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こんにちは。何か書いてね

添乗トラブル


今まで添乗したツアーの記録を綴りました。

思い出深い話・怖かった話を書いてみました。

思い出しながら書いてるので年代は順不同です。







[28] 2001年 911テロ後に再びイタリアへ


911テロがあった時は、イタリアにいました。
ちょうどミラノに到着して次の日に、あの惨劇が・・・。
コモ湖からの帰りのバスの中で、ラジオを通して911の速報ニュースが
どんどん入ってきました。バスの中はシーンとなりました。
翌朝、イタリアのテレビのTG5で、あの飛行機の惨劇を見て、
あまりにも凄いんで、一瞬、映画かと思った。
ツアー中に、帰国したグループもいました。
お客様にお聞きしたら、怖いから、すぐには飛行機に乗りたくないとの事。
一応、ミラノ〜ローマまで4都市を中心に観光を全部見て回りました。
最終日、お客様に質問を受けました。
『帰りの飛行機は大丈夫だよね?』
これは・・・大丈夫と答えるしかなかったでした。
(自分に言い聞かせるかのように・・・)

帰り、飛行機が無事に成田に到着した時には機内は大拍手でした。
ハワイに添乗に行った友人はハワイの空港が混乱してて
空港も閉鎖してたので3日位、現地に足止めされてました。

911テロがあった翌月の10月、すぐイタリアツアーが催行されました。

今だから言えるけど、私、添乗員だけど、怖かったでした・・・。
でも、ツアーが催行されたので、涙ながらに行きました。
無事に、イタリアに到着して、翌日のフリータイムがありました。
ミラノのラ・リナシェンテデパートでは、爆弾予告の電話があって
皆、外へ逃げました。でも、爆発は、しなかった。

ベニスでも、ドゥカレー宮殿に爆弾をしかけた・・・と
ある情報筋から連絡が来て、ベニスの町は、警官だらけになった。
このツアーにはドゥッカーレ宮殿の中に行く事になってるのです。
爆破は誤報と思って入場して、もし爆破されたら・・・?
でも、何も起こらなかったら?
答えは2つに1つ。宮殿に並んでいたグループは大勢いたけど
ほとんどが宮殿に入るのを止めていました。
お客さんに、確認してみたら、誰も入場したくないと言いました。
ベニスのイタリア人の日本語がペラペラのガイドさんに・・・
『この時期に来る、お客様達は勇気ありますねー』と絶賛されました。
誰が書いたのか・・・
ベニスの島の建物には、Bush kill You の文字も・・・。

平和が一番!



[27] ローマ空港 時限ストライキ (欠航)

2007年1月24日発イタリアツアーです。

1月24日は成田空港をルフトハンザ航空で飛び立ちました。

出発前から、ローマの空港では、空港スタッフの時限ストライキの予告がありました。
予定通り・・ストライキがあり、
日本帰国の便もルフトハンザだったのにストライキで変更になりました。

これはツアー最終日で、日本に帰国する日の事です。
ストライキか、どうか空港に行かないと、わからないと言われ
とりあえずローマの空港(FCO)のルフトのカウンターに行った。
やはり・・・ストライキは解除できずに本来乗る飛行機は欠航でした。
この日は、空港職員の午後12時〜16時の時限ストライキで
この出発時間にかかる飛行機は飛ばないのです。
ストライキも16時で終わればいいけど、そうでない場合もありえるのです。
当初乗るはずの、私達の便は、ルフトハンザで、ローマ発12時半、ミュンヘン経由成田行きだった。
ミュンヘンでは1時間半のトランジットで成田到着予定は11時10分でした。


お客さんには、今日まで、このストライキの事は黙ってました。
よく情報もコロコロ変わりストライキが解除になる事も多く、
もし最初の日でも、途中でも、最終日のストライキの事を告げたら、
帰国日前日の自由行動の日なんか、翌日の事が気になり心配で
自由行動は楽しめないかと思ったので自分の胸に秘めていた。

しかし、毎日、さりげなく お客さんの日程表を改めて移動のバスの中で
マイクを通し読んで、イタリアは、何があってもおかしくないから、
その時でも動揺しないようにとか、この時期はストライキが多いとか、
スケジュール変更はありえるとか・・・毎日、洗脳していたせいか?
えーー!?とは言われたが、そんなに皆さんストライキでもビックリされなかった。

昨日も数日前も電話やFAXでルフトハンザに確認していたせいか?
同じスターアライアンスグループの飛行機でOS(オーストリア航空)の
私達グループの36名の空席があり、見事、そちらに全員振り替えてくれた。
つまり12時前の出発便のOS(オーストリア航空)があり、その上、
36名分の空席が、人数分あったのでした。ラッキー☆
ローマを、OSの10時45分発の飛行機に乗り、そしてウィーンが経由地になり
それから成田空港には9時半に到着との事。

EUに住んでない人が、このイタリアでは1軒の店で約155ユーロ(約25000円)の
買い物をすると、その税金20パーセントが手数料を引いて、申請した人に
税金が戻るシステムがあります。それを免税払い戻し手続きといいます。

ヨーロッパの免税手続きを、ローマ空港でする場合には、EU乗り換えがある時、
免税手続き品をスーツケースに入れるのが条件だけど、
このローマでは、とても時間がなくて出来ないので
ここでは100パーセント手続きできないから、この先どうなるか、わからないけど、
いちかバチか、ウィーンの空港で免税手続きを出来たらするということで
該当の方は、スーツケースから免税品を出してもらった。
乗り換えの場合は、その商品が手元にないと手続きできないのです。

ただ、振り替えチケットをもらった時点で、もう搭乗時間で、
買い物時間どころか、急がなくてはならなかったでした。
しかし、ローマの空港のX線検査が、この日は、普段より厳しかった。
イタリアには100回以上行ってるが行く度に保安検査=X線の厳しさが違う。
今日は、全員、靴、時計、ベルト、ジャケットを脱ぎ、X線終わり、また着てと・・・
36名終わるまで時間がかかり、これでは飛行機が行ってしまう・・
X線が終わってた英語ができるお客さん6名に先発隊として先にゲートに行ってもらった。
有難うございました・・・!
そして、残りのお客さん29名と走ってゲートになだれ込んだ。
何か・・・ホームアローンの映画みたい・・・。
お客さんは、一生忘れられない旅になった・・・と笑っていらした。

ウィーンに到着して、ウィーンで無事に全員の免税払い戻しの手続きも完了できた。

そして当初乗る予定でなかったOS(オーストリア航空)の機内食。


無事に成田空港に当初、乗るはずのルフトハンザより1時間40分早く到着した。


本当にOSに私達グループの36名の空席があったのは奇跡・・・
どこのエアーでも、空席がないと帰れない・・・

ああ、良かったでした・・・



[25] LH飛行機 欠航

2007年6月21日発スイスとイタリアツアーです。

成田空港を定刻に出発したルフトハンザ航空は
経由地のフランクフルトが悪天候だった為
フランクフルト上空を旋回して15分遅れで
フランクフルトに到着しました。
そこからスイスのジュネーブ便にのるはずが
嵐という事で私達の乗るはずだった便はフランクフルトに到着してなくて
欠航なりました。

また1年前の悪夢が思い出されました。
このサイトの〔22〕に詳細が書いてあります。

今日、ジュネーブに飛ぶ便は2便あるけど
2つの便とも満席だそうで翌日のジュネーブ行きの
11時の便も満席だそうです。

移動の便が全て満席だそうで困りました。
ルフトハンザのカウンターで交渉してたら
別の日本人グループも困っていて
ルフトハンザのスタッフが悩んだあげく
バスをだしてくれる事になりました。

私達20名と別のグループ23名で一緒のバスで
今は、ドイツ・フランクフルトからスイス・ジュネーブまで
バスで移動の最中です。6時間位かかるそうです。
今日のフランクフルト空港は悪天候で半分が欠航が多く
空港内は、すごい事になってます。
ほとんどの人が欠航なので振替えを頼む人の行列です。
そんな中でルフトハンザがバスを出してくれて助かりました。

スーツケースは何千個と山積みなので
今日は届かないけど仕方ない。
本日中にスイスに移動出来て良かったでした。
そうでなかったら明日のレマン湖クルーズ観光が
カットになるとでした。
いつも思うのですが、旅は何が起こるか
わからないので、一応、1泊分の荷物は手荷物にされた方が良いですね。

ローザンヌのホテルには、夜中の2時半に到着しました。
そして、スーツケースも何と、朝、ホテルを出発する前に
ホテルに全部のスーツケースが到着しました。
これは凄い事です・・。こんなに早くの到着は珍しいかもです。
スタッフも頑張ってくれたんだな。って思いました。


[23] AF飛行機乗り遅れ

2006年7月7日発のフランス周遊ツアーの事です。

飛行機はAFでした。(エールフランス)
遅延の報告もなく、ホッとして機内へ・・・
前回の2006年6月ツアーのスイストラブル疲れで、機内でウトウト・・・
目が覚めたら、まだ飛行機は飛んでなくて成田のゲートの所です。
機内放送で、油圧系統の故障との事で、これから新しいのと交換して
点検するとの事・・・。はあ〜〜ツアー2度連続飛行機トラブル?
朝、10時半発の飛行機なのに故障で遅れて午後1時に成田を飛びました。
過去には、当たり前に、ちゃんと定刻に飛ぶ飛行機に乗ってた自分だけど
今回は、パリで乗り継ぎ便には間に合わなかった・・・。

この日は、パリで2時間の乗り換えでニースまで行く予定でニース泊の予定。
乗り換えは、2時間でしたが、何もなければ余裕のはずだったのに・・・。
故障の為、余裕でなくなりました。夏のバカンスのニース行きは、今日は
3便あるけど、3便ともオーバーブッキングで、とても、乗れる状態では
ありませんでした。
パリ行きの同じAF279便に乗っていた、1人から3人の参加の個人旅行の人達も、
全員で合計すると13名位いて、1人の個人の人でも、同日は、やはり乗り継げなく
私達と同じホテルに、宿泊となってました。
嫌な予想が的中して、パリ泊になりました。

7月8日

翌日は、ニース、モナコ、エズ村の観光でしたが、幸いにも早い便がとれ
どれも全部観光できました。(嬉)

観光がカットでなくて良かったでした。




[22] スイストラブルツアー (欠航)

2006年 6月25日発のスイスツアーです。

6月25日(日)、BA008便(ブリティッシュエアウェイズ)で成田空港を
定刻に飛び立ちました。おお、順調の出だし〜だ。
自分の中で最初にトラブルがあると最後まで尾を引く傾向があるので
心配だったのですが、今のとこ順調でした。

で、イギリス・ロンドンでスイスのチューリッヒに行く為に、
乗り換えて次は、BA720便に乗るのでした。
モニターで出発時間を確認すると、遅れてる・・・・
大丈夫かなあ・・・と不安を残しつつ、搭乗開始になるのを待ってました。
ようやく1時間半遅れで搭乗開始になり、機内に入りました。
ここで1番目の出来事が・・・
機内に入ったものの・・・機内のエアコンが壊れていて・・暑いのです。
メンテの後、さあ、飛び立つぞ〜って時に、何と、機長さんが具合が
悪くなって病院に行ってしまいました。ありえない〜でした。
逆に考えると飛び立ってから具合が悪くなるのも何ですが・・・。

そのまま、この便は欠航になってしまい、満席の乗客は動揺しながら
機外へ降りました。
本日、チューリッヒ行きの飛行機がないので全員、ロンドン泊となりました。
スイスへのトランジットなら、イギリス入国カードを記入しなくてもいいのに
私達は、一旦、ロンドンに入国するようになりました・・・。
その場で25名の入国カードを記入するのは大変ですし、時間も遅いので、
入国審査員に、お願いしたら書かなくてもOKとの事。
ターンテーブルから、スーツケースを各自持って、BAのデスクに行ったら
同じ便の乗客で、すごい列でした。しかし、時間が午後10時半過ぎなので
ほとんどの乗客が、今日はカウンターを閉めるから、明日、来て下さいとの事。
ええ・・・明日って・・・ツアーなのだから、お客さんの出発時間とか
モーニングコールとか伝えなきゃいけないのに、フライト時間が
わからないと伝えられないので困りました。
BAからは、この紙に書いてある24時間のコールセンターに電話して
聞いてください・・との事でしたが、実際は、テープが流れるだけで
全然、通じません。
その便に乗っていた人は、同じホテルになり、ホテルのフロントで
同じ便のスイス人とか、イギリス人とかでフロントで話していて、
BAの対応はおかしい・・・と憤りを感じてました。
お陰で、皆と妙な連帯感が出来てました。
とりあえず、同じ便の人は、誰も翌日の便が取れてないので
早くホテルを出発しようと思いました。

朝、空港に到着するとワールドカップとウィンブルドン開催中という事と
私達は25名という事で、1人や3名なら空席があるけど25名も空席がなく
・・・結局、午後3時50分の便になってしまいました。
午前中のチューリッヒ行きは、どれも満席・・・・

仕方ないので、会社に電話して飛行機の出発まで、ロンドン観光と、
昼食をつけてもらいました。

ロンドン観光後、ロンドン・ヒースロー空港に戻り、今度は、ちゃんと
飛行機がスイスに向けて飛びました。(嬉)

この日、午後7時にチューリッヒに到着して、バスでグリンデルワルドまで
頑張って走り、レストランで夕食を取り、ようやくホテルで就寝です。
今日のルツェルン、ベルンのカットは残念だけど、この日に、山を見たり、
ハイキングがなくて、まだ良かった・・・。
皆様、お疲れ様でした・・・。はあ〜
でも、これは、このツアーの序章だったのです・・・。


そうとも知らず・・・翌日、アイガーもホテルから良く見えてご機嫌〜
今日は、ハイキングがある日なのです。これはアイガー東側です。
7月16日付けの新聞だと暑さの為、アイガーの東側の岩が崩壊ですって。
スイスも連日、25度〜30度あり、各ホテルはエアコンないから暑かった〜。

2番目の出来事・・・
ここでは、氷河特急電車の席が某旅行会社のツアーとダブルブッキングでした。
もう1人の添乗員さんと話しあって、お互いのメンバーが座れた・・・。

6月29日はハイキングの日。ここで3番目の出来事が・・・。
これから予定では、午前中がハイキングで山の上に上がる事になってる。
駅や、ホテルには、山の上のライブカメラの様子を写している。
あいにく、午前中は、麓は雨で、山は吹雪状態・・。
今日は、1日、ツェルマットだし、午後はフリーだから・・・
でも、午後に天候は回復してくれるかどうか・・・。
ホテルのコンシェルジュは、朝から良いと言ってたが良くないよ〜(涙)
どうしようか・・・悩んだ。マジで悩みました。
ライブカメラで山の上が吹雪を写していて、今、山の上に登っても・・
考えて、これ以上は、悪くならないと判断して、午後は、
フリータイムなので、いちかばちか、午前と午後の予定を振り替えた。
幸いにも予感が的中。(しなかったら・・・冷や汗でした。)

午前中、雨で見えなかったマッターホルンも見えた。

ハイキング中、リュッフェル湖では微妙に見えなかった、
逆さマッターホルンも、次の湖で、何とか・・・・(ビミョウ)


ここで4番目の出来事が〜
25名全員が、楽しくハイキングしてる最中に、1人のお客さんが・・・
急に、今まで持っていたリュックサックがないと大騒ぎ。
何でも、パスポートとカード入りのお財布が入ったリュックを、どこかに
忘れてきた事を、ハイキング中に思い出されたんです。
え?今まで で歩いていた?
写真を撮るために走って、リュックないのに気がつかれたそう・・・。
ええー、リュックはどこに?動揺されていて、それも記憶が曖昧で・・
記憶を辿り、セントバーナードのいた頂上のとこのベンチと判り、
とりあえず近くのリュッフェルベルグ駅に走り、頂上の
ゴルナーグラード駅に連絡してもらったら、まだベンチにあるというので
すぐにリュックを保管してもらい、次の電車で持ってきてもらった。
忘れてから1時間は過ぎていたので、どうなるかと思ったけど
悪い人にリュックが見つからなくて良かった・・・。
リュックの中身は全てあり、何もなくなってませんでした。良かった。




山も見え、天候にも恵まれ気分よく空港に行ったら・・・・
5番目の出来事が待ってました・・・・

これからジュネーブ発ロンドン行きのBA729便に乗り、ロンドンで
乗り換えて、BA007便に1時間10分の乗り換えで帰国予定だったのですが
チェックインをしてる時に、係員が、BA729便は遅延すると言われました。
せっかく、山も見え、ここまで何とか皆の気持ちを持ってきたのに。
ジュネーブではゲートも3度変更して、2時間以上の遅延でした。
成田行きのBA7便には間に合わなくなりました。

BA729便はジュネーブの空港を、2時間半遅れ飛び立ちました。
もう、度胸がついたのか?どうにもなれ?なのか・・・
お客様も、なるようにしかならないと思われたのか、笑顔でした。
(笑顔が出るというのは、こういう時は、どういう心理になるのだろうか。
誰もが、またロンドン泊を予想していたのだろうか。それとも?)

飛行機は、ようやくロンドンに到着して、ゲートに着いたら
BAのスタッフが待っていて、これから夜のNH(全日空)の飛行機に
全員振り替えが決まってると言う。皆でバンザイした・・・

BAスタッフからNHへの全員分の振り替えチケットをもらい、
喜んで、ロンドン第4ターミナルから第3ターミナルにバス移動して
NH(全日空)でチェックインしました。ここで6番目の出来事が〜〜
ツアーメンバーの誰の名前もコンピューター上にないという。
全日空のスタッフは、ここでは何も出来ないから、
また第4ターミナルのBAカウンターに戻って確認してきて下さいとの事。
第3タミから第4タミはバス移動も大変なので、お客様を、ここで待たせ
1人で、第4のBAへと走りBAのマネジャーに愚痴のような文句を伝える。
「あなた、全員、乗れるっていったじゃない〜(涙)」

結局、25名中、10人しか全日空には、乗れなくて、また、ロンドンに
泊っても大丈夫な人だけ残った。

BAのカウンターに行き、翌日のフライトを探してもらったら、
VS900便ロンドン発成田行きが2人、後は、QF30便で香港経由で
そこからJAL730便で成田となった。

また残ったメンバーとBA持ちのホテルに行きロンドン泊になった。

このホテルもジュネーブ発BA729便でロンドンに同日乗り換えできなかった
他の国の人などが多くいて、ビール片手にワールドカップの試合を見てた。
ホテル内のパブのテレビでは、ちょうど、イギリスの試合をしていた。

ようやく予定より1日遅れの7月2日、ロンドンから
QF(カンタス)30便で香港へ飛ぶ。
うちの会社のツアーではキャセイと提携してて2年前は、よく香港経由で
ヨーロッパに行きました。
こんな形で香港へ来るとは・・・とほほ。
カンタスは、東に到着するので、JALのある西ウィングに移動する。


成田に到着したら、スーツケースが半分、到着してなくて
後日に、ようやく到着したのでありました・・・
本当は、メンバーは7月2日に成田に到着予定でした・・・。
実際に到着したのは、1日遅れの7月3日でした。
スーツケースは、何と、7月6日に自宅に到着しました。
次の添乗まで、何とか間に合った・・。
お疲れ様でした。




[21] AZの対応

2006年3月10日にイタリア・ローマからアリタリア航空で帰る時に
ローマのチェックインカウンターのAZ(アリタリア)の職員さんのお話です。

この日も、今日は多くのグループがあるから・・・と言われて
嫌な予感がしていたら、案の定・・・やっぱり・・・

ローマからロンドンヒースロー経由で成田に行くんですが
通常、スーツケースは、自動的にロンドンを経由して
成田行きの飛行機に乗せられるわけです。

もちろん入国カード書かなくて、イギリスには入国しなくても
ロンドンの空港内を乗り換えできるんです。
そしてスーツケースは自動で成田行きの飛行機に乗せられるから
自分で持って移動する必要もありません。
チェックインは4つのカウンターを使い、各自、お客様が個人チェックインになりました。

なのに・・なのに・・・この係員は、スーツケースをロンドン止まりにしちゃったのです。

これが、どういう事かというと、私達35名のグループは一旦、イギリスの
ロンドンに入国しなきゃいけないわけです。

ロンドンに到着まで、お客様は、機内で慣れない入国カードを書いてもらい
入国では係りに、英語で観光?とか聞かれ、英語できないお客様もいるのに・・。
トランジットって言えたらいいけど・・・。それも難しいお客様もいます。

それに、ターンテーブルで各自スーツケースを持ち、徒歩で
ロンドン・ヒースローの空港の第2ターミナルから第3ターミナルまで
移動して、また全日空でチェックインしなきゃいけないのです。

イタリア人が動かない・・・マイペースな国民だと思ってましたが
さすがに私・・驚きまして・・・
それでもアリタリアの職員は、はぁ?ってロンドンで入国して
それで徒歩で行けるわ〜なんて言ってますし。

しなくて良いロンドンの入国で1時間待ち、なぜかスーツケースが出てこなくてロスバゲで30分、
移動で10分チェックインで30分・・・かかりました。
なぜか、幸運にもANAに到着してチェックインしてスーツケースの紛失を告げると出てきました。
そんな事でもロンドンの空港内で、お買い物や、ゆっくりする時間は
あって・・・ランニング搭乗にならなくて良かったけど
余計な事があり、ひどすぎます。
ちゃんとFAXでリコンファームのリクエストしていて
カウンターでもBGE(スーツケース)は成田まで・・とお願いしてたのですが。






[20] 飛行機の欠航とロストバゲージ

2005年9月25日

台風17号が接近していたので、朝から情報を収集してたら
私達の乗るAF277便(エアフラ)は、フライトキャンセルという事でした。
即行、会社の成田事務所に駆けつけ朝からPAX(お客さん)の自宅に
その件を伝える電話をする。
伝えるのは辛い事でしたが、集合時間に、その事を何も知らずに
現れて事実がわかるのは もっとショックな事です・・・・。
夜9時55分のDEP(出発)だったので
お客さんの集合時間までに全員に電話が繋がりました。
これが朝の出発だったら、皆に電話もできず、こうは行かなかっただろう。

成田空港で、お客さんが続々と集合時間に来られて
もう1度、欠航の詳細を説明した。
その件については、誰からも文句は出なかった。
少しは出たのかもしれないが、私に向かっては言ってこなかった。
誰もが、台風なら仕方ない・・・という表情でした。
実際に、お客さんから、いつホテル代は集めるのか?という質問があった。
通常は、ホテル代はお客さん持ちになるのが旅行業界の約款ですが
今回は、ツアーメンバーに関しては、
AF払いでホテル代、ホテルの中の夕食代・朝食代が出ました。
しかし、個人旅行の人は、出なくて欠航を知り一旦家に帰宅して
また翌日、振り替え便に乗る為に、成田空港に来た人も多かった。
ツアーで会社の後押しがあったからなのか・・・。
スーツケースは、タグをつけて、AFで空港で預かってくれた。

皆で、エクセルホテル東急のバスに乗り ホテルチェックインして
夕食クーポン・朝食クーポンを、お客さんに配り
次の朝のエアフラの乗り継ぎ便、朝のホテル出発時間を告げて
各自、ホテル内の夕食場所へと向かって休んだ。
ホテル内の、和食・中華・夕食の3つのレストランから選択できた。

すでに、次の日の振り替え便の搭乗券と、乗り継ぎ便の搭乗券は
頂いていたので、ホテルの部屋で飛行機の席割りをする。

翌日、朝の6時にロビーに集合して東急エクセルホテルのバスを
ツアー人数が多かったので、結果的にチャーターになり成田空港に向かう。
ホテルから成田空港の所有時間は約15分で、成田空港に到着して話すより
バスの中は他の方がいなかったのでマイクを使わせもらい必要事項をお客さんに伝えた。

当初の予定より、ほぼ12時間遅れで、AF277D便(振り替え便)は
朝10時08分に成田空港を飛び立ちました。(ETD 09:30 dep.)
機内は満席で、全員、昨日、欠航の為に飛べなかった人々だ。
私の隣に座っていた人は、一旦、家に帰り、朝早く空港に来たそうだ。

パリ(CDG)到着が少し遅れて14時47分に到着した。(ETA 14:30 arr.)
次の乗り換えの飛行機が、パリ発15時40分だったので
乗り継ぎ便の地上係員が待機していて、私達グループは係員と共に
ダッシュして次の飛行機に乗りました。
乗り継ぎ時間が短いので、ロスバゲが心配でした。
ニースコートダジュール空港には17時15分に到着して
予想通り・・・4個のスーツケースが未着でしたが
次のAF7708便で ニースに来るとの事でした。
(これは、今回のツアー最終日の、ほんの序章でした。。)

この日は、本来ならば、朝9時にニースに到着して、
モナコ・カンヌ・ニースの観光でありましたが
飛行機の欠航の為に、全部はまわれないのでニースだけでも
頑張ってまわる。
約款法で、欠航といえども、ツアー最終日も伸びたりはしないんです。

ツアー最終日の朝は早い出発時間でした。
モーニングコールが3時で、ホテルの朝食弁当P/UPが3時半。
お弁当といってもイタリアなので、サンドウィッチですが。
ホテルを朝、4時過ぎに出発する。
この日のフライトは、リヨン行き AF5824便で 朝の6時半出発でした。

個人チェックインなので時間がかかる。係員は1人だけ。。
それに搭乗券の名前や、荷物名札の名前も間違えるお粗末さでした。
そんな感じで、チェックイン中に搭乗開始時間になる。
6時55分には出発できて、リヨンまで飛ぶ。
リヨンからは9時10分発、AF7653便でCDG(パリ)まで飛ぶ予定。
ローマでは、コンピューターの関係で、
お客さん3人の搭乗券が出てなかったので、リヨン空港で
リヨン→パリ、パリ→成田空港の搭乗券をもらう。
FAXでも、リクエストしてるのに、お客さんの1人が
フライトキャンセル扱いになってたり、
リヨンのカウンターでは、ローマで、あの係員が荷物に
タグを付け忘れていて リヨンの係員が、
このスーツケースは、お客さんのか?と聞かれて
びっくりした。タグを付け忘れるなんて・・・゛(`ヘ´#)

そんなんでも無事にパリ(CDG)に飛び、時間が2時間あったので
各自で空港内でショッピングや、ゆっくりして頂く。

パリ発のAF276便が、機内清掃係りのストライキという事で
約1時間の遅れで、ようやく成田へ飛び立つ。
後で聞いたら、ケータリング(機内食を運ぶ会社)のストライキとの事。

もう これ以上、何もありませんように・・・と願っていたのに・・・



成田空港に到着して、成田の地上係員が、私達が機内から降りる前に、
機内に乗ってきて、パリの空港内のスーツケースを配送する会社が
ストライキという事で、スーツケースが80個未着と機内アナウンスが あった。
ターンテーブルで、該当の方の名前が書いてあるという。
その機内アナウンスを聞いて、また、お客さんは、がっかりされて、私も悲しかった。
即行、機外に出て、ターンテーブルに向かったら
お客さんのスーツケースが4個未着でした。
係員の話だと、まだ、パリではストライキ中で、どこにあるのかも わかってないらしい。
書類を作成して、エールフランスからの連絡待ちになった。
AF成田事務所の電話が、いつも話し中なので、
エールフランスのHPでも所在がわかるようになっている。
リファレンスナンバーを打ち込むと、いつ配送されたか わかるようになっている。
10月3日現在も、まだパリでスーツケースを運ぶ会社(WorldTracer)のストライキ中で
約1000個の預け荷物(スーツケース)が、パリで積まれたままで
、その後も5万個に増えていった。
結果は、10月10日に未着の方のスーツケースが、各自宅に届いた。
後で聞いた話だと、この頃、日本を出発した別のツアーは日本から南仏・イタリアツアーの
8日間の期間中に、お客さんの荷物が現地に届かなくて大変だったとの事でした。

旅をする時は、1泊とか必要な荷物は手荷物にされると良いですね。


[19] エアフラ(エールフランス航空)の事故で思い出した事。

2005年 8月3日
ニュースを見たら、エアフラ(エールフランス航空)が、カナダ・トロントで
オーバーランして事故したニュースをしていました。
エアバス・・・・以前も・・・・ありましたね。

その事故の当日は、雷と豪雨だったらしいけど、
その空港に着陸するか、どうかは機長の勇気もあると、ちらっと聞きいた事ありますが、
もちろん他にも、いろんな諸事情が あるんだと思います。


自分も、以前、同じように、雷と豪雨での着陸を
イタリア・ミラノで経験した事があります。
それは、ツアー初日でした。
日本から フランス・パリ シャルル ドゴール空港(CDG)を
経由して、CDGからは、アリタリア航空(AZ)で
ミラノ・リナーテ空港へ向かう時、
やはり、豪雨と、雷ゴロゴロの状態でした。

そして、機内アナウンスがありました。
「機長は、これから着陸を試みますが、
もし不可能の場合、ミラノ・マルペンサ空港に飛びます。」

3回着陸態勢に入ったが、難しかったのか、結局、飛行機は、
ミラノ・マルペンサ空港へ移りました。
AZは、元空軍のパイロットも多い所でも有名です。

リナーテ空港も、マルペンサもミラノの空港です。
当時は、直行便は、マルペンサで、リナーテは欧州線発着路線でした。
リナーテ空港は、市中心から車で20分、マルペンサ空港は、市中から
車で45分〜1時間かかります。ホテルは、市中心です。
安全の為には、仕方ないといえ、もう夜の10時です。
情報は、行ってるはずですが、マルペンサ空港に到着して
即行、ランドオペレーター(ヨーロッパ手配会社)に電話して、
空港変更を告げました。
リナーテ空港で待機してるツアーバスを
マルペンサ空港にまわすと、こっちに来るだけで 約1時間かかります。
そのツアーバスに乗って、また市中に行くと、更に1時間かかるんです。

夜も遅いので、時間がもったいないので
AZ(アリタリア航空)の手配してくれた乗り合いバスで
ツアーのお客さんと、リナーテ空港に向かいました。

空港変更の場合には、該当の航空会社のバスシャトルが、
飛行機に乗っていた人々を 当初目的の空港に向かうサービスをします。

ツアーのお客さん以外にも、同じ飛行機に乗ってた人と乗り合いバスでしたので
席は満席で、イタリア人も日本人も、ごちゃ混ぜで、初日という事もあり、
私は、お客さんの顔も、ちゃんと覚えてないので、他のイタリア人には、申し訳ないですが、
お客さんの名前を、1人1人、呼んで確認しました。
55席のバスの席は、満席で私の席がなくドライバーの横の補助席に座らせてもらいました。

そして、リナーテ空港に到着して、ツアーバスとアシスタントが待ってました。
そのバスは、ツアーバスなので、他の方と混載でなく、お客様のみだけです。
すぐにバスを乗り換えてホテルへと向かった事もあります。


それなので、そのトロントの着陸前の機内は、かなり怖かったはずです。
今だから言えるけど 私も、そのイタリア・ミラノの豪雨の中を着陸しようかという時は、
揺れてて、本当に怖かった思い出があります。

トロントの事故では、残念な事に怪我人はいましたが 
約300人の無事は、本当に良かったと思いました!


それにしても、いつも思うけど、エアフラの機長は勇気ありますね。。
去年、11月のツアーでエアフラ(AF=エールフランス航空)で
早朝に、成田に着いたんだけど、台風くずれの大風で
私達以外の飛行機は、皆、関空にまわってたのに、
私達は、大風の中を かなり揺れながら・・成田空港に到着したんです。
ジェットコースター状態に近いものがありました。
その時の旅日記 ←ここをクリックすると、その事が書いてあります。

この添乗記録の〔15〕も同じ日を書いたものです。


つい・・・・その事を思い出してしまいました。



[18] エンジントラブル パート3 (欠航)

2000年6月19日

この時は、スイス周遊の10日間の旅でした。
成田空港からJALで、オランダ・アムステルダムで乗り換えして、
そしてアムステルダムから、同日にKLMで、チューリッヒに行く予定でした。
ところが、成田でJALがエンジントラブルの為、故障を直すのに
少し時間がかかるとの事でした。
すでに1時間半の遅れでした。「オランダ・アムステルダムからの次の便に間に合うかなあ。」
と不安がありました。ツアーは、自分達以外に、7つのツアーが、同じ飛行機におりました。
航空会社から、飛行機遅延のお詫びの食事券をもらったんですが
この時のJALは満席状態で、その乗客が全て、成田空港内のレストランに殺到しました。
出国審査した後のレストランなので、レストランの数は、あまりないです。
それが一挙にレストランに押しかけたので、当然、席はなく、
レストランに入るまでに長い行列ができてました。
乗客はイライラするわ、航空会社のスタッフは、お詫びに来るわ、大変でした。

結局、エンジントラブルになってたJALは、無事に直ったみたいで、何と、成田空港を
4時間遅れで出発しました。当然、この出発時間だと、次のオランダ・アムステルダムからの
次の便には間に合わないのでアムステルダムに泊まりになりました。
アムステルダムに到着したら、JALの現地スタッフが、アムステルダムの到着ゲートで
待ってました。スタッフに明日、早朝の便を確保してもらい、他の旅行会社のツアーの
人達と、同じ1台のバスで、混載で同じホテルに向かいました。
そのホテルで、違う2つの旅行社が、JALの人に世話して頂き、一緒にホテルの
チェックインをしました。2つのツアー人数は全員で、総勢55名おりました。
予期せぬオランダ泊まりで喜んでる方、明日は、目的地に行けるか、不安を抱えてる方
いろんな思いがあったかと思いますが、トラベルの語源は、トラブルという事から、
「旅も、いろんな事があるさ」と、プラス思考の気持ちで楽しんでおられる方が多いように感じました。

この時は、通貨はユーロになる前で、オランダのギルダーの通過でしたので大変でした。
ホテルに着いても、スイスは、スイスフランなので、オランダの通貨に両替しない方も
いらっしゃいました。明日は、ハイキングという事で、すぐにお休みになった方が多かったでした。

翌朝、一番で起きて、オランダ・アムステルダムから、スイスのチューリッヒに飛行機で飛びました。
この日の予定では、スイスのシーニゲプラッテのハイキングだっったのです。
朝、アムステルダムのホテルを出る時には、ハイキングの格好をして頂きました。
そして、チューリッヒからバスで登山鉄道のヴィルダースヴィル駅まで行き、
そこで山岳ガイドさんと会い、登山鉄道でシーニゲプラッテのハイキングに行きました。

この日の予定は、グリンデルワルトのホテルを、朝ゆっくり出発してのハイキングの予定でした。
それもあって、飛行機が遅れてもハイキングの時間に、間に合ってラッキーでした。


[17] 個人旅行で経験したトラブル (欠航と空港変更)

1999年1月 (アメリカ方面)

アメリカに住んでる知り合いの所に行った時の話です。
この時は、完全にプライベート旅行だったんです。
マイレージを使い、行きと帰りの便だけ予約してました。NW(ノースウェスト航空)で、
デトロイトへ移動して、そこからコロンバスまで行く予定でした。
仕事の時は、さすがに緊張してますが、この時は遊びという事もあり、
ポワーンとしながら成田に到着しました。

成田に到着したら、乗る予定の便(NW-86)が欠航になってました。
すでに、NWのカウンターは他の便に振り返る人々であふれていました。
台風でも、エンジントラブルでもないのに、欠航かぁ・・と思いながら
私も、その人々の行列に並び、他の便に振り替えたんです。

成田から、NW8便で、シアトルに行き、そこでNW50便(デトロイト経由パリ行き)に乗り換えました。
シアトルには、以前から行ってみたかったので、こういう理由でも
行く事ができてラッキーでした。朝の6時にシアトル到着して、
乗り継ぎ時間を利用して、あのシャトルに乗って、そして町に少し出てみました。
現地時間は朝6時過ぎなので、まだ閑散としてました。
その後、シアトルから8時30分発のNW50便デトロイト経由パリ行きに乗り
デトロイト到着は、15時40分で、そこから最後の乗り換え、
NW852便コロンバス行き17時10分発に乗り、コロンバスには18時20分に到着しました。
本当の予定は、成田〜デトロイト〜コロンバスだったのに長い旅行になっちゃいました。

多分、ジャンボ旅客機を成田で1機飛ばしても乗客が少なかった為、コスト関係で
飛ばさないで振り替え便になったんだと思いました。
アメリカ滞在11日間を終え、帰国日、デトロイトからジャンボで
成田行きのNW3610便は、ジャンボなのに、ファーストクラスからエコノミーまで
全体の乗客数が、17名でした。これは、乗客が少なくても
リターン便なので飛ばさなきゃならない便です。
アメリカ人客室乗務員が、「全員で17名よ〜」と教えてくれました。
私は、エコノミーだったのですが、席は、ガラガラ、周りに人が見えないので
少し不安になりました。客室乗務員もカートでドリンクサービス&食事サービスを
しないで、席に「何にしますか?」と直接、聞きに来ていました。

プライベートで行くと、欠航に縁があって、翌年、またアメリカに行った時も
またまた欠航になってました♪ (。→‿←。)
冬場で、しかも、観光地でもないので行くのにも苦労しちゃうな。

1998年1月8日 (イタリア)

フィレンツェの友達の所に遊びに行った時の話です。
成田からフィレンツェまでは直行便がないので、AZ(アリタリア航空)で、
成田〜ローマ〜フィレンツェの予定で便を予約してました。
成田〜ローマまでは順調でした。予定通りに、ローマからフィレンツェ行きの便に
乗って、しばらく飛んだ時の事です。
イタリア語と、英語の機内アナウンスで、「この便は、フィレンツェに行く予定でしたが
フィレンツェの空港は、霧が発生して、只今、空港閉鎖になってますので
当便は、ピサに向けて飛びます。」「ぇぇ〜!! Σ( ̄ロ ̄;)!!」
そしたら、機内にいたイタリア人は、携帯電話で、ガンガン
どこかに、かけまくってました。
機内で携帯電話の電源はオフにしなきゃ事故の元になるかもしれないのにぃ。
と、思いながらも、機体は、ピサに向けて角度を変えながら
ピサに到着しました。ピサの空港は、ピサ空港と書いてなく、
ガリレオ・ガリレイ空港と書いてあるだけです。
機内アナウンスが、もしわからなかった場合、ピサ空港なのか、フィレンツェの空港なのか
よく、わからないかもしれません。ピサの空港の出口で、
現地係員対応のツアーだと思うのですが、日本人の2人の女性が、
「フィレンツェのガイドさん、遅いね〜」って話してたのが聞こえたので
寒いし、ずっと待っていたら可哀想なので、「ここは、ピサなんです。
振り替えのアリタリアの無料シャトルバスが、1本だけフィレンツェに向けて出発するので、
アレに乗ってね」と伝えたんです。
アリタリアの係員もピサ空港の出口で、「シャトルバスは、こっちですよ。」と誘導してませんでした。
もし、それに乗らないと、独自でお金を払ってフィレンツェに行かなきゃいけないし、
時刻も夜11時半です。
自分は、仕事でなかったのですが、困ってる人は、ほっとけなかった。。
ついつい教えてあげてしまった。すみません。
アリタリアが振替で出してくれた、無料シャトルバスは、1時間後にフィレンツェの空港に
無事に、到着しました。


[15] 2004年 12月5日の日記より  (トラブル一歩手前)

これはトラブルかどうか悩みましたが、トラブル一歩手前という事で
一応UPしました。(12月5日の日記より)

現地時間の朝4時半にローマのホテルをでて
日本に帰る為に、ローマの空港に行きました。
今回のエアーはAF(エールフランス)だった。

11月1日から、AFでは、スーツケースの重量制限をもうけ
スーツケース1個20kgまでOKで、それを1kg超えるたびに
超過料金制度ができてた。日本出発前に、その情報が
わかっていて、お客さんにも、電話で伝えた。
だけど、まさか、誰も、それが本当に行使されるとは・・・
思ってなかったのだ。
空港に着いたら、他のグループも超過料金を1kgオーバーにつき
35ユーロ(約5千円)も取られていて、私達は、青くなりました。
超過とられる前に、スーツケースから荷物を出して、別に持って
いいというので、皆さん(私を含めて)スーツケースの重さが
20kg以内になるように、超過分だけ根性で出しました。

私は、自分のが20kg以内と思ってたら、23kgもあって、どれを
スーツケースから出していいやら少し途方にくれましたが
頑張って出しました。出したものは、預け荷物でなく
自分で手荷物として持って行くのです☆

重い・・・・。

搭乗開始になりAF7700便に乗り込みました。
ところが、ローマの空港の出発する便で混んでいて
ローマ出発が1時間も遅れたんです。
この後は、私達のグループは、パリから10時半の
日本行きの飛行機に、乗らなくてはいけないのに・・・

飛行機がパリに到着したのが、9時50分でした。
到着して、乗り継ぎ時間があまりないので
「アメリカと日本へ行く便の人は時間がないので
外にバスが待ってるから、他の乗客より早く席を立ち
そのバスに最初に乗ってください」と飛行機の中で
フランス語と英語のアナウンスがありました。

英語・フランス語で言われても・・・・
すぐ振り返って、後ろの席に座ってるお客様の様子を見ましたら・・・
お互いに顔を見合わせて、ハテ(・_・*)?という顔の方もいらっしゃった・・アチャ Σ( ̄ロ ̄;)!!

で、意を決して、AFのスチュワーデスに頼み
マイクを借りて日本語で、機内アナウンスをしてしまいました。

そしてパリのターミナルに入ったけど、そこの手荷物検査場も
超混雑で、職員に飛行機が飛んでしまうから先に行かせてと
お願いしても、ここにいる人は、皆、同じような出発時間だから
ダメ・・・という事で、手荷物検査が終わった時点で
飛行機出発予定時間を過ぎてまして10時30分頃でした。

皆で走って、日本行きの飛行機に乗りこみ何とか間に合いました。
日本行きのAFには、日本人スチュワーデスがおります。
その日本行きの飛行機の中の機内アナウンスで
「皆様、お待たせしました。乗り継ぎのお客様を
お待ちしてました関係で大変長らくお待たせしまして
申し訳ありませんでした」・・・でした。。

もともと遅れたのは、ローマからのAFの便だったのになぁ。
と思いながら・・・寝てしまいました。o(_ _*) Zzz

この飛行機は、日本到着が予定より1時間遅れて
成田に到着になり、成田上空にきたら大風で機体が
かなり揺れていました。「ぇ?こんなに揺れて大丈夫?」と
何とか頑張って機体は、無事に、予定より1時間遅れの
12月5日朝7時35分に、成田に到着しました。

あんまりにも揺れたので、機体が滑走路に無事に降りた時は
拍手があがってました。
私も過去、台風の時に飛んだ事があり、その時も、けっこう揺れましたが、
今回も着陸の時、揺れてました。
離・発着の時は、機体のバランスが命とりになるので
機長さんも神経をつかうのです。

飛行機から降りると、職員さんが、今日、成田空港に到着した便で
皆さんの便が初めてですよ。と言われました。
台風くずれの大風で、予定の朝6時半に到着してたら
1時間前は、成田は、大風により空港閉鎖だったそうで
私達の前に成田に来た他の便は、大阪・関空とか名古屋に
全部、まわされてしまったそうです。

パリを定刻に出発してたら・・・成田は空港閉鎖で
関空にまわされていたでしょう。

私達のお陰・・・☆?

本当に・・良かった。。皆様、お疲れ様でございました☆


[14] エンジントラブル (欠航)

1998年5月10日

この日は、イタリア・ローマからの帰国の日でした。
グループは、ローマからルフトハンザ航空で、ミュンヘンに行き
そこから、同じルフトハンザでフランクフルトまで飛び、フランクフルトから
同じくルフトハンザで、成田空港まで直行の予定だったんです。
ところが、機内に入り落ち着き、さあ出発という時に
エンジントラブルが判明して、「この飛行機は、エンジントラブルの為に
検査するので飛びません」と機内アナウンスがありました。
「ええ?」困りました。ミュンヘンに到着したら、次のフランクフルトまでの
飛行機の乗り継ぎ時間は、1時間しかなかったのです。それには、もう間に合いません。
それに、お仲間同士が、隣同士の席になれたんですが、また、飛行機から
降りなければならない。客室乗務員に、しつこく今日中に帰国しなければ
ならない事を伝えた後、検査の為に、飛行機から全員が降ろされました。
それから今回のお客様は29名で、お一人の方に飛行機から
全員が降りたら、離れないように、まとめて下さる事を、お願いして
私は、1人で、トランスファーデスクに走りました。こういう時は、
振り替え便なので、早ければ結果が良くなる事もあるのです。

トランスファーデスクに何とか、今日中の便を手配をお願いしたら
何と!グループは、フランクフルトからJALで、成田行きの便の空席が
ちょうどグループと同じ人数の30人分の席があり、私達は、その便を確保できたんです。
さっきの飛行機を降りる前に、しつこく言ったから手配してくれたのかな?
とも、思いましたが、結果的に今日の便が確保でき、お客様には、
ローマからの便がエンジントラブルで、日本到着の遅延報告の電話を留守宅にして頂き
また、ローマの免税店があるターミナルに戻り、今日2回目の!
空港免税店の買い物と、ルフトハンザから出た、お詫びの昼食券で、食事を
して頂きました。ローマで出発時間になり、私達はルフトハンザでフランクフルトに飛び
到着して、JALのチェックインカウンターで搭乗券を頂きました。
JAL便は、夜の9時出発だったのでフランクフルトでも待たなければなりません。
遅れは、ルフトハンザに責任があるので、フランクフルトでも
専用カウンターで、その事を伝えたら、また夕食券をだして頂きました。
お一人様、約2000円の食事券でしたので空港内のルフトハンザ指定の店に行きました。
ドイツといえばビールが有名です。30名全員で、わいわい言いながら
飲んで、食べて、騒いでました。やがて搭乗時間が来て
お腹いっぱいになり、搭乗してグループの人達は、疲れていたとみえ
機内食も、少ししか、召し上がらずに、お休みになってました。

今回は、トラブルの後に、偶然に、グループと同じ数の空席があった事と、
グループが離れないで、同じ便に乗れた事、いろんな意味で順調に
行ったんだと思います。

帰国したくても、他の便に空席がないと帰れないのです。
実際は、他の便が満席だったり、同じグループの30名分の空席が、同じ便で取れなくて、
帰国便が分かれたり、もう1泊、延泊も、よくある中で
順調に行って記憶に残る旅となりました。

*↓下の【カラス】のトラブルは、CDG(パリ空港)からミラノ行きの便が、
アリタリアに限らず、席の余裕がないのでした。定刻でもパリを夜の8時半でしたから、
難しく、パリでホテルを探してもらい、それでも、なくてベルギーのホテルに泊まったというわけです。


[13] カラスのせいで、パリでAZ乗り遅れ

1996年10月22日

イタリアツアーに行く時の事でありました。
成田空港から、ANAで、CDG(パリ空港)経由で、ミラノへ行く予定でした。
ところが、カラスが、その飛行機のエンジンに入ってしまい、それを取り除くという事で
成田出発の時点で2時間遅れてました。
その後、私達は、CDGから、AZ(アリタリア)でミラノまで行く予定でした。
機内でも、CDGでAZは、待っていてくれるかなあ・・と心配でした。
その飛行機の出発時間は午後8時で、CDGに午後8時に到着したら
この日は、私達を待つことなく、ちょうど飛んだ所でした。
(CDGは、大きな空港なので乗り換えだけでも、多くの時間が、かかるのです。)
到着した飛行機に乗ってた人は、パリ迄の人もいるし、私達のように乗り継ぎの人もいるわけです。
たくさんの人が、ANAのカウンターに行き、今日の、この後の便は、とれるか?
もし、今日、ミラノまで行けない場合、ホテル確保などを、交渉し始めました。
ANAに交渉したら、このパリ空港、半径20kmのホテルは、全部満室で、確保はできない・・
ということで、私達は、何と!ベルギーのブリュッセルのホテルになりました。
深夜、航空会社が手配したバスに乗り込み、パリから、ブリュッセルまで
3時間半走らせ、深夜1時半にブリュッセルに到着しました。
本当は、今日はミラノ泊の予定なのに、ベルギーに泊まってる事実!汗。
このホテルはグレードアップして、かなり良いホテルではありましたが
ミラノの観光を今日しなければ、ミラノ観光カットになってしまうので、
あんまりホテルに、ゆっくり休んでる時間はなかったのです。
当然、この日の朝は、早い出発で、朝、6時半のフライトでした。
朝、ミラノに到着して、何でもなかったように普通に観光して、
無事に次の目的地のベニスに向かいました。
(もし遅れがなくて、予定通りであったら、この日の朝、ミラノのホテルを出発して、
今の、この同じ時間帯にミラノで観光になってたのです。)
疲れと、泊まる場所が違うのを除けば・・・
何とか、スケジュール的には、予定通りに間に合いました。

ANA側ではローマオフィスの方が、最終日迄、お詫びにいらっしゃいました。
大変、誠意ある態度を示して下さいましたが、
もともとは、カラスが原因です。
カラス1羽でも、皆を振り回して、こんな大変な事になってしまった1日でした。


[12] オーバーブッキング

ここでは、飛行機、ホテルのオーバーブッキングについて書きます。

【飛行機】

●エールフランス航空 (1999年2月8日)

パリ(CDG)の空港から○Fで、帰国する日に、「1人だけ、オーバーブッキングで
この○Fに乗れないです。もし、明日の同じ便に移動してくれれば
ホテルと飛行機のアップグレードの席を保証します。」と係員より言われました。
明日の飛行機の出発時間は夜11時なので、丸1日、パリに滞在できるわけです。
私達のグループは、30名で、皆、親子連れとか、仲間同士で、
その時は、お1人参加の方は、いらっしゃいませんでした。
それで、皆さんに、「ここで1日残っても良い方は、手を上げて下さい。」と言ったら、
全員の方が、笑顔で手を上げました。それで、くじびきをしようかという時に
グループでなく個人旅行で、先に来ていた1人の方が、気が変わり、
その人に、決まってしまいました。皆さん、残念。。

●アリタリア航空 (2000年10月20日)

パリ(CDG)からミラノ・マルペンサ空港(MXP)に飛ぶAZ(アリタリア航空)が
オーバーブッキングで、4人だけビジネスクラスに上がってほしいと
パリのアリタリアの空港スタッフにお願いされました。
この時は、31名のグループでした。
チェックインカウンター前で、くじびきして、ビジネスクラスに行って頂きました☆
食事も、荷物(スーツケース)もビジネスクラスでした。

●アエロフロート航空 (2003年9月21日)

成田からロシアに行く日、私たちは、成田〜サンクトペテルブルグの直行便のチケットを持ってました。
私達は、18名のグループでした。
ところが、機材変更で、機材が少し小さくなり、オーバーブッキングになり、
ちょうど18名分の席がなくなりました。
そして、成田〜モスクワ〜サンクトペテルブルグに振り返られました。
その航空会社の偉い方が、お客様に1人1人お詫びして、ラウンジ券を皆にくださいました。
そして、急遽、モスクワでロシアのアシスタントとバスを手配してもらいました。
これから楽しい旅をしようという時に、いろんなトラブルってあるもんです。
でも良い事もあったんです。最初、乗るはずの成田〜サンクトペテルブルグの直行便は、
機材故障で、成田出発が遅れてしまい、
結果的には、モスクワ経由で行った私達の方が2時間も先に、サンクトペテルブルグに到着したんです。
ホテルにチェックインして、ぶらぶらしてたら、その直行便組が
かなり遅れて、お疲れの様子で到着してました。
何が幸いするか、わからないものですね。今回は、良かったかも。。


【ホテル】

●1997年10月23日
イタリアのフィレンツェの、ノ○ホテルで、チェックインしていた時、
ホテルの人に、「添乗員さんの部屋だけ、違うホテルになります」と言われ、
別のホテルに泊まりました。お客様のホテルから目の前のホテルだけど
お客さんでなくて、私が、オーバーブッキングで良かった。
繁栄期は、たまに、添乗員の部屋は、こういう事があり、ああ、又か・・と思いました。



[11] 今まで偶然に、会った有名人

この仕事をしてると、どこかで有名人に会う機会に恵まれます。成田空港では、よくドラマや
映画のロケをしてますが、残念ながら俳優さんの名前を全部知らないんです。
それにロケが多く覚えてないっていうのがあります。なので、それは省略します。
後は、有名なサッカー選手とか野球選手にも成田で偶然、会ってます。
ここでは偶然がテーマなので、コンサート等を見に行き有名人を見たケースは除きます。
ついでにプライベートでの、有名人と偶然の出会いも書いてしまいます。


【片山右京さん】

2009年5月26日
スイス航空チューリッヒ発成田行き160便、ビジネスクラスで。
元F1ドライバーの片山右京さん見ました。
お客さん、誰も知らなかった。


【キアヌ・リーブス、上原さくらさん、萩原流行さん、西村知美夫妻、
岡島秀樹夫妻、マリエさん】


2008年12月18日、キアヌ・リーブス主演の映画「地球が静止する日」の
ジャパンプレミアが東京・六本木で行われて偶然、見る事が出来ました。


【 森久美子さん、原口まさあきさん 】

2008年7月8日オランダ、アムステルダムKLM861便に乗る前に
搭乗ゲートで見ました。
同じ飛行機だったので成田空港のターンテーブルでも見ました。
ベルギー、アントワープで何かのロケしていたとの事。



【 葉加瀬太郎さん 】

2008年 5月31日 ロンドンの空港では、お買い物のトラブルがあったお客様の
通訳までしてくれたそうです。
そしてNH202便、ロンドン発成田行きの飛行機が一緒でした。
何故か同じYクラスでした。ターンテーブルでも、お顔を見れました。
痩せていらっしゃいました。お仕事帰りのようでした。



【イタリアで見た、日本の芸能人】

★ 藤木 直人さん  2005年 2月27日 

ミラノ スカラ座前広場でテレビ?のロケをしてました。
あのような、いつも日本の方が多い所でロケをするとは、
凄い度胸だと思いました。
ファンの方や、日本の方に囲まれて(私も?)ロケされてました。

★ブルックシールズさん

2006年11月18日
トム・クルーズの挙式の招待客としてローマのスペイン階段で、偶然に見かけました。

★ 森 公美子さん  

2003年11月
オペラ歌手の方で、イタリアに住んでた事もあり。今も、よくイタリアには行ってるみたいです。
ローマ発、成田行きJ○L 便で、たまに見かけます。

2005年1月24日にも、スイス航空で機内と、チューリッヒ空港の中で、すぐ前を歩かれてました。

★ 渡辺 徹さん

榊原郁恵さんのご主人様。ミラノのスカラ座前広場で、ガイドさんと2人で観光されてた。
旅番組でなく、プライベートでした。ツアーのお客様の握手や写真にも答えてた。

★ 高田純次さん

ローマのコロッセオの周りを日本の旅番組ロケで、馬車に乗ってました。

★ 名取裕子さん

スペイン広場の噴水の所で、ポスター撮影の為に、ポーズをとっていました。

★ 竹野内 豊さん、ケリーチャンさん

フィレンツェで、映画「冷静と情熱の間」の映画ロケを撮影してました。2人は、ロケの為に
フィレンツェのドォーモの屋上の463段の階段を5往復もされたそうです。

★ 水沢 アキさん

某ツアーに親子で参加されていて、ミラノから、ローマの観光名所では、よくお会いしました。
よくツアーに参加されるそうです。ローマの某日系デパートでは、
トイレ待ちの時、お客様に先に順番を譲ってくださいました。
両手に、たくさん買い物されてて、さすが芸能人は違うなあ。と感動したものでした。


いろんな国で見た有名芸能人・VIPの方々


【川上 麻衣子さん】

日本の女優さん? 2000年3月に、成田空港の搭乗ゲートから、スカ○ジナビア航空で
デンマークまで、同じ飛行機でした。確か、この方は、デンマーク生まれなので故郷に、
お帰りになったのかな。
機内でもビジネスクラスの後部座席に座られて、フレンドリーな笑顔を振りまいてました。



【故宇野元外務大臣】

添乗員になる前に、プライベートで行ったタイから同じ飛行機でした。
機内では、拝見できなかったですが、空港で拝見できました。


【平成天皇】

まだ天皇陛下になられる前に、新潟から同じ新幹線でした。車窓を見てると踏み切り事に
警察が多くいて、警備が厳しいので、同じ新幹線にVIPが乗り合わせてると思いました。
一番、前方車両に警察が多くいたので、車両を歩いて、前方へ見に行ったら
少しだけなら・・の条件つきで、拝ませてくれました。その時は、
自分は、まだ小学生だったので、OKだったのでしょう。



【クリントン元米大統領、ヒラリー夫人】

1997年5月に、イギリス・ロンドンを添乗中に、
ツアーバスが、急にバッキンガム宮殿で、交通規制に入り、警察に止められ、見たら、
クリントン米大統領とヒラリー婦人が車に乗って前方から手を振ってらっしゃいました。


【英国 アンドリュー王子】

1996年6月、デラックス・カナダツアーに添乗した時に、カナダ・トロントで、
英国のアンドリュー王子と同じホテルに宿泊しました。
ホテルは、1929年オープンのフェアモント ロイヤル ヨー○ ホテルでした。
テレビ局の人や、野次馬の人々がいて、ホテル玄関には王子様用の
赤いじゅうたんが敷いてありました。
・・という理由で、ツアーバスが、ホテル前で、止まれなくて、スーツケースを
バスから降ろすのが大変だったのを覚えてます。


【ピーター・アーツさん】

1998年5月、オランダに向かうK○Mの機内で、大きな体の男性軍がエコノミークラスにおりました。
多くの若い人達が席を立ち、サインをもらってました。
ツアーのお客様が、私に、「あの方はだあれ?」私は、その人を知らなかったので、
(今、思うと大胆ですが・・)その人の所に行き、「失礼ですが、貴方は、どちら様ですか?」
と、質問しましたら、その人は、「僕は、ピーターアーツです。」と答えました。
機内の皆がサインをもらってたので、お客様のご要望もあり私が、代わりにお客様の為に
サインをもらってきました。今や、K1の有名人になり、握手はしたけど、自分もサインを
もらっとけば良かったなと思いました。


【江沢民 元中国国家主席】

2000年5月に北京の人民大会堂内で日中文化交流2000の集いがあり、そこで、2000人と
当時の中国国家主席の江沢民と会食を致しました。


【ブラッド・ピットさん】

2000年11月、ハンガリーのブタペストのヒ○トンホテルで、映画のロケをしてました。私達は、
ツアー中でしたが、ブラビがホテルを出て来てから、しばらく自由行動になっちゃいました。
共演者のロバート レッドフォードも一緒にいらっしゃいました。


【ローマ法王】

イタリアに行ってると拝見する機会は多いです。通常、毎週、水曜日は謁見の日。
日曜日、年末とか、チャンスはあると思います。ただ夏休みは、法王様は、バカンスで
バチカンにはいらっしゃいません。



[10] エンジン トラブル

1996年5月22日

楽しいカナダ旅行の帰りのでき事です。
このツアーは、日本帰国の日に、カナダのトロントから、
アメリカのデトロイト迄、飛行機で移動したんですが、
すでにトロントで1時間半の遅れ・・・・
このままでは、次のデトロイトで日本行きの飛行機に
間に合わない・・・と思い、アメリカ人のスチュワーデスさんに、
何とか、デトロイトからの乗り継ぎ便を待たせて下さいと、
お願いしました。そしたら、スチュワーデスさんは、
「大丈夫よ。デトロイトに1泊すれば、明日も飛行機あるわ。」
「(心の中で)【そういう問題じゃ・・ない〜。】と思いながら
お願いだから、待ってて下さい〜」そして、以前、アメリカにいた時に
アメリカ人には、i believe you!と言うと効き目ありますよ。
という言葉を思い出して言ってみたら、案の定?コロリと態度が変わり、
「わかったわ。機長に伝えてみます」と言ってくれました。
【おお〜。本当に効き目あったぁ〜♪】
日本だと、国民性で、こんな事まで言ったら迷惑かなぁ。
言い過ぎかなあ。と、いうのがありますが、
外国は、ダメだと思った事でも、決して諦めないで、ダメ元で、
常識の範囲で、口に出して言うと願いが、かなう事が多いんです。
遅れは、天候が理由でなく、飛行機のトラブルに原因があるので
この遅延は、待ってくれるんじゃないかな。と思ってました。
この航空会社が70名分のホテル代を負担するよりは、少し駐機して
70名を乗り継ぎ便に乗せた方が負担が軽いじゃないのかな?とも思いました。

そして、飛行機は、デトロイト到着後、日本人の地上係員が
機内に乗り込んできて、「隣のゲートに日本行きの飛行機が
待ってますので、速やかに移動お願いします。」と
機内アナウンスがあり、隣のゲートだった事もあり、
デトロイトの空港内を、お客様総勢70名は
わずか、2、3分の乗り継ぎに成功したのでありました。

さて、前置きが長くなりましたが、本題は、これからです。
飛行機は、某○@☆△航空としておきます。

そんなに苦労して乗った飛行機なのに、大西洋を順調に飛んでる
思われた飛行機は、しばらく経ち、
「この飛行機は、エンジントラブルで、これから、ガソリンを
放出します。そして、アラスカの空港に緊急着陸します。」
、と機内アナウンスがありました。「え?冗談でしょう?」
すぐ外を見ると、機体は、ガソリンを放出中・・!(;^_^A  
これって・・・
無事に着陸できないと爆発するから放出してるんじゃ・・・。
そういう時の機内って、とても、シィーンとしちゃうんですよ。
皆さん、いろいろ考えちゃうんだと思います。
(この航空会社は少しでも不安材料があるなら、その前に対処する
航空会社なので、事前にこういう対処をされたのだと・・・。)

お疲れで眠っていらした、この事を知らないお客様は、
「あれ?アラスカ?アラスカなんて寄るなんて知らないから、
もうフィルム残ってないよ。寄るって言ってくれればなぁ。」
私、「・・目でお楽しみ下さい・・・。」

確かにアラスカの山々が白い雪があり綺麗でした。
以前は、アラスカ・アンカレッジ空港を経由する便が
普通だったそうですが、私が仕事をした時は、アンカレッジは
もう寄らない時代になっていたので、こういう理由でも
寄れたので、ある意味、感動でした。

そして、しばらく(少1時間)点検した後、給油して
飛行機は、成田に、機内の拍手を受けながら、
無事到着したのでありました。


余談:給油で思い出したのですが、この時でなく、違う時で
イタリアに行く時に、日本からイタリア・ミラノ迄の
直行便のアリタ○ア航空に乗ってた時に、向かい風が
強く、燃料がなくなり、イタリアまで行けず、途中の
オーストリアのウィーンに緊急着陸した事があります。
飛行機は、当然、遅れミラノ乗換えでウィーンに行く人が
機内にいて、飛行機が遅れてるので、ミラノまで行くと、
ミラノからウィーン行きの乗り継ぎ便に乗り遅れるとかで、
なぜか、給油の中で1人だけ降りてしまったのを
覚えてます。それも不思議・・。よく降ろしたなぁ。





[9] 機内で、心臓発作・・

1997年5月21日

このツアーは、関西のお客様を、お連れして関空から飛び立ち、
イギリス(ロンドン)、ベルギー(ブリュッセル)、フランス(パリ)の8日間のツアーでした。
まず関空からロンドンに、NH(全日空)で飛び、ロンドンから、ユーロースター(列車)で
ベルギー(ブリュッセル)に行き、市内観光の後、翌日はブリュッセルからバスでブルージュの
日帰り観光です。その翌日は、ブリュッセルからバスで高速を3時間半走り、パリに到着しました。
パリでは市内観光、最終日の今日は、半日自由行動があり、夕方、全員で空港に向かいました。
パリからは、AF(エールフランス)でドイツのフランクフルトに行きます。そこで日本行きの
乗り継ぎ便NH(全日空)に乗り換え関空に行く予定となってます。

AF(エールフランス)の飛行機は、パリの空港を飛び立とうと滑走路に向かってました。
その時、私の後方席から、お客様が「添乗員さん!大変よ!すぐ来て!」と叫けんだのです。
最終離陸体制でしたが、私はシートベルトをはずし、声のする方へ走りよりましたら、
ご夫婦のお客様がいらっしゃって、そのご主人様が、心臓発作の持病があり、顔が青ざめて、
心臓発作を起こされて、息も途切れ途切れになってました。いつも旅をしてても、
その持病の心臓発作になった事はなく、症状がでたのは今回が初めてだそうです。
そのお客様は、念のために、ニトログリセリンを持ってきていて、緊急に舐めている状態でした。

(ニトログリセリン=狭心症の発作(主に心臓の部分に起こる胸痛)を予防します。ただし、
起こってしまった発作そのものをなおすものではないです。
ニトログリセリンは、冠状動脈(心臓のまわりを冠のように取り囲んで心臓に酸素と栄養を送っている
動脈)を強く広げる働きがある。また全身の静脈も広がり、心臓へかえってくる血液を少なくして
心臓の負担を減らす。発作を起こした時にニトログリセリンの錠剤を舌下に入れると、発作が治まる)

そして、客室乗務員(スチュワーデス)にこの事を告げましたら、直ちに、飛行機は、滑走路から離れ、
飛行機が駐機できるスペースの所に移動しました。
すぐに機内アナウンスで
「お客様の中に、お医者さんはいませんか?至急、知らせてください」とドクターコールをしてくれました。(ドクターコール=機内で具合が悪い人が出た場合に、機内にお医者様がいる場合があるので
呼び出してもらう事。お医者さんは、全世界のどこかで学会が開かれてる事が多いので、
お医者さんが飛行機に乗ってる確率は高い)
しかし、残念ながら、今回はお医者様は乗っておらず、外から救急車を呼び、機内に救急隊員が
入ってきました。お客様の症状と、飲んでる薬の種類を確認して診察しました。
(具合が悪い人が、旅を続行したい場合には、お医者さんの許可がないと、機長でさえも、
飛行機を飛ばす事ができず、それに従うしかないのです。)
「この後の、ドイツ・フランクフルトまでの2時間以内のフライトなら体も持ちこたえられるが、フランクフルトから日本行きの10時間のフライトには、この方の体が持ちこたえられる保証はないです」
との事でした。お客様は、ニトログリセリンを舐め、何とか発作はおさまってる状態でした。
それで、とりあえずドイツ・フランクフルト迄の許可がおりたので。この飛行機は、フランクフルトに
向けて出発しました。しかし、私は、発作のお客様がフランクフルト迄、大丈夫か、そして、
この時点で最初の出発時間より1時間遅延してます。次の全日空の飛行機に間に合うか・・・
不安を抱えてのフライトでした。

ようやく飛行機がフランクフルトに到着しましたら、「具合の悪い人を先におりてもらうので、
他の方は、しばらく待ってて下さい」と機内アナウンスがありました。
そのアナウンスが終わらないうちに、後方の飛行機のドアから救急隊員が乗ってきて、
担架でお客様を機外へタラップを使い降り、タラップの前に止まってる救急車に乗せ、
その方の奥様も同行して救急車は、サイレンを鳴らし病院へと走って行きました。
(本当は、飛行機はタラップでなく直接ゲートに横付けだったのですが患者さんを、
すぐに救急車に乗せる関係でタラップの階段を利用したそうです)

さて、私達グループはフランクフルトから、更にNH(全日空)で日本に帰らなければなりません。
時計を確認すると、すでに搭乗開始時間になってます。これから全日空のチェックインカウンターに行き、飛行機のチェックインをしなければなりません。
ゲートには全日空の係員が待っていて、「急いでください」との事です。
私達は、走ってチェックインカウンターに行きました。そして私は、チェックインをしながら
とにかく急がなければいけませんので、まず席を割り当て搭乗券を、お客様に配り、
全日空の係員を先頭に、とにかく、お客様だけ先に、ゲートに行ってもらいました。

私は、まだ作業が残ってます。フランクフルトの病院に残していく、お客さんの為に
日本の旅行会社とロンドンにある手配会社に電話しました。
すぐにドイツ支部より日本語ができるアシスタントが病院に向かう事が決まりました。
そして、その2人のお客様のスーツケースを、飛行機からフランクフルトに置いていく為に、
お客様のクレームタグを探し、帰りの航空券もアシスタントに渡す手配をしました。
そして、ようやく飛行機のゲートに走りました。ε=ε=ε=≡≡≡ヘ(*--)ノ

後日談:心臓発作を起こされたお客様は、幸いなのは、フランクフルトに、その方のお嬢様が
お住まいで、久しぶりに再会し親子の団欒を楽しまれたそうで毎日、お見舞いに来てくれたそうです。
結局、2週間の入院の後、日本への許可がおり帰れたという事です。




[8] バスの中に置いていた手荷物が盗まれる

2000年10月10日(火)

10月7日から4泊6日の秋のカナダのツアーに行った時の話です。
秋のカナダといえば紅葉が大変美しいですね。
紅葉時期はツアーの日程と上手く合えば素晴らしく赤や黄色に色づいた紅葉の街道を
見ることができます。

(国によっても違いますが)このような繁栄期ですと、カナダの場合には、
ランドオペレーターがバスを手配していても予定通りに行かない事は多いんです。
ランドはバスを、ちゃんと手配してるのですが、予想以上に、この時期に観光客が集中して、
(ほとんど日本人)カナダを訪問するので、バスの台数が足りなく間に合わない事があります。
この時期は、バスが時間に遅れたり、バスがスクールバスであったり、来なかったり・・・
oh my god状態なんです。(今では以前よりは改善されたとか・・・)

私も、おととしに、朝4時に、空港までのツアーバスがホテルに来なかったんです。
乗り遅れると大変なので空港までお客様とタクシーに分乗して向かった経験があります(汗)
このような経験は繁栄期のカナダなら大抵の添乗員は経験してるかと思います(涙)

私達は、10月10日の朝にモントリオールのホテルから日帰りで、紅葉が美しいメープル街道を通り
ケベックでお昼、市内観光、そしてまた同じモントリオールのホテルまで戻る日程でした。
この日は1日モントリオール在住の日本人ガイドさんがいらっしゃいます。

(前日にもバス会社に確認してるのに)案の定、バスが出発予定の8時半になっても来ません。
また、当日にバス会社に電話したら、もう車庫を出てるとの事。やがてバスがホテルに到着して
9時12分にホテルを出発して、最初は、モントリオールの市内観光に行きました。

ケベックまで向かう途中には、紅葉が美しいメープル街道を通りました。
今回は、幸いにも紅葉シーズンとバッチリ合ったんです。
バスを止められるドライブインに寄り、お客様は綺麗に色づいた赤や黄色のメープルの葉を、
手にとって集めたり、写真を撮ったりして楽しい時間を過ごしたんです。

そして昼食は、ケベック市内にある、有名なシャトーフロントナックホテルです。
このホテルはケベックのシンボルで1893年に作られた高級ホテルです。
今日は、このホテルのレストランでバイキングでした。

バスをホテルの前のロータリーに止め、皆様は貴重品とか、昼食の時間に必要な物だけ持ち、
バスから降りホテル内のレストランに向かいました。1時間位の昼食の後にバスに戻り、
さてバスを出発しようかという時に、お客様が、「添乗員さん!バスの席においてた荷物がないです〜」
、とおっしゃってます。 「( VェV) ぇ?」 何度も再確認して頂いてもないんです。
ドライバーに聞いたところ、何と!バスのドアのカギを閉めないで自分の昼食に行ったそうです。
Σ( ̄ロ ̄;)!! がーん!ドライバーは、20分位ならバスから離れても大丈夫だと思ったそうです。

これ以上、問い詰めても起こってしまった事なので、時間もないですし電話で警察を呼びました。
お客様22名で、バス内に荷物を置いていて盗難に合った方は16名でした。
(この日はガイドさんもいらっしゃいましたが、ガイドさんはフランス語圏にお住まいなのに
フランス語はおろか、英語も・・・ぅぅ。)それで私が警察のパトカーの後部座席に乗り込み、
警官に事情を説明しました。(運転席と助手席は警官2人)
(余談:パトカーの後部座席って、外に出るためのドアーを開けるレバーがないんですね。)
ケベックの警察なので思い切りフランス語圏です。一応、警官に「英語できますか?」と聞いてみたら
警官は「少し〜」と英語で答えてくれて、パトカーの中にノートパソコンのような物があり、
盗難した物がゴミ箱にないか、不審人物がいないか、すぐに緊急手配をしてくれました。
(パスポート、財布がない場合にはゴミ箱に捨てていくケースもあるのだそうです。)

盗難証明書が必要なので、皆様の意見もあり観光をカットしてツアーバスはパトカーの先導で
ケベック中央警察に向かいました。移動の最中に、お客様には、盗られた物をメモに書いて頂きました。

そして、警察に到着して全員でバスを降り、皆さんが日本語で書いた盗難にあった物を、
ガイドさんと私が英語に訳して、盗難証明書に1枚1枚書いていきました。
(余談:盗られた物の中にお客様は・・・メープルの葉っぱと書いてました・・・・
確かに大事な物だと思いますが・・・しかし、それは盗難証明書には書けない〜。汗。。
もちろん記載しませんでした。さすがに、パスポート、財布類はバス内に置いてなく良かったです。
盗難にあった物は傘、セーター、英会話の本、ミネラルウォーター、帽子、ペン、ガイドブック、
それに、中身がティッシュ、ハンカチなどのカバン、リュック等でした)
(余談:早く書類作成を終わらせたいので、とても忙しいのだから、ガイドさん・・・帽子は英語で
CAPですよね?っていう冗談は止めて下さい。。(´。`。))
書類には、その品物がいくらだったか、いつ購入した物かも記載するので、
お客様も思い出しながらなので、とても時間はかかります。
ようやく16名分の盗難証明書を作成して、警官には連絡先のメモと会社の名刺を置いていきました。

バスに戻り、モントリオールのホテルに戻ったのが、夜の10時を回ってました。
(ケベックからモントリオールは3時間位かかります。)ホテルに到着して、ホテルで夕食です。
皆さんも、私も、精神的・肉体的にボロボロでありました。
深夜、部屋から日本の会社に、緊急電話をして事情を全て説明しました。今回はバスドライバーに
過失があるので保険はバス会社からと旅行会社からの全額保証となり、翌日のトロントでの、
夕食のロブスターディナーとCNタワーのオプションを全員にプレゼントとなりました。

それも大事ですが、お客様にとっては、ご自分の思い出の大事な物を盗られたという事実・・・
思い出のメープルの葉・・・など。お金で替えられない物がなくなった事はショックには違いません。
私も怒りと、悔しい感情をおさえながらも、仕事で添乗員としての同行なので、その後もツアー中は
なるべく笑顔で、お客様に接しつつ、また、笑顔ばかりでも気にしてないと思われるので、
時には深刻な表情もしたりしました。(本当に深刻だったのでありますけど。。)

1つだけ良かった事は・・・・
ツアーのお客様が、今回のトラブルで一致団結してまとまりが出たとおっしゃってくれた事でした。

日本帰国後、保険の事で、会社からお客様の家にお電話致しましたら、今回の事は一生、
忘れられない思い出です。と全員の方が笑って答えられました。
はい!添乗員の私も同じです。と、言いそうになりつつ、言うのを我慢して受話器を置きました。

後日談:今回のドライバーは業務も不慣れな為に解雇され、その手配会社もつぶれてしまいました。





[4] 添乗員が迷子!??

2002年10月28日(月)

今日はポンペイ遺跡観光の日でした。
ポンペイというのはイタリアの南部に位置してまして、紀元79年8月24日〜8月26日まで3日間、
近くのベスビオ山の噴火を受け絶滅した町です。手作業で発掘してますので現在でも発掘中です。

本当はポンペイ観光は昨日行く予定だったのですが、グループがイタリアに到着してすぐに、
イタリアの博物館が全国ストライキで休みになると予めわかってたので、
ランドオペレーターと相談してカプリ島・青の洞窟にに行く日と予定を入れ替えたのです。

ランドオペレーター】海外旅行で航空券の予約発券以外を全てこなす地上手配屋さん。
ホテルの手配、ガイドの手配、観光の手配、食事の手配等、様々な情報を管理する会社

イタリアはストライキの国であります。電車・バス・観光バス組合・飛行機・博物館・
何でもストライキします。旅行業界は、幸いにも、それが事前にわかるものですから、
前もって振り変える事も可能です。(その時の状況にもよります。)
こういう時に個人で旅行すると、けっこう大変かもしれませんが・・・
朝、テレビを見ると、ちゃんとニュースで、「今日は、ショッペロ(ストライキ)です」と言ってます。

そういう訳で、当日、ポンペイの遺跡に訪れる各国のグループツアーは、カプリ島と振り替えた人が
多かったみたいで、かなりの大混雑でした。今回の私のグループのご人数様は39名でした。
大人数になりますと、私は指が足りなくてお客様の人数を数えるのに時間がかかるものですので
人数を、数えてる時でも時間がかかりロスタイムになって、お客様に多大な迷惑をかけてしまいます。

それでお客様にも確認をお願いをしてるんです。
その私の方法は、5名から6名で1班として、前もって班を作り集合時間には点呼して
班の人数がそろったところで各班ごとに返事をして頂く方式をとってるんです。
普通、観光中は、ガイドさんが一番前をガイドしながら歩いて、お客様が真中を歩かれます。
そして添乗員が一番後ろを再確認しながら歩いていくのです。

今日は昨日のストのせいか、いつもよりも大混雑で、前を歩いてる人から少し目をそらしただけでも、
はぐれてしまいそうな大混雑日です。遺跡観光後は昼食のレストランに行く予定になってました。
遺跡の中で迷子になってしまいますと、遺跡内は広い上に、出口は8ヶ所ありまして、
お客様御自身でレストランに近い出口に向かうのは、かなり難しいのです。
私は、絶対に迷子は出さないぞ。という気持ちで、お客様の一番後ろを歩いておりました。

ところが、今日、遺跡観光の途中で私のグループのお客様が、
「大変!Sさんが、いない!どうやら、あのグループの後についていったようです。」と、おっしゃいました。私は、あわてて、お客様がおっしゃった方向のグループの後を追って確認をしましたが、
Sさんは、いらっしゃいません。それで、自分のグループのところに戻ったら、
何と!!私のグループのお客様が見当たらない。(がーん!)誰もいない!
お客様は、どこの方向に歩いていったんだろう・・・と思いましたが、
しかし、幸いにも、私は、このポンペイ遺跡内のルートは詳しく、この後の昼食場所を知っていたんです。(昼食レストランは遺跡から歩いていける所にありました。)

まず、イタリア人のガイドの携帯に電話して、自分は、はぐれてしまったので、
先にレストランに行って待ってるという事を告げました。
そうしないとガイドさんとグループのお客様は、今度は、私を捜そうとして遺跡内で、
足止めをくってしまうからです。
電話したらガイドさんは、「お客さん、全員いるそうです。」「( VェV) ぇ?。」
つまり、私だけ迷子になったわけです。がーん!
ツアーで添乗員として来てるのに遺跡の中を1人で歩いて出口に向かう寂しさ・せつなさ・・が。
そして、落ち込んでレストランの前で、お客様とガイドさんを待っておりました。

しばらくするとお客様全員が、レストランに元気な顔を見せてくださいました。
「添乗員さん以外、全員いましたよ!全員、各班で点呼して確認済みです。
この点呼方法は良いですねっ」と、おっしゃって下さったんです。
それで、私の気持ちも、嬉しく思ったのと同時にかなりホッとしたんです。





[3] 夏にふさわしい話・・・

1996年7月1日

この話は、イタリアの国の話ではありません。
以前は、よく行った国でありますが、例の9.11でツアーキャンセル(CXL)になり、
それ以来は私には縁がない国なんです。(アメリカではないです。)
どこの国かは、ご想像におまかせします。その国の某ホテルの話です。

そのホテルをAホテルとします。Aホテルは、老舗で大変豪華なホテルで、
有名人やVIPも宿泊するホテルです。
各国大統領から、マリリン・モンロー、著名人等の御用達ホテルともいえます。
そして世界で初めてペットが宿泊できるホテル第1号でもあります。

そのAホテルは7月のシーズン最中というのもあり、オーバーブッキング気味でした。
でも、何とか、お客様の部屋は確保できて安心していたんです。
私は、どこの国に行っても寝れれば良いタイプなので部屋の内容は、あまり気にしない方なんです。
ところが、自分の部屋に入って驚きました。すごく立派で広い部屋なんです。
豪華なシャンデリアにホームバーまであり、とにかく豪華で落ちつかないんです。

フロントに「あの部屋は本当に私の部屋?」って再確認したら、「そうです。」って言うのです。
「( VェV) ぇ?」お客様もいらっしゃいますし自分だけっていうのは、まずいんです。
すぐフロントに部屋の変更を申し出たら、「今日はオーバーブッキングで変更できないです。
それに、あの部屋は、いつもガイドさんとか、添乗員さんの部屋ですよ。」って言うのです。

そういう風にキッパリ言われて、諦めてフロントを離れました。
(Aホテルはグループ専用のチェックインカウンターがあります。)

添乗員が、豪華な部屋をアサインされて申し訳ない気持ちがありまして・・・
部屋に戻るのには神経をつかいました。もちろん部屋の中の様子は廊下側からは全くわかりません。
お客様に見られないように、さっさーっと壁際を、忍者のように靴音を立てないようにつま先立ちで歩き、部屋に戻りました。その様子を見た人がいたとしたら、私は少し怪しい人に写ったかもしれません。

レポートとか書いていて寝たのは深夜2時半頃でしょうか。
多少の疲れもあり、電気をつけたまま、ぐっすり熟睡してしまいました。
朝日が部屋にふりそそぎ、素晴らしい朝を、素敵な部屋で、何事もなく迎えたんです。

その後、ツアーは無事に終了して日本に帰国して先輩に、その話をしたんです。
「先輩、私だけ、あんな良い部屋をくれるAホテルって、まずいですよねー。」
先輩は、「ええ?あの部屋に泊まったの?本当?何もなかった?」って、
先輩の顔色が、急に青ざめてきました。何でも、Aホテルの例の部屋は、出ると評判なんだそうです。
昔、ここで働いてたメイドさんが、その部屋で自殺したそうです。その人が出るらしいんです。
部屋を改造してキレイにして、ガイドさん、添乗員だけが泊まるようにしてるらしいんです。
Aホテルの、あの部屋に泊まると100パーセント見てしまう有名な部屋だそうです。
それを知ってる添乗員は、繁栄期にAホテルに泊まると、必ず添乗員は、あの部屋になるので
部屋には泊まらないでロビーで、レポート書いたりして、何かして寝泊りするそうです。
(´。`。)知らなかった・・・。だから、ガイドさんとか、添乗員用なんだ。
先輩は、ご丁寧に、証拠写真まで見せてくれちゃってます。

しかし、あの部屋に泊まって何事もなかった私って・・・・。
知らないって事は、ある意味、大変に幸せな事かもしれません。


余談:この後、またそのAホテルに泊まる事が数回ありましたが、
    あの部屋にはなりませんでした。小さくて狭い部屋でした。
    それ以来、小さくて狭い部屋を今まで以上に好きになったのは言うまでもありません。








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