このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください |
[248]110 |
投稿者:渡邉優典@中距離2年
|
投稿日:2024年07月16日 (火) 19時30分
|
お疲れ様です。後輩に掲示板を書けと脅さない中距離二年の渡邉です。今日も人生の振り返りをやって行きます。先日、某学連員の先輩がこのシリーズを楽しみにしているとXにポストされているのを拝見しました。捨てるtwitterの神あれば、拾うXの神ありですね。それはそうと、あがにゃん、早く掲示板を書こうね(圧)。
そんな私も、中学3年生になりました。合宿で挫折こそ経験しましたが、モチベーションはなんとか維持していた私は、無難に怪我なく冬季練を越せていました。(何回か合宿や練習をサボりはしましたが。)そんな中、5月にシーズンインを果たします。その初戦で走ったのが、宮城野の競技場でした。ライバルの力を借りながら、そこで初めて800mの全中標準を切りました。
7月、中総体の県大会がありました。800mに出場しました。そこで顧問から、予選から全中標準を切ってこいと言われます。よし、やるぞと意気込んでスタートラインに立ちます。1’57で走りました。予選から大会記録更新です。(準決勝、決勝でそこまで記録が伸びなかったのはここだけの話。)ちなみに、この記録はまだ破られていません。確か、以前の記録は2013年に樹立されたものだったので、私の記録もそろそろ更新されるんじゃないかなと思います。(でも、実は、この記録が危うかったことがあるんです。というのも、この年の2位が当時中2で、そいつが1'58で走るようなバケモノだったんです。ですが、翌年の中総体がコロナで中止になったので、結局この大会記録は破られませんでした。後で確認したところ、彼の中3のPBは、私の大会記録よりも速かったです。なんだか複雑な気持ちです。彼は後に高校総体の福島県大会記録を更新して、インターハイも決勝に残っていました。) そして、私はその後の通信陸上でさらに記録を伸ばし、全中のランキングで9位、福島県中学歴代7位(当時)になります。あと、関係ないんですけど、この月に英検2級を取得しました。今思えば、この頃が私の中学校生活のピークだったような気がします。
8月には、東北大会がありました。結果からいうと、2位でした。1位は後のインターハイ王者、秋田の大野くんでした。その時の優勝タイムは僕の当時の自己ベストより0.0数秒だけ速かったと思います。その時、1年のあさひが観戦に来ていたらしく、その動画を撮っていたようです。僕の記憶の中では、途中まで大野くんといい勝負をしていたような気がするのですが、改めて動画を見返すと、そんなことは全然なく、ちゃんと負けてました。記憶は、良いように作り変えられるのですね。
さらに、8月には大阪全中がありました。顧問からは予選突破は堅いとまで言われました。しかし、結果は予選敗退。2分フラットで走れてはいたんですけど、あと一歩及びませんでした。(このときの動画がYouTubeにアップロードされているみたいです。興味のある方はそちらをご覧ください。バテバテな優典が見られます。)不調の原因はよくわからないんですけど、不調は大阪入り前から薄々感じていたし、それに加えて大阪の猛暑にやられていたのだと思います。あと、この頃は、結果を残さなきゃいけないという焦燥感やプレッシャーから、陸上を楽しむ余裕を持てず、それらに潰されていたのかもしれません。
こんな感じで中学の私のトラックシーズンは幕を閉じました。
気づいたら夏が終わっており、そろそろ進路を確定させなければならない時期になっていました。そこで、私は考えます。私が本当にしたいことはなんなのかと。バチバチの強豪校に進学するのか。南相馬市イチの進学校で勉強しながら陸上するのか。そもそも、陸上を続けるのか。その時、陸上で勝つことよりも、純粋に走ることを楽しみたいって全中の経験を通して改めて感じたんですよね。(あと、学法石川以外の学校からお声をかけていただけなかったってこともありました。学法石川からお声がかかったのも10月頃でしたし。)そういうわけで、部活も勉強もできて、さらに家からも近い原町高校に進学します。当初、陸上はそこまで頑張らない予定でしたが、なんだかんだで今の今まで陸上をガチっています笑。
こんなところで、中学編はここまで。今思えば、陸上人生で一番練習がきつかったのは間違いなく中学生の頃でした。でも、その時に頑張ったからこそ、今の自分があるのだと思います。
これまで、長くて読みにくい文章に付き合ってくれて、ありがとうございました。
おわり |
|