華氏に至っては「私の名前は「チョェ」だ」と裁判まで起こしました。
いくらなんでもこれでは日本人の言語感覚からして向こうに合わせることは到底出来ません。はっきり言って無理です。
これならば、日本にいる限りでは崔を「さい」として受け入れても良いのではないかと思っています。
もし、それがイヤであればカタカナ表記にして日本人に分かりやすい言葉を選択すべきです(この崔さんの場合は「チェ」)。

漢字で書いてあるものは日本語で読むとの信念があるにはありますが、わざわざ漢字表記しておいてそれを朝鮮語読みしろと言われる反感もあるといった感じですかね。
もしくは日本なんだから日本語で、と言う感じです。
イデオロギーとかそう難しく考えなくて大丈夫です。
>寡聞にして知らないのですが、具体的なことを教えて下さい。

私も実際に聞いた程度で具体的な話が出来るほど、記憶していません。
この程度のことで発言してしまい、すみません。

2006年10月08日 (日) 02時12分


No.366
NAME:やままる

>相手を人間として尊重するというのは分かります。

ここで認識の一致が得られれば、何よりです。

>しかし、その為には相手も漢字表記などせずに相手の為にカタカナ表記する必要性があると思います。

漢字表記だけで原音で呼称することを要求するのは、陸奥さんのおっしゃるように、無理です。しかしコリアンもそこまで要求していないはずです。崔氏も、NHKに対しては最初にカタカナによる読み方を提示しています。なぜ裁判になったかといえば、NHKが再三「故意に」違う読み方をしたからです。

>相手への配慮としてカナを振るよりも漢字表記からカタカナ表記にすべきです。 「金」に「キム」と読みが振ってあっても日本語としてはそれを「キム」とは読まないんです。

おそらくここが、意見の分かれ目のポイントでしょう。
私は、田中克彦氏と同様、漢字を捨てるのがよいとは思いますが、捨てなければ日本語風音読みで呼称されねばならないとは思いません。それに、実際問題として、日本の公的機関は中国・韓国・台湾人に対しては漢字表記を要求しています(在留資格認定申請書など)、漢字を捨てることを日本人が要求するのもおかしな話です。

カナを振る(ルビを振るというべきですが)とか、かっこ内にカナを表記するとかではだめなんですか。陸奥さんは「日本語として」ということにこだわってらっしゃいます(おそらく陸奥さんとしての美意識なのでしょう)が、これが普通名詞ならともかく、固有名に関してはそのようなこだわりに意味があるとは思えません。なぜならば、漢字表記に先立って音があるからです。漢字とは後からついてきたものです。長万部「おしゃまんべ」のように。

また別の例をあげます。
「私の名前はMike(マイク)です。」という文をどう読みますか?陸奥さんの論理でいけば、「わたしのなまえはみけです」と読まなければなりません。mikeは、日本語の中にあってはローマ字であり、ローマ字は日本語正書法のひとつなのですから、ローマ字としての読み方がなされねばならない、ということになります。「いや、ローマ字はもともとの日本語にはないものだ」と言うならば、漢字だってもともとの日本語にはないものです。それとも、「日本語の中に英語をまぜるな」といいますか。
(余談になりますが、正書法ということでいえば、ローマ字は訓令式が正式です(内閣告示により認められた正書法)が、ほとんどの日本人はヘボン式を使っています。これは日本語ではありません、厳密にいえば。外務省でさえ正書法を無視して慣例を押し付けてくるのは理不尽ですね。)

歴史的にも、そして現在も、話し言葉と書き言葉の間には常にずれがあります。書いてあるとおりに読む、ということは通用しないのが日本語です。ほとんどの言語でそうです。

...ここまで書いてきて、一つ解決案を思いつきました。漢字(カナ)ではなく、カナ(漢字)のように表記してはどうか。例えばキムイルソン(金日成)とすれば、いかに陸奥さんといえども(失礼!)、「キムイルソン」と呼ばざるをえないでしょう?

>また、実際問題としてはカタカナで表記しても向こうの原音を正確に表す事は出来ません。

NHKも実はそのことを主張していましたが、それは理由としては成立しません。もともと音韻体系がちがうのですから、日本人としてはあくまでも近似音で読むことしかできません。コリアンは何も、正確な発音をしろと要求しているわけではありません。
「チェ」「チョエ」「チュエ」などの揺れは、最初はありますが、自然に放っておけばそのうち落ち着きます。「ゲーテ」「ギョエテ」「ゴエテ」のようなものですね。

あと、もう一つ論点があります。それは、コリアンが原音での呼称を日本人に要求するのは不当かどうか、ということです。これは、日本人として韓国の固有名をどう読むのが望ましいか、ということとは別の問題です。しかし長くなりますし、今回はここまでにします。たぶん2日後にまた書き込みいたします。

2006年10月08日 (日) 12時23分


No.367
NAME:陸奥武晴

>カナを振る(ルビを振るというべきですが)とか、かっこ内にカナを表記するとかではだめなんですか。

別に「絶対にこのような事は許されすべきではない。漢字で書いてある以上は日本語読みにすべきだ」と人にまで強要する気はありません。
が、飽くまで個人的には日本なのだから日本語読みで統一しようと考えているだけです。
当然、朝鮮に行ったら「キム」、「パク」などと向こうに合わせます。

そのあたりは既に述べましたが、個人の自由だと思います。

ローマ字の話>
う〜ん、そこは普通に「マイク」ですね。
英語やローマ字のことは考えたことがありません(と言うよりMikeは英語であってローマ字ではないのでは?)。
申し訳御座いませんが、ローマ字が日本語正書法の1つであることも今、初めて知りました。

>漢字(カナ)ではなく、カナ(漢字)のように表記してはどうか。

なるほど。それはとても名案であると思います(実際に呼んでいて思わず声が出てしまいました)。
私以外にも日本語読みをしている日本人は相当数いるはず(多数派ではないですが)ですので、この案なら原音で読むことが可能になると思います(当然、広まればの話ですが)。

>コリアンが原音での呼称を日本人に要求するのは不当かどうか、ということです。

私としては最初に発音権・国語権たるものを主張した身ですのでコリアンに出来ることはせいぜい「原音で読んで下さい」程度で「原音で読め」と強要することは出来ないと考えています。

例えばラーメン屋に行って店の店主が「スープから先にお飲み下さい」と行ってきたとしてもそれは店主の「お願い」であって強要ではありません。なので客が麺から食べたいのであれば麺から食べる事は可能です(法律番組でやってました)。
それと同じでいくら向こうが「原音で読んで下さい」と言ってもそれは「お願い」であって「強要」ではありません。強要は出来ないはずです。

と、何故かラーメン屋の話を例に出してしまいました(すみません、時間も時間で思考がフル回転しないんです)。

2006年10月09日 (月) 00時41分


No.368
NAME:陸奥武晴

補足です。

今日、北朝鮮が核実験を実施したことにより各テレビ局が一斉に特集を組んでいましたがNHKのニュースを見ると韓国の大統領の名前をノ・ムヒョン(盧武弦)としていました。
これは、やままるさんの仰った事と同じですね(^^
NHKを中心にこのような文字表示が広まれば良いと思います。

2006年10月09日 (月) 23時48分


No.370
NAME:やままる

はじめに、ローマ字の件を少し説明しておきます。
>Mikeは英語であってローマ字ではないのでは?
とのことですが、外国の固有名が日本語の中に使われている場合、二つの言語がミックスされているとみるべきではなく、あくまで総体として日本語であるというべきです。陸奥さんは、「外国の固有名であっても漢字で表記されている限り日本語ふうに読む」という立場ですが、それならば「外国の固有名であってもラテン文字で表記されている限り日本語ふうに読む」のでなければ首尾一貫しません。また、ここで仮にMikeは英語なのだからマイクと読むというならば、その同じ理屈によって、「私の名前は金日成です」の「金日成」は朝鮮語だということになります。朝鮮語ならば朝鮮語のように読まれねばなりません。
厳密に言えば、日本語の表記としては主に4種類の文字が認められていて、漢字・仮名文字・ラテン文字・数字です。そして、それらの表記のルールを正書法といいます。ラテン文字による表記の正式正書法が訓令式ローマ字です。

言葉の問題というのは、科学とちがって、絶対的な正しさ/誤りということはないわけでして、その意味では、私のこれまでの見解も「のぞましさ」を超えるものではありません。したがって、陸奥さんが「私のポリシー」として表明されたことは、あくまで個人的なことであり押し付けではないのだということは理解しております。
他方、崔氏の起した訴訟は個人に対してではなくNHKという事実上公的な性格をもった組織に対してのものであることは押さえておくべきかと思います。

さて、コリアンの要求は不当なものかどうか、という問題を考えるにあたり、私自身の経験をお話しておきたいと思います。
25年前、私は韓国を訪れました。当時日本人は韓国朝鮮の固有名を日本語ふうに音読みしていました。私は外国訪問のときには名刺の片面に漢字で、もう片面にはローマ字で名前や住所を印刷したものをもち、相手に渡します。私の名前は(本名は山口というのですが)、すべての韓国人から「ヤマグチ」と呼ばれました。韓国風に「サンゴン」と呼ばれた経験はありません。それに対して、中国へは5回ほど訪れていますが、9割以上の確率で「シャンコウ」と呼ばれ、「ヤマグチ」と呼ばれたのはごく少数でした。私は、その時、正直いってムッとしたものです。(おれはシャンコウじゃない!)と。そして、何人かに対して「ヤマグチと呼んでほしい」と要求したら、「ヤマグチでは覚えられない」というのです。中国人の場合は、相手の名前は音ではなく文字として覚えるのだと知りました。つまり名刺を見ても、ローマ字で読み方は分かるとはいえ、記憶に残らない。これは心理的な問題らしいです。例外は知識人階層でしょうか。もし「ヤマグチ」を徹底させたいなら「牙馬古吃」とでも名刺に印刷しなくてはならない。それはいやなので、「シャンコウ」と呼ばれるのに甘んじなくてはなりませんでしたが、心の中では常に違和感がつきまといました。

私が思うに、コリアンが原音での呼称を要求するのは、私が(おれはシャンコウじゃない!)と感じたのと同じ感覚であるのではないか。だから私は彼らの要求を不当とは思いません。私も彼らの立場なら同じことを言うでしょう。

もちろん、これが強要できる性質のものか、といえば、そうではないのでしょう。しかしラーメンならば単なる好みの問題で済ませられるのに対して、名前はそれほど軽々しい問題ではなく、大げさに言えば存在価値に関わるのだし、人格権ということで括ることもおおいに理解できるのです。

ただ、同じ漢字文化圏に属しながら、中国は日本語風音読みしながら、韓国朝鮮は原音読みするというのも、落ち着かない話ではあります。そこで私が思うには、中国についても原音で読むべきなのです。そして中国に対して「私たち日本人の名前は原音で読むように」と要求すべきではないか、と。もちろん、中国にはカナのような表音文字がないとはいえ、ラテン文字によるピンイン表記は、今や学校でも必修になっているようなので、かつての時代はしかたなかったとはいえ、今なら漢字(ピンイン)またはピンイン(漢字)で表記し、原音で読む習慣をつけることは、やってやれないはずはないのです。北京でオリンピックを開催するにあたり、日本人選手の名前が中国語ふうに読まれていたら、それこそ誰のことが分かりません。

私としては、言いたいことはほぼ言い尽くした感がありますので、この問題についてはここまでにいたします。ここまで、議論につきあっていただいてありがとうございました。時間をおいて、また別の問題で書かせていただくかも知れません。

2006年10月10日 (火) 19時43分


No.371
NAME:陸奥武晴

>ここまで、議論につきあっていただいてありがとうございました。

いえいえ、こちらの方こそありがとう御座いました。久しぶりに充実した討論・意見交換が出来たと思います。

また、私のサイトにて疑問点がありましたら質問・指摘などをどうかよろしくお願い致します。

2006年10月12日 (木) 00時23分

No.352 こんなんばっか・・・
NAME:RON

頼むよ!

20ミリ機関砲10発、ミサイル艦から陸へ誤射…青森
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060905i115.htm

東京の消防士長、飲酒バイクで人身事故…3か月後公表
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060905i114.htm


朝日風に言えば「1回だけなら、誤射かもしれない」という事か・・・あ、誤射って発表しているなw

麻薬の話は聞き飽きたなぁ・・・
大変な仕事なのはわかるけど、薬に逃げちゃあいけないね。

国防のために「がんばって」ください

総合掲示板は交換中かな?

2006年09月05日 (火) 22時41分


No.353 身近な人に
NAME:陸奥武晴

この海自の事件なんですけどね、学校の友人の父親の実家が青森県むつ市なんですわぁ。

そんで、この誤射された方角に老人ホームがあったらしいんですが、そこに友人のおばあさんが入居していたようです。

この友人、結構な保守派で軍隊関連の知識がスゴイのですがやはり誤射について「とんでもないよね」と言っていました。

海洋国家の海軍がこんなんで良いのかよ(涙

総合掲示板>
荒しが耐えないので交換する事にしました。
どうやらトップページに来て総合掲示板に入るのではなく、直接総合掲示板に来ているようです。

交換の時期は残念ながら未定です(涙

2006年09月07日 (木) 23時27分






Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板