リビングのフローリングをタタンって踏んで、キッチンに顔を出して……
「ね、ママ……あにぃから電話はない?」
ふりむいたエプロン姿のママが、怒ったみたいにボクを見たよ。
あわてて、パッて首を引っ込めて。今度は窓の塀の……その向こうを見て。次は、玄関に向かって……
あのね、今日はボク……朝から、ソワソワして。どうにもならないんだ。
だってさ、今日はね……「お兄ちゃんの日」なんだから!
早く、あにぃが来ないかな……って。待ちきれなくて、リビングから玄関に出て、外を覗いて……ときどき通りまで出て、それからリビングに戻って、ママに電話が入ってないかなって聞いて……って、何度もしてたら。
「衛ちゃん、お行儀よく座って待っているか……お迎えに行くか、どちらかにしたら?」
って、ママににらまれちゃった。
でも、うん……そうだよね!
「じゃあ、ボク……あにぃを迎えに行ってくる!」
待ってるのは苦手だから……ボク、外に飛び出して。
ゆうべ、真っ黒になって整備したマウンテンバイクを引っ張り出して……
ヤッホー!あにぃ、ボクが今ピューって迎えに……あっ!
「おーい、衛?」
あ、あにぃだ!あにぃが来たよ!
わぁ、今日のあにぃは、赤いTシャツで……すっごくラフな格好だね。
だとすると、どこかに散歩かな?でも、肩下げの鞄も持ってるし……
「ねぇあにぃ、今日はどこに行こうか?」
「そうだな……衛、今日はある場所に付き合ってくれないか?」
少し考えながら、あにぃが言うんだ。
「うん。いいけど……どこに行くの?」
『ある場所』なんて、ヘンな言い方だよね。
でも、そしたらあにぃが、ちょっぴりヘンな顔になって……
「う、うむ。衛、前にオダイバに行きたいって言ってたろ。」
「オダイバって……あ、テレビ屋さんのあるところだよね?」
「そうだ。レインボーブリッジもあるぞ。」
「うわぁ……ボク、行きたいよ!」
そうしたら、あにぃがよしよしってうなずいて……
「よし、じゃあ行くか。まずは駅にレッツゴーだな。」
「うん!」
あにぃについて、歩き出したよ。
何だか、今日のあにぃはいつもと違って……元気っていうのかな。
ボク、それが嬉しくて、何だかもっとドキドキしてきちゃった。
電車に揺られる、あにぃとボク。
あにぃは、さっきから時計をチラチラって見て……どうかしたのかな。
「あにぃ、なにしてるの?」
ボクが聞いたら、何だかウムってうなって……それきりなんだ。
「いや、色々と時間がな……」
とか、言って……「やはり、もっと早くに出るべきだったか……」とか、「ありがちに、行ってはみたものの完売という……」とか、ゴニョゴニョってつぶやいてる。
まさか、あにぃ……また、前みたいにボクをうっちゃって、一人で遊ぼうとしてるのかな。
ボク、そう思ったら、何だか悔しくなって……
「ダ、ダメだよあにぃ!今日は、ボクとずっといっしょにいなきゃ!そういう決まりなんだからね!」
あにぃの腕を掴んで……大きな声で、そう言ったんだ。
でも、そうしたら……もちろん、あにぃもビックリしたんだけど、それだけじゃなくて……
電車に乗ってる人たちが、ボクと……あにぃを目を丸くして見てるんだ。
「衛、お前なぁ……」
わぁ……あにぃに睨まれちゃった。ふうーって、呆れたみたいなため息が出てるし。
あーあ、どうしてボクっていつもこうなんだろう。
何だか、花穂ちゃんの気持ちが……ちょびっとだけ、ボクにもわかった気がするよ。
電車から降りて、次はバス!
混んではいなかったけど、あにぃといっしょには座れなかったんだ。
だからボク、小さな席によっこらしょって腰掛けたあにぃの横で、吊り革に掴まって……ブランブランって、遊んでたんだけど。
あにぃは、さっきから時間を気にしてるみたいだし……どうしたのかなって、ボクが聞いても教えてくれないから、もう聞かないけど。
だからボク、ぐんぐん流れてく外の景色を見ながら、ちょっぴりタイクツになって来て……
そうしたら、窓の外をバスが通り過ぎたんだ。
「あ、見て、あにぃ!あっちのバス……すっごい人が乗ってるよ!」
そう言ったらね、あにぃがそっちの、反対側の道を走ってくバスを見て……ホントにね、中に人がいっぱい詰まってるんだ。体育のボールのかごみたいに、ギュウギュウになってるんだよ。
それで、それを見たあにぃが……
「時既に遅し、か……」
とか、何だかムツカシイことをゴニャゴニャ言って……目を閉じて。
ど、どうしたんだろう、あにぃ。何だか急いでるみたいだけど……何かあるのかな?
「うわぁ……すっごい人だね、あにぃ!」
「そうだな。とりあえず急ぐぞ、衛。」
「う……うん!」
あのね……あにぃが連れて来てくれた場所はね、その……
すっごーく大きな、イベントホールだったんだ!
バスを降りるちょっと前から、ボク、人がいっぱいいるのにビックリしてたんだけど……
降りて、歩いて……その建物の中を、覗いたらね!
「うわぁ……!」
ボク……こ、こんなに人がたくさんいるところ、見たことないよ!
サッカーとか、スタジアムの観客席ならあるけど……そういうのと、違う感じなんだ。
そしたら、ビックリしてるボクを、あにぃが……
「ほら、衛!さっさと行くぞ!」
あにぃに呼ばれて、やっと歩き出せたけど……な、何だか、緊張してきたよ。どうしてだろう。
でも、あにぃはどんどん先に行っちゃって……
「ま、待ってよ、あにぃ!」
ボク、おいてけぼりにされないように、あわてて走り出したんだ。
「あにぃ、ここって何てトコなの?」
「何ということだ……まさか、よりにもよって東から入ってしまうとは。これではイカンぞ……」
「あにぃ、東ってなに?」
「確か言い伝えによれば、最盛期の東西移動は一時間を有すると……」
「あにぃ、あれ……あの人たち、何してるのかな?」
「これはいっそのこと、外回りで向かった方が早いかもしれん……」
「あにぃ、ねぇ……あにぃってば!」
「やはり無謀だったか……」
ボクが何を聞いても、あにぃはしらんぷりでブツブツ言ってるし。
暑いのはヘイキだけど、人がいっぱいで……みんなボクより大きいし。
何だかさ、その……ボク、いきなりつまらなくなっちゃって。
歩き出すあにぃの後ろで、立ち止まっちゃったんだ。
「衛、迷子になるぞ!遅れるな!」
あにぃは、ボクを怒ったけど。
でも、ボク……歩かなかったんだ。
だってさ……だって、こんなのないよ!
「もうやだよ!ボク、こんなトコ……ちっとも面白くなんかないよ!」
夏休みでたった一日……待ちに待った、あにぃといっしょに遊べる日なのに……
なのに、あにぃは何も教えてくれないし。まるで、ボクがじゃまっけみたいだし……
「お、おい衛……どうしたんだ?」
戻って来たあにぃが、覗き込むから……
「あ……あにぃのバカ!もう知らないよ!」
そう言って、ダーッて……後ろに走り出しちゃったんだ。
あにぃがボクを呼ぶ声がして……でも、そうしたら、もっと胸が苦しくなって、イヤな気持ちになって……
それで、それでもボク……走り続けて。
気が付いたら、ボク、不思議な場所に来てたよ。
いっぱい人がいるのは、同じなんだけど……
あのね、まわりにいる人たちが、みんな、見たこともないような格好をしてて……
女の人が、多かったけど。男の人も、何人かいて。
それでね、セーラー服……だっけ?それを着たおっきな女の人が……二人連れだって、ボクの前に来て。
「どうしたの、ボク……迷子かな?」
心配そうな顔で聞くから、ボク、あわてて首を振って……
「違うよ。迷子なんかじゃないもん。」
ぐいぐいって、目をふいて。
そうしたら、もう一人のセーラー服の女の人が、横の人に耳打ちするみたいに、
「すごいね……この子のさ……よく、できてるね。」
って。二人で、うんうんうなずいて、何のことかわかんないボクに、しゃがみ込んで……
「ボク……マモルちゃんでしょ?」
え……!
い、いきなり……そう言ったんだ。ボ、ボク、こんなにビックリしたことないよ。
「う、うん……そうだけど。」
ゼンゼン知らない女の人だから、ボク……どうしよう、どうしてかなって、思って。
でも、セーラー服の女の人は、二人して……やっぱりね、って笑ったんだ。
「マモルちゃん、一人でどうしたの?他の姉妹のみんなや……お兄ちゃんは?」
って、また……ボク、飛び跳ねるぐらいにビックリして。
「ど、どうしてそのこと……知ってるの?」
「知ってるわよぉ。マモルちゃんがお兄ちゃんのこと大好きだってことも……ちゃーんと知ってるんだから。」
「そうそう。それで、お兄ちゃんはどこかなぁ?さては……お兄ちゃんとケンカでもしたのかな?」
ボク、もうビックリするのをずーっと通り越して……ポカーンってなっちゃって。
でも、でも……あのね、首だけは振ったんだ。
「ち……違うよ!ボク、あにぃと……ケンカなんかしないよ!」
ウソだったけど……でも、そう言ったんだ。
そうしたら、二人ともうんうんって、またうなずいて……
「そうそう。マモルちゃんや他の姉妹のみんなは、全国のお兄ちゃんのお姫さまだもんね。」
「そうよね。お兄ちゃんも、マモルちゃんのこと大好きなんだから……」
え……え?今の、ゼンコク……って、どういう……
ううん、それより……それよりも……
「あ、あにぃが、ボクのこと……」
だ、大好きって、言ったけど……そ、それって……
「そうよぉ!マモルちゃんがお兄ちゃんのこと大好きなことももちろんだけど、お兄ちゃんは、それよりずーっと、もう何百倍もマモルちゃんのこと、好きなんだから!」
「そうそう、何ていうか……ラブラブ?愛してるって……あ、それはアレかもしれないけど、つまるところそういうの!もう大好きなのよっ!」
何だか、喋り方がちょっぴり変わったけど……二人が、ボクにそう言ったんだ。
で、でも……何百……倍?かけ算のことだよね……ええっ?
そ、それに、らぶらぶって……咲耶ちゃんみたいな……エイゴ?それに……
あ、ア、アイシテル……って……?
あにぃが……あにぃが、ボクのこと?
「ま、真っ赤になっちゃって……可愛い!」
「ほんとほんと。見てみて、ね……この子、もうクリソツなのよっ!」
「キャー!ホントだ……カッワイイっ!」
「うわぁ……こりゃヤラレた。てゆうか……写真撮っていいかなぁ?」
「ダメダメ。保護者の人、近くにいないみたいだから。」
「あーん、もったいないなぁ……あ、でもだったらそれまで護ってあげないとね。」
「あ、それサンセー!邪悪な妄想を抱くヤロー君どもに見つからないように、私たちでガードしてあげなきゃ。」
「ん、じゃ決まり!それじゃ、マモちゃん……とりあえず、お兄ちゃんが来るまで私たちといっしょにいましょ?」
ぼーっとしてたボク、そこで……気が付いて。
「え……?」
見回したら、わぁ……!
さっきのセーラー服の人だけじゃなくて、そのね、ドレスとか、和服とか、ブレザーとか……わっ、スポーツ選手みたいな格好の人もいるし、み、水着みたいな……す、スゴイ服の女の人もいて、みんなでボクのこと、笑って覗き込んでたんだ。
それで、ボク……それから、みんなに囲まれて、色々歩いて。
ジュース貰ったり、アイス貰ったりして……みんな、ボクに優しくしてくれて。
遠くにいっぱい、カメラとか持った人が並んでるんだけど、ボクたちが行くと、そこがザザーって広い道になって。
不思議な感じだったけど、でも、とっても面白かったんだ。
それで、それでね……
「ま、衛じゃないか!?」
って、大きな入り口の近くを通ってたら、並んでる人の中から……
「あっ、あにぃ!」
あにぃが、目を丸くして……女の人に囲まれた、ボクを見てて。
ボクが手を振ったら、すっごいスピードで走ってきて……
「無事だったか、衛っ!」
あ……!
そのね……あにぃが、ボクのこと……ぎゅって、抱き締めて……くれたんだ。
そしたら、まわりの女の人とか、カメラの人とか、みんながわーって……拍手してくれて。
ちょっぴり恥ずかしかったけど……とっても、とっても嬉しかった。
夕暮れ。
夏だから、まだ明るかったけど……
あのね、あにぃとボクは……どこにいたと思う?
二人で……船の上!
もちろん、ボクたちだけじゃないんだけど……風がピューって吹く、遊覧船の一番てっぺんのところで……
あにぃとボク、並んで……海を見てたよ。
普通なら、ボク……こういう船とか、大好きだから。いろんなこと喋ったり、行っちゃいけない場所に入ろうとして、あにぃに怒られるんだけど。
でもね、今日は……自分でもヘンだと思うんだけど、静かにしてたんだ。
「どうした……衛?」
あ、やっぱりあにぃが……ボクのこと、ヘンな顔して見てる。
そうだよね。さっきまで、あんなにはしゃいでたのに……
いっぱいの女の人たちのおかげで、あにぃに逢えて……それで、その後は、あにぃと二人でいろいろなトコを見学して、パーラーにも入って……ケーキとかパイとかソフトクリームとか食べて。あにぃが説明してくれたコト、なんだかよくわからなかったけど……ボク、それでもとっても楽しくて。
「衛……疲れたか?」
あれ?あにぃが何だか……困ったみたいな顔になってる。
ボク、首をブンブンって振って……
「ううん。ヘイキだよ。楽しかったもん……ね、あにぃ。」
「そ、そうか。それは何よりだ。」
ホッとしたような顔になるあにぃ。ボク、思わずいつもみたいに、あにぃの腕に飛びつこうとして……
でもその時、急にさっきの女の人たちに言われたこと、思い出して……
あにぃが、ボクのこと……って。
それで、何だかとっても恥ずかしくなって……ドキドキして。
そりゃ、ボクだってあにぃのことは、どんなことより、ゼッタイ一番に大好きだけど……
で、でもさ……ホントに、あにぃも、ボクのこと……
「どうした、衛?」
顔をあげたら、覗き込んでくるあにぃの顔が……目の前にあって。
ボク、何だか胸が……もっとドキドキって、スッゴクあっつくなって……
「な……な、何でもないよっ!」
そう言って、プイッて横向いて……そしたら。
「やっぱり、疲れてるんだろ。そろそろ日も暮れるしな、衛も寝る時間だ。」
って、あにぃが、笑ったんだ。アハハハって。
ボ、ボク……
「そ、そんな子供じゃないよ!もうっ、あにぃのバカ!」
どうしてだろう、さっきと違う感じで……カーッて、熱くなって……
でも、あにぃはニヤニヤして、ボクのこと笑うから……
だから、やっぱり……ボク、あにぃの腕に飛びついちゃった。
エヘヘ、ムツカシイことはよくわからないけど……
やっぱり、ボク……こうして、あにぃといっしょにいられるのが……
一番、いっちばん……大好きだよ!