「す……ごぃ……」
咲耶が呟きながら、傍らにある石の柱をぺちぺちと叩いた。
ざらついた石の質感、さらにその冷たささえそこから感じられる。
「そりゃあ今回のヴァーチャルシステムは完璧だもん。」
自慢げに鈴凛が胸を張った。
「今までのはあくまで眼や耳に画像と音声を投影するだけだったけど、今回のは大脳に直接データを送ってるからね。」
「どういうことなんだい?」
僕が尋ねると、鈴凛がこっちを向いた。嬉しそうに目が輝いている。
「聞きたい?」
「…………簡単にお願いできるかな?」
その言葉に鈴凛は一瞬頬を膨らませたが、すぐに表情を戻すと説明を始めた。
「眼や耳から入る情報はね、電気信号の形で脳に送られたあとそこで情報として再構築されるわけ。つまりそこの電気信号を人為的な情報に置き換えることで、仮想空間を形作ってるの。簡単に言えば人為的に構成された『夢』だね。」
「でも熱さも冷たさも感じますけど?」
鞠絵が首を傾げた。
「心と体は密接に結びついてるんだよ?例えば催眠術にかかってる人の腕に『これはやけ火箸だ』って言って割り箸を押し当てたら水膨れが出来たりもするんだ。」
「プラシーボ効果……という言葉もある……」
千影が話に割り込んできた。
「プラシーボ効果?」
「病気の患者に……ただの小麦粉を『薬だ』と渡したら……実際に病気が……治ったりする……」
「呪いもそれが原因だって言われてるね。」
僕がそう言うと、千影がふっ……と笑った。
「私のものは……違うけどね……なんなら兄くん……試して……」
「じゃあ鈴凛!さっそく入ってみるとしようかぁ!」
額に流れるイヤな汗を拭いつつ、僕は大声で言った。
「みなさん!剣と魔法と冒険の世界にようこそ!」
鈴凛が芝居がかったポーズで両手を広げる。そして背後の巨大な扉がゆっくりと開いていった。
「で、どうすればいいんだ?」
僕は周囲を見回した。
ここは始まりの街、オルデブルグ。神聖ギザ帝國の首都である(どうやら中世ヨーロッパがモデルになっているらしい。)。
噴水のある中央広場から放射状に街道が広がっており、あたりは行き交う人々でごった返していた。
「とりあえずは冒険者ギルドに行って、登録をして来なきゃ。」
「そこで職業を決めるわけですね?」
本好きな鞠絵が、すぐに理解したという風に頷きながら言った。
恐らくこの手のファンタジーものはかなり読んでいるのだろう。そのあたりの理解の早さはさすがだった。
「じゃ、登録したあと装備を整えてからまたここに集合することにしよう。」
僕の言葉に全員が頷き、それぞれが登録のためにギルドへと向かった。
「登録をお願いしたいのだけど。」
咲耶がカウンターから声を掛けると、奥から恰幅のいい男がやってきた。
「お、これまた美人の冒険者だねぇ。なんの職業で登録する?」
「それがよく分からないのよ、お勧めの職業ってある?」
「う〜〜ん、ちょっと待ってな。」
そう言うと男は、中空に手をかざした。
ヒュウン。
半透明のウィンドゥが空中に現れる。
「まあこの世界じゃ金を稼いで、訓練所でスキルの訓練をすりゃ、戦士でも魔法を使えたりするから余り深刻に考えんでもいいんだが……」
男がざっと咲耶の初期パラメータを眺めた。
「……筋力と器用さ……敏捷性が高めに設定されてるね……お?魅力も相当なもんだ……」
「……戦士向き……ってこと?」
咲耶が表示されている自分のパラメータを覗き込んだ。
「そうだね。初期値の低いパラメーターはおのずと限界値も低くなるから、戦士で登録するのが無難だろうな。」
「じゃ、そうしてもらえるかしら。」
「了解、登録したらすぐに武器屋にいって装備を整えてくれ、それじゃよい旅を。」
登録と装備を整えたみんなが再び集まってきた。
咲耶は手にレイピアを持っている。どうやら戦士系のようだ。
「あらお兄様、武器は斬馬刀?」
「まあね、やっぱり男なら『ベルセルク』に憧れるよね、ってことで。」
格好はというと、革のブーツに厚手のGパン、Tシャツに革の胸当てという、普段の服と余り変わりのない格好だった。
対する咲耶はというと、上半身は体にぴったりとくっついたシャツに革の胸当てと肩当て、下半身はミニスカにニーソックスという、その趣味の人が見たら卒倒するようなコスチュームだった。
「咲耶、それはちょっとやりすぎじゃないか?」
「せっかくの冒険なんだもの、やっぱりかわいいほうがいいじゃない?」
「咲耶ちゃんかわいいじゃん。」
そう言ってやってきたのは鈴凛。
頭のゴーグルはそのままに、タンクトップに短めの革の上着に、腰ベルトからは色々な袋やら道具やらが吊されている。
下半身は長めのスパッツに革のショートブーツという、動き易さを優先した服装になっていた。
「盗賊?」
「もうなによアニキぃ、盗賊じゃなくてトレジャーハンターって言ってよね。」
「悪い悪い、でも結構似合ってるじゃないか。」
僕のその言葉に、鈴凛がわずかに頬を赤くした。
「お待たせ……致しました。」
と、そこに鞠絵と千影が二人揃ってやってきた。
「おお!」
「鞠絵ちゃんかわいー!」
鞠絵の服装は、紺のパフスリーブのワンピースにエプロン、革靴に三つ折りのソックスに頭にはカチューシャ……いわゆる「メイドルック」だった。
「……あの……一応僧侶……なんですけど……変……ですか?」
「うんうんそんなことないよ!かわいい!」
「あたしもそれにすればよかったぁ。」
どうやらもっとも趣味に走ってしまったのは鞠絵のようだった。
「私はお約束に……したがってみたんだが……どうか……な?」
「うわぁ!」
いきなり耳元で囁かれ、僕はビックリ仰天した。
そこには見事に『魔法使いルック』に身を包んだ千影が立っていた。
黒のロングドレスに先端に宝石の填った杖、同じく黒のマントが全身を覆い隠している。
「ふ……」
「なんか千影ちゃん本物みたい。」
「すっごい魔法使いそうだよね。」
咲耶と鈴凛が声を上げた。
「さすがに……あの変な帽子は……買わなかったけど……ね。」
褒められて悪い気はしなかったのだろう、千影が小さく微笑んだ。
「よし!じゃあさっそく宿屋に行って依頼を受けてくるか!」
そう言ったが返事がない、変に思った僕が後ろを振り返ってみると、4人の妹たちが輪になってなにかを話し合っていた。
「それじゃお互いイベントが起こっても恨みっこなしということで。」
「ええ、お互い正々堂々とやりましょう。」
「なに話してんのさ?」
僕のその言葉に、鈴凛がビックリして飛び上がった。
「いやあのその……そう!頑張ってやっていこうねって……そう、うんそうだよねみんな?」
他の3人が慌ててうんうんと頷く。
「……ま、いいか。」
姿勢を正す。
「これより冒険の旅へとしゅっぱーつ!」
「おー!」
実はこのゲームには隠しパラメータとして「兄に対する貢献度」というのが設定されていた。
それが一定以上溜まると、『寝坊した兄を起こす』、『風邪ひいて添い寝』、『お姫様抱っこ』、『お風呂場でバッタリ鉢合わせ』、『着替え中にドッキリ鉢合わせ』、『ドキドキデート』などの嬉し恥ずかしなイベントが起こるようになっており、またヴァーチャルであるから、最終的には『ゴールイン』も可能であった。
当然ではあるがもちろんこのイベントの存在は兄には教えられていない。
こうして、剣と魔法と煩悩渦巻くヴァーチャルゲーム『シスタープリンセスオンライン(SPO)が幕を開けたのであった。』