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3年生に震災・福島の授業をしました |
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ヤマユリ
(2070)投稿日:2011年10月16日 (日) 22時21分
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原先生、書き込みありがとうございます。金原先生のメルマガ読者にさせてもらいました。原発に関する情報をすばやく発信してくださっていてとても勉強になります。メールで送って下さるのでこれなら子育てで忙しいママ(私ではありません)にもぴったりです。
先週、3年生のクラスの補講を頼まれ、宮城や福島に行った話を写真を見せながら話したいと申し出ると、ぜひぜひと言われて急遽1時間だけ授業をさせてもらいました。(次に5年生でする授業の練習も兼ねて) 同じ学校体育研究同志会という民間研究団体の宮城支部のS先生の話から入りました。海から150メートルしか離れていない中学校の先生で、震災の時に津波で流されていないかとても心配したことや、そのときの話をのちほどS先生から聞いたことをかいつまんで伝えました。その中学校のある東松島市には8月末に行って見てきた様子などを写真を見てもらいながら伝えました。 S先生の学校は授業が始まっていたので、私は気仙沼の離島大島にボランティアに行きました。そこで見てきたこと、どんな作業をしたのかなどを写真を見ながら話しました。「オバカ隊」というすてきな若者の話もしました。(NHKでも彼等のことが報道されたそうです)「どうしておばか隊って言うと思う?」と聞くと、面白いことをしてるんかなと嬉しそうにいろいろ想像してくれます。 大島の災害対策本部を取り仕切っていたのでてっきり役場の方と思っていたら、地元で自分も被災し家が流されたりけがをしたりした若者達だったのです。遠くからボランティアに来ておばか隊がいごこちがよくて長期滞在している若者もいました。おばさんだから無理しない方がいいと気をつかって下さって「島時間でいいのです。できることを自分で気づいたことからしてもらえればいいのです」の言葉に癒されました。 被害のひどかった気仙沼の写真も見てもらいました。 子どもたちも関心が高く、話の合間にいろいろ知っていることを話してくれました。福島の原発事故の話も出たので、福島の写真も見せて福島の子どもたちの様子を簡単に伝えました。小学校に設置された線量測定装置の写真、雨樋の下に線量計をあてている写真を見せて「2マイクロシーベルト」と言うと「そんなとこに行って大丈夫なん?」とか「けっこう高いなあ」という子がいてびっくりしました。子どもたちは、午前中は社会見学に行って、その後の5時間目の授業でした。疲れているのに、食い入るように写真を見て話もしっかり聞いて、宮城や福島のことを想像して考えていました。 感想を紹介します。 ◆つなみが家をながしたり船をりくにながしたりしました。つなみが来た後はがれきやながされた家などがあちらこちらにちらばっているようです。そのがれきを、オバカたいという人たちががれきをかたづけたり、ゴミをひろったりしているようです。 ◆しんさいのことは、しってたけど内ようがそんなにわからなかったので、こういうきかいがあってよかったです。 ◆先生の話を聞いて、大さかにつなみとかじしんがきたらこわいなあと思いました。大島でつなみがりょうほうからきたからわたしはびっくりしました。ふくしまでほうしゃのうもおこりました。からだにはいったらこわいなあとおもいました。 ◆わたしは、原発でふくしまはそとに出てはいけないからかわいそうだと思いました。あと大島も家がぐちゃぐちゃになっていてかわいそうだと思いました。 ◆福島は、食べ物がすごくおいしくて、でも福島の物はほうしゃせんがあるので食べられません。福島の人はどうしてくらしているんでしょう。 ◆家やびょういんやおみせやさんもつぶれてかなしいです。ほうしゃのうがあびているせいで、マスクやてぶくろやながそでに長ずぼんでとってもかわいそうです。とてもゆれたとおもいます。おかあさんやおとうさんやいもうとおとうとおねいちゃんをなくした人もいます。あるいはおばあちゃんだったり、おじいちゃんをなくした人もいます。つなみもきた家があります。はさまれた家もあります…いちばんいやなのは友だちをなくすのはとってもいやです。
※「一番いやなのは友だちをなくす・・・」の感想を見て福島のお母さんから、「子どもって子どもなりのコミュニティーがあって、避難して友だちと別れるのがとってもつらいのです」と聞いたこと、高校生の子どもがどうしても転校したくないというので同じ市内でコンクリート造りのマンションに引っ越して内部被爆に気を遣い、家族の放射能に対する温度差の違いで苦しんでいるというお話を思い出しました。
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