3年前の4月25日、仕事で尼崎にいた。
JR福知山線脱線衝突事故の取材のためだ。
あれから3年。
「まだ3年しか経っていないのか」というのが正直な感想だ。
特に思い入れのない出来事は「あ〜もうあれから2年が経ったんだ〜」とか思うのに比べると、だいぶ感覚が違うものだ。
あの日、結婚式帰りのおっちゃんに入れてもらって、もっとも現場から近い位置から見た事故現場。
確か、室内にはすでに共同通信と読売新聞の記者がいて、放送局では1人目だった。
あのときの自分は、目先のすべきことで手一杯で、事故の意味すらちゃんと受け止めることができていなかったんじゃないかと思う。
3年が経ち、4月25日という日、午前9時18分という時を迎えた人たちの映像を見ていると、ズシンと重いものがある。
そしてたまたま、偶然のシフトの都合で、「事故から3年」という映像を、たった数十秒とはいえ、編集することになった自分。
現場周りのことで手一杯で、当時あの場にいながら被害者や遺族の思いにゆっくり耳を傾けることができなかった自分。
ただ、あの日、あの場所に確かに立っていたという責任感で、きょうのひとつひとつの映像を選んで編集していった。
別に誰が作業しても見た目には違いがなかったかもしれない。
ただ、人一倍時間をかけて、魂込めて作ったつもり。
どんな形でかは分からないが、もう一度あの場所に立ちたいと思っている。