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Hungle

之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず
「論語」

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[4364] ”ありのままの世界”
big - 2013年02月01日 (金) 00時24分

3歳の時に事故で視力をなくし46歳まで盲目で過ごしたアメリカ人男性のマイクメイは、手術によって奇跡的に網膜に光の刺激が届くようになったが、世界 は相変わらず見えなかった。
物理的には網膜に刺激が届いているにもかかわらず、世界は光が散乱する混沌のままだ。カラフルなコラージュ、まだら模様、色の洪水、モザイク模様、スクリーンセーバーのような意味のない模様。

なぜ彼には世界が見えなかったのか。

彼 は、光の刺激を利用してうまく像を作ることができなかったのだ。
このことが示唆するのは、僕たちはこの世界をありのままの状態として見ているのではないと いうことだ。
この世界に存在する光の刺激はそれだけではただ雑然としたノイズにすぎない。それを解釈して世界を意味のある形で認識する方法を脳が学習して いるからこそ、僕たちはこの世界を今目の前にあるように見ることができる。

「視覚というのはありのままの世界を見るためのものではなく、ひとつの仮説と考 えることもできる。」
と森田真生はいう。

情報を解釈することは、情報を捨てることだ。事実、脳はそのほとんどの情報を捨て続けることによってこの世界 を認識している。僕たちは素朴に、脳がこの世界の認識をつかさどる心の中心であるように思う。
世界を観察し思考する脳には、この世界の多くの情報が詰め込 まれているように思う。しかし、脳が扱うことができる情報というのは案外少ない。脳が一度に格納できる情報はおおよそ1テラバイト〜10テラバイトという 風に言われている。

また、五感を通しておよそ1,100万ビットの情報が毎秒僕たちの脳に届いているという試算もある。そして、その1,100万ビットの 情報のうち、僕たちの意識にのぼるのはたった40ビットほどだという。

与えられた情報のうち、数百万分の1しか意識にはのぼらない。そもそも一人の人間に 届いている情報は、この世界の情報の中ではごくごく微小なものであるが、そうしてようやく獲得された情報さえほとんど僕たちは捨てている。

そんなあまりに も小さな情報をもとに、僕たちは「世界」という巨大な全体を認識しようとしているのだ。



実はそもそも「見る」という日常的な行為さえ、ほぼ幻覚に近いと思える。携帯電話でさえデジカメの解像度は何百万画素以上あるが、ヒトの目の網膜はわずか百万画素で、分解能で言えば、粗くざらついた貧弱な映像しか脳に届いていない。

でも、「脳に見える風景」はなめらかで美しい。脳は、少ない情報を得たうえで、「目の前にあるのはきっとこうなんだろう」と想像で決めつけている。だから、わずか百万画素でも、こんなにスムーズでザラツキのない世界を感じとることができる。

網膜という粗末な装置から入ってきたわずかな情報を捨てて、かつ本当はみえていないはずの膨大な情報を補いながら、リアルな「体験」をしている。これはもう、ほとんど幻覚と言ってもいい。
池谷裕二



サルサ場の照明が暗いのには理由がある。夜目、遠目、笠の下の俚諺にあるとおり、ありのままの世界を遠ざけ、そして美しくしくも心地よい仮説を求めるがゆえなのだ。



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