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健康教育掲示板

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M
森のくまさん (2091)投稿日:2013年03月18日 (月) 21時59分 返信ボタン

福島の小学校のみなさんへ    4年1組     M
福島県にベルマークや色紙、歌声を送った理由は、私の母が福島県の福島市出身だからです。
 大臣とかはもうしらんぷりですが、私達の学校「A小学校」はB県のC市ににある小学校は、みんなで、子どもにでもできることを話し合いました。
この活動をしているのは、4年生だけですが、ベルマークは、3クラス合わせると、すごい買うです。どうか、ベルマークでいい物を買ってください。
 D小学校の校長先生のつながりから、そちらの学校にベルマークを送ることになりました。
歌もついています。「いつだって」という歌です。いい歌で、日本だけでつながっているのではなく、地球という、同じ世界で生まれたということは、外国でも、ボランティアの人がいます。アメリカも広島に悪いことをしたけれど、アメリカ全員が悪いわけではありません。アメリカ人でもボランティアに参加しています。
このことは、日本人のおかしたことです。日本人がおかしたことですが、日本人だけでなく、地球全体が動かなければ無理です。
放射線を消す機械とかを作る力もつけて、福島をみんなで、助けてほしいです。
子どもにできることは、こんなことだけですが、子どもには、これしかできません。
しかし、こんなことだけでも、心がこもっています。そのことだけは、わかってほしいです。
4年1組からはじめて、2組も3組も力を合わせて、福島にいろいろなものを送ることになりました。
放射線で、マスクをしたり帽子をかぶっているなんてしんどそうです。
きれいだった自然がぐちゃぐちゃになって、福島で作った物でもさけられてかわいそうすぎます。
 しかし、外国からもいろいろな所からおうえんしています。未来へ向かって歩いてください。私たちも、がんばって歩いていきます。つらいことがあってもそれをのりこるのが人生だと思います。
福島の事故は大きなかべですが、みんなでのりこえていきましょう。
日本や、外国には、いい人がいます。福島の人たちが笑えば、地球の人たちもうれしいです。福島には多くの人が住んでいます。その命をむだにはできません。みんな同類です。
明るくしていた方がいいことが起こります。
3学期に国語でことわざの勉強をしました。『笑う門には福来たる』・・福島には、「福」がついています。その名のとおり、「福」を得るには、元気に明るく、笑顔が大切です。泣いてばかりはいられません。動かなければ、変わらない。動いた方がとくをします。
世界の人と一緒に未来を、明るく、つかんでください!


全校朝礼で
森のくまさん (2090)投稿日:2013年03月12日 (火) 06時57分 返信ボタン

昨日は東日本大震災の2年目にあたり、震災・原発関連のたくさんの報道がされました。
うちの学校では、校長先生が、朝礼で4年生の取り組みを全校に紹介してくれました。福島のOO小学校に色紙や歌声、ベルマーク、さくらの木の立て札を送ることなどです。そして、午後2時46分
じゃまじゃまサッカーの試合の前、運動場の中央に集まり、北東の方を向いて、みんなで黙祷をしました。
子どもの権利条約も学び、福島の子たちにもこの条約をおしえてあげたいとの感想が出ました。

みなさんの善意で子どもの思いを結実させたい!
森のくまさん (2088)投稿日:2013年03月04日 (月) 22時02分 返信ボタン

今日は福島の寄せがきについて相談しました。一人一人が桃の形に切った小さな紙に一言を書き 40個のももを寄せがき用の高級色紙にはることにしました。
書く内容は相手先の福島の学校に失礼のないように事前に発表しあいました。
温かい励ましと自分にできることをいっしょうけんめい書いていて、胸が熱くなりました。あと 校長さんが色紙の表紙にクラス全員の写真があるといいねとアドバイスしてくれました。
写真がプロも顔負けの先生がいるので、お頼みして、各クラスとも出来た寄せがきを持って写そうと思っています。
ベルマークも今月中にけりをつけたいので四年の保護者に手紙を出しました。今週の木曜日のPTAのベルマーク作業では福島分を優先して整理してもらえるところまで頼めました。
歌も送りたいのですが、なにせ、授業も目一杯で歌についてはどうなるか?
それから、ヤマユリさんが、参観日の授業をビデオにとっておくといいと言っていたので、ハイライト部分をビデオにとってもらえました。学年の先生がDVDに焼いてくれたので先着順で、何人かの方にプレゼントできます。お申し込みはくまさんに声をかけてください。


/ヤマユリ (2089)投稿日 : 2013年03月04日 (月) 22時21分

参観授業で親と共に、自分たちができることを考え、ベルマークを集めたり寄せ書きを送るなどの取り組みを学年だけでなく、全校にも呼びかけて校長先生も協力しているというのが素晴らしいなと思います。
遠い福島が一気に近くに感じることと思います。
そして福島の問題は、私たちの問題でもあることをくまさんの学校の先生方も気づいていっておられるのだろうなと思うと、この実践はすごく希望の持てる実践だと思います。
夏の大会の前にまず4月2日の健康プロジェクト学習会で報告してもらう予定です。

福島ママとMちゃんとの対談
森のくまさん (2086)投稿日:2013年03月02日 (土) 12時04分 返信ボタン

福島ママとMさん親子は、鉛筆対談をじっくりやりたかったんでしょう。やっと届きました。その中に「Mちゃんがおばあちゃんになっても安心して暮らせるA市の町に」というくだりがあり、ジーンとしました
福島ママとMの対談
(M) 参観日、どうやった?

(母)  子どもたちも、お父さんお母さん達も、一生けんめい福島のことを考えて」くれて」うれしかったよ。Mたちの班で話していたベルマークを送るのはとてもいいアイディアだね。もう実際にやっている学校もあるよ。

(M)そうなの!じゃあもうしといたほうがいいんじゃない。

(母) 4年1組が中心になってB小でもやってみたら?ベルマークを送る手伝いをしてくれる団体もあるみたいだよ。

(M)プルトニウムの半減期は二万四千年ってすごいよね。

(母)  そうだね。Mは、“もう一生、A市には住めません。”ってとつぜん言われたらどう思う?

(M)住んでいたいけど、ひっこすしかないからひっこすけど、せっかくたてた家は水のあわになっちゃうけど。

(母)  福島の人たちも、自分がこんな目に合うなんて、少しも思ってなかったんじゃないかな。福島のためにできることを考えることも大切だけど、A市がMが大人になって、おばあちゃんになる頃にも、安心して住める街にすることも大切だね。

この対談から発展したもの、
(その1)
参観の大討論会で、Mの班が子どもにできることを話し合っていた時、S君のお母さんが、PTAでも取り組んでいるベルマークなら、子どもたちにもできるのではないかという意見を出してくれた。この意見は、隣のクラスからも、討論会で、出たそうだ。PTAは乏しい学校予算のためにという趣旨で取り組みをしているので、校長さん、教頭さんにPTAの了解を得ていただくようにお願いした。期間限定で、四年生中心でという形でなら、福島へのベルマークの取り組みを開始できる運びとなりそうだ。
Mは、この対談後すぐに、ベルマークの点数別に入れれる箱をいくつも作ってきた。ちょうど算数で「直方体や立方体」を学習していて、ベルマークの箱作りを思いついたようだ。点数別に整理もしやすいし、ハートのシールもはったりしてあるかわいい小箱をいくつも作ってきていた。

(その2)
福島ママたちに懇談会で、事故前の飯館村のスライドショーを見てもらった。嵐というグループが歌う「ふるさと」という曲も流しながら。福島ママはその懇談会の場で、「私は、今までそんなに、福島のことが好きでもなかった。でも、事故が起き、初めて、福島というふるさとがどんなに大切な所であるかが、わかった。だから、A市や、大阪府という街のよさを少しでも知り、自分のふるさとを愛していくということが大切なんだろうと思う。」と語られた。ちょうど、社会科では、3学期に自分たちの県について学習する。これを自由学習として、自分たちのB県や、A市のよさを語らせる学習につなげたいと思った。

(その3)
世界の取り組みをした時に、Y君は、デモをして原発に反対する欧州の人々の写真を見て「デモはよくないと思う。首相が地域に出向いて、じっくり話し合うことが大切。」という感想を書いていた。そのことを隣のクラスの先生に話すと、「私たちが学生のころは、デモなんてあたり前の時代だったもんね。今の子にとっては、デモって特別なものなのかもしれないね」と言われた。
こんな時、組合から子供の権利条約のパンフレットが届いた。(そのパンフレットには、宮城のSさんの運動会の写真が最後に載っていた。)まさに、福島の子も健康に生きる権利 、大阪の子も子供でもできることがこの条約でさらに意味付けが出来そうだと考えた。
さっそく、A市の人権委員会に電話したら 在庫の権利条約の本をすべて持ってきてくれた。かいつまんでもやりきりたい。

(その4)
ベルマークの後日談・・・職場で、福島実践報告の機会があった。このこともあって深く理解してもらえたのか、校長さんが、知り合いに年賀状だけのやりとりだから、確約はとれないが、福島で校長をやっている人がいると私に声をかけてくれた。そして、その日のうちに手紙を書いてくれた。
ベルマークや寄せがきの送り先のめどがつくかもしれません。応援が実現出来そうです。
子ども達の思いも昇華できそうです。

(その5)
あのストーブ談議(正式な懇談後の懇談)が今まで経験したことがないくらい楽しい時間だったとNさんのおばあちゃんが連絡帳で知らせてきた。Nさんとは以前私が担任し、私のことをいきなりオカマと呼んだりしたR君のおばあちゃんでもある。そのおばあちゃんの文章があまりに美しい言葉で語られていたのでおばあちゃんに断って ストーブ談議のメンバーに、その文章を発送した。また、また、その返信があり、Nさんのおばあちゃんに届けようと思っている。


ハイライトの第4次(世界の取り組み)と第5次(参観授業)
森のくまさん (2083)投稿日:2013年02月23日 (土) 23時02分 返信ボタン

第4次「世界の取り組みを学ぶ」 
☆フクシマ後、進むヨーロッパの脱原発の取り組みと日本の取り組みも(梼原町、飯田市、大分など)を紹介。
子どもたちの感想
@ドイツは、日本の福島の事故を知って、原発やめたということを知りました。なぜ、日本であったことでドイツがやめて、日本がやめてないか不思議です。(M)

Aドイツは、環境の面で世界で一番いい取り組みをしている。日本の原発はいつやめるのか?いつ放射能が消えるのか?避難している福島の人は、早く自分の実家をつくってあげたいです。(K)
 
B日本の小さな市や村でも自然エネルギーをつくろうと努力してがんばっているんだなあと思った。(L)

C福島の事故があってから、世界がかわっていることが、わかった。ドイツ、スイスをはじめ、世界もやっと動き出した。世界が動いているのに、日本はまったく動かない。あんな事故があったのにもかかわらず、原発が再稼働した。えらい人が動かないなら、ぼくたちが動いたらいいんじゃないかと思う。福島の人ががんばっているからぼくたちもがんばりたいです。(U)

D外国もたくさんの所で原発がやめられているんだなあと思いました。日本は、今一つしか再稼働していませんが、これからふえるといわれています。でも、再稼働しない場所がほとんどになってほしいです。(H)

E原発はおそろしいから、持たない国が多くなっていたり、段階的に少なくする国もいっぱいある。イタリアではチェルノブイリ事故後、国民投票で、原発廃止が決定されたそうです。やっぱり、いろんな発電方法があるので、原発以外の発電方法で発電した方がかしこいと思います。(R)

F私はびっくりしました。福島の影響で、外国の人は、事故が起きて原発をゼロにしようとがんばっているのに日本は、また、動かして、ひろめようとしている、どんだけこの事故について、しらんぷりしているのか?と思いました。でも、日本の北海道を調べたら、がんばってる地域もあることがわかりました。(T)

G4年1組だけで、ベルギーやドイツなど、12カ所ぐらいみんなで調べました。みんなで、調べたことが、日本のえらいさんに知ってもらえば、もしかしたら、原発をこわせるかもしれないと思いました。これから、どんな未来がこようと、うちは受け止めます。(K)

H疑問なのですが、日本は福島第一原発事故があったのになぜ、再稼働させるのか?なぜ、他の国の人たちのように原発を廃止しないのでしょうか?福島の人達や影響を受けた県の人たちの気持ちやきょうふ心を分からない人が決めつけないでほしいです。(Y)

I海外は福島のことを受け止め原発をやめていっているのに、日本がやめないのはおかしいと思います。日本は、自然のことをもっと考えてほしいです。未来の日本は原発をなくしてほしいです。(N)

第5次 「福島から世界とつながって私たちの未来を考えよう!・・・参観授業で
参観授業の流れ
@これまでの学習をダイジェストに復習
A「福島の子ども達は今?」
☆福島の子どもたちの作文の紹介
☆福島に実家のあるお母さんの話
※このお母さん(現在妊娠中)が、参観日までに福島の実家や、友だちへの電話取材をしてくださった。
このお母さんの話から、
その1 ももの話
・福島のお祖母ちゃんが、丹誠こめて育てたももを送ってくださった。大阪の家族から、このももを食べることに反対され、せつない思いをもった。

その2 福島の小学校の先生の話
・事故直後、窓側の机は1メートル離して並べた。(窓のすぐ近くに木がある。)
・運動会の玉入れは、ビニールシートをひいて行った。  

B小グループに分かれて大討論会
☆子どもにできること・・・手紙や歌声(嵐のふるさとを練習中)を福島の小学校に送ってはげます。
☆大人にできること・・・福島の野菜を買う。(これについては放射能のこわさから、反対意見も!)
         ・・・事実を積極的に知って、ずっと語りついでいく。
・・・大阪、八尾の町のよさをみつけ、大切にしていく。(これは、福島のお母さんがふるさとが被害にあったことで、福島の自然の美しさがうばわれ、よけにふるさとの大切さがわかったと語った事から出てきた。)
☆世界に学んでできること
・・・日本も自然エネルギーに力を入れる。
・・・ドイツのように原発をなくすようにしていく。など
C対談の続きは、「鉛筆対談」とネーミングした対談を各家庭でやってくることとした。

参観の明くる日に届いた鉛筆対談
(子)今日の参観どうやった?プルトニウムは半減期になるまでに、24000年もかかるんやで。

(母)テレビで、福島の特集をしていたから見たことあるけど、やっぱり想像もつかない数字でおどろくこともできなくてぼうぜんとしてしまうね。

(子)やっぱりそうなんや、私も初めて聞いた時は、びっくりしちゃったよ。

(母)でも、びっくりしてるだけじゃだめだよね。お母さんは今日、本当に少しでも、できることがあれば、しなければならないと思ったよ。
節電して、原発がなくなればいいやんって簡単に考えてたけど、そんなに簡単な問題ではないね。同じ国に起こっている問題なのに、すごく遠くのことのような感覚がどこかにあったのが、すごくはずかしいです。

(子)でも、わたしらの近くにはおおい原発があるから、いずれ同じ事になるんじゃないの?

(親)同じ事が起こらないように、真剣に向かいあわないとだめだよね。だから、少しでも限りある資源は大切にしたいと思うよ。私に、今、できることは、エコを心がけることぐらいだけど、福島の人たちに負けないように、いろいろなことを大切にがんばりたいと思います。

(子)おおい原発は再かどうしてほしくなかったな。わたしもママみたいに小さいことからやろうと思うよ。原発のない未来になってほしいと思ったよ。


□未来に希望の持てる授業/ヤマユリ (2084)投稿日 : 2013年02月24日 (日) 15時11分

森のくまさんのパワーがあふれる実践に勇気づけられます。
原発や福島の報道がだんだんなくなり、みんなが遠い出来事としてしまっているのではないかと思う今だからこそ、こうやって授業で取り組み、原発はなくすべきだという子どもの素直な表現に出会うと大人はどうすべきなのかと自問するのだと思います。
鉛筆対談で親が子どもと対等に話しているし、子どもがリードしているのもしっかり学んで、自分たちの未来の問題なんだから自分たちがちゃんと考えないといけないと子どもたちが自覚しているから
できるのだなと思いました。
福島出身のお母さんの授業参加で、授業がうんと子どもたちの身近なものになり、ほかの保護者の皆さんとの結びつきや親子の結びつきも深める感動的な参観授業になったこともすばらしいと思いました。
ぜひこの実践を全国のいろいろな方に伝えていってほしいと思いました。

□学年の先生も報告者に/森のくまさん (2085)投稿日 : 2013年02月25日 (月) 22時07分

同志会の研究会でこの実践を報告することになれば、学年の先生も報告者になっていただけそうです。他のクラスの鉛筆対談も読ませてもらったり、「今まで作文を書きたがらなかった子が、この福島への作文だけは、きれいな字で長文で書いてきたわ。」とうれしそうにその作文を見せてくださったり・・まだ、まだ続きがありそうです。

福島とつながって私達の未来を考えよう!
森のくまさん (2082)投稿日:2013年02月20日 (水) 22時36分 返信ボタン

久々に上記のテーマで学年ぐるみで参観授業に取り組むことができました。うちのクラスでは、福島に実家のあるMさんのお母様が、ひいおばあちゃんが丹精こめて育てて送ってくださった「もも」をめぐって、大阪のご家族のようすを語ってくださいました。その「もも話」への保護者からの反響が大きく、宿題にした鉛筆対談がたくさん届きました。
明日、保護者に出すお手紙を紹介します。
保護者のみなさんへ               
2013.2.21          
先日の参観や懇談にはたくさんのご参加、本当にありがとうございました。
今回の参観授業では、福島に実家があるMさんのお母様の電話による福島のお友達などへの取材で、たいへん貴重なお話を伺うことができました。
私(森のくまさん)が授業の中程で、Mさんのお母さんにインタビューした際には、子ども達は、ひとつも聞きもらさないというまなざしがとても印象的でした。そして、参観に参加された親世代の方々、5人のおじいちゃんおばあちゃん世代の方々も、子や孫のクラスメートのお母さんからの福島の話をやはり真剣な表情で聞いてくださいました。
その後、鉛筆対談が、30通程(水曜日現在)教室に届きました。
鉛筆対談はひとつひとつがたいへん私の心をうち、私だけのものにしていくのはもったいないと思いました。子どもたちはもちろん、親世代、おじいちゃんおばあちゃん世代とも共有して、またまたあちこちで新たな対談が生まれていったらなと思います。
そこでお願いです。このまま、鉛筆対談を印刷させていただいてもよろしいでしょうか?デジタル化するには膨大すぎて、ちょっと苦しいです。(私の体も持ちません!?)(あきらかなまちがい字は、訂正させてもらってから印刷させていただきます。)
もしも、どうしても匿名を希望される方は、お知らせ下さい。どうかご協力よろしく
お願いします。             (担任 森のくま)

尚、Mさんのお母さんへ、対談用紙の片隅に
「Mさんのお母さん、本当にお疲れさまでした。それとお体を大切にして、元気な赤ちゃんを産んでください。」
「Mさんのお母さんに貴重なお話をして頂き、ありがたく思っております。(懇談で)座っておられたので、赤ちゃんがいらっしゃることに気がつきませんでしたが、長時間、寒い中で、冷えたり、疲れたりされてなかったかなと心配しておりました。まだまだ寒い日が続きますが、元気な赤ちゃんを産んでください。ありがとうございました。」



5年生の第3次の授業
ヤマユリ (2076)投稿日:2012年01月09日 (月) 23時59分 返信ボタン

第2次に放射線量を測り、放射能がどんな影響を与えるのかもっと知りたいと書いていたり「なぜ環境に悪い原子力発電をしているのか?」「原発がなかったらこんなこと(放射能汚染)にならなかったのに」のような意見を書いている子も数人いたのをうけて「放射能はどんな影響があるのか?」を詳しく学びました。

1.放射能はどこまで広がった?
 福島第一原発事故による放射能汚染地図(群馬大・早川由起夫氏作成)がカラーで色分けされていてわかりやすい。
 200km 離れた千葉県でも0.5マイクロシーベルト毎時(μsv/時)の場所がある。関西電力の原子力発電所は福井の若狭湾にあるが、学校から何q離れているか、地図で調べると「約100q」である。
「火力発電所は大阪湾にあるのに、原子力発電所はなぜこんなに遠く離れたところに作ったのでしょうか?」と発問し、時間をとって考えをノートに書いてから発表してもらった。

・福井県は人口が少ないから、人口の多いところにいかないように するため。
・もし何かあった時、人口が多いところに原発をつくると大変なことになるから人口の少ないいなかにつくっている。
・福井だと土地の値段が安いから。
・ほかの地域が被害にあわないように。

という意見が出て、難しい問いかなと思ったが、原発のある地域の人々が犠牲になっているということに子どもたちは気づいたようだ。遠いといっても、もし福井の原発で事故が起こればどうなるか? 
 前時の感想で、飯舘村のことをもっと知りたがっていた子が多かったのでNHKの番組の映像から飯舘村の大事に育てた牛を手放し、泣く泣く村を出て行く人々の話をした。北西の風で飯舘村にたくさん放射能が降り注ぎ、高い線量になったことを地図で確認し、放射能汚染を避けるには、風向と垂直の方向に逃げないといけないことを説明した。(政府が、SPEEDYの情報を知らせなかったために、対策をとれずにより多く被爆してしまった人々がいた。)

2.放射性廃棄物はどうなるの?
 前時「放射能ってなくならないの?」と疑問を書いた子がいた。原発から出る放射性物質を含んだゴミはどう処理されるのかを図を見て説明した。放射性物質(放射能)はすぐに放射線を出さなくなるものもあるが、何十万年も埋めておかなければならないものもある。「そんな遠い未来のことを想像できますか?」と投げかけるだけにとどめて、時間がないので先を急いだ。

3.福島の子どもたちはどうしているの?
 最後に、福島を訪ねたときに「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」の活動で、「子どもの声を届けようプロジェクト」として子どもの作文を集め、政府に訴えるなどの活動をされているNさんという小3と小5の子どもがいるお母さんの話を、新聞記事の写真を見せながらした。Nさんに見せてもらった作文や絵の写真を見ながら、福島の小学生の作文を読んでいった。3年生の子は、「ぼくは、しょうらいサッカーの日本代表選手になりたいのに外で練習できない・・・放射能をなくしてほしい」福島から避難した子が、「自分もつらいけど、避難できない友だちが大丈夫か心配」と書いている。
 5年生の子が「わたしは、子どもをうめますか?長く生きられますか?」と書いているのがつらい・・・
 重い話が続き子どもたちの表情もこわばってきた。Nさん親子の話に戻り、Nさんは、福島市の線量が高くて子どもを外で遊ばせられないので、思い切って山形県米沢市に避難したこと。2人の子どもは、友だちと離れたくないと嫌がっていたが、米沢で友だちができて思いきり外でも遊べるので喜んでいる話をすると子どもたちもやっと「よかった」という表情になった。Nさんは「子どもにも子どもなりのコミュニティーがあるんですよ。それがなくなるのはつらいんです。」と言っておられた。「自分は普通の母親でした」と言われたが、その後ドイツの原発反対集会に行き、親子で舞台に立って訴えたという記事を見て、すごいなあと驚いた。

4.授業の感想、疑問より
・発電所のじこがおこったら、風向きと垂直の方向に逃げるとか、しらなかったことをしれたからよかった。
・放射能は風向きによって流れるし、むずかしい。放射能は処理するのがむずかしい。 こんなんだれが考えよってん。あぶないの に。もし、美浜原発などがばく発してここもひさいするかしんぱい。原発など、あってはならない。
・原発は夢やしょうらいをなくすが、事故がなかったらいる存在だと思う。3学期にも 授業をして下さい。
・福島の子どもたちが、ぼくが思っていたよりかわいそうなことになっていた。通学路 で150ミリシーベルトとか、どんなんやって思い ます。なぜ福井に原発があるのかまだよくわかりません。
・福島の子ども達は、外で遊べなくてすごくかわいそうだ。放射能がかからない服があったら外で遊べるのに。もしも日本に原子力発電所がなかったらどうなるのか?
・皆が困っているのに対してそうり大じんの人達は、色々考えてくれているのか。
 皆がんばっている人がたくさんいてすごいなあと思いました。早くもとの生活にもどればなと思います。
・福島県からの放射線でかなしんでいる人たちがいっぱいいたし、たすけてあげたいと思った。原発なんてなければいいのに。すごくいい勉強になりました。
・ひなん所でくらしている子どもたちのうったえに心が動きました。福井県の原発がば く発しないでほしい。
・放射能をあびるとどうなるのですか?(男)※→第五福竜丸で被爆した大石さんのことを紹介したい
・原子力発電所を、何かでかこんで放射能を広げられないようにできないんですか。
・放射能をとりのぞく方法はないのか。
「環境にいい発電」を調べることを冬休みの宿題にしたのが楽しみです。

5年生の授業の1時間目
ヤマユリ (2075)投稿日:2011年10月25日 (火) 23時03分 返信ボタン

5年生の授業は↓の3年生のように写真を使いながら宮城や福島の話をしました。みんな真剣に一生懸命聞いてくれました。東北の様子を思い浮かべながら学びました。自分もボランティアに行きたいと書いた子が多かったのが3年生と違うなあと思いました。さらに知りたいこともたくさん出て、次の授業がしやすくなりました。

★3.11の震災を知ってどう思いましたか?
・波の高さの最大40.5mってすごいぐらいの波の高さでびっくりした。ニュースで見ると地面がま二つにわれてたのですごくこわかったです。(H)
・びっくりした。ねるとき不安だった。(S)
・どうしてこんなことがあったんだろうと思った。なくなった人たちや行方不明の人たちがとっても多くてびっくりした。(K)
・もしも、ぼくの家にきたら家が完全に津波でなくなっていたかもしれませんでした。 そう思ったらこわいです。(T)
 ※上のように、こわかった、びっくりした、自然の力はこわい、行方不明の人が早く見つかるといいのになどという感想が多かったです。
・私はバレーボールを習っています。宮城や岩手などのバレーボールチームはもうバレーボールができないのじゃないかと思ったり、メンバーが足りなくてバレーがで きないチームはいるのかな?だいじょうぶかなと3月は、少しじゃなくてとっても心配した。(M)
・いとこが東京にいたのですごく心配した。すごくごちゃごちゃになっていたのでトリハダがたった。(F)
※Yさんは宮城県仙台市のおばあちゃん、Iさんは 東京のおじさん、Nさんは東京の親友を心配したそうです。
・初めて見た時、めっちゃびっくりしました。自分もさいがいがおきた所に行って、みんなのお手伝いをやりたいなと思いました。(K)
・すごくかなしい。ボランティアにさんかしたくなった(M)※Iさん、Kさん、Wさんもボランティアなど何か役に立ちたいと書いていました。

★今日の学習でわかったこと
・津波最大40.5Mで家がなくなったり、死者や行方不明の人たちが多いことがわかった。今学校に避難している人たちがどんなにつらい思いをしているのかがわかった。(Y)
・みんなひっしで宮城県を戻そうと思っていて、 がんばってるんだろうなっと思った。(W)
・この学習を通して改めて東日本大震災のこわさがわかった。(F)
・3月の大震災で先生がボランティアに行っていたのはすごいなあと思いました。あれから、7ヶ月もたっていてわすれかけていたから、思い出してわすれないようにしようと 思いました。(H)
・何でもやればできるんだなと思った。(Y)
・津波が国際語だったことをはじめて知った。おばか隊の人たちの本当のきもちはいろいろないみでかなしいんじゃないのかな。(S)

★わからなかったことや疑問、もっと知りたいこと
・地震はどんな時におこるのかを知りたい。(T)  なぜ東日本大震災はおきたの? (Y)→うらを見てください。
・地震は東北地方がほとんどだけど、その他に地震があったところはどこらへんです か? (I)→うらを見てください。
・外国人もボランティアをやっているのか?(N)→うらを見てください。
・津波40.5mってビルの何階ぐらいなんですか?(H)→12~13階ぐらいです!
・なぜおばか隊は自分もたいへんなのにみんなのためにがんばるのか(M)
・震災にあい、家がつぶれてしまった人達は毎日どんな生活をしているのか知りたい。 (T)
・家をなくした人は避難所で何をしているか何を食べているかを知りたい。(N)
・なぜ津波で原発がこわれたのか。津波の破壊力はどれくらいなのか?(何t?)(K)
・水のエネルギーはどういうものなんですか?(M)
・どこにエネルギーのことが出てきたのか?(S)
・被害にあったところでほかの県はどうか?福島のことをもっと知りたい。(H)
・放射線のことがあまりわからないから放射線のことが知りたい。(H)
・放射線量が高いと体にどんなことがあるのですか(F)
・放射能が全部なくなっているのかなあ。(T)
・島のようすをもっと知りたい。先生のともだちは、今どうしているのか(S)
・U先生はどんなボランティアをしたのか知りたいです。(S)→田んぼの ガレキの片付け、小学校の図書室の片付け、こわれた2階建ての家の中のものを出 してゴミの分別の仕事をしました。大変でしたがみんなでやれば、できました。

★そのほかの感想   
・おばか隊の人達はすごいなと思いました。自分もそういう人になりたいと思いまし た。 U先生の説明も分かりやすかった。(T)
・ぼくもなにか役にたたないかなと思っています。(K)
・この大震災はもう一生わすれない。がんばろう東北、負けるな東北、ぼくたちもおうえんしている(M)
・東日本大震災・3・11ぜったいわすれないと思いました。(T)
・今日勉強した感想はすごく悲しいし、火事とかきたときでもすごくかわいそうだっ た。(Y)
・わたしにできることがあればやりたいです。(I)
・ぼくもいつかボランティアに出ようかなっと思った。(W)
・写真(カラーで)などと説明でとてもわかりやすかった。わからないこと、もっと 知りたいこともあるのでまたやってほしい。いい勉強になった。(H)
※このように書いてくれた人がたくさんいてうれしかったです。

3年生の授業にちょっと目を通させてもらいました
原 通範(以後、ツーハンと呼称します (2071)投稿日:2011年10月19日 (水) 09時33分 返信ボタン

宮城支部のS先生の話から始まっていて、子どもたちも聴き入っていきやすい授業だったのではないかと想像します。
 またオバカ隊の若者たちの話、私自身もとても興味ある話なのだと思いました。
 子どもたちの反応はすごいですね。とりわけ、福島原発事故についてはいまではテレビでも結構報道が為されているので、注意を引くのですね。
 とりわけ友だちをなくしたり、友だちと離れてしまわなければならないといったことをもとに我が問題として、3年生の子どもたちが感じている様子や、食べ物や遊びを制限されていることに対する切なさをよく感じているということを知ることができて、震災問題やさらに原発問題が教育実践により、子どもたちの間で大きく取り上げられていく可能性を感じ取ることができました。

 どうも有り難うございます。このホームページを覗いてみることになったのは、金原先生のメールに基づいています。
 ではまた。  ツーハンより


□「未来への翼」プロジェクト「/森のくまさん (2073)投稿日 : 2011年10月22日 (土) 06時25分

ツーハンさんの書き込みにすぐに続きたかったのですがおそくなってしましました。ツーハンさんが、『私には個人的に、1970年代末から1980年代にかけて、原発の候補地となった和歌山県のある場所に私の母の実家があり、前が海、後が山という自然に恵まれた環境の中、それまで仲良く暮らしていた人々の間で、人間関係が取り返しがつかないほどに壊れてしまったという個人的体験』かかれていたことに福島県飯舘村についてかかれた「までいの力」という本の紹介文が重なります。飯館村は、周辺の町村が合併を決める中、合併はしないという選択をし、自主自立の村作りをしていたそうです。何もない村だからできる事「スローライフ」や「昔から受け継がれてきた村のくらし」「手間をおしまず、ていねいな質の高いくらし」を大切にしてきたそうです。しかし、原発事故で、今、ここに現存する自然や人間だけでなく、これまで、営々と受け継がれてきた人間の暮らしを破壊してしまった。テレビの映像だけではわかりにくい中味です。それでも、飯館村の人々は、「未来への翼」プロジェクトとし、中学生を20人ドイツに派遣したそうです。バイオマス発電や、グリーンツーリズムを学んでもらったそうです。
こうした、「未来への翼」のような中味も授業の中で、取り入れ、新たに、自分たちの住む地域を見直す地域学習が展開できるかもしれませんね。そういう意味で小学3年生でもできる可能性がありますね。私も実践しようと考えています。他のみなさんにもこんな授業作りをしたいなと思う方は一緒に交流しながらすすめたいですね。

□「地域学習を飯舘村で」っていい案ですね!/ヤマユリ (2074)投稿日 : 2011年10月22日 (土) 19時33分

そういう切り込み方もありますね。
さすが! 
飯舘村を取材したテレビの録画も使えそうですね。写真も撮ってきました。
青年が「愛する飯舘村を還せプロジェクト 負げねど飯舘!!」を結成し健康被害をうやむやにさせない闘いをしているそうです。
くまさんのように工夫していろいろな実践がみんなでできたらいいですね。

3年生に震災・福島の授業をしました
ヤマユリ (2070)投稿日:2011年10月16日 (日) 22時21分 返信ボタン

 原先生、書き込みありがとうございます。金原先生のメルマガ読者にさせてもらいました。原発に関する情報をすばやく発信してくださっていてとても勉強になります。メールで送って下さるのでこれなら子育てで忙しいママ(私ではありません)にもぴったりです。

 先週、3年生のクラスの補講を頼まれ、宮城や福島に行った話を写真を見せながら話したいと申し出ると、ぜひぜひと言われて急遽1時間だけ授業をさせてもらいました。(次に5年生でする授業の練習も兼ねて)
 
 同じ学校体育研究同志会という民間研究団体の宮城支部のS先生の話から入りました。海から150メートルしか離れていない中学校の先生で、震災の時に津波で流されていないかとても心配したことや、そのときの話をのちほどS先生から聞いたことをかいつまんで伝えました。その中学校のある東松島市には8月末に行って見てきた様子などを写真を見てもらいながら伝えました。
 S先生の学校は授業が始まっていたので、私は気仙沼の離島大島にボランティアに行きました。そこで見てきたこと、どんな作業をしたのかなどを写真を見ながら話しました。「オバカ隊」というすてきな若者の話もしました。(NHKでも彼等のことが報道されたそうです)「どうしておばか隊って言うと思う?」と聞くと、面白いことをしてるんかなと嬉しそうにいろいろ想像してくれます。
 大島の災害対策本部を取り仕切っていたのでてっきり役場の方と思っていたら、地元で自分も被災し家が流されたりけがをしたりした若者達だったのです。遠くからボランティアに来ておばか隊がいごこちがよくて長期滞在している若者もいました。おばさんだから無理しない方がいいと気をつかって下さって「島時間でいいのです。できることを自分で気づいたことからしてもらえればいいのです」の言葉に癒されました。
 被害のひどかった気仙沼の写真も見てもらいました。
 子どもたちも関心が高く、話の合間にいろいろ知っていることを話してくれました。福島の原発事故の話も出たので、福島の写真も見せて福島の子どもたちの様子を簡単に伝えました。小学校に設置された線量測定装置の写真、雨樋の下に線量計をあてている写真を見せて「2マイクロシーベルト」と言うと「そんなとこに行って大丈夫なん?」とか「けっこう高いなあ」という子がいてびっくりしました。子どもたちは、午前中は社会見学に行って、その後の5時間目の授業でした。疲れているのに、食い入るように写真を見て話もしっかり聞いて、宮城や福島のことを想像して考えていました。
 
感想を紹介します。
◆つなみが家をながしたり船をりくにながしたりしました。つなみが来た後はがれきやながされた家などがあちらこちらにちらばっているようです。そのがれきを、オバカたいという人たちががれきをかたづけたり、ゴミをひろったりしているようです。
◆しんさいのことは、しってたけど内ようがそんなにわからなかったので、こういうきかいがあってよかったです。
◆先生の話を聞いて、大さかにつなみとかじしんがきたらこわいなあと思いました。大島でつなみがりょうほうからきたからわたしはびっくりしました。ふくしまでほうしゃのうもおこりました。からだにはいったらこわいなあとおもいました。
◆わたしは、原発でふくしまはそとに出てはいけないからかわいそうだと思いました。あと大島も家がぐちゃぐちゃになっていてかわいそうだと思いました。
◆福島は、食べ物がすごくおいしくて、でも福島の物はほうしゃせんがあるので食べられません。福島の人はどうしてくらしているんでしょう。
◆家やびょういんやおみせやさんもつぶれてかなしいです。ほうしゃのうがあびているせいで、マスクやてぶくろやながそでに長ずぼんでとってもかわいそうです。とてもゆれたとおもいます。おかあさんやおとうさんやいもうとおとうとおねいちゃんをなくした人もいます。あるいはおばあちゃんだったり、おじいちゃんをなくした人もいます。つなみもきた家があります。はさまれた家もあります…いちばんいやなのは友だちをなくすのはとってもいやです。

※「一番いやなのは友だちをなくす・・・」の感想を見て福島のお母さんから、「子どもって子どもなりのコミュニティーがあって、避難して友だちと別れるのがとってもつらいのです」と聞いたこと、高校生の子どもがどうしても転校したくないというので同じ市内でコンクリート造りのマンションに引っ越して内部被爆に気を遣い、家族の放射能に対する温度差の違いで苦しんでいるというお話を思い出しました。



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