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[ No.4085 ] 元禄桜模様(げんろくはなもよう) 2021年03月18日 (木) 11時01分
投稿者:福島瑠山

「元禄桜模様」(げんろくはなもよう)       
作詞 福島瑠山
作曲 橋暮慎吾
編曲 草野ひろし 
歌唱 黒田武士

弥生の宵は 薄桜 
両国橋から柳橋 
大高源五の 句碑をみて 
赤穂の義士に 思いを馳せる
元禄偲ぶ 美人に逢えば
声をかけよか 声をかけよか都鳥

弥生の宵は 薄月夜(うすづきよ)
両国橋から柳橋
振り向く美人は  橋の上
桜(はな)の簪(かんざし) 振袖姿
お軽勘平 道行ふうに
歌舞(かぶ)いて歩く 歌舞いて歩く 二人ずれ

弥生の宵は 薄情け  
両国橋から柳橋
元禄バブルの 仇桜 
愛よ恋よと 軽薄(うか)れて騒ぐ 
芭蕉 きょろきょろ観音参り    
鐘を撞きつき 鐘を撞きつき願かける

 (注)大高源吾・・赤穂義士、福島県三春の出身で母は同じ義士「野寺十内」の姉である。秋田大膳の重臣大高源大夫の孫にして、源之進と称したが、上役に入れられず、江戸に出て浅野家に仕えた。四方庵宗徧の門に入り吉良家の十二月十四日の茶会を探知した大功労者である。俳人其角と出会う両国橋では、其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」という上句に源吾は「あした待たれるその宝船」とつけた、其角はそれが浪々の身からようやく仕官の口でも見つかったかと単純に思った。後になってそれが「討ち入り」であることを知り、大いに己の不明を恥じた、という。両国橋東側(吉良邸側)のたもとに「日の恩や 忽(たちま)ち くだく厚氷(あつごうり)」の大きな句碑が建っている。辞世の句「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」両国橋を渡れば柳橋、そこは浅草寺の参道入り口であった。深川の庵に居た芭蕉はこの両国橋を通って観音様に行ったに違いない。浅草寺境内には沢山の芭蕉の句碑がある。

[ No.4088 ] コメント有難うございました! 2021年03月22日 (月) 11時54分
投稿者:福島瑠山 mail

徳田さん、杉江さん、コメント有難うございました。
この両国から柳橋、そして浅草にはよく行きました。神田川は東京の西から有名な処では、新宿、後楽園(東京ドーム=水戸屋敷)、お茶の水(神田明神、湯島聖堂)、柳橋(浅草表参道)を通って東の隅田川に合流します。向かいは両国です。この柳橋の袂に料亭「亀清楼」があります。ここは第一回の大河ドラマ「花の生涯」(船橋聖一原作)で井伊直弼が愛人で女スパイの「村山たか」と密会していたところです。私はかって、この歴史的料亭で昨年就職した孫娘の七五三の祝をしたことがあります。何しろ、この界隈は飽きません。それから、杉江さんの「果てしない道」を今頃になってお聴きしました。UPが2015年とありましたので、手帳を引っ張りだしてみてみました。何と5月から、医者通いが続いておりました。「これからもう少し頑張る道」に勝手に変えて聞いておりました。徳田さん、今も接待などと、「袖の下」が横行し、この時代と少しも変わりませんね。

[ No.4087 ] 在り来たりのプロでは書けない詞 2021年03月19日 (金) 12時02分
投稿者:杉江香代子

遅くなりましたが、聞かせて頂きました。流石プロと言う歌声に聞きほれました。しかし、時々思わず歌詞を見直してる私もおりました(笑)。在り来たりの、整った詩を書かれる、在り来たりのプロの作詩家には書けない詩、フレーズが多々、出てきて、とても新鮮。現代の時勢に通用する詞とも思えます^^V
歌でいかに楽しませるか?現代に必要な事と思います。

[ No.4086 ] 遂に「忠臣蔵」が出でました! 2021年03月19日 (金) 05時47分
投稿者:奈良市 徳田 勝行 mail

なぜか今のご時世にも見えてきますね。
うん。うん。 ワイロが無いとダメか?
嫌だね、増収相事件。そんな社会は! 
私が思うに増相側は利己のためだからやるだろうと思う。
収相側はイカン。「お主も悪よのう!ウハハ」のお代官様
ポッケ内々では。利権としたら必ず裁かれる犯罪だと!
正しく領民のために尽くさねば。一揆が起こるよ!って(笑)





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