William Henry Harris(1856.12.12~1941)オーストラリアのメルボルン生まれ。父ダニエル,母メリー・アンで5人兄弟。60年代に米国に移民しペンシルバニア、次にイリノイのフルトンに住む。若くして、家を出、西部に行く。賭博や酒場Saloonにかんしんがあり、76年の金で湧くデッドウッドの酒場関係に名が出て来る。78年ダッジで、ビースンとロング・ブランチ・サルーンをはじめ、アーピやマスタスンと知り合い、賭博師としも知られる。ダッジ銀行にも,出資し、副頭取となる。80年トームストンのオリエント・サルーンの共同経営者となり、やって来たアープを賭博責任者に推挙している。ストームを殺したルークショートとダッジに帰り、ルークがビースンの権利を譲り受けて共同経営者となる。83年の町長選に出馬し敗れ,新町長がルークを追い出す”ダッジ・シティ・ワア”の後の84年11月、ルークとロングブランチを売却し、この業界から足を洗う。ミズリーでコーラ・スワンストンと結婚、カンザス・シティに住み不動産業に従事。子供8人に恵まれる。90年代にイリノイ州に移住し、サリバン,ルイストン,カントンと移り住み、1941年に亡くなった。 1977年3月のトームストン・エピタフ紙にハリスについての質問の答えが掲載された。 「ハリス氏はペンシルバニアのリーディ−ングの出身で、1845年に生まれた。1850年の国勢調査に、家族と住んでいた記録がある。国に書類に、南北戦争時,ペンシルバニア連隊(第5,第128第129)に居たと記録されている。 ハリスはお尋ねの様に、トームストンからダッジに帰った。83年町長選に出て、ラリー・ディガーに負けた。彼は又ダッジ・ファースト・ナショナル銀行の副頭取に一時なっていた。後彼は政治と競馬に関係していた。 ハリスは1895年,カンザス・シティで自殺した。ユニオン墓地に埋葬された。 敬具 グレン・G・ボイヤー 」