書き込みありがとうございます。ご質問の一番古い峠は「新山峠」ということになります。ちなみにこの峠は室町以前に利用していた峠で、それ以後は「古峠」、寛政時代(1460年)から「中間業(ちゅうけんぎょう)」、文政2年(1820年)以後は、「二本杉峠」です。現在は、二本杉峠への道筋だけ残っており、他の峠への道筋は、北側の斜面の中で消えてしまったそうです。 事実、私も二本杉峠から天城峠まで歩いたことはありますが、いくつかの峠がこの間に存在したという意識はあっても、さてどこなんだろう、と見当さえつきませんでした。 ただ、書物には「古峠」についての記述があります。それは、「ハイキングコースである伊豆山稜線の天城峠と二本杉峠の中間に位置し、二本杉峠まで1.8キロ地点にあります。」という記述です。右が深く落ち込んだ谷の頂上にあり、当時大災害に見舞われて、峠の位置が変更になった様子をうかがい知ることができますーという紹介もあります。 ということは、峠が地震や水害を受けて使えなくなったときには、大規模修理が困難で、道路そのものをつけかえ、下田への往来をしていたのではなかったのでしょうか。
2003年05月12日 (月) 13時37分
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