常識に欠ける・・・
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投稿者:トラックT・U
復興をお祈り申し上げます。後いきなり祭りの話題は、ないんじゃないですか・・まだ性格とか考え方が変わってないな。松山来たら連絡しろよな・・横サンわかるだろ。説教してやるよ(^−^;)
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[53]2011年03月27日 (日) 15時21分
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常識とは
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投稿者:けち
私は「横サン」ではありませんが、情報提供者の「けち」です。 無事に「復興祈願祭」を終えましたので報告します。 「横サン」は、今年は参加しませんでした。
以下、いくつかの文を引用させていただき、 「復興祈願祭」のことをお分かりいただければと存じます。
【ワシントン=古森義久】米紙ニューヨーク・タイムズは28日付で「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」との見出しの記事を掲載し、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、国民経済への悪影響が懸念されると伝えた。
東京発の同記事は、日本で「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」とし、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じた。
自粛はまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで止めるようになった」とし、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、桜の花見、高校野球応援、東京都知事選の候補の音声までが自粛されていると指摘した。
同記事は自粛が過剰になっていることを示唆し、企業や学校の行事のキャンセルが日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べている。
また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評した。
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[54]2011年04月24日 (日) 00時14分
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“過剰な自粛”ブーム
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投稿者:関西
被災した人々を支援し、被災地を復興していくためには、上昇トレンドに向かいかけたところで頓挫した日本経済を再び活性化させることが絶対条件だ。大消費地の東京を元気にするどころか、過剰な被曝報道で東京の消費マインドを凍りつかせたメディアの責任は甚大だ。
もっともその責めを負うべきはメディアだけではない。良識ある存在であるはずの金融機関と大企業の「自粛」ばやりも問題だ。あらぬ批判をうけたくないという、責任回避、自己保身のために、さまざまな共催イベントを中止し、会食をキャンセルし、宣伝広告もすべてテレビ画面から消した。百歩譲って、余震や電力供給不安が続く東京だけなら、それもわからないではない。
だが関西はおろか九州でも会議、会食、イベントが続々と中止の憂き目にあっている。喪に服しているのか、あらぬ批判への責任回避なのか。いずれにしても大企業の自粛流行りは、消費に冷水を浴びせ、日本復興を自ら挫いていることを財界人は自覚すべきだ。
そのなかで3月18日に、春のセンバツ高校野球の開催が決定されたことは朗報だった。だがそこでも入場行進中止や、電力事情によっては大会の中止もありうるという。こんな弱腰では、せっかく決めたスローガン「がんばれ 日本」も霞んでしまう。被災地域の球児に対しては出来る限りの配慮があって当然だが、出来る限りいつも通りのセンバツ大会にしてほしい。場所は関西、プレーは昼間。延長戦突入ならいつも通りナイターで試合を継続すればいい。
メディアも大企業も頼りにならない今、春の選抜高校野球に日本復興の狼煙をあげてもらおう。球児の溌剌たるプレーは、被災者を勇気づけてくれるだろう。またそれが“過剰な自粛”ブームの金縛りから日本企業を解放するきっかけになることを期待する。
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[55]2011年04月24日 (日) 00時18分
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伝統行事
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投稿者:現代人
わが国を覆う自粛ムードは、伝統行事や祭りにまで及んでいる。その背景には、伝統行事や祭りを単なるエンターテインメントどころか「バカ騒ぎ」としか理解していない現代人特有の問題があるのではないだろうか。 祭りというと、酒を飲んだり、踊ったり、しまいにはケンカしたりと、乱痴気騒ぎのようなイメージを現代人は抱いてしまっているようだ。もちろん、一部の祭りではそういった側面もあるのだが、祭りの非日常性とは、必ずしもバカみたいにハメをはずして騒ぐことではない。 本来は、祭りとは文字通り神様を祭る(祀る)ものであり、その本質はわが国土着の信仰である。現代では「祭り」という言葉が、単なる「イベント」(たとえば「市民祭り」)のような意味合いになってしまっている。それは精神的退廃だと思うが、しょうがないので「祈り」といった言葉を補足的に使った方がいいのかもしれない。
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[56]2011年04月24日 (日) 00時24分
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えびす神社 春季例大祭 復興祈願祭
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投稿者:判断力
全国に広がる東日本大震災後の「祭り」の自粛ムードについて取り上げた記事「祭り 自粛一辺倒に変化」(8日付)に対し、約50件の意見をメールや手紙で寄せていただいた。寄せられた意見のほとんどは「祭りを自粛すべきでない」というものだった。明確に「自粛すべきだ」という意見は2件だけだった。
記事では、東京の「三社祭」や「神田祭」で神輿渡御(みこしとぎょ)などが「被災地への配慮」などを理由に中止になったことを紹介。一方で、神事は例年通り行われることや、神事以外にも被災地を勇気づける催しの実施を模索する関係者らの声を紹介した。
寄せられた意見には、祭礼の本来の意味を押さえたうえで、「このような時こそ祭りを行い、被災地の復興を祈願すべきだ」というものが多くあった。
神奈川県在住の女性は「共同体が豊穣(ほうじょう)や鎮魂を祈ったり、収穫に感謝するのが祭り本来の姿。今後の安寧を祈るという意味でも祭礼はすべきだと思う」と寄せてくれた。
東京都港区の読者は「神である大自然に太刀打ちができないことを認め、生かされることに感謝するのが祭りのはず。復興を祈願して勢いのよい掛け声を木霊(こだま)させ、東北の人たちに応援しているぞという意気込みを届けられたら」と考える。千葉県市川市の女性(51)は「避難所などに神輿を出張させ、担いでもらえば、一時でも笑顔になれるのではないか」と提案してくれた。
他に「せめて西日本はやるべきだ」(静岡市の男性=48)▽「祭り中止で倒産に追い込まれそうな人もいる」(浜松市の女性=35)▽「集まった賽銭(さいせん)を被災地に寄付すればいい」(女性)といった意見もあった。
◆判断力に疑問符
日本全体を覆う自粛ムードについての意見も多かった。東京都の男性は「日本人個々が論理的に判断し、行動する能力に関して疑問符がついた。自らの判断でやめる、延期するという行動原理がとれたところはほとんどなかったのではないか」としている。
横須賀市の男性(71)は「自粛ムードは世の中を暗くし、若者たちの意欲さえ取り去ってしまい、将来の日本のためにならない」とつづった。自粛ムードは「被災地が苦しんでいるのに、自分だけが…」という日本人の「絆」の強さを示しているという指摘もあった。
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[57]2011年04月24日 (日) 00時33分
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復興祈願
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投稿者:神職
まだまだ復興のめどが立っていませんが、我々に今できること・・・
それは「祈願」だと思います。
そんな中で、当社も春祭りが近づいています。 愛媛県内でも行事やイベントごとの自粛や中止が言われています。
では「お祭り」というのは自粛や中止をすべきなのでしょうか? 私は「感謝」の「祈り」を捧げるお祭りはすべきと考えます。
「こういうときに非常識な」と、言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、賑やかな行事だけがお祭りではありません。
一日も早い復興に・亡くなられた方の御霊和めに、「祈り」を捧げる事が大切です。
菓子職人の友人が言っていました。 「義捐金活動や支援物資の準備は誰でもできる事。俺は菓子職人として今できることは無いかもしれないが、復興が進んだころ、被災者のために「ケーキ」を作ってあげたい。 それが菓子職人として、菓子職人にしかできない事だから。」と。
私たちは神職です。 神職としてできる事は「祈り」です。
なので、当社の4月の春祭りは「日本復興・日本再生のための祈り」を捧げるお祭りにします。
全国各地の神社から一日も早い復興を、そして御霊和めの「祈り」を捧げて行きましょう。
当社でも復興祈願祭だけでなく、毎朝の日供祭に併せ祈願を行い、朝拝では神職・巫女・事務員が心1つに「復興期願」の心中祈念をしています。
今、西条の地でできる事をしよう。
「祈り・祈願」を込めよう。
是非、皆さんも御神前で一日も早い復興の祈願を致しましょう。
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[58]2011年04月24日 (日) 00時40分
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