[4345] 忘れられないラテン |
- big - 2012年11月13日 (火) 00時24分
WINCで、なぜ私たちはサルサ、ラテン音楽に惹きつけられるのだろうか、という話になる。同年代のサルセーラとサルサ談義。
60年代、まだ両親が若かりし頃、僕たちは幼く、音楽カセットもCDもなくレコードが音楽を楽しむ日常の術であった。あの当時、美空ひばりや江利チエミにまざってなぜかラテン音楽のレコードの比率が高かった。
トリオ・ロス・パンチョス、ハリー・ベラフォンテ。ペレスプラード。 まだ幼い私たちは、父のレコードのコレクションから、一枚また一枚と取り出す時もラテンの確率が高かった。 幾分かの高揚感とともに大人の世界に耳を傾け、男女の愛や恋という大人たちが歌い聞き、大切に思っているようなものが、いつの日か自分にも大切だと思える訪れることがあるのだろうか。それはいったいどんなものなんだろうか、などと思いに浸った(ような気がする)。
そうだ、きっと、その時の印象が、両親の庇護のもと育っていた幸せな日々の記憶とともに、記憶の深く奥底にしまわれていたんだよ。
コンガのリズム、ギターの響き、カンタンテの歌声、子供心にもラテンの、光の輝きを感じたに違いない。 長じて大人になり、ふたたびラテンのサルサのリズムに接したときに、身体の記憶に刻まれたものに呼応するかのように、浮かぶ上がってきた。
実は、主体的にラテンを聞き、踊っているように見えても、無意識的にある種の懐かしさが、郷愁に形をかえて、サルサに導かれてきてしまったというのが真相なのではないか。
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