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初夏の候 となって参りました。 |
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ARI
(3089)投稿日:2014年05月17日 (土) 22時03分
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こんばんは。 長らく返信がなかったんで、ひょっとして、いまも子育てで 疲れ果てていて、まったくPCに向かう気力と精神的余裕が ないのかな…と やや心配しながら思ってました…が、 先ほど、ブログを拝見すると、以前にも増して活発にご活動 の模様で、何よりです。
私は相変わらず、月に1〜2回・東京、1回は大阪…と中年の 身にはこたえる(笑)、講師出張続きですが、気を引き締めなが らも、出張を楽しみつつ やっとります。
ところで、大河の「軍師官兵衛」は、いま天正6年の晩秋。 村重殿を説得に行って、有岡城に幽閉された官兵衛孝高公。 30余歳での人生最大の危機 の描写が始まります。 絶望の中、水牢から見て希望を繋いだという、のちの黒田家 家紋「巴藤」の元になる 藤の花 は出てくるでしょうか。
そして、その先の中国・九州制覇 ということよりも、毛利 の水軍を駆使しての、度重なる石山本願寺サポートに怒り、 毛利への憎悪を剥き出しにする信長の様子は、これまでの信長 が出てくるドラマでは余り描かれなかったんで、さもありなん と 楽しく観ていますばい。
もし本能寺が無かったら、翌年の天正11年には 信長に屈し たであろう毛利家は、どう「仕置き」されたでしょうかね。
少年当主の輝元の毛利家 というより、実質のリーダーは 小早川隆景でしたが、その様子もこの大河では描かれてます。
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□暑いですね…/うきき
(3090)投稿日 : 2014年05月18日 (日) 10時56分
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書き込みどうもありがとうございました。
小ウキキの後追いもはじまり、知恵もついてきたので、私もますます誤魔化しがきかずに、他のことがなおざりになったり、ますます中途半端になってしまっていています。(^_^;)
お仕事でも、ARIさまが東京や大阪におでかけできると伺いうらやましい限りです。自分が遠出しない日々が続くこと自体がアンビリーバボーですが、今はいつか小ウキキと一緒に旅行できる日を夢見つつ、かけがえのない子育て生活を楽しんでいくしかないですね。
ご出張&講師のお仕事頑張ってください。
大河のタイトルは「軍師官兵衛」だったのですね。「黒田官兵衛」と思いこんではや半年。 それすらもついていけてない…(^_^;) 藤の花は絶対でてくるような気がしますが、見るからに作り物の藤の花ではありませんように…。
江口さんが嫌いなわけではないですが、容貌が私の信長イメージとかけ離れて信長を見ていると思いこめません。 森家のメンバーまだかしら。 |
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□見るからに 作り物の藤の花… でした/ARI
(3091)投稿日 : 2014年05月27日 (火) 21時18分
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先程、大阪出張から帰って来ました。 東京も大阪も、前日夕方に移動して翌日仕事、そして夜の 飛行機か新幹線で帰福… の繰り返しなんで、少しでも早く その地を去ってしまって、福岡の家に帰りつきたい… って 感じです。羽田発の夜の便は、遅れることが多いもんでして、 尚更イラっ としてしまいます。 まだ大阪からのJR新幹 線の正確さの方が安心できますね。
軍師官兵衛… 有岡城の水牢の中での孝高公の苦悩のシーンが 描かれてましたが、キレた信長の松壽丸殺害命令での、母・光 の悲しむ姿と、水牢でそれを聞いた官兵衛の、それまでにない 嘆き が涙を誘いました。 自分はどうなっても耐えられる人 であっても、自分の子供がそうされた場合は違います。いつの 世の親でも同じですね。 身の危険を冒してでも松壽丸を隠し た半兵衛殿は立派。竹中半兵衛の美濃・垂井の岩手屋敷跡と、 その隣りの菩提寺・禅憧寺のお墓に行ったのも、もう10年以上 前になります。 ドラマでは本能寺まであと3年。蘭丸は、先週の放送で信長が 高山右近に向けて振り下ろす際、佩刀の鞘を持っていたあの少年 が蘭丸殿だったのでしょうね。 |
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□本能寺カウントダウン/うきき
(3092)投稿日 : 2014年05月29日 (木) 22時04分
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とんぼ返りのご出張、お疲れ様でした。 ご出張先で何も見て回る時間もないなら楽しみがなくて残念ですね。 初めての土地なら新鮮味もあるのでしょうけど、慣れた出張先では、ただただお忙しいだけになっちゃいますね。
以前、福岡市博物館の特別展で当時(官兵衛が有岡城から戻ってこなくてどうなったかわからない状況下)の黒田家の書状などが展示されていましたが、黒田家の家臣たちは官兵衛の夫人への忠誠を誓って何度も誓紙をしたため(させられ)ていて、黒田家は相当な混乱状態だったのだな、というのがよくわかりました。 家事をしながら、先週の放送はちょっと見ました。 松の絵の扇子を眺めて「松寿、生きてるってことだね(嬉し泣き)!!」になってる場面だけですが…。
蘭丸はもう出てきていたのですか?Σ(゜□゜ 夫が録画しているようなのでチェックしてみます。 あとは、官兵衛が救出された後の 信長の 「やっべ!(滝汗)」 を見るのが楽しみですね。
私も昔、垂井に行きました。 居城までは上らなかったものの、屋敷跡と菩提寺は訪問しました。 懐かしいなぁ…。
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□JUN.2.1582/ARI
(3093)投稿日 : 2014年06月04日 (水) 22時01分
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今年も、6月2日が過ぎましたね。 うききさんは、香を焚いて供養なさっていたのでは… ってな事はないでしょうが、 6月2日と訊いても、今の者は全く認識がないのが普通 なのでしょう。 「日本史で最大の出来事は何?」というテーマで、視聴者 参加型番組の中で、数年前あってたのを思い出しました。 龍馬暗殺、大化の改新、太平洋戦争、明治維新、神武天皇 の東征などが挙がる中で、最多得票は「本能寺の変」でした。 いまの日本人のDNAの中には、本能寺がもし無かりせば… 今どうなっていたのだろう…という事があるのでしょうね。
官兵衛殿、救出されました。有岡城の土牢で、親切にしてく れた牢番と約束し、後に長政の重臣となって1万3千石を給う 甘木・三奈木黒田家の当主・黒田一成となる、牢番の息子の 少年も牢のシーンで、ちらりと出てきました。 身分の低い牢番の恩義など、普通の武将ならば反故にする処を その通り守って、厚遇したことでも、官兵衛は律儀な人物だっ たのでしょう。
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□本能寺の変なかりせば/うきき
(3094)投稿日 : 2014年06月15日 (日) 00時09分
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6月2日は心の中で手を合わせました。 合掌。
本能寺の変なかりせば、信長が天下統一を果たし、森蘭丸もそれなりのメジャー大名になって年老いて死に、後世の私が気にする存在ではなくなっていたのでしょうかね。 名を残して短く咲いて死ぬか、無名のまま生きながらえるか、武人としてはどちらの生き様死に様を望むのでしょうか…。
私も先週の大河はつい視聴しちゃいましたよ。 刑場に赤ちゃん連れてくるまでは泣かせるストーリーながら「だし様〜!!」と叫んじゃっては、バレばれでヤバイんじゃないかとも思いつつ、また、もこみちさんを見るとどうしても懐からオリーブオイルが出てくるんじゃないかと連想しつつ、松寿丸はハートブレイクのダディーにさっさと軍配出せばいいのに、などとツッコミいれつつ見ちゃいました。 今週あたりは森蘭丸テロップきますかね。
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