祀れば祀っただけのことがあるの「かも」しれません。
いつも私の回答は、神学的な視点というよりは宗教学的な視点で答えさせていただいてます。
故に、信仰によって発生する神秘的な力の有無については語る言葉をもちません。
何故神に「特定のご利益」があるのかを考えてみます。全ては、信仰する人間が「効果がある」と考え、思い付いたからであって、決して神からのアプローチがあったわけではないのですね。
つまり、神のご利益と言うのは人が決定したものであって、温泉の効能よりも曖昧なもので、少名毘古那神が医学・薬学・温泉・酒・農業の神とは言っても、実際に効果があるかどうかは分からないわけです。天兒屋根命・菅公も同様ですね。人が決めている以上、性質上の違いは無いと思います。
神様からすれば、少々迷惑な話ですよねw