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Hungle

之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず
「論語」

名古屋サルサをもっと楽しくしたい
もっと素晴らしいサルサを追求したい
熱い思いを語りたい
そんなあなたのもっともっとを受け止めます
何気ない日常に真実があるかもしれない
見たこと、感じたこと、ふと思ったとこ
何でも書き込んでね

[4349] 「共身体」になるとき
big - 2012年11月25日 (日) 12時13分

土曜エルココ、金ココと違ってタバコが許されているのでつらい。
が、美保レッスンが見逃せず参加。長く師事しているが、毎回気付きがありサルサ道は深くまだ遠いことを思い知る。


ふとみれば、よくみかけるイケメンサルセーロが顔見知りの小柄なサルセーラと踊っている。おっ、なかなかなやるじゃんというような数々の新奇のワザを繰り出し、サルセーラを自在に扱っているかのように見える。男性もどうだいと、得意げな面持ち。

おい。ぶれてる、軸がぶれてるぞ

ペアがうまくシンクロしているかはサルセーラの足元をみれば一目瞭然。うまくいっているときは、必ずOn Rythmである。

ちがう、ちがう。。

軸がぶれ、ステップが乱れるのは、男性側が、無理に、チカラ技で、女性を振り回している状態を意味する。


技の見かけは、単なるギミックであって、踊りの本質からは離れたものである。


bigとしては以上の事態を捨て置けず、曲が終わり、すぐに当のサルセーラを誘い、踊りながら感じたことを伝えた。

「そうね、そのとおり軸がブレていたわ」
「でも断れないの」(苦笑)

もちろん、”無理やり”が男性の「力強さ」を感じられて、しかも男性がそんなワザをかけて満足するならいいわというサルセーラもいるだろう。
狭いサルサ界で、理由も不明確に誘いを断ることも難しいだろう。
だけど、それは違うというのは判っていてほしい。男性側女性側両方に。

「bigさんのはぶれてないわ」
と。踊り終わった後、ニコッと一言。


本当にうまいリーダーは、フォロワーのステップを目の端にきっと捉えている。いや見えなくてもイメージしている。
相手のステップがどうなるかを見ないでかけるリードは、自分の自慢話を一方的に話すと男とかわらない。聞いていて見ていて非常に見苦しいし気分が悪い。


bigもフォアローゼズのオンザロックの酔いで、本当にブレていなかったのか、どうなのか自信がないし、仮に素面でも言うは易しなのであるが、どうしても言わずにはおれなかった。

[4350] ブレてるけど何か?
big - 2012年11月28日 (水) 00時15分

武道もそうであるように舞踏においても、一人踊りより相手とペアで踊る方がパフォーマンスがあがるのは経験的に間違いないところだと思う。

普通に考えれば、一人で踊る方が、可動域にしても、自由度においても、制約がない分だけ有利と考えがちだが、実際にフロアで踊り終えたあとの充実感や体温上昇は二人で踊る方があきらかに高いと思う。

自分の他にもう一人、相手がいるということがなぜパフォーマンスをあげるのか。

内田樹は言う。
「僕と相手の動きが絡み合っているとき、そこにひとつの「共生体」というか「共身体」が形成される。二人ともそれぞれが身体のパフォーマンスを最高に すると、その「共身体」を構成する自由運動粒子の数は2倍になる。だから、二人がまるで一人の人間であるようにぴたりと呼吸を合わせて身体運用をすると、 そのときの運動精度は単独動作のルート2倍にまで跳ね上がる。そういうことじゃないか」


”パフォーマンス”がいいとは、あるべき道筋をあるべき仕方で精確にたどることなのではないか。それは予め決められたルーティンを決められた仕方で踊るということを意味しない。
身体状況も、曲想も、フロアの状態、あらゆる所与の状態、変化する自分と相手の身体状況を瞬時に加味して、理想的な解を精度高く身体が見つけ出すことなのではないか。

で、やっと軸がぶれる、ステップが乱れるという話につながりますが、パフォーマンスが低いのではないか、そのような身体運用はペアダンサーが目指すべきものに反しているのではないかと感じた分けです。

しかし、話し方にもいろいろあるように、踊り方にもいろいろある。

ジャンギャバンやジャンヌモローを気取ってスーツとドレスを着て、お澄ましで踊る踊り方もあるだろう。Tシャツにジーパン、水着でというカジュアルな踊り方もあるだろう。

人によって、またその日のムードによって、気軽にカジュアルか、カミシモ着るかかというころになる。

ひとつのpartyでさえ、様々なスタイルやいろいろな持ち味の人と踊ることが楽しい。
楽曲だって速いの遅いの新旧入り混じった方が新鮮だ。
 
もし軸がぶれる踊りが嫌だというのであれば次から踊らなければいいだけ。
ぶれてもそれを補ってあまりあるということも当然のことながらあるだろう。

二人がそれでよければ、他人がとやかくいうことではない。

こうであらねばならないと決めつけるのは、サルサにとっては禁句なのかもしれない。
いや禁句ということ自体タブーを作り出して、縛ろうとしている。
縛れば、そこに発生したかであろうコミュニケーションの自由の発露はたいへんに貧しいものになってします。

こうあらねばならないと思うと、人間は緊張を強いられることになる。
身体運動はその対局であるリラックスした時にこそ身体パフォーマンスが最大となる筈だ。

いかん、とりとめが無くなってきた。
bigの言いたい事はこうだ。

若いお兄さんが、新奇のワザをつかって、たとえ軸がぶれ脚元がも、それをつかまえておじさんがとがめ立てすべき筋合いではない。そんなことをすれば単に若さに対する嫉妬と思われるのがオチだ。

なせなら、身体運用においては、じゅうぶんなリラックスこそが二人を共身体化させ、一人では達成できないレベルのパフォーマンスが実現できるから。

楽しくやってるなら、それはそれでいいのだ。

言ってみるとあまりに当たり前のことですね。
そもそも踊りの精度といっても、 完全無欠な踊りというものはありえない。
そこを目指すことはできたとしても。



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